ゆみごんのだららん日記

だららん主婦ゆみごんの、今は里子ちゃんとのバタバタ生活。以前はワンコ、通院、仕事の事など。気ままに更新しています。

ポケモンGOのスペシャルウイークエンドで、ウォーキング?

2018年07月27日 23時45分27秒 | レジャー
今日はポケモンGOのイベントがあったので、一人で公園をぶらぶらしていました。
ウォーキングになるかな〜、と思いましたけど、スマホ見ながら止まったり動いたりしていても運動量なんて大した事ないですよね。

ってことで、霞ヶ浦総合公園に行ってきました。

シンボルの風車と、水車と、蓮の花〜。



蓮の花が見頃ですね。

色んな種類がありました。
種類ごとに分けられていて、中国で生まれた物とか、地元土浦のやつとか、千葉のやつとか。
風向きによってはちょっと甘い香りがして、いいですね〜。



頑張って歩いたので、ピチュー出ました。
可愛い



明日も引き続き、マックの分です。
でも明日、台風なんですよね〜?
どうしたものか……。


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「大曲の花火」の準備をしています。

2018年07月26日 16時50分03秒 | レジャー
30℃ちょっとだと涼しく感じてしまいますね。
関東は今日もいい天気です。

去年まで抽選だった『大曲の花火』の桟敷席。
今年から先着になったので取りやすかったです。
(……来年には先着順という事も広まって、取りにくくなるかしら……)
去年行って感動したので、今年も取ってみました。

で、桟敷席が取れたので、駐車場の手配を。
去年は8月頭に桟敷席のチケットが送られてきて、その中に入っている駐車場案内を見ながら電話をして予約しました。
あれ、8月に入ってからじゃ遅いんじゃないの? と思い立ち、昨日HPを見てみるとやっぱりあるじゃないですか、駐車場情報。
公式のテントが張れる駐車場の申込が終わっているのは知っていたんですが。
私設駐車場で良いと思っていたので……。
近い所はもう満車というところもある!
慌てて電話しました。
とりあえず、去年駐車したところへ。
まだ空いてるという事だったので、ちょっと保留してもう少し近い所へ。
3件目に電話した所で、予約取れました。
会場から近い!
これは良い場所がとれた〜。

で、次は花火の次の日に宿泊するホテル。
旦那様とあーでもない、こーでもないと話し合いながら決まり。
夜中の2時頃に話していたので、眠くて意識が落ちながらの話でしたけど……。
こちらも、予約取れました。

よし、これで準備はオッケー。
あとは、無事に行くだけだ〜。



最近落ち着きましたが、家の周りでオスのニャンコ達の喧嘩がひどかったです。
おー、怖い顔で喧嘩してるね。



後で見たら、玄関の前に血痕が!
左のニャンコ、負傷してるじゃない!!
も〜、控えめにしてもらいたいですね。


今日もおつきあいありがとうございました。

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腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その5】

2018年07月25日 22時06分07秒 | 母の事
2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その3】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その4】
の続きです。

------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------

母が亡くなった朝。
6時前に、訪問看護の看護師さんがこの一週間お休みだった担当医の先生を連れて家に来てくれました。
いつもバッチリお化粧の先生がスッピンに近い顔で来てくれたので、急いで来てくれたんだと思います。
その後すぐに葬儀屋さんが来て、お葬式の話等、色々決める事がありました。
先生はすぐに帰り、看護師さんだけが残って母をキレイにしてくれました。
私は、看護師さんの相手をしている妹に呼ばれたり、お葬式の話をしている旦那様に呼ばれたりでてんやわんや……。
お葬式は、棺桶はまぁ、燃えるのでそんなに良い物じゃなくていい。
でも、骨壺はちょっとこの模様が入ったのがいいんじゃないかな、とか……。
(実際には白い布みたいな箱みたいなのに入ってるから外からはよく見えないんだけど……)
宗教は何ですか? と言われても、何もない……。
母の実家と父の実家は宗派が違うし。
来てくれるお坊さんは誰でも良いですと言って、おまかせしちゃいました。
(……適当……
お通夜はそんなに人が来る訳でもないので家でやる事にして、お葬式は葬儀場で。

