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南沙諸島

2012年10月20日 10時00分00秒 | 地理

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南沙諸島【岩淸水・地理】 南沙諸島 【離島領有の歴史

 

 

 南沙諸島 (なんさしょとう)

又はスプラトリー諸島Spratly Islands)は、南シナ海南部に浮かぶ
数多くの島・岩礁・砂州から成る島嶼群である。
岩礁・砂州を含む約18の小島(およそ島と言えるものは11)があり、
これらの多くは環礁の一部を形成している。
(wikipedia)

 

 

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つまり、国際政治の場面では、こそこまともなことを言っているのだが、南沙諸島などの現場では別のことをやっている。

とにかく、日本もアメリカも、国際金融とかの口車に乗って、支那に投資して技術も移転した。

それで安い支那産の産品に両国市場は荒らされてしまった。国内経済は空洞化して、両国の中間層は疲弊した。儲けたのは、国際的な金融とか貿易のブローカーだけだった。オバマ大統領はこの様なユダヤの商法が大嫌い。日本の安倍首相だって、特亜朝鮮系に奪われた、わが日本の経済と政治を取りもどそうとしている。

 

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上の地図で支那が埋め立て工事を進めているのが、

中心部分にあるファイアリー・クロス礁

 

 クリックで拡大。

二枚の衛星画像によれば、港湾建設のための岸壁が、伸び続けているのが判る。

 

 

 

南沙諸島・各島位置(クリックすれば拡大します)

 

領有権をめぐる歴史[編集]

南沙諸島の領有権の歴史について述べる。

ベトナムを植民地支配していたフランスによる領有[編集]

ベトナムを植民地支配していたフランスが1930年からいくつかの島々を実効支配し、ベトナム南部の総督M. J. Krautheimerは1933年12月21日、4702-CP号の政府決定により当時のバリア省の一部としていた。

 

日本による領有[編集]

1938年に日本が領有を宣言し、新南群島と命名。以降1945年の第二次世界大戦終結まで支配していた[2]。

行政区分は昭和13年(1938年)12月23日外甲第116号閣議決定により台湾の高雄市の一部としていた。主なる島嶼は北二子島、南二子島、西青島、三角島、中小島、亀甲島、南洋島、長島、北小島、南小島、飛鳥島、西鳥島、丸島である。リン鉱石の採取が主な産業で従事者が住んでいたが戦火の拡大により撤退した。

 

1945年以降は大東亜戦争の終戦に伴う戦後処理において、1952年(昭和27年)428日発効のサンフランシスコ講和条約により、同地域および西沙諸島(パラセル諸島)の今後の領有権に関する権利、権原及び請求権の放棄を、国際社会に向けて明言させられた。 (しかし、非戦闘員をもっぱら殺戮する目的で為された、大都市空爆とか原子爆弾の投下は、明々白々の戦時国際法違反である。よって脅迫と大量殺戮によって強制された、講和条件はまったくもって不当極まりない。この不当性は、たとえば沖縄の施政権返還闘争などによって、徐々に訂正されつつある。)

  非戦闘員である一般住民への、無差別攻撃は明らかに戦時国際法を無視している【沖縄戦】

(第2条(f)項) なお、この条約において領有権の放棄を明言したものの具体的な帰属先については明言されていなかった為、これ以降の時代においては支那とか台湾、あるいはベトナムをはじめ、近隣諸国の間で領有権争いが巻き起こる事態となった。 (米国を主体とする連合国側が、食い散らかした日本の領土がこれらである。だがしかし、ジョセフナイ等の日支対立扇動策などにのせられて、支那がコストにも合わぬし、国際社会からの批難も無視して、此所に領土簒奪戦を開始してしまった。やはり此の地域の安定と秩序を回復するのには、大東亜戦争終結以前の統治国・日本がそれなりの責任を果たすべきである。)

 

 

 

中華民国による領有[編集]

1945年に、主権回復を宣言した。

太平島【岩淸水・地理】 太平島 台湾

 

フィリピンによる領有[編集]

その後1949年にフィリピンが一部の領有を宣言した。

南ベトナムによる領有[編集]

1951年のサンフランシスコ講和条約で日本が領有権を放棄した後、1956年10月22日に南ベトナムが143/NV号大統領決定によりバリア省の一部と併せフックトゥイ省(Phước Tuy省、1956年-1975年。現在のバリア=ブンタウ省)とした。1983年にはドイツ人のアマチュア無線家のグループがキャンプを張っての移動運用(DXペディション)を試み、軍の守備隊に銃撃されて死傷者が出る騒ぎになっている。

中華人民共和国による領有[編集]

南ベトナム政府が1973年9月にふたたび同国フックトゥイ省への編入を宣言したことに対し、中華人民共和国も翌年1月に抗議声明を出して領有権主張を本格化させていった。

1970年代後半に海底油田の存在が確認され、広大な排他的経済水域内の海底資源や漁業権の獲得のため、近隣に位置するフィリピンやベトナムのみならず、遠く離れた中華人民共和国を含む各国が相次いで領有を宣言している。また広大な地域に広がる島々は軍事的にも価値がある。

 

 

 

 

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ファイアリー・クロス礁【地理】クリックすれば拡大します。

支那共産党の言い分では、太平洋戦争での戦勝国。なので、終戦以前に大日本帝国が管理していた、東、南シナ海はすべて、国連常任理事国の支那が管理つまり領海にする。しかし、支那共産党は関東軍に追われて、山のなかを逃げ回っていただけ。

   米中接近と消費税

1970年代以降、アメリカは工業力に於いて日本に追い越された。

それで危機を感じたアメリカの支配層は、支那と手を組むことで日本を封じ込める世界政策に転じた。技術と資本が支那に流入することで、支那の工業が一定程度進んだかにみえた。それに気をよくした支那は有頂天。ついに南シナ海の実質領有のため、海洋侵略を始めてしまった。九点鎖線の内側は、すべて支那の領海だと、支那共産党は言い出した。国際法のなんたるかを知らない。この非文明の徒らは、強く言い張れば、我欲が実現することがあると、横車を押し出すことが得意というか、特異な存在なのだ。

 

 

 

 

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