かえるのへそまげた

めざせ社労士、ときどき言語聴覚士、最終的に百姓。

まなびや

2006-06-24 02:19:09 | Weblog
高校の同級生に久しぶりに会ったので、一緒に母校に行ってきた。

通っていた頃は一学年120人のこじんまりとした学校だった高校は、いま校舎がまったく別の場所に移転して、1学年の定員が倍増。しかも旧校舎にはなぜか新しい高校ができた。

そんなわけで、いまの新学校を「母校」と呼ぶのは、正直なんとなくインチキくさいのだけど、そもそもこの移転案自体が地域ナンバーワンの進学校のI高校出身者だらけの教育委員会のはかりごとに違いないのだから、そんなこと恨みつらみを言ってみてもどうしようもない。
少なくとも校歌は同じ。

一緒に行った人が去年教育実習に行った人なので、現役生に僕を紹介してするとき、「M大なんだよ、頭いいのよ」とか現役生も「へぇー」とか言ってたが、少なくとも大学を留年するような人は頭いいとは言えない。

たとえ留年したことを抜きにしても、日ごろの仕事の働きとか日ごろの言動を考えれば、自分の頭がいいとはぜんぜん思えないし、頭がいいっていうことは、養老先生が言われるような「バカの壁」を作らないことだと思う。

高校のころ、いちばん良くなかったのは、どういう人間になりたいか将来についてなにひとつ考えてなかったこと。(そのときは違うことばかりに頭のエネルギー使ってた。それはもうしかたない。)

本当はすぐにでも社会に出て働きたいのだけど、なりたい仕事になるには学校に入って技術と知識をしっかり会得しないと働けない。
今度は絶対に入りたい学校がある。科目は国語と英語と数学で、倍率は10倍くらいだとか。
ちなみに、大学入試のときのセンター試験では

国語…104点
数学IA…41点

とまぁ散々な結果。数学はもう小6からずっと苦手。
これでもし受かったら、5年前より頭よくなったと思うので、そのときは本当に頭いいのかも(うぬぼれ上等。)

「留年」と「留学」
言葉は似てるけど、本当に別物なのかしらん。

ユウとケン

2006-06-21 01:12:23 | Weblog
僕の下の名前は裕太郎だ。
「余裕のある人間に」+「太郎を付けたかった」が名付けの由来らしい。

その名前のおかげかどうか、確かに自分にはいつでも余裕があるような感じがする。
もっとも、その余裕の意味は、本来の意味というよりどちらかと言えば「のんき」に近く、
「余裕があるんだから、まだやらなくてもいいんだやー」
的な解釈により、逆にいつでもいっぱいいっぱいであるような気もするけど…。

とはいえ、少なくとも自分自身には、裕太郎という名前と、こののんきな中身とは大した違和感を感じない。

そこでこんなことを考えた。
もし名前が「健太郎」だったら。
(以下、健太郎君のイメージ)
・サッカー部にいる
・かばんを肩の後ろにぶらさげて歩く帰り道
・日焼けて真っ黒
・工業高校に通う
・性格もスポーティー
そんなイメージ。

これは「ケンタロウ」だけじゃなく「コウタロウ(光太郎)」や「カンタロウ(勘太郎)」でも同じような感じがする。

もし自分が裕太郎の状態で、名前だけが健太郎だったとしたら、これはもう完全に名前負け。
よくぞ名付けられたり、裕太郎。

…金太郎だったらまだ合うかな。


遊ぶってなんだっぺ!

2006-06-19 02:12:59 | Weblog
「いわきって、遊ぶところがなくて困んだよねぇ。」
と、よく言われる。

けれども、この留年するほどにバカ真面目な僕にはこの「遊ぶ」の意味が、いまだによく分かっていない。

昨日、中学までの同級生に久しぶりに遊びに行くべと誘われたので「遊び」に連れて行ってもらった。
それでなんとなく分かった。
「遊ぶところ」とはつまり「女の子とデートに行くところ」のようだ。

昨日やったのはロケット花火、おみくじ、釣り、など。(特にロケット花火が面白かった。しかしこれは環境破壊以外の何者でもない。)

そういう遊びを知ってる人から僕を見たら、遊びを知らないし趣味もない僕は、よっぽど退屈な人間なんだと思われたりするのだろうが、しかし自分では自分がそういうことに自覚がない。
するとどうなるか?

