『精神』という映画を観た。監督は、ニューヨーク在住の映画作家・想田和弘。『選挙』(2007)に続く観察映画第2弾。
撮影は、岡山県岡山市の「こらーる岡山診療所」を主な舞台として、2005年の秋と、2007年の夏に行われた。延べの撮影日数は30日程度。約70時間分の映像素材を得た。編集作業はニューヨークで行われ、約10ヶ月間を要した。リサーチをしない、構成表やシノプシスを書かない、カットは長めに編集し余白を残す、といった具合である。撮影の大部分は、想田と想田の妻で製作補佐の柏木規与子の2名で行われた。舞踊家・振付家である規与子は、以前こらーるの行事で踊りを披露したこともあり、患者の多くと既に顔見知りだった。
これまでタブーとされてきた精神科にカメラをいれ、「こころの病」と向き合う人々を撮影している。前作『選挙』に続き、ナレーション・説明・音楽一切なしで、観客が自由に考え、解釈できる作品にしている。また、モザイク一切なしで描いたドキュメンタリーである。「被写体にモザイクをかけると、偏見やタブーをかえって助長する」と考えた監督は、素顔で映画に出てくれる患者のみにカメラを向けている。確かに見ていくうちに患者であるかどうかがわからなくなるところもあった。
映画は、精神科診療所に集う人々の精神世界を通して、患者の精神のありようを探ると同時に、精神科医療を取り巻く課題も浮き彫りにする。こらーる岡山診療所は、現在も代表を務める山本昌知医師が中心になり、1997年に設立された。当事者本位の医療がモットー。「こらーる(合唱)」という名前には、「病める人の声に、それを支援する人が声を合わせることによって、合唱が生まれる」という意味が込められている。
診療の場面では、山本医師は、励ましたり押し付けるのではなく、患者に「あなたはどうしたいの」と必ず聞き返している。なるべく当事者の考えを尊重し、寄り添う姿勢が感じられる。医師の個人的な損得ぬきで患者と接する場面も描かれている。患者の衝撃的な告白もあって、患者の悲惨さを考えると、福祉政策の貧困も垣間見られる。一方、映画が撮られ始めたのは小泉政権のもと、「障害者自立支援法案」が可決された2005年秋。「自己責任」や「受益者負担」のかけ声のもと、福祉政策や社会構造が改変期に突入しているのもあって、患者たちの生活や将来の展望に不安が増していた時期でもあって、その辺も結果的に描かれている。
想田は自分の観察映画を次のように説明している。
「観察映画は、世界を作者の視点で描写することに徹するのであり、映像や音声を「言いたいこと=メッセージ」に従属させないのである。 また、観察映画は客観主義にも組しない。それは、観察の主体=制作者がカメラを通して観たり体験したことを綴る主観的な表現方法である。(……)そもそも、僕は客観的なドキュメンタリーなど、原理的に存在し得ないと考えている。」
つまり、撮影者が或る社会的な場へ入っていき、主観的であっても、なるべく先入観なしに、その有り様を映し出すのが観察映画ということであろうか。
想田は自分がこらーる岡山診療所で一番強く感じた「わからない感」でしめくくりたかった、ともいっている。まさに観察映画であり、『精神』で感じた実感であろう。
撮影は、岡山県岡山市の「こらーる岡山診療所」を主な舞台として、2005年の秋と、2007年の夏に行われた。延べの撮影日数は30日程度。約70時間分の映像素材を得た。編集作業はニューヨークで行われ、約10ヶ月間を要した。リサーチをしない、構成表やシノプシスを書かない、カットは長めに編集し余白を残す、といった具合である。撮影の大部分は、想田と想田の妻で製作補佐の柏木規与子の2名で行われた。舞踊家・振付家である規与子は、以前こらーるの行事で踊りを披露したこともあり、患者の多くと既に顔見知りだった。
これまでタブーとされてきた精神科にカメラをいれ、「こころの病」と向き合う人々を撮影している。前作『選挙』に続き、ナレーション・説明・音楽一切なしで、観客が自由に考え、解釈できる作品にしている。また、モザイク一切なしで描いたドキュメンタリーである。「被写体にモザイクをかけると、偏見やタブーをかえって助長する」と考えた監督は、素顔で映画に出てくれる患者のみにカメラを向けている。確かに見ていくうちに患者であるかどうかがわからなくなるところもあった。
映画は、精神科診療所に集う人々の精神世界を通して、患者の精神のありようを探ると同時に、精神科医療を取り巻く課題も浮き彫りにする。こらーる岡山診療所は、現在も代表を務める山本昌知医師が中心になり、1997年に設立された。当事者本位の医療がモットー。「こらーる(合唱)」という名前には、「病める人の声に、それを支援する人が声を合わせることによって、合唱が生まれる」という意味が込められている。
診療の場面では、山本医師は、励ましたり押し付けるのではなく、患者に「あなたはどうしたいの」と必ず聞き返している。なるべく当事者の考えを尊重し、寄り添う姿勢が感じられる。医師の個人的な損得ぬきで患者と接する場面も描かれている。患者の衝撃的な告白もあって、患者の悲惨さを考えると、福祉政策の貧困も垣間見られる。一方、映画が撮られ始めたのは小泉政権のもと、「障害者自立支援法案」が可決された2005年秋。「自己責任」や「受益者負担」のかけ声のもと、福祉政策や社会構造が改変期に突入しているのもあって、患者たちの生活や将来の展望に不安が増していた時期でもあって、その辺も結果的に描かれている。
想田は自分の観察映画を次のように説明している。
「観察映画は、世界を作者の視点で描写することに徹するのであり、映像や音声を「言いたいこと=メッセージ」に従属させないのである。 また、観察映画は客観主義にも組しない。それは、観察の主体=制作者がカメラを通して観たり体験したことを綴る主観的な表現方法である。(……)そもそも、僕は客観的なドキュメンタリーなど、原理的に存在し得ないと考えている。」
つまり、撮影者が或る社会的な場へ入っていき、主観的であっても、なるべく先入観なしに、その有り様を映し出すのが観察映画ということであろうか。
想田は自分がこらーる岡山診療所で一番強く感じた「わからない感」でしめくくりたかった、ともいっている。まさに観察映画であり、『精神』で感じた実感であろう。