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アルコール依存症ダンナと共依存妻よ~memorial~

平成25年7月7日にアルコール依存症だったダンナが他界しました。書ききれなかった思いを綴っていこうと思います。

今月はダンナの誕生月

2016-08-22 20:34:26 | ダンナ
あまりアルコール依存症とは関係がございませんが、今月はダンナの誕生月でした。
亡くなった人の歳を考えたらいけないとは言いますが、やっぱり生きていたらこんな年齢になっていたんだな。と思ってしまいました。
まあ、ダンナはあれだけすごい飲み方をしていたのだから、あの年齢まで生きていたのは本当に奇跡でしかない。と今でも思っております。
何度も何度も病気になり、ケガで入院手術もあったし、酔っての運転では自動車を電柱にぶつけてもいるし・・・
やっぱり奇跡なんでしょうね~
それでもガンには勝てなかったんですね。
ダンナが亡くなり、丸3年が過ぎました。
早いものです。
あんなに苦労したのに・・・やっぱり私はダンナのことが大好きだったんだなって今になって思います。
そりゃもう、酔ってるダンナは殺してやりたいくらい憎い・・・あきらめて一緒に死んでしまおうか?と思ったことだって何度も何度も思いました。
今は、ダンナと結婚していなかったらいったいどんな生活をしていたのかな?と思うこともあります。
とにかく、自分の時間はほとんどありませんでした。
つねにダンナの面倒をみて過ごした私の人生です。

こうしてパソコンにむかっているとやっぱり気になるのはアルコール依存症のご家族をお持ちの人のブログですね。
試行錯誤を繰り返していたり、あらゆることで悩んでいたり。
読んでいてココロがとっても痛みます。
そんなに辛いのなら、手を離してもいいのよ?と言ってあげたいものですが、最後まで手を離すことができなかった私は、離れてしまう勇気もすごく大変なことなんだと思っています。
悩んで苦しんでる人の多いこと。
悲しくてやりきれないです。
でも、いつも私は言っています。
自分が一番大事なんですよ。
犠牲になってはいけないんですよ。
当事者だったときはそんなことは思えませんでしたが、ちょっと離れてみたら冷静にそう思うことができています。
皆さん、がんばらないで。辛くなったら逃げていいのよ。

要介護5という認定

2015-12-13 18:33:08 | ダンナ
久しぶりの更新です。
ちょっといろいろありまして・・・
あ、この前もこんな言い訳していましたね。
入院中の母の容態があまり良くなくて、先日昏睡状態になってしまったんですよ~
まあ、母も高齢ですし、こんな病気だからしかたがないのかもしれませんが、朝、目を覚ますことなく、寝てるのではなくって昏睡になってしまったんですよ。
寝てるのと、昏睡は似て非なるものですから、お医者様だってわかります。もちろん私だってわかります。
なんといってもダンナは何度も昏睡になってますからね。
今回は仕事中だった私に病院から急いで連絡がきて、駆けつけたんですよ。
危ないと言われて、とりあえず、中心静脈への点滴の同意書にサインしました。
今は危険な状態からは脱しております。
原因はアンモニア脳症です。
もしかしたらアルコール依存症のご家族をお持ちのかた、肝臓が悪くてアンモニア脳症になったかたもいらっしゃるのでは?
母は肝臓に大きなのう胞があり肝機能が非常に悪いです。
医大の先生がおっしゃるのには、肝硬変ということです。
ですから、今回アンモニア脳症になってしまったんですね。
肝臓は解毒作用を司る臓器です。うまく働いてくれないと、体に溜まるアンモニアをうまく排出できなくって、このアンモニアが脳にたまり、軽ければ認知症のような、重くなったら昏睡状態になるのです。
先生が上手く対応してくださり母は今回はなんとか助かりました。
でも、母をみていたら、手がグローブをはめたようにむくんで、まるでダンナの末期状態と同じだなあと思いました。
そんな、母ですが、要介護認定がやっとおりました。
要介護5です。
これは介護度が一番重い状態なわけです。
ほぼ、寝たきり、自分では何もできない状態。ということです。
前にも書きましたが、ダンナも末期のがんで退院、自宅での最後を迎えたいということで家での介護にふみ切りました。
ダンナも要介護5でした。
ちょうど、認定調査の人が病院に認定にいらしたときが一番ダンナの状態が悪かったんですよ。
脳腫瘍が多発していたので、体のマヒが本当に酷くて、ダンナは自分でしっかりと座ってることもできなかったのです。
もちろん、手だって動かなかったし。
そんな、ダンナだったので要介護5の認定を受けました。
もう、余命宣告もされ、治療しても大差ない時間しか生きることができないのがわかり、それでも少しの期待もして、とりあえずは放射線の治療は行いました。
でも、やっぱり抗がん剤は1回でやめてしまいました。本当に酷い副作用に襲われました。
抗がん剤はしない。もう何も治療はしないと、緩和病棟がある病院に転院しました。
でも、どうしようもないときだけは入院しましたが、極力家での生活をしたのです。
私は医大を退院したら、もう好きなだけ飲んでもいいよ。と思っていたんですよ。
それが、お酒を飲みたい。とは一切言わなかったんですよ。
あれはなんでしょうねえ~
今でも不思議でしかたがないです。
でも、しらふのダンナでしたから本当に穏やかで、2、3か月と言われた余命でしたが、半年がんばってくれました。
今、思うと放射線はやっていてよかったです。あの治療をしたので脳にあった腫瘍が無くなったり小さくなって、まるで動けない状態だったダンナが一時はある程度動けるようになったからです。
でも、やっぱりがんなんですよ。一気に悪くなりました。
転移してがんが肝臓にいってからはあっという間に悪くなってしまいました。
ダンナは要介護5だったので訪問介護や訪問看護、訪問入浴や福祉用品のレンタルとか利用しました。
まだまだ訪問介護に入ってもらってもよかったのですが、他人の世話にはなりたくない・・・とダンナは思っていたようで拒んでいましたね。
ですからそのぶん私ががんばったというわけなんです。
今だったら、ダンナの介護をダンナにあまり負担をかけずに自分も楽に介護できたのにな~と思っています。
何回も書きますが、私は最後にダンナを介護していた時間は神様がくれた大切な大切な時間だったと思っています。
あの時間がなかったら私はきっと今のような状態ではいられなかったのではないでしょうか。
きっといつまでもいつまでもダンナに未練が残ってしまっていたかもしれません。
ダンナを見送ることができて、私はダンナに対してすべてやりきったという思いがあります。
さて、話が戻りますが、母もここで要介護5の認定を受けました。
母は父の思いもありますので体調さえ戻ったら、在宅での介護をすることに決めています。
かなり大変だとは思いますが、ダンナで経験した介護保険を利用する立場と、実際に介護職をしている立場での経験を生かして、しっかりとそうして無理することなく母の介護をしていこうと思っています。

