吉備から始まった旅も最終章へ。
そろそろ帰らねばと思いつつ、橿原考古研の特別展「継体大王とヤマト」が見たくて再び磐余の地へ。
今日はゆっくり見るぞと腹を決めて、博物館のボランティアガイドさんに時間を預けて見て回る。
すると、なんとなんと3時間に及ぶ大レクチャーに。 外に出た時はすっかり昼時間が過ぎておりました。
と言う事は、ガイドさんも昼の休憩時間に渡って熱弁を奮ってくれたわけで、ありがとうございました。
展示内容で一番印象に残ったのは博物館傍の四条古墳群から見つかったと言う鳥型木製品でしょうか。
橿原神宮のあるこの地でも、次の時代の人々によって、古墳といえども残すものは残し、後は再利用、整地されていく。
そして、藤原京が作られ、平城京が作られていったのだろうと再認識したのでした。
やはり藤原京を味わいたくなり遺跡公園へ。
近年、発掘調査が進み、その都城規模が平城京を越えるともいわれている。
今日も発掘調査 が行われていて、次にどんな新しい発見があるのか現在進行形だけに愉しみです。
その調査地点辺りに立つと、大和三山を見渡せ、持統朝の風が吹き渡っているように思えました。
ついで、丸山古墳を訪ねる。
欽明稜とも蘇我の稲目の墓とも言われるその墓は大きかった。ヤマト最大にして、全国では第六位の規模を持ち、六世紀同時代では最大規模の古墳なのだとか。陵墓参考地になっているようで墳頂まで登る訳にはいかなかったけれど、そこの部分をのぞけば、歩けることは歩ける。草ぼうぼうのその台地から市街地の方を眺める。
藤原京を見渡している感じになり、藤原京からもこの場所はひときわ目立つランドマーク、始祖の墓、王者の墓に相応しいとつくずく思える景観でありました。(5/22)
そして奈良を離れるわけですが、やはり寄り道!
「継体大王とヤマト」で関係が深いと言われている名古屋の断夫山古墳に寄って見たくなったのです。
熱田神宮の近くでした。知らずに通り過ぎていたのかも。
名古屋市立博物館で情報収集しながらの訪問でした。
そこから、朝日遺跡へ。
ここが衝撃的でした。すっかりICの下になっていたと言う事も衝撃的でしたが、そこの展示室(清州貝殻山貝塚資料館)に並べられていた土器の見事さです。パレススタイル土器と呼ばれている赤い洗練された土器に圧倒されました。
丸窓付土器や九州でよく目にする巴形銅器を此処で目にしたりと、とてもリッチな気分で今回の旅を締めくくることが出来ました。
皮肉にも、かのインターチェンジを利用しての帰京でありました。
此処でも画像がありません。(5/23)