C'est La Vie

好きなものと、日々のこと。

jinaの図書館

捨てることで得るもの。

2011-06-01 14:24:06 | 真面目な思考

gremz グリムス 植林・植樹
服とか化粧品とか、日常的に使うもの以外のものはほぼ処分、整理を済ませてしまったんだけれど、なにかとちまちま片付けを続けている毎日。

大小中のダンボールや靴箱が積まれている6畳の部屋は、ベッドの上を除いたら1畳分くらいしか足の踏み場がない。
まぁ、部屋にいるときはベッドの上で本読んだり、DVD観たりするだけだから特に支障はないんだけど移動するのが大変で、普段何もないところでもアザをつくるという秘技をもってしまっているあたしは、いつも以上に脚中アザだらけでなんとも痛々しい仕上がりになっている。

相変わらずの空間把握能力の低さだと、自分でもおもう。


ここのところ、モノを捨てる、という作業を続けてきたせいか、自分にとって足りないものを追い求める、というスタンスだったのが、自分にとって必要なものはなにか、という捉え方になったのはいい収穫だった。

ほんとはいらないものまで後生大事なもののように抱えてたんだなーとつくづくおもう。

ギターと煙草だけあればいい、じゃないけど、いろんなことを極限までシンプルにすることって、実は意外と気持ちいい。

物事全般に共通して、捨てるということは視覚的な爽快感も勿論あるけれど、それに結びついている背景と良い意味で決別的だし、自分の中の欲がアタマをもたげてくるときの傾向が明確だから対処もしやすいし、といったように、精神衛生的にとてもいい。


そんなさっぱりとしてきたあたしの、そとみもさっぱりとしてくれると非常にありがたいのだが。


違う角度からの向上心。

2009-10-12 19:09:15 | 真面目な思考
最近考えていることについて。


先日、自分について深く考える機会がありまして。

それをきっかけとして色々と掘り下げてみたんだけど、
あたしは基本的に
自分には何の才能もないとおもっているヒトだから、
誰かから、何かしらの影響を受けて吸収したり、
得た知識を生かすことによって
自分というものを高めていけるものだと考えていた。

だけど結局は、それが自分に課しているルールというものに変わり、
得たものを上手く消化できてない苦しさで
自分で自分の首を絞めているんだということに気付いた。

「高めていける」が「高めていかなければいけない」になっていた。
一種の強迫観念のようなものだ。

ここ何年か、同じところで悩んでいたのはそのせいだったか、と。


いま、本が読めなくなっていたりするのは、
大したものを持っているわけではないけれど
とりあえずこれ以上自分のなかに何も入れず、
いま現在自分が持っているもののなかから
本当に必要なものだけを選別している最中なんだろう、とおもう。

いらないものを削ぎ落とす作業をしているというか。


それが出来たら、
空いた余白にヒトを受け入れることができるんじゃないかとおもう。
どちらかといえばあたしは受動的な人間だけれども、
最終的に受け入れることができなかったのは
そのまやかしのこだわりのせいだったんだろう。
何だかんだ理由をつけて
あるがままのものをあるがまま観ようとはしてこなかった。
そんな自分が、生き方が、
淋しいし哀しいとおもうようになったのは
たぶん、ちょっとだけ立ち位置が変化したからだ。


自分のなかで最終的にブレない芯が1つ、ありさえすればいいとおもう。
それさえあれば、
どんな状況になったとしても大丈夫だとおもう。


それに辿り着くまでは
アタマとココロとカラダがバラバラになっているような感覚が続くだろうけど、
きっと、
それは自分にとって必要なことで
いましかできないことのような気がする。


潔く捨てていこう。

到達地点はまだ見えないけど、それでいいんだとおもう。
ちょっとだけ、入りすぎている力が抜けた。

『狭き門―』を観て考えたこと。

2009-08-28 03:05:20 | 真面目な思考
別記するとかいいつつも書くのを迷いました。
自分の中の負の部分を曝け出す結果になるので。
 
あくまでこのブログは自分の軌跡として残しているものなので
読んだことによって同調してしまっては元も子もないですし
責任も取れません。



半月くらい前から予感はあったんだけど、
自分の中で、気付かないふりしてやりすごしてきたことが
剥き出しになってしまった。

それは「あたしには居場所がない」っていうこと。

誤解しないで欲しいんだけど、
それはあたしを大事に思ってくれている人の存在を
無視した上で至った結論では決してないということ。
あくまでも自分の中の問題なんです。
 
