1541年、少弐家に仕える竜造寺家は、
肥前国小城を拠点とする千葉胤連と主家を結びつけて、
日之江城城主の有馬家に対抗する事を画策した。
この方針の下、竜造寺家の重臣だった鍋島家の次男坊は、
4歳で胤連の養子となった。
事実上の人質であった。
小城に来て間もない頃、胤連から、
「もし叶うなら、家に帰りたいのではないか?」
とこの少年に尋ねたが、
「帰りたいですが、貴方は返せないでしょう。」
と大人びた返答をした。
武士のルーツは 弱者救済
武士は食わねど 高楊枝!
これを聞いて大物になるだろうと確信した胤連に、この少年は大切に育てられ、
家臣や領地まで与えられたという。
この少年は後に竜造寺家を背負って立つ事になる鍋島直茂である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます