真理の探求 ― 究極の真理を目指すあなたへ by ぜんぜんおきなわ

日々考えたこと、気づいたことについて書いています。

第十八回 ありのままを読むこと(その四)

2017-06-01 10:42:17 | 思索
「古典」という言葉があります。

現在まで残っている古い本、あるいは何千年続くベストセラーの本という意味で考えられているかもしれません。

しかし、私が思う「古典」とは、古いかどうかとは違います。
昨日出版された本であっても、それが古典ならば古典なのだと思います。

星の王子さまは、旅の途中でヘビと会って、こう言います。

「きみは、そう強かないよ・・・足も持ってやしないじゃないか・・・旅行だって、できやしないよ。」

それに対して、ヘビはこう答えます。

「あんたを遠くに運んでいくことにかけちゃ、船なんか、おれにかなやしないよ。」

実際、ヘビの言う通り、物語のラスト、地球にいた王子さまは、ヘビの力により星に帰還します。

私は、古典の力はこのヘビの力だと思います。我々を元々居た星に帰還させる力です。

ですから、何千年前に書かれた本であろうとも今に残っているわけですし、つい昨日書かれた本であろうとも、それが古典であれば何千年後にも残るわけです。

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ。」

「星の王子さま」の中でキツネはこう言うわけですが、この本自体が、読者をその「かんじんなこと」に帰還させる力を持つ。だから、この本は古典と呼ばれるのです。

本という紙ペラで作られた船は、あなたを故郷に帰還させることにかけては、鉄で造られた船なんかは敵ではないものです。

そのためには、船を信頼して、完全に船に乗るしかありません。
海岸に片足をかけて、もう片足を船にかけている状態では、船は出港できません。

結局、読書とは、本という海で、心というサーフボードにのって、文字という波をサーフィンすることでしかありません。

その時、サーファーは波と一体となります。星に還るのです。

文字は目で見ますが、著者が文字という指で示す月の光は目では見えません。結局、心で見るしかないのです。

「ありのまま」を見るとは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、目で見る限りは見えない。心で見るしかありません。

真理の探求において、最大の目的は、「もの」を目で見ながら目で見ないことにあります。
ここが最大の難関でありながら、最大の喜びなのだと思います。