なんかね、どこにも立ち位置が見つからない。
納まってないという感覚が常にある。

これは幼い頃からずっと思ってきたことで、
前もちょっとここで書いたことあると思うんだけど、
生まれて物心ついたときからあった環境って
自分じゃどうしようもなくて、
足元踏みしめて立っててもグラグラグラグラ揺らされて、
場所変えて立ってても追いかけてきてまた倒されて、
でも段々、
自分の手で自分の世界を創っていける歳になっていって、
何でも自由に自分で選ぶことが出来て、
それが嬉しくて楽しくて、
付随して自分の居るべき場所って自ずと見つかるものだと思ってた。

自分のやりたいようにやって、
世間の目とか気にしないで生きているつもりだったけど、
結局はそれに縛られて行動していることに気付いた愕然さとか、
じゃあ自分を信じるしかないと思ったらもう他人に心が開けなくなる極端さとか、
普遍的じゃないものへの恐怖心とか、
なんかもう、
色んなことひっくるめて、
「生きる」ということに対して物凄く怖くなってしまったのね。
どうやって生きたらいいのかわからなくなってしまった。

「好きなことをして生きていけばいい」と言ってくれる人もいるけれど、
自分にとっての好きなことすらわからなくなってしまった。
以前は、1週間とか1ヶ月とか、ちょっと先の未来に
楽しみを置いて頑張ることが出来たのに。

やっぱり半月前、
「お前の生き方は間違っている」と
直接的な言葉で生き方を批判されたことが
思った以上に自分の中で消化できなかったみたいだ。

まずその時点で言う方も言う方だとも思うんだけど、
それでも、自分が信じて守ってきたものを
抉られた感はどうしても残ってしまうから
わりきってしまうことは難しくて。

あぁ。

もうどうしたらいいのか、わからない。

自分って。

2008-12-26 14:27:00 | 真面目な思考
明日から休みに入るというのに風邪を引いてしまったせいで
体調が最悪デス。。


昨日、寝る間際のぼんやりとした意識の中で
ある地点へと至った考えに納得して実践しようと思ったはずなのに
朝起きたらさっぱり思い出すことが出来なくなっていた。

そんな回転速度が著しく低下している頭でも、
自分を見失っているなぁという感じはよくわかる。

全ての物事が割り切れないことくらいこの歳になればわかってくるけど、
それでも曖昧なまま甘んじることは許せない。


何て面倒なことこの上ない性格(^^;)


ただ、素直にかくありたいと思える人が身近にいることは
否が応でも自分の不甲斐なさを浮き彫りにするから
それと正面から向き合わなければならない辛さはあるし、
自分自身を凹ませる元凶にもなっているわけだけれど、
反面教師より断然刺激を受ける。


兎に角、頭で考えているうちは全然駄目で、
考える前に行動に移しているくらいが
あたしにとってはちょうどいいのかもしれない。


と思っても体調が悪いせいで身体が付いていかなくて
頭だけが暴走してグルグルとスパイラル。

でもまぁ、今の悩みは今しか悩めないわけで、
これはきっと良い風に来年に繋がるんだろう。

と思う。




ちなみに今の悩みはここのとこ騒がせていたあの事とは
全くもって別問題ですので御心配なく。

あちらはあちらで、自分の中では既に決着がついております。

ていうかあのくらい空気が読め……もとい、
おおらかさが欲しいゎ、逆に。


ありがとう。

2008-12-21 23:51:19 | 真面目な思考
金曜は忙しさのあまり精神的にかなりぐらついてしまったけど、
土曜は大学の同窓会的飲み会で友達に会い、
その後の個人的2次会でKサマに愚痴りまくってようやく落ち着いたところ。

ぐらつきの理由は自分でもわかっていて、
それは、「自分」というものが上辺だけで判断され、
他人のその判断と自分自身の認識とのギャップの大きさに
戸惑ってしまっていたからだと思う。

