ゆきのひ 

雪の毎日 ぶつぶつ日記
  こころ新たに…

巨頭会議 in ファミレス

2014年02月28日 | 日記


 お昼からいず子さんとF子さんと会議。
 場所はまたファミレス。
 でもこの前とは違うファミレス。
 でもファミレス(汗)
 いず子さんからの招集メールにランチをしながらとあった。
「ただし一番安いものを頼むこと」
 そうだ、先日の会議では高いメニューを清水の舞台から飛び降りる覚悟で注文したのだから。
 ファミレスに到着すると、平日なのにものすごい人だった。
 一応店内を歩いて回り、まだ二人が来ていないことがわかったので、順番待ちの紙にいず子さんの名前を書いて入り口の椅子に座って待った。
 ほどなくしていず子さんが来て
「なに?席が空いてないの?しかも私の名前書いてる」
 と言った。
 10分ほど待って席に案内されたところで、F子さんがやってきた。
「ちょっと、まず注文しよう」
 すぐにメニューをめくった。
 何を食べたいのかよりも値段を重視して、どれにするか三人で頭を突き合わせて話し合ったが、結局二番目に安いものにした。
「また清水の舞台から飛び降りるとするか」
 飛び降りてばっかりで、いくつ命があっても足りないのだ。
「ご一緒にドリンクバーはいかがですか?」
 のウェイトレスさんの声に、きっぱりと
「いりません」
 と答えた。

 今日の会議は、今年度開催の講座の詳しい日程決め。
 これまでより講座の時間が増えたので、スケジュール帳に書き写してみるとほとんど休みがないことがわかった。
 しかもそのうち2日は私が講義を担当だ。
「え~っ、この夏は私に遊ぶなというんですかっ!」
 各回の内容について討議するふたりをよそ目に、私はこの予定の隙間のどこで遊ぼうかと、そちらの方に悩むのだった。
 
 会計係も兼ねる私としては、予算のことでも悩む。
 何しろ、変に細かいことを言う人がいるからだ。
 どうも事務局のいず子さんと、会計の私が、うまいことやってるんじゃないかと疑っているメンバーがいるようなのだ。
 会議の度に、清水の舞台から飛び跳ねているというのにとんでもない話だ。
 どうしても予算に限りがあるので、申し訳ないと思いつつも、講師や通訳に払える謝礼もきちきちになってしまう。
「そういう嫌疑をかけられるのだが、どう思う?」
 F子さんに尋ねたら
「私はいただいたモノには、ああそうですかと思うだけでなんとも思っていないけど。
 でもあの人が報酬に対して細かいのはわかるよ」
 と言った。
 自分の謝礼金に対して、多いの少ないのと言ってくるのならわかるが、他の人にいくら払ったのかを教えろと言うのはプライバシーの問題じゃないか、と私は言った。
 今年度の会場はちょっと遠い町だったので、車を出した人にだけ微々たる交通費を払ったのだが、それに対しても
「同乗者にも交通費を払え」
 と言ってきた。
 その人は車を運転しないので、いつも誰かの車に乗せてもらって来ていた。
 家を出たところから拘束時間だというのだ。
 言っていることはわからないでもない。
 しかしお役所から貰った金額では、そんなお金まではないのだ。
「10円でも20円でもくれと言ってた」
 と言ういず子さんの言葉に、私もF子さんも呆れてしまった。
「じゃあ今年から全員に家を出たところから会場までの拘束時間として交通費支給ね」
 F子さんが言ったが、すぐに首を横に振った。
「だめだ、来年度の会場までわが家から車で5分だ、10円どころか何銭の単位だ」
 私は言った。
「じゃあ歩いたら? 拘束時間30分ぐらいかかるんじゃない?」
「誰が10円、20円のためにダンボール箱二つも三つもかついで30分歩くんだ!」
 いろいろな考えの人がいるものだと思うが、自分は何もしないでお金だけ受け取って、多いの少ないのと文句を言うのはどういうものか。
 来年度は私の講義の時間が増えたことで
「雪だけ謝礼が多くなったのは、何か裏があるんじゃないか」
 と思われたりするのは心外である。
 いつでもスタッフの役はおりるから、その人たちにしてもらってくれと皆で憤慨したのだった。

 ついつい話があっち飛び、こっち飛びするので、一応今日の議題がすべて終わった時には夕方の4時を過ぎていた。
 また700円のランチで4時間。
 しかも水だけ何度もお代わりして。
 だから女性相手の飲食業は儲からないって…(汗)
 次回からこの会議には、たろみさんが加わる。
 彼女はバイタリティー溢れた人で、頭も体も回る人だからと、昨年の講座に引っ張り出し、無事講座を修了したところでわが会に入ってもらった。
 どんなことにも新しい風は必要だ。
 毎回毎回いつも同じメンバーでしていると慣れが生じて、進歩どころか退化する一方だ。
 これまで全くの部外者だった新メンバーに、これは変だとか、あそこは間違っているとか忌憚のない意見を聞くことが大事。
 口だけ達者で仕事ができない人はいらないのだ。
 さてたろみさんはどんな意見を述べてくれるか、楽しみ。