今後デートしたときに、あらまなんてつまらない男なのと、とぷいっとふられるのだらう。



2006-06-18 01:41:28 | Weblog
今年初めて蚊にさされた。

これは東京に出て気付かされたことだけど、いわきの蚊はかわいいものだ。
動きはにぶいし、かゆさもそれほどじゃない。
(いちおう刺しときましたので、ムヒかなんか塗っておいてくださいね。)
…とでも蚊ママが言っていそうな、かゆさ。

東京の蚊は、俊敏な動きで全然叩けないし、そして痛いくらいにかゆい。
(人を見たら敵と思え)
くらいに考えてるに違いない。

そう思うと、久しぶりにいわきの蚊にさされるくらい、痛くもかゆくも…かゆい。


漢字検定4級

2006-06-11 01:26:46 | Weblog
「漢字検定」というのがある。
僕は4級を持っていて、それを高校生のときに取った。

資格というのは、どんな資格であれ、普通は持っていれば本人に取ってなにかしらのプラスになるものだ。

が、しかし、高校生で「漢字検定4級」では、文系の高校生にとってはまったくプラスとならない。
受けたことがある人なら分かると思うが、むしろ
「私は漢字がぜんぜん書けません。ワッハッハー」
と言っているようなもの。

そのとき、受けた同級生はほとんどが3級を受験していたのだが、あまりに漢字が書けなさすぎるので僕は、1つ下の4級を受けざるを得なかった。

どのくらい僕が漢字を書けないのかを物語っているのが、写真。
これは自分の部屋に飾ってある「今宵の月のように」の歌詞カードだが、よく見ると、「今宵」じゃなくて「今肯」になってる。

コテイの月のように。
そりゃ輝かない。

とにかく、今日は久しぶりに漢字検定の、しかも2級を受けに行くのです。
今年同じ授業を受けている2学年下のグリーの後輩や、高校の後輩の歌姫さんは既に2級を持っているらしいのだが、まぁ凄いなぁと思うわけです。

グリーの後輩に至っては、
「1日か2日勉強すれば、2級は取れますよ。」
なんてことを重低音ボイスで言ってたのが、どっこい、3ヶ月やっても合格ラインギリギリなんだがよ…。



犬平とサッカー

2006-06-05 02:09:26 | Weblog
犬平がこんなことを言っている。

「もうすぐサッカーワールドカップが始まるのだそうだ。
本屋では各国のチームデータを分析する本がよく売れているらしい。
このいわきでさえ盛り上がっているのならば、日本国民のほとんどの人は盛り上がっているに違いない。」

「しかし僕は『かえるのへそ曲がり』なるタイトルの日記を書いている。僕はその名を決して裏切らない。
僕はワールドカップにはまるで興味がない。」

「理由はある。
まず第一に、サッカーという競技に対してだ。サッカーの試合は点が入らなさすぎる。
90分間見ていても、入って1点とか2点とかで、90分のうち88分くらいは試合の結果とは関係なしにあっちにボールがいったり、こっちにボールがいったりが繰り返されてるだけ。

どちらか一方のチームを応援していれば楽しめそうな気もするが、中立的に試合を楽しむという点では本当につまらない競技だと思うね。」

「そして第二には、その熱狂してる人たちに対してだ。
日本代表の試合に熱狂している人たちはサッカーの試合そのものを楽しんでいるというより、日本という国の誇りや威信みたいなものを相手国に見せつけたい、あるいは自分たち自身で誇りを感じたい、というだけなんじゃないかと僕は思ってしまうのだ。

本当はそんなことないのかもしれない、でも僕はそういう風に感じてしまって、いやだ。」


「僕は前回のワールドカップのとき、ちょうど大学1年生だった。僕は自分の部屋で日本戦の試合をラジオでひっそり聴いていた。びっくりしたことに、その時間のAMラジオ局は全チャンネルがサッカー中継をしていた。」

「しかしラジオのサッカー中継というのは、『中田選手がいまパスを出しました、あ、取られました』くらいしか伝えようがないので、試合内容がさっぱり分からず、もういいやと思ってラジオを消してしまった。そしたら、東京中の家々から「オー!」とか「あー」拍手の音とかがそこいら中から聞こえてきた。」

「そして僕はこう思った。
(俺だって…俺だって此処にいる。なのに、この街に暮らす人はみんなサッカーに夢中で、僕のことなんか誰ひとりの気にも留めらやしない。なんてちっぽけな存在なんだろう)って。
そんなことや色々を考えながら、ごろりと寝ころんで時々聞こえてくる家々の音を聴いていた。
もしかするとサッカーが嫌いになったのはその時かもしれない。」

でも犬平は、こんなことも言っている。
「小学校のときの体育の授業でやったサッカーは本当に楽しかった。7歳から始まっていまだ続く学生生活の中で、いちばん楽しかった授業を挙げるなら、間違いなくあの小学校のサッカーの授業だね。
一生懸命だったし、好きだった、下手だったけど。」

犬平と僕は、似た者同士だ。