真理の探求  ― 究極の真理を目指すあなたへ by ぜんぜんおきなわ

神としての真理を探究しています。
(哲学・宗教)

第二回 生きることと探究すること

2017-05-16 14:05:47 | 思索
昨日のブログで、私は「ものごころがついた時から真理を求めてきた」と書きました。
この「ものごころ」という言葉は、非常に深く、果てしない内容を含んだ言葉だと思います。

今の私はそのあまりの深さに当惑して、いまいちうまい表現が出ませんので、「ものごころ」についてはまたいつか将来に書きたいと思います。

それはともかく、私は気づいた時には、人生や宇宙や真理といったことを考えていて、その究極的なところに思いを馳せていました。

人はなんで生きているのか、宇宙とはなんだろうか、人間とは何か、そしてそれを知るとはどういうことだろうか。

人生は苦しみの連続なのに、生きるのはなぜだろう、そして人がその苦しみから救済される方法はなんだろう。

こういったことは問いの一部です。ともかく、そういったことを無数に考えてきたのです。

そうなると、真理の探求は人生の趣味でもなければ、好奇心でもありません。
息を吸って吐くことが趣味でもなければ好奇心でもないのと同じです。

また、自分の人生と真理の探求は別々のことではありません。
呼吸と人生が切り離された別々のものでないのと同じです。

こうしたことを書くと、何か幼少時につらいことがあったのかと誤解されることもありますが、そうではありません。

私は比較的裕福な家庭に育ちましたし、学校生活も普通におくっておりました。
ひきこもりの経験もありませんし、勉強もまあまあできました。

私の場合は、やはり「ものごころがついたときから」という表現が一番自然で、そうしたことを考えるようになったきっかけのようなものはありません。

気づいた時にはすでにそうだったのです。

こうした探究は、何かの利益や見返りを求めて行っていることではありません。
一回呼吸したらいくら儲かるからとか、そういう理由で我々が呼吸しているのではないのと同じです。

損得感情を超えて、ただ知りたい。
世の中にはそういう人も、けっこういるのではないかと思われます。
このブログを始めたきっかけがそれです。

そういう目に見えない仲間のために、私はこのブログを書いていきたいと思っています。

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2 コメント

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Unknown (柳家日月)
2017-05-16 19:40:41
 今日は、二回目です。昨日は、宗教がテーマでした。生きることと宗教は深くつながる
ことになるはずです。でも、宗教が外の枠組となってしまい。それが、生きることだとばかりに、外側から規定してしまう。生きることも外からの規定されてしまう。内と外との葛藤があることこそ、生きること。でも、つらいことでもあります。生きることとは、葛藤、矛盾ですね。
 宗教は、それに応えることができているのであろうか。
…… (Rin)
2017-05-17 08:51:44
貴方と、同じ考えを持っています。

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