それは昔からずっとそうで、どうしてそうなってしまうのかの理由も
最近になってようやく冷静に分析できるようになってはいる。

ただ、理解することと受け入れることは別問題で、
その部分に関してはまだまだ客観性を保つことは難しいなぁと思う。


だからこそ、リリィにしてもアイちゃんにしてもルイにしてもKサマにしても、
自分自身を曝け出す事の出来るヒトの存在が
あたしの中で物凄く支えになっているんだなぁと思った。

ありがとう

自分でもびっくりするくらい面倒なあたしだけど、
これからも仲良くしてください。


わからないことだらけ。

2008-11-30 23:43:41 | 真面目な思考
今日は友達が所属している劇団の朗読会を観に行って、
そのあとごはんを食べに行ったんだけど、
前日に起こったとあることのせいで
ここ何年かで最大のテンパり振りを発揮。

あたしが崩壊していく様を終始目撃することとなったのは
常に冷静沈着で聡明な尊敬すべきKサマ。

まぁ平たく言えば、
「他人の事はよくわかるのに自分の事になると主観から逃れられなくなる」
というあの状態に陥ってしまったんだけど
如何せん久しぶりのことだったので精神から身体への負荷が
通常の倍くらいかかってしまい、
そのくせ、そういう風に主観的にしか考えられていない自分を
自分自身で客観的に見ているもんだから
単なる言葉の羅列でテンパってる自分が馬鹿みたいに思えてくるし、
もう訳がわからなくなってしまって。

っていう、たった数時間のうちに変化していったあたしの様子が
彼女にとっては十分楽しめたと思います(笑)

ちょー笑われたし。

いや、おもしろかったけどさ。


でもあたしはマジで胃が痛かったんだからぁ。

途中から力技で、「これは自分に起こっていることじゃない!」とか
言い聞かせて他人事のようにして乗り切ってはみたものの。

っていうか乗り切るとかそういう問題じゃないんだけど。


それにしてもあたしは、
今の状態を変化させることに対して
こんなにも拒絶を感じるのかとつくづく思った。


心配しないで下さい。

イヤな事があったわけじゃないの。

寧ろ、これからの自分にとってはイイ事なんではないかと思うけど、
ただ、あまりにも今の生活に馴染みすぎていて
それ以外のことが考えられないだけだと思うのだけれど、
ただ単に与えられるしかなかった環境を自分の手で変えることによって
居心地のいいものとしてきたあたしにとっては
変化自体に脅威を感じてしまっているのかも知れない。


ていうかだいぶ抽象化した話で申し訳ないですね。

まずこういうことを話題としている時点で
まだだいぶテンパっているんだなと。

自分の事を単純な人間だと思ってきたけれど、
そうでもないことを実感したよ。

でもまぁ、自分を偽ることなく生きてればいっか。


あー、こういう風に無理矢理まとめようとしてるあたりがイヤだ(笑)


賢い人になりたい。

2008-10-06 15:57:36 | 真面目な思考
今、自分の中で絶対的に余裕が足りない。

余裕がないと物事に対しての集中度が低くなり、
様々な事が散漫になっていってしまう。

自分の中で考えていることが全てになってきてしまい、
客観的にみれなくなってくる。

うーん、危ない傾向だ(^^;)


今、一番したいのは、色んな人とジャンルを問わずに何でもいいから話をすること。

できれば自分と間逆な考えを持つ人が良い。

くだらなくてもい。

現状を打破するきっかけとして、そこにあるかもしれない、
自分の中にパッと光射す何かを得たいからであり、
凝り固まってしまったアタマを柔らかくしたいからでもあり、
反論することで交渉術や瞬発的な判断力と論理展開を身に付けたいからでもある。


あとは語彙を増やしたい。

これはわりと切実。

そのためにもひたすら本を読みたい。

土曜日、久しぶりに本屋に寄ったら、読みたい本に囲まれているっていう状況に血が沸き立ち、
小1時間ほど読んだだけなのに、消耗しきっていた気持ちがかなり回復していくのを実感した。

