ジグザグ山歩き

山歩き、散歩、映画など日々、見たこと、聴いたこと、感じたことなどつれづれに。

映画『精神』

2009-11-29 17:10:27 | 映画
『精神』という映画を観た。監督は、ニューヨーク在住の映画作家・想田和弘。『選挙』(2007)に続く観察映画第2弾。
撮影は、岡山県岡山市の「こらーる岡山診療所」を主な舞台として、2005年の秋と、2007年の夏に行われた。延べの撮影日数は30日程度。約70時間分の映像素材を得た。編集作業はニューヨークで行われ、約10ヶ月間を要した。リサーチをしない、構成表やシノプシスを書かない、カットは長めに編集し余白を残す、といった具合である。撮影の大部分は、想田と想田の妻で製作補佐の柏木規与子の2名で行われた。舞踊家・振付家である規与子は、以前こらーるの行事で踊りを披露したこともあり、患者の多くと既に顔見知りだった。
これまでタブーとされてきた精神科にカメラをいれ、「こころの病」と向き合う人々を撮影している。前作『選挙』に続き、ナレーション・説明・音楽一切なしで、観客が自由に考え、解釈できる作品にしている。また、モザイク一切なしで描いたドキュメンタリーである。「被写体にモザイクをかけると、偏見やタブーをかえって助長する」と考えた監督は、素顔で映画に出てくれる患者のみにカメラを向けている。確かに見ていくうちに患者であるかどうかがわからなくなるところもあった。
 映画は、精神科診療所に集う人々の精神世界を通して、患者の精神のありようを探ると同時に、精神科医療を取り巻く課題も浮き彫りにする。こらーる岡山診療所は、現在も代表を務める山本昌知医師が中心になり、1997年に設立された。当事者本位の医療がモットー。「こらーる(合唱)」という名前には、「病める人の声に、それを支援する人が声を合わせることによって、合唱が生まれる」という意味が込められている。
 診療の場面では、山本医師は、励ましたり押し付けるのではなく、患者に「あなたはどうしたいの」と必ず聞き返している。なるべく当事者の考えを尊重し、寄り添う姿勢が感じられる。医師の個人的な損得ぬきで患者と接する場面も描かれている。患者の衝撃的な告白もあって、患者の悲惨さを考えると、福祉政策の貧困も垣間見られる。一方、映画が撮られ始めたのは小泉政権のもと、「障害者自立支援法案」が可決された2005年秋。「自己責任」や「受益者負担」のかけ声のもと、福祉政策や社会構造が改変期に突入しているのもあって、患者たちの生活や将来の展望に不安が増していた時期でもあって、その辺も結果的に描かれている。
想田は自分の観察映画を次のように説明している。
「観察映画は、世界を作者の視点で描写することに徹するのであり、映像や音声を「言いたいこと=メッセージ」に従属させないのである。 また、観察映画は客観主義にも組しない。それは、観察の主体=制作者がカメラを通して観たり体験したことを綴る主観的な表現方法である。(……)そもそも、僕は客観的なドキュメンタリーなど、原理的に存在し得ないと考えている。」
つまり、撮影者が或る社会的な場へ入っていき、主観的であっても、なるべく先入観なしに、その有り様を映し出すのが観察映画ということであろうか。
想田は自分がこらーる岡山診療所で一番強く感じた「わからない感」でしめくくりたかった、ともいっている。まさに観察映画であり、『精神』で感じた実感であろう。



長沼公園

2009-11-28 22:06:08 | 山歩き
朝、天気がよさそうなので、山でも登ろうと思っていたが、この間の疲れが出たのか、なかなか布団の中から出られなくて、ぐずぐずしていた。結局、山に登るのはあきらめる。しかし、少しでも歩きたいかなと思って、長沼公園が展望のよいところで、京王線の長沼駅から歩けるということで出かけた。長沼駅から300メートルぐらいで公園入口があり、霜降の道という石畳の道を歩き、道標もしっかりしている。展望園地からは大岳山など奥多摩の山々、高尾山や城山なども見えた。また、八王子市街なども見渡せた。双眼鏡で除いていた人は、日光の山も見えるといっていた。結局、公園というより、ちょっとした低山のようなところであった。峠の小さな美術館が11月いっぱいまで開いているとのことで、中をのぞいて、峠の会員という方がいらして、説明をしていただけた。帰りは野猿街道の大通りに出て北野駅まで行ったが、公園の中の尾根道を歩いた方が、気持ちのよい歩きが出来たと思う。紅葉もちょうどよかった。南多摩の温泉に入り、帰路に着く。

谷根千界隈

2009-11-28 16:41:53 | Weblog
知り合いの職場を訪問をし、近くの谷根千界隈を歩いた。谷中・根津・千駄木界隈は「谷根千(やねせん)」といわれている。
午前11時に日暮里駅に集合し、谷中銀座から、通称へび道と言われるところを通る。谷中銀座は、JR日暮里駅と千代田線千駄木駅の間にある人気の商店街。大きめの階段(通称:夕焼けだんだん)があって、階段を下った先が商店街になっている。江戸時代からの寺町であり、震災・戦災での焼失が少なかった谷中界隈には、いまも風情ある街並みが残っていて、路地散策も楽しい場所となっている。そして、笑吉というお年寄りの笑い顔等をテーマにしたユニークな指人形工房を見学した。工房前にはさまざまなシチュエーションの指人形が陳列してあった。
へび道は今は暗渠(地下の水路)になってしまっているが、大正時代までは藍染川が流れていた場所である。藍染川は上野の不忍池にそそいでた川。へび道がくねくねしている理由は元が川だからである。川筋の道が文京区と台東区の境目にもなっている。猫グッズがたくさん陳列してあるねんねこ家に入ったりもした。職場訪問をした後、レトロな両山堂印刷所工場を見たりしながら歩き、旧岩崎邸を見学した。その後、根津にある居酒屋「車屋」で打ち上げして、暗くなったが、西日暮里駅まで歩いた。諏訪神社からの駅周辺の夜景の眺めもよかった。一日、よく歩いた、江戸情緒あふれる街歩きが出来た。