助手席でのダンナ

2015-12-09 19:03:07 | ダンナ
にゃんこさんのコメントでご主人が助手席に乗って、思うような道順で行かなかったので怒って車から降りてしまった。ということがわかりました。
ああ、まったく私と同じ!!
どうしてアルコール依存症の人って短気なんだろう!!って思います。
さて、思い出せば、我が家のダンナも飲酒中は車は助手席が定位置でした。
以前のブログにも書きましたが、ダンナはお酒を飲むとどこかに行きたくなる。という癖があった?
とにかく、私の嫁入り道具のひとつに自動車があったのです。
我が家のダンナはこの車に乗るのが好きでして、休日となれば、私は運転手。
今でも思い出す、なぜだか行きたがったのが伊豆半島。
あのころはナビなんてなかったから、もうダンナが道案内してくれなければ行くことができませんでした。
ダンナは、助手席に大量のお酒を持ち込んで、私の横で気分よく、飲んでいるわけですよ。
で、運転のしかたをあれこれと注意というか、怒鳴ってくるんですよ。
もっと、スピードを出せ!!とか、あの車を追い越せ!!とか、横から手を出してはクラクションを鳴らしたり、窓を開けては隣の車を怒鳴りつけたり。
もう、ただでさえ、運転が苦手だったのに、そんなダンナを乗せて、わけもわからないところに行くのだからもう怖いのなんの。
伊豆半島になんとかついたら、今度は突端まで行く。と言い出す始末。
ええ、そこまでかなりの距離があるよね。明日は仕事なんだから大丈夫なのかな?と不安が胸をよぎります。

おまけに、酔っぱらって寝てしまうダンナ。
ちょっと、どうするの?この先は道順がわからない。
私はどうしたらいいの?
しかたがないから表示を見てはこっちのほうかな?と行くのですがやっぱり地名すらわからない。
しかたがないので、車を止めて自分も休む。
だって、迷子になりますからね。
本当に本当に嫌でした。
私はダンナと一緒になる前から運転はしていましたが、それは私が住んでいる地域が車でどこにでも行かなければならなかったから。
スーパーも病院も、交通手段が車だったからです。
だから、近所は走っていましたけれど、遠出ともなればもっと運転の上手な人がしたわけで。
車も古くなって車検も来たから、こんな東京では駐車場代も高いから車を手放そうね。とお願いして車が我が家からなくなったときはほっとしましたよ。
とにかく、ダンナは助手席で飲んだくれるのが好き。
我が家に越してきてからは車も必要となって、私はダンナの運転手でした。
ダンナは家で飲むのが好きだけれど、どういうわけか飲み屋のお姉ちゃんに入れ込んで、毎日午前様状態になったときは私に迎えに来い!!と命令がくるんですよ。
もうばかみたいに従順な私はダンナの運転手をやっていました。
ダンナはそのときは後部座席。シートに寝転んでぐーぐーがーがー寝ておりました。
で、飲みすぎちゃって気持ち悪くなるから、急にがばっと起きて、げーって吐いたりしてたんですよ。
その始末をするのも私の役目でした。
ワンコを連れての旅行では行きはなんとか運転するものの、帰る日の朝だって飲んでいるのだから、私が運転して帰ってきました。
まあ、今になって思うのはダンナのおかげで運転が上手くなった。どこでも行くことができる。ってことでしょうか。
とにかく酔っぱらったダンナを乗せての運転ほど嫌なことはありませんでした。

皆さん、お元気ですか?

2014-03-10 18:56:21 | ダンナ
ご無沙汰していました。
皆さん、お元気にしていらっしゃいますか?

