(続) お山でウォーキング

里山歩きをメインにして運動不足の解消を図ろうと思っています。

静岡県  伊雄山を歩く(2)

2015-02-17 23:16:33 | 里山歩き
2015年2月16日(月)

伊雄山山頂より


山頂を後にして、舗装路の終点まで降りてきたところ   帰りがけに反対側の階段道も登ってみようと思っていたのですが、山頂ですっかり満足してしまい後は下る事ばかり・・・ころころと気分が変ってしまいます(苦笑)。


何とか同じ道で管理事務所まで降りて来る事ができました。


旧道へ  左折


帰途は緩やかな下りの道に変ります。


右折して「河津三郎血塚」へ(この入口は往路で見た入口よりも少し赤沢寄り)


距離は300mと少々ですが、旧道から更に下る所が辛いですね。


「河津三郎血塚 この奥」の石碑




血塚に到着


河津三郎祐泰(すけやす)血塚


河津三郎祐泰血塚  宝篋印塔は小型のものでした。


説明板によると   1176年(安元2)10月、配流の身の源頼朝を慰めるために催された巻狩りの帰り道、河津三郎祐泰が所領問題で恨みを抱く工藤祐経の指図によって近くの椎の木三本で待ち受けていた大見小藤太と八幡三郎に射ころされた。・・・これが世に知られた曽我兄弟仇討の発端となった。 後に供養のため積石塚と宝篋印塔一基をつくり、血塚として伝えてきた。 この宝篋印塔は、その形状から南北朝頃のものと推測される。   伊東市指定文化財(史跡)  

*因みに曽我兄弟(曽我十郎祐成、曽我五郎時致)による仇討は1193年(建久4)に起こったといわれている。


血塚前の道は更に奥へと延びているのですが・・・


説明板 「伊豆東浦路の古道(旧下田街道)」によると
この道は、江戸時代以来昭和8年まで、伊豆の東海岸筋を通る一番大切な道路であった(現在の国道135号線にあたる)。 もっと昔からあって、所謂鎌倉古道であったとも思われている。
江戸時代、伊豆の主要街道は東海岸を通るこの東浦路と天城峠を越える天城路の二つで、どちらも下田道(下田街道)と呼ばれていた。 この道を、下田奉行、浦賀奉行、老中松平定信、吉田松陰らが通り、さらには俳人・文人たちが曽我物語の跡を訪ねて足を運んだという。 昭和8年、県道(旧道)開通以来荒れ果てたままになっていたが、・・・この度、約300mの区間を整備補修した。 平成20年7月


旧道に戻るところ


「馬蹄石」を左に見て


右手に伊豆急行線


国道135号線へ  左折


国道135号線を「浜入口」バス停付近まで戻って   八幡宮来宮神社は山側なので、予めこの少し手前で横断歩道を渡り、神社への進入口を探しながらやってきました(交通量が多く横断歩道でも容易には横断できない状況)。 地形図ではこの辺りしかないだろうという地点がこのガードレールが切れた所でした。 それらしい感じはしなかったのですが、ダメもとで入ってみる事に・・・

*国道は交通量が多く、その上道路左側は歩道が無いのでボヤボヤしていられないし、撮影どころではありませんでした。車の切れ目を待ってやっと撮ったものがこの一枚です(苦笑)。


歩き始めると、少し良い状態になって


半信半疑の状態ですが


アララ、行き止まりです。 一瞬、やっぱりダメかと思ったのですが、右手を良く見ると踏み跡が


右方向を正面から見ると道は細々と続いていました。 方向も悪くありません。


道はだいぶはっきりしてきましたが、夏場はかなりうるさくなりそう






しっかりした道に出てさらに進むと


目指す神社の周辺に出たようです。 少し進んで左を見ると


八幡宮来宮神社の鳥居の前に


「八幡宮来宮神社」(はちまんぐうきのみやじんじゃ)


これも珍しい神門といってよいでしょうか


神門左手の石垣と玉垣


神門右手の石垣と玉垣   この神社の規模が想像できます。


古い鳥居の足を支えていた土台の石でしょうか?


神門を潜って左手方向に


神輿殿


説明板によると  この神社は八幡宮と来ノ宮の合祀神社で、神輿も2基あります。安永7年(1778)に修理の記録があり、実際の制作年代はさらに遡ると推定される。総朱塗で装飾には金箔を用い簡素の中にも神輿としての格調の高さを備えている・・・

*地形図を見ていた時、少し変った名前の神社だな思っていたのですが、こういうことだったのですね。 その他の面でも特色のある神社で、印象に残りました。


神門を潜って右側にある社務所


こんなに広い石段の参道は初めて見るものでした。


参道右手の境内社


参道左手の境内社 左から子安神社、蛭子大神、天満宮、若宮八幡宮、大国主大神


前掲五社のすぐ上の境内社 左から水神舎、火焚神社


手水舎


手水舎から更に上段の参道へ  社殿が姿を現します


社殿を正面に見た時、すぐに目をひいたのが狛犬です。よく見ると四対もありそうです。これも珍しいですね。


一対目と二対目の狛犬 吽像


一対目と二対目の狛犬 阿像


社殿に近づいて   左手、杉の神木は巨木といってよいほど大きなものでした。


三対目の狛犬 吽像  三対目と四対目は少々小ぶりですが、かなり古そうです。


三対目の狛犬 阿像


社殿に最も近い所に置かれた四対目の狛犬 吽像  新しいタイプの狛犬にはない独特の形をしていますね。


四対目の狛犬 阿像


八幡宮来宮神社 社殿(拝殿)  
説明板「八幡宮来宮神社 社殿」によると  ・・・本殿は寛政7年(1795)、拝殿は文政7年(1824)の建築で、伊豆石製の強固な基礎に支えられ、社殿を飾る精妙な彫刻群の存在とともに、江戸期を代表する神社建築として重要です。   静岡県指定有形文化財


この写真には収まっていませんが、両側に狛犬と象?の彫刻も


拝殿  「来宮神社 八幡宮」  説明板によると 
本殿には向かって右側に八幡宮(祭神は誉田別命)、左側に来宮(祭神は伊波久良和気命(いわくらわけのみこと)が祭られているそうです。


社殿左手から見たところ


本殿


上から見た広い石段の参道


八幡宮来宮神社を後にして


樹木の事はさっぱりですが、又巨木が目に入りました。


凄い根元の部分です。


少し離れて見るとこんな感じです
説明板によると  「高見の椎の木」はぶなのき科の常緑樹で・・・分布は千葉県以南、九州までの暖国の山地に生えますが、特に伊豆半島に多生。「高見の椎の木」の存在は、自然を残している標本木で、植物生態学上、貴重。 歴史的にも鎌倉時代以前、頼朝が伊東に在住した頃より現存していたと伝えられるほど、伊東市内では最も古い椎の木です。  伊東市指定天然記念物


参宮橋(さんぐうばし)を渡って




国道135号線「八幡野交差点」へ  左折


右折(車は右折不可)  左側のファミレスが目印


駐車場山側出入り口


伊豆急「伊豆高原駅」駅前駐車場と相模灘



No.436












1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2020-06-14 11:13:16
写真4枚目の進行方向に見える赤い橋脚の道路は廃道のループ橋でしょうか?Googleマップの航空図からもはっきり確認できる廃道ですが、
旧道!?からも、こんなにハッキリ見えるのですね。
道路も一部崩壊(崩落)しそのまま放置されている様ですが、
実際目の当たりして気味悪くはない場所ですか?
私も伊雄山には興味があるのですが廃墟や廃道などがどうも苦手で。。
行くのを躊躇しています。

コメントを投稿