やっぱり、あたしの中で本は生きるうえで大部分を占めるものだ。

なんといっても面白い。

あとは、それをいかに自分の人生に繋げていくか。

この問題をクリアすることがこれからの最重要課題だ。


憧れについて。

2008-09-04 23:45:56 | 真面目な思考
近頃、色んなことがアタマを支配してしまっていて、
自分でも良くわからない状態の中にいます


うーん、何ていうか、
色々と新しいことを試そうとしてもがいている感じに近いかも。


例えば、感覚的で抽象的な認識を一旦置いておいて、
言葉による論理的で具体的な思考を心掛けているんだけど、
如何せん急には無理な話。


やっぱり途中から並行的に複数の物事を考え始めちゃって、
最初の目標からは遠くかけ離れたところに辿りついてしまっている。


人間、なかなか変われないものです。


だけど、やるしかない。


あたしには、人様に誇れるようなことが何一つないから、
向上心だけで生きてきた。

だから、それを保つ為の「憧れの存在」が常に必要で、
その人に認めてもらえる自分になろうと一生懸命になってしまう。

それこそ、盲目的に。


でも、それこそがあたしの生きがいみたいなものなんだって、
最近になってようやく気が付いた。


でもこの「憧れ」ってヤツが結構あたしを縛り付けてさ。


自分と、その人との違いが明確になればなるほど、
苦しくなってくる。

無理だってわかってても、それでも追いつきたい気持ち。

その人とあたしは何が違うんだろうって、そればっかり考えてる。

そんな自分が情けなくって、
気が狂いそうになるくらい悔しくなるときもあるよ。


だけど、単なる憧れの気持ちだけ持っていても仕方ないし、
自分の足でちゃんと立った上で、追いかけて行きたいから、
一通り落ち込んだ後で、「また頑張ろう」って思える。


その過程で、自信をもって誇れる何かが得られたら
一番いいんだけどね。


今日のあたしは、少しでも前に進めたかな。


無題。

2008-05-25 04:42:40 | 真面目な思考
たった1つの出来事だけで、それまで本当だったものが
一瞬にしてなくなってしまうことがある。

それでも深い安堵感に包まれているのは、
きっと知らず知らずのうちに無理をしていたからだ。

無理は物凄いエネルギーを消耗しながら、
自分の中にあるものをすり減らしていく。

自分から手を離したものに興味も未練もないけれど、
それでも多少なりとも傷が残ることに変わりはない。

傷つかない人間なんていない。

ただ、向き合いたくないものとは
二度と向き合わない。

全ての物事に対して
正面からぶつかっていくことだけが強さじゃないから。

自分らしく生きる、ということが
未だにどういうことなのかわからないけれど、
自分の気持ちに正直に、誠実に生きようとは思う。


甘えるって難しい。

2007-03-24 23:33:27 | 真面目な思考

今日は両親が実家に帰るので新宿まで見送りに
本当は上野まで行く予定だったんだけど、あたしの体調を考慮してもらった結果
新宿までとなった。

昨日はとてもおめでたい日だったのでコメントを避けましたが。
実はまた貧血を起こして倒れてしまっていました

しかも今度は親の目の前でだったので、誤魔化しようもなく。
いや別に誤魔化す必要はないんだろうけれど、どうもあたしは何でも一人で
対処しようとしてしまう傾向があるらしく。
おそらく人に構われる事に慣れていないのと、あたし自身、人に対する甘え方が
よくわからないのでこんな性格になってしまったんだと思うのですが。

周りのみんなから、もっと頼って、とか、もっと甘えて、とか、よく言われるんだけど、
あたしは「甘える」のと「依存する」のとの区別があまりよくついていなくて、
頼ろうとか甘えようとか思ったら、際限なくなってしまいそうでこわい。

決して全て自分で対処できるわけではないんだけど、そういうわけで何となく
自分自身で解決しちゃおうとするところがある。

それが結果的に自分自身の首を絞めているのかもしれないけれど。

でも、体調面とかは親にきちんと話しておかないと、万が一のことがあった時に
何も知らなかったら困ると言われて、それもそうだなと思い、これは甘える甘えないと
いう問題ではないなと思ったのだけれど(^^;)

言ったらちょっと楽になったし。
それでも、全てを話した後に感じる微妙な後ろめたさは何でなのかな。

きっと、あたしには素直さが足りないのかもしれないなぁ。