このブログはもう更新しない予定でおりましたが、なぜだかアクセスがけっこうすごいままで、今でも見ている人がいらっしゃるんだな~とちょっと感激しています。
ですから、あの後のことを皆さんに報告したいと思いました。

さて、今ダンナはどうしているのか・・・
実は去年の7月7日に亡くなりました。
65歳でした。
病名は肺がんです。

一昨年、どうも体の動きがおかしいと言ってた、ダンナ。
ろれつも回らないし、まっすぐに歩けないし。
で、医大の神経内科にかかり、脳のMRI。
結果として、脳腫瘍などはない。正常。
でも、体の動きでは、どうも小脳に異常がある。
この際、入院治療をしませんか?
以前にできた、脳腫瘍も消えたことが気になるから。とのこと。
で、秋も間近に入院しました。
とりあえず、体中の検査をしました。
なんと、肺結核が見つかって、隔離病棟に転室しました。
でも、頭が心配なので、主治医は前のまま神経内科の先生でした。
結核を診てくださるのは、呼吸器内科の先生。それも教授先生でした。
本来なら、小脳失調症の治療をする予定でしたが、とりあえず結核を治してしまわなければ、その治療はできないと言われてしまいました。

結核は法定伝染病です。
保健所に報告しなければなりません。
結核菌をしっかり殺してしまうまで、最低でも6か月薬を飲み続けなければなりません。
ダンナの場合、排菌していなかったので、退院治療することになりました。
体は不自由なままでした。
保健所の人も我が家に確認に来ました。
絶対に治さなければならない病気ですし、公費負担がありますから、結核にかかる治療費は本人負担が5%なのです。
保健所の人は、薬の管理のしかたなどお話しに来てくださったのです。
さて、この薬は飲んだら絶対に治るまで飲み続けなければなりません。
薬は4種類あり、これがまた副作用がものすごいのです。
薬のせいで、ダンナの尿はオレンジ色になりました。
胃の調子はものすごく悪くて、どんなに協力な胃薬を飲んでも、常に胃が痛いと言ってました。
尿酸値は上昇して、いつ痛風になってもおかしくない数値でした。
ですから、結核の薬での副作用を抑える薬もハンパない量が出ていました。
ダンナは辛い辛いと言いながら、がんばって薬を飲み続けました。
薬を飲み始めて1か月も過ぎた頃、いつものように医大を受診。
小脳の具合は悪いようで、ダンナの体はますます不自由になってしまいました。
神経内科の先生も考えたようです。
一度、入院して、治療をしたい。
で、ダンナは入院。
免疫グロブリンの大量投与。という治療をしました。
その際、結核のほうがどうなったのか胸部のCTを撮りました。
なんと、結核が大きくなっていました。
あせる先生。
また、呼吸器内科の教授の診察がありました。
結果、「薬を飲み始めていったん、病巣が大きくなることがあるんですよ。典型的な結核の画像だね。このままがんばって薬を飲んでください。」

免疫グロブリンの大量投与をしてから、ダンナのろれつが少し回復しました。
神経内科の先生も喜んでいました。
ダンナは入院したり退院したりを繰り返し、この治療をしました。
ところがです。
頭のMRIを撮ったところ、2個の脳腫瘍が見つかったのです。
頭の上の部分と、目の奥。
また、出てしまった!!でも、前の年にできたのも消えてしまったから、同じように消えるかもしれない。と言う考えに先生もはじめ、私も思ったのです。
今回も場所が悪く、頭の上の部分は右半身に影響をあたえる。
目の奥のほうは、もっと大きくなってきたら記憶に影響する。と言われてしまいました。

ダンナは入院が大嫌いです。
大好きなタバコも吸えないし、大好きなワンコにも会えないし。なにより私が常に側にいなければ寂しいからです。
ですから、とりあえず退院しました。
退院するときに先生に、脳腫瘍があるからいつけいれんがおこるかわからないので注意してください。と言われました。
ダンナはある日の夜に右足が突然、がくがくとけいれんを起こしました。
それから数日してからはお風呂から出て脱衣所で急にひっくり返りました。
右足がまるで動かなくなってしまったのです。
それから、歩くことが本当に不自由になってしまいました。
すぐに入院です。

入院中はどんどん体の調子は悪くなりました。
右半身不随です。
ダンナは看護師さんに清拭(体を拭くこと)やトイレの介助、お風呂などしてもらうことを拒否しました。
ですから、毎日、私は面会時間を無視して病院に行きました。
半身不随のダンナのトイレの介助は本当に大変でした。
ベッドから車いす。車いすから便座。ダンナは右がくにゃくにゃなので、ふんばりがききません。
上手くいかなくて、トイレからナースコールを押したことも何回かありました。

さて、暮れも近づいた頃、胸部のCTを撮りました。
結核の具合を診るためです。
なんと、結核の病巣が大きくなっていました。
あわてた先生たち。
「大変申し訳ないけれど、肺の内視鏡をしてほしいのです。」とのお願い。
私たちだって納得ができません。あれだけ辛い結核の薬を飲んでいるのに。
で、しました。さすがに辛い検査だったようです。
ダンナは検査の後、吐血までしてしまいました。

1月に入り、検査の結果がでました。
ダンナと私が呼ばれて、呼吸器内科の先生と神経内科の主治医の先生からのお話しです。
「肺がんです。腺がんです。余命は2~3ヵ月です。放射線と抗がん剤の治療をしたら、10か月から1年です。脳の腫瘍は肺がんの転移と考えられます。」
私は聞いてて涙が止まらなかったです。
ダンナはがくがくゆれる頭になってました。揺れながら先生に聞いてました。
「じゃあ、結核というのは違ったんですか?」と聞いてました。
もう、信じられないです。
私は誤診だったんだ。と思いました。
「結核の場所にがんができたんです。」と先生。
すごい言い訳ですよね。
ダンナは気丈に先生と対応していましたが、私は辛くてしかたがなかったです。