私は何も見ていなかったんですけど、看護師さんはシャンプーをしたり、身体を拭いたりしてくれていたようです。
当時、中学生だった姪っ子も一緒に母のシャンプーをしていました。
これは、自宅じゃないと出来ない事だと思うし、姪っ子にはいい経験になったと思います。
おかげで、姪っ子は医療従事者になりたいという目的が出来たようでした。

このときだったか、母の歯が抜けていると言われました。
どうしてこんな事になったのか。
どのタイミングで抜けていたのか……。
痛かっただろうな。それも、わからなかったのかな……。

看護師さんが帰って、葬式の打ち合わせも終わって。
良い時間になったら親戚に連絡をして。

お通夜が25日。火葬と葬儀が26日に決まりました。
母と最後のお別れをして。

26日。
火葬と葬儀を終えて帰る途中。
車から虹が見えました。

ちなみにこの後、四十九日の法要の時、お盆の迎え火の時にも虹が出ていました。
偶然ってあるものですね。

葬儀が終わった後には病院でお世話になった人に挨拶に行き、レンタルしていたベッドや車椅子、スロープを返却して。
訪問看護の方にただで借りていたポータブルトイレを返却して。

仏壇を買ったり、どんどん落ち着いていきました。

母が亡くなる前に、「何かやりたい事ないの? 元気なうちに行っておきたい所とか、会っておきたい人とか」と聞きました。
母はほとんど希望を言いませんでした。
私たちに言い残す事もほとんどありませんでした。
ほとんどっていうか、全然?

母の癌がわかった時、母のためにも自分のためにも出来る限りの事をしようと思いました。
実際に後悔しないだけの事が出来たかといえば、それは出来ないですよね。
どれだけの事をしても、後悔は残ります。

それは最初の病院選びの所からです。
あの時地元の病院でなく、大学病院を選んでいたら違ったんじゃないかとか。
がんセンターにしておけば良かったんじゃないかとか……。
でも地元の病院にしたおかげで、腹水で苦しんでいる時に早く手術が出来ました。
仕事帰りに毎日病院へ見舞いに行く事も出来ました。
腹膜播種の状態では、どこの病院で手術をした所で、遅かれ早かれ同じ結果になっていたと思います。
癌に有効なのは、とにかく早期発見、早期治療なんでしょうね。

私は今年も乳がん、卵巣がんの検診を受ける予定です。
皆さんも、どうか検診を受けて下さい。

勢いのまま書いてしまったのでまとまりないし、誰かの参考になるかわかりませんが……。


お付き合いいただいてありがとうございました。

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タリーズでポケモンスペシャル・ウイークエンドのチケットもらってきました。

2018年07月24日 14時15分06秒 | レジャー
暑いですね〜。
連日こう暑くては、エアコンを入れてしまうとリビングから出られません。
家中の片付けをしなければいけないというのに……。

仕事に行った旦那様とSkypeしていたのですが、都内や都会(?)では、タリーズのスペシャル・ウイークエンドのチケットをもらうために朝早くから並んでいるらしいということが発覚。
先日、マクドナルドで難なくもらった私は、タリーズもそんなものだろうと思い、旦那様に「会社に行く途中のタリーズでお願い〜」なんて頼んでいたのですが……。
旦那様の仕事最寄り駅のタリーズは7時オープンらしく、とっくに無くなっている模様。
私が病院に行く前にお腹を空かせて(今日は血液検査があるので朝食抜き)行ってきました。

お隣の市にある、蔦屋書店の中にあるタリーズ。
家を出たのが10時半前。
到着は20分後。
まだ普通に在庫がありました。
コーヒー買うのも、2人待ちとか。
あれ、そんなもの? と思ったのですが、かなりの穴場だったらしいです。

