真理の探求  ― 究極の真理を目指すあなたへ by ぜんぜんおきなわ

神としての真理を探究しています。
(哲学・宗教)

第一回 宗教

2017-05-15 15:17:02 | 宗教
あなたは「宗教」という言葉からどのようなものを思い浮かべるでしょうか。

もしかしたら、あなたが所属している宗教団体を思い浮かべるかもしれません。

あるいは、どの宗教団体にも属してない人は、その言葉から何かしらウサン臭いものを思い浮かべるかもしれません。

「宗教の勧誘」という言葉があります。「宗教戦争」という言葉もあります。
これらの言葉から良いイメージを引き出すことは難しいです。

私自身、この地上のどの宗教団体にも属していませんし、これからどこかの団体に入る予定も全くありません。社会的なステータスとしては、「無宗教」のカテゴリーに入ると思います。

では私の人生にとって、宗教とは、全く無関係なものなのでしょうか。
いえ、そんなことはありません。

宗教という言葉をインターネットで調べてみますと、もともとの意味は、仏教における「宗の教え」、つまり、究極の原理や真理を意味する「宗」に関する「教え」だそうです。

文明開化後、様々な外来語が和訳される中で、英語のReligionも日本語では「宗教」ということになりました。

さて、このReligionですが、語源を辿るとラテン語のReligio (レリギオ)だそうです。

Religio (レリギオ)は、「ふたたび」という意味の接頭辞「Re」と、「結びつける」という意味の「ligare」が組み合わさってできた言葉だそうです。

つまり、二つに分かれたものを再び繋げるということで、聖と俗、神と人、天と地を再び結びつけるものが、Religio (レリギオ)なわけです。

キリスト教的に言えば、アダムとイブが知恵の木の実を食べて、エデンの園から追い出されますが、その子孫が再び神と結びつくという意味で、レリギオがあるのだと思います。

なお、パラマハンサ・ヨガナンダの本によると、インドのYoga(ヨガ)も、本来は「神との合一」という意味だそうです。

となると、ヨガ教室に通ってるお姉さんも、本人はそのつもりではなくても、「宗教」にかかわっていることになりますね。

宗教と言うと、冠婚葬祭の時に出て来るもの、あるいは先ほども言いました宗教戦争などのイメージの良くないものが連想されがちです。

しかし本来は、究極の真理、そして真理を忘れ去った人間が、神としての真理と再び結びつくこと、そういったことを意味するようです。

その意味での「宗教」ならば、私のような無所属の人間にも無関係な言葉ではありません。真理を求める心は、私にもあるからです。

私はものごころがついた時から、真理を求めてきました。

子どもの頃の夢として、人は色々なものを夢見ると思います。
野球選手やサッカー選手、ミュージシャン、パイロット、お花屋さんやお嫁さん・・・

私の場合は、真理でした。
大人になっても、まったく変わりません。

世の中には、私みたいに、何の宗教団体にも属してないけど、なぜか神としての真理をひたすら求めている、そんな人がいると思います。

このブログでは、そういった方々のために、日々の探求のヒントになりえることを書いていければと思っております。

何卒よろしくお願い致します。
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