今度は、呼吸器内科に転科しました。
病室も変わりました。
今度の看護師長さん。すごく厳しい人で、「神経内科では許されていたのでしょうけれど、面会時間は守っていただきますよ!!」
ですから、今までは、朝9時に病院に行ってましたが、転科してからは午後1時に行くようにしました。
呼吸器内科の看護師さんたちはとても私たち夫婦のことを考えてくださって、ダンナのお風呂なども、「奥様がいらしたからお風呂にしましょうね。」と私といっしょになってケアをしてくださいました。

ダンナの場合は脳腫瘍がいくつかできてしまったので、もう脳全体にがんがあると考えられ、全脳照射になりました。
本来ですと、脳腫瘍にピンポイントで放射線をあてるのですが、脳全体にかけてしまうのです。
10回の照射をおこないました。
この治療でダンナは髪が全部抜けてしまい、頭の皮膚はやけどをしたようになりました。
でも、本人にとってはこの治療は辛くはないようでした。
今度は抗がん剤です。
抗がん剤は1度でダンナはやめました。
副作用がひどく、もういやだ。と言ったのです。
「抗がん剤は辛いだけだから、もうしない。もう治療は何もしたくない。できたら家に帰りたい。」
私もその通りだと思いました。

さあ、家に帰るための準備を私は開始しました。
まずは、介護認定を受けること。
友人にケアマネージャーさんを紹介していただきました。
このケアマネさん、ものすごい勢いで仕事を進めてくださいました。
ダンナの退院が2月と決まり、それに向かって、介護認定です。
病院には、市役所から介護福祉課の人が面会に来てくださいました。
認定が下りる前に家の1階の部屋にダンナの病室を作りました。
ベッドも介護保険で借りることができました。
ポータブルトイレも購入しました。
テレビも大きいのを購入しました。
訪問介護の人にも入っていただけることになりました。
訪問入浴も予約を入れました。
ダンナは要介護5と認定されました。

さて、2月1日にダンナは退院しました。
体が不自由でしたので、介護タクシーを頼んで、家まで帰りました。

治療はしないということで、ダンナは医大から転院しました。
医大の紹介で、M病院の緩和ケア科に決まりました。
ダンナは退院する頃はまるで右半身がダメだったのにどういうわけなのか、右側も動くようになってきたのです。
先生がおっしゃるには、「放射線が効いて、脳腫瘍が小さくなったんですね。ほら、ここにあったひとつは消えてますよ。」
ダンナは寝てるか、車いすだったのですが、杖にたよりながらささえられながら歩くことができるようになったのです。
そうして、私が支えれば、お風呂にも入れるようにもなりました。
でもやはりがんなのです。
調子が悪くなったり、良くなったりを繰り返しながら、ダンナはだんだん弱っていきました。
腹水もたまってきて、肝臓にも転移していることもわかりました。
食事も摂れなくなって、結局は最後はM病院に入院して点滴でながらえました。
でも、痛みとか苦しいとかそういうものはなくて、おだやかに最後を迎えました。
私一人で看取りました。

ダンナが退院したときは、きっとお酒を飲むのだろうな。と思いました。
でも、結局ダンナは家で過ごしていた間、1滴も飲むことはしませんでした。
おだやかな毎日が過ぎて行くだけでした。
介護はとても大変でした。
でも、ケアマネージャーさん、訪問ヘルパーさん。訪問看護師さん、その他いろいろな人たちに助けられました。

ダンナは最後のほうは、私の手を握っては、「由美ちゃん、大好きです。僕と結婚してください。」と言ってました。
私が答えるまで何度も何度も言ってました。
手を握るとほっとするようで、とても嬉しそうな顔をしていました。

私はダンナの介護をしていた時間、神様がくれた時間だと思っています。
本当にやるだけのことはしたと思っています。

今、私は介護の資格をとって、訪問ヘルパーとして働いています。
介護のときにいろいろな人に助けていただいた。ですから少しでも今度は助けてあげたい。そう思ったからです。

ダンナのアルコール依存症で私は本当に苦しみました。
ダンナを殺して、私も死にたいと思いました。
でも、ダンナが亡くなってからはダンナにされたいやなことはだんだん薄れていき、良かったことばかりが思い出されます。
やっぱり私はダンナが好きだったのですね。

ダンナの納骨は済んでます。
私は月命日にはダンナのお墓詣りをしています。
祭壇には、お花とお線香はかかせません。

皆さん、私のブログを読んでくださって本当にありがとうございました。
皆さんのコメントはとっても嬉しかったです。
アルコール依存症のご家族をお持ちのかたに、少しでも参考になればと思います。
私のしたダンナに対しての対応のしかたは、してはいけないことだらけです。

これからも皆さん、無理せずにがんばってください。
影ながら応援しています。
皆さんに感謝をこめて、このブログは終わり・・・本当の終わりとします。

皆さん、ありがとうございます。

2012-10-03 19:18:32 | ダンナ
皆さん、ありがとうございます。
本当は更新する気はなかったのですが、今でも毎日たくさんの人がここを訪ねてきてくださっていることがわかりました。
そうして、私はこのブログを最初から、コメントを含めて数日かけて読み返しました。
皆さんのコメント、本当にありがたく思いました。
こんなにも、心配してくれる。私のことを自分のことのように考えてくださってる・・・・と思いました。
そうしたら、こんな状態のままこのブログは終わらせることはできないと思いました。
今でも、過去の記事にコメントをくださる人もいるのです。
もし、これからこのブログを読む人はきっと家族、または自分のアルコール依存症で悩んでる、苦労してる人ではないかと思います。
私のブログが共依存とはこういうものだ。だからこうしたらいけないんだ。とわかってくれるのであれば、それはきっと少しは役にたつものかと思いました。
あれから・・・のその後を書いて、このブログの更新は終わりにします。
でも、閉鎖はしません。