とりあえず、無事に旦那様との分もゲットしました。

マクドナルドで出て来るMのアンノーンはもう持っているので(横浜で手に入れました)、タリーズのTは欲しいところでした。
ま、アンノーン欲しいか、と言われれば微妙。

家に帰って、二つ買ったアイスコーヒーの一個は氷を取り出して冷蔵庫へ。
旦那様に、夜飲んでもらおーっと。

昨日お昼頃に畑に行ったのですが、熱中症になりそうだったので、早々に帰ってきました。
草が……。草が〜……。
草原と化していました……。

道で顔見知りの猫が倒れるように寝てました。
車にひかれるぞ〜。




まだ申し込んでいないけど、そろそろ健康診断の時期なので、昨日からダイエット中です。
今日の買物は白滝とひじきを買ってこなくっちゃ〜。

今日のおつきあいありがとうございます。

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腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その4】

2018年07月22日 23時35分18秒 | 母の事
2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その3】
の続きです。

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母が退院してきてから、家は普段よりバタバタしていました。
色んな人が来るし。
訪問看護の人が一日おきに来てくれて。
酸素ボンベを貸してくれた業者の方(どこだっけ、有名な外資の会社)も様子を見に来たり。

いつも静かな家が、バタバタしています。
でも、病院よりは遥かに静かで、日常です。

母を家に連れ帰ってすぐに、訪問看護の看護師さんも来てくれて、色々としてくれました。
母のいない所に連れて行かれて、
「お母さんの様子は良くないです。今夜何かあってもおかしくない。
何かあったらすぐに連絡を下さい。当番が携帯を持っているので、夜でも大丈夫です。
もし、お母さんが息を引き取ったと思っても、救急車は呼ばないで下さい。
自宅で亡くなった時には事故になってしまうので警察に連れて行かれてしまいます。
先生に来て頂く事になっているので、何があってもこちらに連絡をください」
との事でした。

母の入院している病院は、市内では一番大きな総合病院でした。
この辺ではあまりないNICU(新生児集中治療室)があって、県の「がん診療指定病院」になっている病院でもあります。
この規模の病院の先生が家に来てくれるのは珍しいことらしいのですが、病院の院長が往診を比較的してくれる先生らしいので、その関係で比較的往診もしてくれるらしいんですね。

母に、
「家に帰ってきたのわかる?」
と聞いても返事はありませんでしたが、わかっているっぽかったです。

母はこちらの問いかけに答えたり会話が出来る状態ではありませんでした。
目は開いています。
ぼーっとどこかを見ているのか、見ていないのか。
手をベッドの柵から出して、ボーっとしている感じ。

介護ベッドは比較的高性能の物を借りたので、エアーが入っていて、時間ごとに左右のバランスを変えて床ずれ防止になるものでした。
でも、数時間ごとに身体の下にタオルを入れて体位を変えました。
点滴が無くならないように交換したり、母に話しかけたり。
お風呂にもしばらく入ってなくて気持ち悪いと言っていたので、大きな桶にお湯を入れてきて、ベッドで足湯をしました。
そのときも、足をあげるときは自分で力を入れたり、少しは意識があるっぽい動きをしていました。

痛がっていたら与えるように、と言われた痛み止めの口に入れるお薬は使いませんでした。
この数日、痛がっている様子はありませんでした。

鼻に入っているチューブから出てくる物に血のようなものが混じっていて、一度だけ訪問看護の看護師さんを呼びました。
何て言ってたかな……特に問題もなく、様子を見て大丈夫という事だったと思います。

夜になって……。
妹と姪っ子が家に帰り、父が2階の寝室へ上がりました。

夜中になっても母が寝る様子がないので、「まだ起きてるの?」と聞いたら、
「何回も」と、母は言いました。
声が出るのは珍しいです。
「何回も聞くなって? はいはい」
確かに、まだ起きてるの? と言ったのは、数回目でした。
やっぱり、たまに正気になるんだな、と思いました。

