真理の探求

神としての真理を探究しています。
(哲学・宗教)

第四回 フィロソフィー(その二)

2017-05-18 14:30:33 | 哲学
宗教という言葉は、いかにもウサン臭いものというイメージでとらえられてしまう。

そのことについては第一回で話しました。また、本来はそういう意味の言葉ではないということもお話しました。

哲学という言葉も同様です。もちろん、宗教という言葉と違って、哲学にはウサン臭いというイメージはないかもしれません。

哲学の勧誘をされて、説明会に行ったら入会を迫られ、新聞を取れと言われたり、さらには多額の寄付金を要求されたという話は聞いたことがないですからね。

しかし、ウサン臭くないとは言っても、哲学はあまり人気がない。

Gooブログにそのカテゴリーすらありません。だから、このブログは仕方なく、スピリチュアルのカテゴリーに入っています。

哲学。

その厳めしい(いかめしい)イメージ、難解な文章、無味乾燥に見える姿、どれをとっても、一部の愛好家以外の人を遠ざけるには十分なイメージです。

言葉のイメージの力というものは、極めておそろしいものです。
私個人の感覚では、これほど恐ろしいものはありません。

地震、雷、火事、怒れるオヤジ、核ミサイル、宗教の勧誘・・・
その他もろもろ、世の中には恐ろしいものがたくさんあると思いますが、言葉の力に比べれば、そういったものでさえ、かわいいものに見えてくるほどです。

言葉というものを単なる記号やレッテルだと思っている人からすれば、言葉の何がそんなに恐ろしいの? と不思議に思われるかもしれません。しかし、言葉のイメージの力はそんなに軽いものではありません。

いわゆる「生理的にムリ」という言葉がありますが、言葉のイメージはこの「生理」と呼ばれる我々の強い感覚に染み込み、そして一体化します。

「生理的にムリ」という言葉は、いくら論理的に説明されても、そういう理屈を越えて、どうしょうもなく無理だという意味です。

頭ではわかるけど・・・でもね・・・というヤツです。

つまり、「生理的にムリ」と言っている人は、「生理的」という言葉が端的に示しているように、論理を超越した強烈なリアリティだと言っているわけです。

肉体化していると言ってもいいかもしれません。

次回、このことについて、具体例で説明したいと思います。

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1 コメント

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Unknown (柳家日月)
2017-05-18 22:37:46
宗教も言葉で、哲学も言葉。そればかりでなく、毎日の生活は、言葉なしではありえない。このブログも書き言葉ではありますが、言葉です。その言葉で人を傷つけたり、人を元気にしたり。しかも、日本語だけではなく様々な言語があります。とても不思議なことなので、このコトバについてこのブログで教えて欲しいです。コトバによってイメージを作りますが、イメージを言葉で表現することもあります。自分で言葉を発するが、その言葉は、自分よりも先にあり、文法に従って言葉を使っている。そうすると言葉は文法なのかとなるが、そうでもなさ
そうで、言葉はどこにあるのだろう。不思議がってみると不思議ですね。

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