さて、ダンナのその後ですが。
11月に退院してから、ダンナは死の恐怖に耐えられず、お酒に逃げてしまいました。
でもお酒ばかり飲んでると、食事は摂れません。
お酒の量もわずかですが、吐血もするようになってしまいました。
12月にもダンナはズルズルと飲酒を続けていました。
でも、本当に静かに飲んでいました。
ダンナは頬はこけ、頭はぼさぼさ、ひげもぼうぼう、まるで骸骨のようになってしまってました。
もう、話もしなくて意志の疎通はなかった状態です。
たまに、トイレ・・・とつぶやくので私がダンナを引きずりダンナをトイレに連れていってました。
きっと、このまま衰弱死するんだろうなと思っていました。
もしくは、脳腫瘍による痙攣で息ができなくなって死んでしまうんだなと思っていました。
年が明け、1月3日、ダンナが久しぶりにトイレ・・・とつぶやきました。
ダンナは脱水症状でほとんどトイレにも行ってませんでした。
それが久しぶりだったのです。
私はいつものようにダンナをトイレに引きずりました。
するとダンナは白目をむいて、息をヒューヒューして失神してしまいました。
しばらく様子を見ていたらダンナの意識は戻ったのです。
で、また少し引きずりました。ダンナはまた失神。
やはり、ダンナを見捨てることはできません。
私は救急車を呼びました。
来てくださった救急隊員の人に、ダンナは脳腫瘍を患ってる。昨夜かなりの吐血をした。だから、国際医療センターか埼玉医大に絶対に運んでほしいことを伝えました。
吐血をしたということで、埼玉医大の消化器内科に入院が決まりました。
医大につくと、急いで血液検査、胃の内視鏡。ダンナの血液の数値はめちゃくちゃに悪く、よく心臓が動いていたなあと言われました。
内視鏡で、食道潰瘍もひどく、それで吐血をしていたのです。
ハイケアルームに入れられたダンナは点滴、酸素、血圧計、心電図のモニターなどつけられ、危ない状態でした。
先生は頭が心配だから、急いで脳のMRIを撮ると言われました。
夜遅くまで今にも亡くなりそうなダンナに付き添っていました。遅くなり、父に迎えにきてもらいました。
そして、翌日、私は早くに医大に行きました。
しばらくダンナのベッドの側でダンナの様子を見ていました。
状態は昨日とそう変わりはないようでした。
すると先生がやってきて、私を呼ぶのです。
そこで先生はびっくりすることを言いました。
「奥さん!!ご主人の脳腫瘍、きれいになくなってましたよ!!私は専門でないから、放射線科の先生と脳外科の先生にも見てもらいましたけど、本当にないって言われましたよ!!」
本当に本当にびっくりしました。
それから、ダンナは点滴をばんばんしてもらい、骸骨のような顔がだんだん人間の顔らしくなってきました。
ぼうぼうだったひげも剃りすっきりしてきました。
点滴だけだったのが重湯も飲めるようになり、おかゆが食べられるようになり、まだ足がふらふらでしたが、退院することができたのです。
先生との話では、あの部分(脳幹)に腫瘍ができたのなら、手術は無理、いつ亡くなってもおかしくない。長くて2、3か月という診断はおかしくない。とのことでした。
でも、なぜか、脳腫瘍は消えてしまったのだから、歩けなくとも、ここは退院してもらいます。とのことでした。
そうして、ダンナは奇跡の復活をしたのです。
ダンナは「もう、お酒はやめた。俺はアルコール依存症なんだ。だから飲んだら死ぬからもう飲まない。」と言いました。
「死ぬのは怖くはないけれど、死にたくはないから、お酒は飲まない」とも言いました。
自分でアルコール依存症と言ったのです。
私はダンナが底つきをしたのだと思ってます。
ダンナはもうお酒を飲んでません。
家には弟が飲んでるビールは冷蔵庫にあります。ウイスキーだってあります。でもダンナは手をつけません。
本当にきっぱりやめれるかどうかは私にはわかりません。
でも、私は以前のような不安はもうありません。
私は私で、アラノンに通ってるし、体操クラブにも入ったし、友人とお茶をしたりカラオケにも行くようになりました。
自分の生活を楽しめるようになりました。
神経科にはまだ通っていますが、薬の量も減りました。
毎月、先生と笑いながらお話しができるようになりました。
私のかかりつけの精神科の先生はダンナの脳腫瘍が無くなったことが信じられないと言います。だから、医大の先生がくださった、去年、脳腫瘍があったときのMRIの写真と無くなったときのMRIの写真を見せました。
先生は比べて、見ていました。写真をひっくり返したり、日付を確認したり。
「本当に無くなってる…脳の浮腫も治まってる・・・」びっくりされていました。
そうして、脳腫瘍があったときの写真を見て、「これだったらいつ亡くなってもおかしくないなあ~」と言いました。