夜中の2時くらいだったか。
何となく自室に上がる感じでもなく、母が寝ている和室のベッドのあたりで横になりました。
旦那様も一緒です。

気づいた時には旦那様が私を呼んでいました。
「バービー(←母の事)が……」
いわれて飛び起きて、母の所へ行くと……。
母は息を引き取っていました。
4時頃でした。

母の身体はまだ温かくて。
目を細く開いていて、まだ起きてくるように見えました。
どうして寝てる間に行ってしまったのか。
寝てしまったのか。
思ったけど、これはどうしようもなくて。
見送りなんていらないよ、っていう感じも、母らしくて。
「頑張ったね。もう痛くないね、苦しくないね。ありがとう」と言いました。

2階の父を呼び起こしました。
妹に電話して、母の事を伝えて。
訪問看護の方に電話をして母が息を引き取ったと伝えました。
先生を連れて行くとの事でした。
大きなお葬式にする予定はないけれど、お葬式はしてあげたいので、公共の所でお葬式ができる葬儀屋さんをネットで探して電話してもらうように旦那様に頼みました。
電話をすると、すぐに来てくれるとの事でした。

悲しむ間もないバタバタで、動きながら泣くという日でした。
4回で終わる予定だったのですが、その後の事もちょっと書こうと思うので、5回へ続きます。
お付き合いいただいてありがとうございます。

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枝豆食べてお腹いっぱい…

2018年07月19日 15時49分01秒 | 雑記
朝旦那様を駅に送って、そのまま近くのスーパーへ。
茎ごと束ねられた枝豆が200円くらいだったので、二つ買ってきて莢を取ったら、大きめのボールにいっぱい取れました。



塩をかけてゴーリゴーリ揉んで産毛を取って。
(手が痛くなっちゃう……)
鍋に入れて、水は適当に少量。
(200ccくらい?)
強火で様子をみながら、蓋をして5分。硬かったら、混ぜて追加で1〜2分。
茹ですぎないように茹でて、完成。

お盆にラップを敷いて、扇風機で冷却。



なかなかいい湯で加減になりました。

さて。夕飯は何にするかな。

夕飯まではお掃除します。
和室の電球を変えて(かれこれ数年、電球が切れたままだった……)、二階の掃除もして。

やる事はいっぱいだ〜。

でも、暑いからエアコンが効いたリビングから出たくないよ〜

主婦なんだから、頑張らないと……。

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腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その3】

2018年07月19日 00時52分05秒 | 母の事
2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】
の続きです。

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退院の予定だった母ですが、その前に血液検査の結果が悪く、退院が取りやめになってしまいました。
「退院まであと◯日だからね、頑張ろうね」と気力をふるわせていた母には衝撃的だったらしく、かなり落ち込んでしまいました。

そうこうしているうちに、治医の先生が出張とかで、1週間ほどいないという事で、代わりの先生がつきました。
新しい先生とお話ししていて、主治医の先生とは違うお話をされました。
先生「何か食べていますか?」
私「主治医の先生には飴だけと言われていたので何も食べてません」
先生「食べたい物があったら、少しくらい食べても大丈夫ですよ」
私「この前、トロが食べたいとか言ってましたけど……笑」
先生「生ものは、感染症とかの心配もあるのでちょっと……」

……って、食べてもいいんかい。
食べた所で、鼻のチューブから出てきちゃうんですけどね。

先生「お母さんの状態は非常に悪いです。本人が帰る事を望んでいるので、家に帰ってみてはどうですか?」
私「帰っていいなら、帰らせたいです」
先生「今帰らないと、帰れなくなっちゃいますもんね」
主治医のいない間に退院しちゃうってどうなんだろうとは思いましたが、帰っていいというならつれて帰りたい。
ずっと帰りたいと言っていた母でした。