十二ヶ岳から鬼ヶ岳

2009-11-16 12:18:57 | 山歩き
10月に、毛無山から十二ヶ岳に登ったのだが、その先の節刀ヶ岳や鬼ヶ岳にも登ってみたくなり、出かけた。前回同様、今回も文化洞トンネルから毛無山、十二ヶ岳に登り、金山から節刀ヶ岳を往復し、鬼ヶ岳から雪頭ヶ岳を歩いて、根場に降りた。天気は雲ひとつない好天気で、富士山の眺めもよかった。節刀ヶ岳からは御坂山塊の眺めや十二ヶ岳の歩いてきた縦走路などが見えたし、鬼ヶ岳では雲がかかりがちながらも南アルプスの稜線がずらっと並んで見えた。そして、昼近くになっても、雲がなく、雪頭ヶ岳からは眼下に西湖がみえる富士山が正面にあって、素晴らしい眺めであった。根場までは、バスの時間が気になりながら、急いで下りて、バスに乗って、文化洞トンネルの駐車場まで戻った。途中、歩きながら、樹林の合間からも富士山を左に見ながら歩き、それぞれの山頂からもそれぞれの展望があって、楽しめた。

THIS IS IT

2009-11-08 15:52:03 | 映画
映画「THIS IS IT」を観た。今年6月25日に急死したマイケル・ジャクソンが、ロンドンで開催するはずだったコンサート「THIS IS IT」のリハーサルと舞台裏を収めた音楽ドキュメンタリー。今年4月から死の直前まで100余時間分の同コンサートのリハーサル風景が録画されていたのをまとめている。楽曲やパフォーマンス映像、舞台裏でのマイケルの素顔が記録されている。監督は、ロンドン公演そのものの演出も務めていたケニー・オルテガ。
マイケル・ジャクソンはまさに米音楽界のスーパースターである。キング・オブ・ポップと彼が称されるのもうなずける。私は特別、ファンというわけではないが、この映画を観て、率直にすごさを感じた。色々な噂があったが、マイケルの真摯な姿と迫力あるステージには脱帽である。環境破壊への警鐘も訴えている。とても同年代の50歳とは思えぬ若さとエネルギー、素晴らしい歌とダンス。世界各国から選りすぐられたトップダンサーよりも、マイケルの方が上手である。最高の舞台を作るために、緻密なやり取りが行われ、真剣に取り組んでいる姿も印象的だ。
この映画で直接的には“死”については描かれていない。これほど完成度の高いリハーサルをみると、まさか、情熱的なマイケルが公演直前に亡くなるとは考えられないという声は多い。そうした中、麻酔薬プロポフォールを大量注射した主治医に殺人の疑いがかけられている。一方で、このリハーサルで、マイケルの演出は完璧を目指している姿もみえる。マイケルは完璧を狙って、自分で自分を追い込んでしまっていたところもあったのではないのだろうか。そして、リハーサルも完璧を求め、興奮した状況の中で行われ、連日、極度の不眠の状況に陥り、強い睡眠薬を使わなければならなくなったのではないかと分析する専門医もいる。真相はよくわからないが、マイケルジャクソンと言う稀代のエンターテイナーの残したものは大きい。ロンドン公演が実現していたら、確かに歴史に残ったと思われるが、こうして、ドキュメンタリーでも残されたというのは意義が大きい。マイケルジャクソンという天才ミュージシャンのすごさと人柄と目指そうとしたものが伝わってくる。それにしてもロンドン公演は実現してほしかったと強く思った。

金時山

2009-11-04 07:50:34 | 山歩き
単独のバイク事故で、御殿場の病院に入院をしている職場の同僚を見舞うついでに、金時山に登った。2日の夜には、冬型の気圧配置のため、晩秋から初冬にかけてはじめて吹く冷たい北風である木枯らし一号が吹いたようである。3日は、この秋一番の冷え込みとなった。それでも、よく晴れていて、あまり風がなかったので、歩いている時は汗をかいて、気持ちのよい山歩きが出来た。山頂からはくっきりと富士山が見え、山頂には雪が少し残っていた。登山道は、雨が前日に降ったようで、ぬれていて、泥道になっていたし、すべりやすかった。下山途中で滑ってしまった。祭日ということもあって、たくさんの人が登っている。8時過ぎに駐車場についたのだが、既に無料駐車場は結構埋まっていたので、有料の駐車場に車を停めた。
事故を起こした同僚は、車椅子に乗り、元気そうであった。怪我の症状や事故になった模様、自衛隊の人たちが運良く通って、助けてもらったことなど詳しく話をしてくれた。色々と話が弾む。リハビリがきついといいながら、回復しつつあるのは何より。帰りは、見舞いに来ていた元同僚と一緒に車で帰る。