さて、今のダンナですが、実は非常によくない状態です。
6月頃から、呂律が回らなくなってきたのです。
それに伴い、脚もふらつくようになってきました。
近所の内科の先生に相談したところ、「もしかしたら、脳梗塞かもしれない。そうでなくても考えたくはないけれど、脳腫瘍もあったことがあるから、早く医大の神経内科に診てもらって」と言いました。
そうして、受診。
神経内科の先生はダンナのMRIの写真を覚えてました。「あのときの患者さんか~、それで腫瘍はどうなったの?」と聞きます。
だって医大の神経内科の先生は国際医療センターの脳神経外科の先生に回したと思っていたのですから。
ですから、私が1月の入院のことを話し、なぜかなぜか脳腫瘍が無くなったことを伝えました。
先生は本当に本当に驚いていました。
状態が非常に悪いので神経内科の先生方皆さんで、ダンナのことは話し合ったのだそうです。
ですから、この初めての先生もダンナのMRIの画像を覚えていたのでした。
それから診察です。
ダンナは先生にいろいろなことをやらされ、「どうも、小脳に何か問題があるようだね」と言われました。
それが火曜日のことでした。そして、土曜日にMRIを撮ってもう一度受診となりました。
土曜日、MRIを撮って、受診。
先生は悪いところは見当たらない。心配していた腫瘍や脳梗塞もない。と言います。
そうして、先日やったようにダンナを診察しました。
「あきらかに火曜日より状態が悪くなってるね。呂律もひどくなっているね。どうだろう、この際入院してしっかり調べて治療することにしたら。」と言いました。
そうして翌週には入院となりました。
入院するときに胸のレントゲン写真と心電図をします。
血液検査ももちろんします。
すると、なんとダンナが肺結核にかかっていることがわかりました。
すぐに感染隔離病棟にベッドが変更です。
神経内科でしようとした治療はできなくなりました。
何度か検査をして、結核菌を排菌してないことがわかりましたので、薬の内服による治療が始まりました。
そうしてとりあえず退院。
本来でしたら、呼吸器内科の受診となりますが、ダンナの場合、頭のほうが心配ですので神経内科の先生が主治医です。神経内科のほうで結核の治療もおこなっていくことになりました。
結核の薬は忘れると大変なことになります。
保健所に病院が報告義務がありますので、保健所のかたも我が家に来ました。
薬の管理の確認と飲み忘れがないように指導です。
今までの私ですと、何もかも私がダンナのことをやっていました。もちろん薬もダンナは私が用意しないと飲みません。
でも、今回からは私は自分のことは自分で管理してやったほうが確実だとダンナに言いました。
ダンナはたくさんの薬を自分で管理して、一回分ずつ小分けにしてダイニングテーブルに1週間分ずつ並べて置いています。
薬の服用手帳にもしっかりしるしをつけてます。
保健所のかたはこれを見て安心して帰っていかれました。
そうしてダンナは受診の後には、自分から保健所の担当者に電話をして様子を報告しています。
結核の薬は本当にきついようで、胃の具合は常に悪く、尿酸値は上がってしまい副作用のための薬も大量に飲んでます。
日々、不自由になる手足、呂律。
でも毎日、愛犬の散歩にはでかけています。
食欲もあります。
次回は15日に受診です。
結核のために神経内科でしようとしていたパルス療法(ステロイドを大量投与する治療)は結核を増悪させる危険があるためできません。
先生たちで相談した結果、免疫療法を行うことにきまりました。
今月15日の受診後、約、2週間の入院することになっています。
実は私は今回の小脳失調はアルコールの大量摂取のせいではないかと思っていました。
ですから、ダンナのいる前で先生に聞きました。
すると先生はそういう人もいるにはいるけれど、あきらかにそういう人は小脳が委縮しているのだそうです。だからダンナにはあてはまらないと言ってます。
この先、ダンナがどうなるかわかりません。
お酒だって、ああは言ったけれど、どうなるかわかりません。
でも、ダンナは、自分で「アルコール依存症」と言ったこと。
これはすごいことだと思っています。
今、ダンナは大好物のぶどうを食べながら、私の横でテレビを見て笑っています。
幸せな、幸せな時間が流れてます。

皆さん、本当にご心配をおかけしました。
そうして、見守ってくださって本当にありがとう。
長く続いたこのブログ、ここで書き込みを終わらせることにします。
皆さんのことを私も応援しています。
本当に本当にありがとうございました。
そうして言いたい。奇跡ってあるのかもしれないと言うことを。