ということで、2日後か、3日後(忘れちゃいました)に退院する事になりました。

一度入れた介護ベッド等を回収する方向で(退院が中止になったから)手続きしていたのを、慌ててもう一度電話して使用しますと連絡。
バタバタと用意しました。

そんな状況の中。
翌日だったかな……、母が暴れて困るという電話が病院からありました。
点滴も抜いてしまうし、指につけているセンサーも取ってしまう。
鼻に通しているチューブも抜いてしまうというので、ただ事じゃない。

慌てて病院に行きました。

なんて言うんでしょうか……。
母であって、母でない感じ。
痛さとか、そういうのは感じていないようでした。
意識はあるけど、私たちの言う事を聞いてくれない。
どこかに行こうとする。
すごい力。

とりあえず、私が泊まって様子を見ることになりました。
鼻のチューブは何度入れても抜いてしまうので、なしで。
でも、鼻のチューブがないので、すぐに吐いてしまいます。
前触れもなく吐くので、キャッチするのも一苦労。
定額でおむつ使い放題の契約をしていたので、おむつとかパットを使ってキャッチします。

夜なのに、寝ません。
私のことは認識しているようです。
「さあ、いくよ、ほら」って言います。
「どこに行くのよ」
って言うと、睨んできます
何度も何度も、「行くよ」って言います。
「◯◯(仕事の道具。名前は忘れちゃいました)取って!」
と言って、体温計を取ると、テーブルを叩き始めます。
……母は仕事をしていました。
大工の父と一緒に仕事をしていた母は、こんな時にも、仕事をしているんです。

病気になる前までずっと、仕事をしていました。
癌がわかってからは、行っちゃダメ、と言われて行ってなかったんですが……。
どうしても手が足りないと言う父について、1回だけ仕事にも行ってました。
若い頃からずっと働き詰めだったので、意識がない今、無意識に働いてしまうんでしょうね。
本当に、あの時は泣けました。

その翌日も同じような状態が続いて、その次の日から、母の意識はなくなりました。

退院の日。

意識のない母を病院の方々の手を借りて車に乗せました。
ベッドから起き上がって車椅子に乗せる時。
意識はないけど、母は自分で立ち上がろうとしていました。

家では介護用品を貸してくれたAさんと、訪問看護の看護師さんが待っていてくれました。
みんなで母を運ぶのを手伝ってくれました。

今回、関わって下さった皆さんは本当に良くしてくれて、とても感謝しています。
こういう時の人の優しさは、本当に身にしみました。
自分の力なんて本当に小さいなと思います。


長くなりましたので、続きはまた後日。
おつきあいありがとうございます。

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腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】

2018年07月18日 00時12分56秒 | 母の事
2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】』からの続きです。

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入院した母は、口から食べ物を食べられなくなりました。
点滴で栄養を入れていますが、点滴で入れる点滴は低カロリーで、最低限のものでした。
飴はなめてもいいって言われたかな。
担当の先生に、「あんなに低カロリーで、大丈夫なんですか?」と聞きました。
答えは、「人間、案外大丈夫なんですよ」でした。
いや、そういう事言ってるんじゃないんだけど……。
栄養を取ると、ガン細胞も成長してしまう。
母のお腹の中で、ガン細胞が驚くような早さで成長していて、腸を圧迫していました。
鼻からチューブを入れて胃の中の物を出して、排尿もチューブです。
母は歩きたいと言いました。
でも、歩いている時に倒れると困るから歩いたらダメだと言われました。
「これじゃ、家に帰った時に歩けなくなっちゃうよ」
母は、まだまだ家に帰るつもりだし、「早く帰りたい」と言っていました。

この入院の前、腰の骨が当たって、寝るのも痛い。
痛くて眠れないと言っていた母に、痛かったらガマンしないで先生に言うように言いました。
いつの間にか痛み止めがモルヒネになっていました。

