私が小学生の三年の時です。
新学年、新しいクラスメイトに元気溢れりる若いの男の先生、毎日が楽しかったです。
ある時、育休明けの女の先生と交代になって、一変しました。
女の先生は子供の体が弱いのか、よく休み、よく早退し、自分の気分で怒ったり見てなかったり…先生は頑張っていたかもしれませんが、当然生徒がついていくはずがありません。生徒の喧嘩の仲裁中に教頭に呼ばれて、そのまま帰ってしまうのですから。まぁ、先生に頼らずになんとかするようにはなりましたかね…
そんなこんなで、小三の私は、「そんなに子供が弱いんなら中途半端にしないでついててやりゃーいいじゃん。こっちも迷惑だ。」
と思ったわけです。
成長すれば、大人の都合も多少わかるわけで、働かなきゃならない事情があったのでしょう。
私は今は働いてませんが、週2回着物の教室に通っていて、小学校のPTAの引き継ぎなど三月は、けたたましい日々です。託児をお願いできる義父のおかげでなんとかなっています。
でも、忙しい日が続くと決まってナオが病気になります。
先週から花粉症→喘息悪化で、卒園記念親子食事会にいけず。
二日前からの腹痛→腸炎→発熱により、本日の着物の授業を欠席。試験結果の日だったののに。
明日の終業式&友人とのおたべの体験教室もキャンセルになりそうです。
三月はいつも体調不良で大変な月ですし、なるべく早めに休ませるようにはしてますが、忙しくなるのと比例して、具合がより悪くなります。
もちろん今回は盲腸か?腹膜炎か!?っと焦り、救急へ行きそうになるほど心配しています。だからこそ、この体の弱い子供を預けて働くというのが考えられないのです。
そこには小三の…あのときの感情が必ず出てきます。
働きにでて、迷惑かけて当時の自分のように思われるのが怖いのです。
また、あの先生のようにはなりたくないという思いもあるのかもしれません。具合の悪い時ほど、お母さんについていてもらいたいものでしょう?
働いてるお母さんの中で両立できてる人、頑張っている人はたくさんいます。どうやってこなしているのか…どうしたら両立できるのか、不器用な私は尊敬して止みません。
そう思うようになったのは京都にきて小学校に入ったら働くお母さんがとても多いからです。児童館は学区になく、託児施設も近くには少ないです。ボランティアで放課後の寺子屋をしてくれる地域の人、ジジババや支える家族、親戚がいて、お母さん同士助け合ってやっています。
小三の自分に、「あのときの先生のようなお母さんばかりじゃないんだよ。」「きっとあの先生も中途半端じゃなくて、どっちにも一生懸命だったのかもしれないよ」っと言いたい
母、がんばろう!!!
そして、しっかり、寝たい!!!(病