あれから・・・

2011-11-27 20:38:51 | ダンナ
ずいぶんと更新をしてませんでした。
あれからいろいろなことがありました。

埼玉医大での検査結果は、ダンナの脳に二つの腫瘍があるということでした。
二つ腫瘍があるということは、脳腫瘍は原発性のものではなく、体のどこからかのがんの転移が考えられるということでした。
なのに、いくら調べても、ダンナの体のどこからにもがんが発見されませんでした。
しかし、先生の話によると、原発がわからない脳腫瘍もまれにはあるとのことでした。
ダンナの脳腫瘍は一つは側頭葉の頭蓋骨に近いところ。
もう一つは脳幹という、脳の奥深くのとても大切な場所にできていました。
いつ、なんどき呼吸が止まる、足や手が動かなくなる、話しができなくなる、どうなるかわからない場所なのです。
そして、側頭葉のほうは手術して摘出できますが、脳幹のほうの手術はできないというものでした。
埼玉医大では検査はここまで、この後は国際医療センターに引き継ぐということとなりました。
国際医療センターは、県内のみならず、県外からも大勢の人が来る日本でも指折りの病院なのです。
そうして、そこの脳神経外科を受診しました。
先生は、ダンナがあきらめているのを言い聞かせるように話してくださいました。
二つあるけれど、側頭葉のほうは簡単に手術できるから、それを手術で摘出したら良性か悪性かがわかります。
それからどうするか考えてもいいのでは?とダンナが手術を承諾するように説明してくださいました。
そのときは、ダンナも手術してもいいと考えてくれたようでした。
それが金曜日。先生は月曜日に入院。再来週には手術ということにしましょう。と決まりました。
ところがです。
ダンナの気持ちは落ち込み、「やっぱり、俺は入院しない!!手術はしない。悪性だったら、2、3か月でどうにかなってしまうって言われただろう!!俺はもうあきらめた!!」と言いだしました。
そうして、お酒を買ってきて飲み始めてしまいました。
ダンナが飲酒を始めたのです。
ダンナが約束をやぶったのです。
弟と父と私とで話し合いをしました。
埼玉医大での話しでは、今日か明日にもけいれんがおきて呼吸が止まるかもしれない。治療できない場所。つまりはダンナの寿命は長くはないという結論だった。ということ。
弟が、ここで追い出しても後味が悪くなるだけだろう。お姉ちゃんが大変でなかったら、俺はこのままでもいいよ。もう、好きなだけ飲ませてしまえよ。と言いました。
そうして、ダンナは好きなお酒をちびちびとやっとの思いで飲んでます。
もう、食事も受け付けなくなってきています。
お酒の量もわずかです。
静かに、静かにしています。
飲んだら、離婚する。と思った私ですが、今回の場合はその気分ではありません。
このブログで約束したのに、私のことをなんて甘いんだ、やっぱり共依存だと思う人もいらっしゃるでしょう。
でも、私はそう決めました。
たぶん、ダンナは脳腫瘍が先か、その前に栄養失調で亡くなるか、というところでしょう。
私はそれでいいと思っています。
コメントをくださる人。ありがたいです。
でも、お返事を書くことは取りやめにしました。
どうぞ、ご了承ください。
近々、このブログは閉鎖する予定であります。
閉鎖する前に何かありましたらまた更新するかもしれません。

まだまだ検査

2011-10-30 20:09:13 | ダンナ
ダンナ、まだまだ検査や受診。
今日は日曜日だったので何もなくゆっくりできたようです。
食欲もあるし、良く寝られるとのことです。

先生はあまり脳腫瘍だとは言いたくないらしく、たとえばエイズだったり寄生虫でもこういう画像が出る。とか言うのだそうです。
そっちのほうが非現実的ではないでしょうか。
今、やってる検査はすべて、脳腫瘍だとしたら、どこか別のところの癌からの転移ではないかということなのです。
ですからいろいろな科を受診してるのです。
今までの検査では悪いところ、つまりがんが見つかっていないらしいです。
脳腫瘍でも、転移してできたものと、はじめにできたものでは治療のしかたも違うらしいのです。

1日は胃カメラ。2日は大腸内視鏡の検査があります。
ダンナは「2日間も、何も食べられないんだぞ」と言ってます。
食欲があるダンナ。すごいな~と思います。

検査

2011-10-27 20:37:34 | ダンナ
ダンナは昨日も今日も検査や、他の科の診察を受けたりしています。
昨日は心臓のCTを撮ったり、眼科の受診をしたようです。
今日は頸部、胸部、腹部のCTで、お昼の食事は抜きでした。
脳波もとったそうです。
体中、くまなく検査をして、がんがどこかにないのか調べているようです。
ダンナ、とっても元気です。
食欲もあり、睡眠だってじゅうぶん。
もう、開き直ってるようです。
明日は耳鼻科の受診があるそうです。

ダンナ入院

2011-10-25 20:57:25 | ダンナ
ダンナが今日、入院しました。
昨日、先日撮ったMRIの検査結果を聞きに行き、その場で入院が決まりました。
実はMRIに腫瘍らしきものが写っていたのです。
先生ははっきり腫瘍とは言いませんでしたが、素人目で見ても、それはまさしく腫瘍のようでした。
ダンナはMRIの結果が出る前から「脳腫瘍かもしれないなあ」と言っていたのです。
ダンナは「やっぱり思ったとおりだった」と帰りがけに言ってました。
そうして今日入院です。
大部屋は空きがなく、3人部屋なので差額ベッド代がかかりますがそんなことは言ってられません。
さっそく、担当の看護師さんが来てくださり、既往症や家族構成などの質問です。
あまりにいろいろな病気やけがで入院しているので看護師さんもびっくりしていたようです。
それから担当の先生がいらしてくださり、診察です。
そのあと、先生が「奥さんだけ来てください」と私を呼びました。
先生の見立てだと、やはり脳腫瘍。そうして場所が非常に悪い。手術するのがきっと無理な場所。
いつ、今日でも明日でも、けいれんやてんかんを起こし呼吸が止まってしまうかもしれない。と。
先生は本人にどこまで話したらいいかと私に聞きました。
私は本人は脳腫瘍だと思っているのでそこまでは話していいけれど、むずかしい場所ということは話さないでほしいと言いました。
それから本人を交えて、他の先生も加わり、MRIの画像を見ながらの話しをしました。
先生はこれがもし、がんだとしたらどこか他のところからの転移か、これが単独のものかと検査を進めていくと言いました。
ダンナはいろいろな検査の承諾書にどんどんサインをしていきました。
今日は、胸部と腹部のレントゲン。心電図。
明日からいろいろな検査が待っています。

上転筋神経マヒ

2011-10-13 20:33:24 | ダンナ
目がおかしい、おかしいと言ってたダンナ。
今日、埼玉医大に受診しに行ってきました。
前におかしくなったのはもう8年くらい前でしょうか。
そのときは、受診するなり入院と言われてしまったので、今回はもしものために私もいっしょに行きました。
診察の結果は前回は「外転筋神経まひ」で片方の目がまるで動かなかったのが、今回は「上転筋神経まひ」。目の上方を動かす筋肉がまひしてしまったようです。
とりあえず、今度は脳のMRIを撮ります。
今日は血液検査。
先生がおっしゃるには、少しでも悪くなったら診察日を待たずにすぐにきてくださいとのことでした。
24日にまた受診。
たぶんそれから入院となると思います。
とにかくものが二重に見えるらしいので、疲れると言ってます。
う~~ん、本当に入院なのかな~。
先生は、今日「今から入院してもいいですよ」と言いました。やっぱり入院かなあ~。