入院して2週間くらいたつと、母の意識がおかしい感じになってきました。
時間がわからなくなっているようでした。
話しかけても返答に少し時間がかかります。
母のお兄さんが来てくれたんですが、「自宅の裏にある川に釣りに行くみたい」とメールをすると、「ああ、暑いから泳ぎたくなるよね」と返事がありました。
私は仕事帰りに必ず病院へ行っていたんですが、私が行くともう「そんな時間?」と言うし、犬の声がするとか、変なおじさんがいるとか……。
幻覚、幻聴かな……。
とにかく、積極的な治療をしないのであれば、本人も希望しているし、家に連れて帰りたい。
つれて帰る方向でお話を進めました。

鎖骨のあたりに、点滴用のポートを埋め込みました。

病院の『患者サポート相談窓口』という所に行って介護保険と在宅看護の相談をしました。
(相談している間にも遠方(他県)から相談の電話が入っていました)
この窓口の方は、病院との打ち合わせなどにもずっと同行してくれました。

点滴の針を変えるのはナースの人ですが、点滴の袋を変えるのは私たちなので、妹と一緒に病院に行って、点滴の代え方を習いました。
さすがに、もう忘れましたが……。

要介護認定が出て(要介護3だったかな、4だったかな……)、介護用品を借りる手続きをします。
介護ベッド、点滴を掛けるラックみたいなの、車椅子を借りました。
介護用品を持ってきてくれた方も以前はナースだった人で、色々と相談に乗ってもらいました。
今回は病気で使う介護保険だったので、あえてナースだった方を紹介してくれたようでした。

訪問介護は、いっぱいかもしれないとしれないと言われてたんですが、入院している病院の訪問介護を使える事になりました。
週3回だったかな、来てもらえることになりました。
家に帰ったら、少し体調も良くなるかもしれない。
歩けるようなら、少し歩かせてあげよう。
そんな事を考えていましたが、母の退院は具合が悪くなり、流れてしまいました……。

長くなったので、続きはまた後日。

おつきあいありがとうございます。


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腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】

2018年07月16日 23時15分48秒 | 母の事
2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
今日は母が亡くなる1ヶ月前くらいのお話です。

------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------

母が亡くなって、もう4年以上が過ぎました。
このブログも普段は日々のくだらない事を書いているだけですが、今も母の卵巣がんの事で検索して来て下さる方が多いです。
高齢化が進むにつれて癌になる方は多くなるでしょうし、若くても罹患する方がある病気ですから、少しでも情報提供になれば、と思っています。

正確な日付は忘れてしまったのですが、母は都内のセカンドオピニオンの予約をしていました。
その一週間前。
この頃には横になっていても体調の悪い状態だったのですが、その日も朝から調子が悪そうでした。
「朝から吐いちゃったんだけど、吐いたのが黒いんだよ」
って言うんですね。
吐瀉物を見ていると、吐いたのは少量だったんですが、確かに黒いというか黒に近い緑色っぽい感じです。
あぁ、腸閉塞だって思いました。
二日後あたりに病院の予約もいれてあったのですが、母を病院へ連れて行くように、父へ言いました。
会社に行く予定だったのですが、急遽休んで、すぐに母の病院へ。

具合悪いって言ってるのに、まあ、待たされますね。
妊婦さんの中に混じって待っていたのですが、間に一回激しく吐いてしまいました。
本当、あの病院の婦人科外来の人たちは気が利きません。
病棟の人はそうでもないんですけど……。

それからしばらくして診てもらい、検査に行ってる間に家族が呼ばれて、緊急入院になりました。
「かなり危ない状態です。数日もつかどうか」と言われました。
カリウム値が非常に高い状態だとも言われました。

母の前では泣かないようにしていたんですが……。
この時は検査から戻って来る母の所で大泣きしてしまいました。
多分、この時の具合の悪さと私の様子を見て、母は何かを感じ取ったんだと思います。
もう死んでしまうと察したのかな。何も言わなかったけど。

