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創価犯罪組織の洗脳

2023-01-29 12:35:30 | 日記


カルト教団はなぜ問題なのか?

信仰を利用して反社会的な行為を行うとの理由だと思われる。
では、反社会的な行為とは何か?
傷害・殺人、強盗、詐欺等の犯罪行為の他、社会の習慣や常識に反する行為、道徳に背き、秩序を乱す行為であろう。
また、カルトの特徴として、洗脳、詐欺、支配と服従、奴隷的労働(無償奉仕)、等の要素が考えられる。
つまり、法律上、道徳上問題があり、これらの特徴が顕著である場合、その団体はカルトと考えられる。

ここで、問うてみたい。
現在、旧・統一教会の問題がマスコミを賑わしているが、創価学会は、カルト教団ではないと言えるのか否か。
旧・統一教会と創価学会は何が違うのか?
程度の差はあれ、やっていることはほとんど同じと考えている人は多い。
実は、学会内でもそう感じている人は多い。
一方、「学会と旧・統一教会は全く違う」「創価学会で良かった」と口にする人がいるのも事実である。
そう思いたい気持ちは理解する。しかし、もし学会に問題があれば、反省し、直していくべきだと考える。

私は創価学会をカルト扱いしたくはないし、もしカルトと思われているなら、原因を正すべきだと考えている。

今回、幾つかの事例・観点を取り上げて、学会内の問題を考えてみたい。


1)聖教新聞掲載の虚偽情報を利用した洗脳(会員操作)

聖教新聞紙上に時折掲載される「四季の励まし」は、池田先生が現在執筆されている訳ではない。
「四季の励まし」は池田先生の、過去の文章の切り貼りである。私の知る限り、全ての掲載は切り貼りである。

しかし、現場幹部は、「四季の励まし」やメッセージは先生ご健在・ご活躍の証拠だと言う。
同時に、先生ご健在だからこそ、学会の上からの指示は、先生の意向だと主張する。こうやって、会員を活動に駆り立てる。

聖教新聞の報道・掲載が基となって虚偽を拡散し、会員を選挙支援に駆り立てるなど、人心を操作している。
それ以外にも、以下の二点が虚偽に基づく強行として検証されている。

・2014年の会則の教義条項の改変(池田先生の御指南に背いたものである).
・2015年の集団的自衛権行使の限定的容認(過去の先生の主張には矛盾する).

池田先生が書いてないものを先生が書いたと偽る。
先生のご健在を前提に、先生の意向と違うことを先生の名前を騙って強行する。
先生を利用して会員におかしなことを強要する。
あまりにおかしなことなので、「何をやっているんだ!」「先生の指導と違うではないか!」(2006.10.25、2008.03.05の先生の指導他)と指導通りに行動すると、批判され、迫害される。


私には、そんな学会員は、おかしな幹部達に「洗脳」されているとしか思えない。

聖教新聞は、先生が書いてないものを、さも現在先生が書いたように切り貼り・創作する。
2010年5月を最後に先生は公式な場には出られなくなった。
しかし、「元気にしておりますよ。執筆活動などに専念しています」と会長は発言した(2016.09.22朝日新聞)。そして、不思議な現場幹部は今もそう主張する。
先生が書いているか否かは検証が必要である。現時点でも、そして、将来も徹底的な検証が必要である。

もし、宗教団体が、出版事業として、事実と異なる虚偽情報を活字にして出版し、金銭を得たなら宗教法人として問題である。
会員を騙して金を得たなら、それは「詐欺」といわれても仕方ない。
更に、会員の学びを妨害し、思考を停止させ、組織と幹部が絶対と信じさせ、嘘で会員を操るなら、それは「洗脳」である。
政党支援と集金活動しかしないなら、その団体は宗教団体とは言えない。人を救わないなら、否、人を苦しめるなら、もはや宗教ではない。





2)虚偽情報に基づいた活動の強要

学会はもともと「会員個人の政党支援は自由」を明言していた(昭和39/42/45年)。
また、公式には、SOKA GAKKAI ANNUAL REPORT 2019の「今後の政治に対する基本的見解」には「個人個人の政党支援は自由」であることが掲載されている。少なくとも、2019年までは創価学会広報室は「支援の自由」を対外的に公言していた。
しかし、最近、選挙支援は会員の義務のように言われている。
特に、2021年7月の原田会長による「政党支援も宗教活動の一環」と宣言に続く、「従えない者は…反逆者」的発言によって、会員の公明党支援は会内で当然のように扱われるようになった。会長発言が、会員への政党支援強要の引き金になっていることは想像に難くない。もはや、支援は自由ではなく、会員の義務であるかのようになった。結果として、この会長発言は不適切だったと私は考える。また、このような不適切発言が、創価学会に分裂を生む一因でもあると考える。

また、現場では、学会が決めたことに疑問を持つことは許されず、組織の打ち出し通り、幹部の発言通りに精一杯活動するのが信心であるかのごとく言われている。
また、「愚痴は福運を消す」「役職は断ってはいけない」とされる。理由や根拠を聞いてもまともな返事は帰ってこない。これでは道理を重んじる仏法ではない。
喜んで従わないと良くないことが起こるかの雰囲気を醸し出す。まるで「罰」を恐れるように仕向けているかのようだ。「恐怖」を煽って、支配する。
おかしな幹部は役職という立場を利用し、更に様々な方法を使って、会員に活動を強要する。権威主義である。

そんな団体を会員はおかしいと思わないのだろうか。
『「おかしい」と思ったら、どんな人間に対しても、厳然と言っていくのである。』(2006.01.27)とは池田第三代会長の指導である。
都合の良い話だけを会員に吹聴し、幹部にとって都合の悪い先生の指導は封印してしまう。
そうやって出来上がった組織は、批判を許さない。上意下達の集合体である。何より心がない。
そして、それは単なる「支配と服従」に見える。


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