また、目が・・・・

2011-10-05 10:57:08 | ダンナ
ダンナ、今日は埼玉医大の消化器科の受診の日です。
一人でちゃんと行ってます。前は私がいかないと大変だったのに、少しは進歩したのでしょうか。
実は先日から、目がおかしい、目がおかしいと言ってます。
どうも焦点が合わない感じなのでしょうか。
自分では、以前に片方の目が動かなくなってしまい入院した、目を動かす神経のマヒと同じ感じがする。と言ってます。
う~~ん、あのときは神経内科に入院して、ステロイドの大量投与のパルス療法をしたのですよね。
一度目では治らず、二度、やったのですよね。
今回もそのときと同じようだと言うのです。
ただ、目は動くのですが・・・
また、入院して治療することになるのでしょうか。

寿命

2011-09-11 21:27:09 | ダンナ
アルコール依存症の人の寿命は普通の人よりかなり短いとききます。
飲んでるダンナを見たら、よくぞ生きていたと思います。
何度も、何度も死にそうになったり、大けがをしたりで、毎年のように入院したりもしていました。
ダンナは自分でもわかっていたようで、若い頃は50歳まで生きてはいないだろう。と話していました。
でも、運が強いというか、助かって今でも生きています(笑)
そうしてるうちに、50歳になってからは、55歳と言い出し、そのうち60歳と言い出し、65歳になってからはなんと75歳と言っています。
今、飼ってるワンコが3歳なのでその子が18歳まで生きてくれると言い出し、その子の最後はお前にまかす。と言ってるのです。
とにかく、ダンナの自己申告の寿命はどんどん伸びているので笑ってしまいます。
私のほうが先に死ぬかも~と言ったら、すごい顔をして怒るのです。
でも、私のほうが先に死んだら、ダンナの居場所はなくなりますからねえ~
それじゃ、困ると言うことでしょう。

旅行

2011-09-08 01:49:26 | ダンナ
ダンナは4日から旅行があるというので、薬をせっせと飲み安静にしてました。
でも今回はあまり酷くなく、最初にいただいた抗生剤でだいぶ良くなりました。
日曜日から旅行なので、土曜日にもお医者様に行って、薬をもらってきていました。
おかげさまで旅行に行くときはもう痛みがなかった状態でした。
今回は長野の姫木平というところと、群馬の嬬恋にかけもち旅行でした。
台風がちょっと残念。雨が降ったりやんだりの天気でした。
でも、すごく涼しくて寒いくらいでしたよ。
姫木平は私がすごく好きな場所で、今回初めてのお宿でしたが、なかなか満足しました。
ダンナは群馬の嬬恋のペンションがすごく気に入ったようですごく喜んでました。
嬬恋のほうのペンションは食事のあと9時からバータイムになるのですが、ダンナは早々と9時には寝てしまってましたよ。
夕食のときはカシスジュースを頼みました。
前だったら、ワインをがっぽがっぽと飲んでいたのですが、ダンナもがまんしてるのでしょうねえ~
今回の旅行はとってもよかったです。
両方とも食事が最高でした。
また、行きたいけれど、ダンナが行こうと言うまで待ってるつもりでいます。

大腸憩室炎

2011-08-31 11:25:09 | ダンナ
ダンナは、3日ほど前から、持病の大腸憩室炎になってしまいました。
今回はあまりひどくはない様子です。
いつものように強い抗生剤をお医者様からいただいて飲んでます。
以前はこじらせてしまい入院までしたのですからあなどれません。
あまりに頻繁になるので消化器内科の先生は手術したほうがいいと消化器外科のほうに回したほどです。
ですが、大腸内視鏡をしたところ、あまりに憩室が広範囲にあったので、大変な手術になってしまうと言われ様子を診てる状態なわけなのです。
ここ1年以上なってなかったのに・・・
まあ、今回はあまり痛がらずにいるのでまだいいかなと思っています。
ダンナが受診に行ったら、ダンナが帰る前に先生から私に電話があり、「飲んでませんよね。」という問いかけでした。
それから、症状の説明と、酷くなったら、来週早々にでも埼玉医大に行くことと、言われました。
ダンナは4日から旅行に行くので必死に治そうとしてるようです。
ちゃんとおとなしく横になっています。
ダンナは今も断酒を続けています。

オレンジジュース

2011-07-12 14:01:56 | ダンナ
毎日、暑い日が続きます。
でも、ダンナはとっても元気です。

先週のアラノンの日、ダンナは愛犬を連れて私を駅まで送ってくれました。
アラノンに行くのに送ってくれるなんてねえ~、本当にびっくりしましたよ。
でも、とっても嬉しかったです。

さて、日曜から、今日まで、ダンナと愛犬を連れての旅行に行ってきましたよ。
ここのところ、我が家のダンナは旅行に行くこと、車の運転をすることが楽しくってしかたがないようです。
以前のダンナであれば旅行はおおっぴらに飲める口実のひとつでしたから。
今は夕食のときに出された、飲み物のメニューを見ても、「オレンジジュース」と言います。
今回は山梨の涼しいところに行ってきました。
とても充実した旅行で、楽しかったです。