とりあえず、緊急入院になったので、一週間後の都内の病院のセカンドオピニオンをキャンセルしました。
会社は数日休むと連絡を入れて、入院道具を持って行ったり。
母は父の事をよろしくね、とよく言ってました。

2、3日して、先生からのお話がありました。
「カリウム値が基準以内になって安定しました。とりあえずの山は越えました」
という説明に、一安心。
でも、体力がないのでもう抗がん剤はしない。
積極的な延命治療はしないという事で最終確認をされました。

母に「明日から会社に行くね」と言うと、「あぁ、そう」と不思議そうに言われました。
入院した日から私が休んでいたので、このまま自分は死ぬのかと思っていたんだと、この時理解しました。
数値が良くなったと言っても、信じていなかったんだと思います。
私が会社に行くと言った事で、あれ、まだ自分は死なないのかなと思ったようです。

治療について、私の基本方針は母には本当の事を言うという事でした。
言わないということはちょっとはありましたけど、嘘は言わない。
私自身の事だったら、やっぱり自分の事は知りたい。
だから、母にも嘘はつかない方がいい。
選ぶ事があるなら、選択権をあげたい。
それは残酷な事になるかもしれないけど、それがいいんじゃないかと思っていました。

母は逃げずに、グチらずに、頑張っていました。
私だったら母のように治療するのは無理だったろうな……。

この入院は1ヶ月くらいになりました。
2週間を過ぎた頃から母の様子も変わってきます。

長くなったので、続きは次で。

おつきあいありがとうございます。


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里子ちゃん、来るかな? その前にやっぱり家庭訪問……。

2018年07月15日 02時51分09秒 | 里親登録
久しぶりの更新です。
ゆみごん、生きてます。
胃の調子が悪いです。
原因は暴飲暴食だと思われます
自業自得です。

暑いですね〜。
エアコンのあるリビングから出られません〜

4月と5月は真面目に働いて、6月から悠々自適な主婦生活をしています。
最近は地元で仕事をしようと思っていたんですが、やっぱり地元は仕事が少ないし時給が安いんですよね。
なので、やっぱり千葉県辺りまでは出ようかな、と思っています。
そして、初心に戻って経理か税理士事務所を狙おうかと思っています。
でも、簿記なんて勉強してたのずいぶん前だし。
ってことで、勉強し直しています。
とりあえず、今は2級の問題を見直して。
その後は1級も見直して、11月に1級を受けられたらいいな〜。
でも、来年税理士試験を受けるなら、工業簿記、原価計算は勉強し直さなくてもいいかなぁ、と思ったり……。
あぁ〜、でも勉強してる場合でもなくなりそうだし……。

実は3月に入った頃、児相から電話がありました。
「ある兄弟ちゃんの里親の候補に登録してもいいですか?」
というお話でした。
私たちは『年齢、性別、障害等、国籍、全然気にしません』っていう条件だったので、オッケーしました。
が、まあ、その後音沙汰無しだったので、他の方に決まったのかな〜と思っていました。
……そりゃ、思うよね?
もう5ヶ月音沙汰なかったし。
それが7月10日に連絡を頂きまして、詳しい事を話したいという事でした。

お〜、あの話、無くなってなかったのね??
ってことで、聞いてきました。
ちょうど、次の日は30年度の里親研修会があったので、ついでですね。

かる〜くお話を聞いて、とりあえず家庭訪問に来て頂いて、その時にお話を聞く事になりました。

掃除しなきゃ〜!

今まで何回も家庭訪問には来て頂いてたんですが、リビングでお話しするだけだったんですよね。
今回はきっと子供部屋になるだろう場所も見るだろうし。
二階も掃除しないと〜。
ってことで、今週は大掃除します。

………暑いんだよな〜〜〜

熱中症にならないように気をつけないと……。

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