最高の思い出

2014年02月27日 | 日記
 夕方から 

 友人に、夜布団に入ってから眠れない時はあるかと聞かれた。
 私の場合、検査前には眠れない夜が続くが、それ以外は毛布に包まればこてっと眠ってしまう。
「眠れない時には、これまでの人生で一番楽しくておもしろかったことを思い出すといいんだって」
 と教えてくれた。
 しかし考えてみると、一番楽しくて、おもしろかったことが浮かばない。
 おもしろかったことというだけなら、すぐ浮かぶ。
 たとえば、去年の秋に東京に行った時のことなどは、帰宅してから土産話として語って聞かせた全員が、大爆笑するような出来事だった。
 だからといって、それがこれまでの人生でいちばん楽しかったことかと言われたら、違うような気がする。
 そんなことを考えていたら、ますます眠れなくなると思うのだが。

「自分の笑い声で目を覚ます時がある」
 友人が言った。
 それは隣りで寝ていたら恐いなと思った。
 友人は昔、長野へ行ったことがあるそうな。
 息子さんが就職して、最初の赴任地が長野市だったので、夏休みに夫婦と次男で長野を訪れたという。
 同居していたお姑さんは、ちょうどできたばかりの施設にショートステイで入ることができたので、安心して家族旅行ができた。
 長野新幹線が開通するちょっと前で、長野駅はまだ古い建物。
 駅舎を出た友人の目に、五平餅の屋台が飛び込んできた。
 友人は何も言わずにすたすたとその屋台に向かうと、五平餅をひとつ求め、その場でぱくついた。
 それがものすごくおいしかったのだそうだ。
「なんでいきなり五平餅の屋台に走ったのかがわからない」
 自分の行動に首を捻る友人に私は言った。
「牛に引かれたんじゃないの?」
「善光寺に行く前にか?」
 友人はこの時のことを思い出すと、おかしくておかしくて、笑いが止まらなくなるのだという。 
 私の友人だから、食い意地が張っているのは間違いないので、何よりも真っ先に五平餅の屋台が目に飛び込んできたのはわかるし、一心不乱に屋台に向かっている姿も想像することができる。
 しかし、笑いが止まらなくなるほどおかしいとは思えない。
 友人は自分の行動を分析し、
「自分で思っていた以上に、おばあちゃんの世話に疲れていたんだと思う。
 だから家から離れて、ものすごい解放感を感じたのだと思う」
 同じく介護に明け暮れた私には、それはよ~くわかる。
 さらに息子さんも無事就職をして、親としてほっとしたという気持ちもあっただろう。
 友人は、目を覚ました時にはどんな夢を見ていたのかさっぱり思い出せないというのだが、きっとその時のことを見て、見ながらけらけら笑っているのだろうと言った。

 おもしろかったことや楽しかったことは、これまでにもたくさんある。
 先ほど書いた東京旅行のことなど、一緒に行った友人達と顔を合わせるたびに大笑いして
「おもしろかったね~」
 と今でも話す。
「あそこで食べたお団子が美味しかったね、焼きそばも絶品だったね~」
 と話す。
 先日温泉に行った友人とも
「雪祭きれいだったね~」
 と話す。
「去年行った温泉から見た雪景色もきれいだったね~、夏に泊った温泉では早起きして、ご主人に山に連れて行ってもらってよかったね~」
 と話をする。
 どれも大切な思い出だけれど、これまでの人生で一番とは言えない。
 一番だとは思えないのだ。
 東京旅行をする友人たちとは、今から次は何を見に行こうか、夜はどこで何を食べようかと話している。
 この友人たちと一緒に行く旅はハプニング続きで、いつもおもしろいものだったから、きっと次に行く旅もおもしろいこと続出に違いないと思う。
 温泉に行った友人とは、今度はどこの温泉に行こうか、何を食べに行こうかと今から話している。
 この友人と一緒に行く温泉ではいつも出会いと感動がいっぱいあったから、きっと次の旅でもひとりでは探せないものをたくさん見つけることができるに違いないと思う。
 “次”があるから、あれはおもしろかったけど、今度の方がもっとおもしろいに違いないと思ってしまうので、“人生で一番”とはまだ言いたくないのだ。
 友人の旅の思い出には、“次”はなかった。
 その後介護生活はだんだんきついものになり、お姑さんが亡くなるまで友人は家を離れることができなくなってしまったし、子どもたちも次々就職して家を離れ、勤務地でそれぞれ家庭を持った。
 そしてご主人も今はいない。
 友人にとっては最後の家族そろっての旅行だったから、その思い出はどんな旅よりもきらきら輝いているのだと思う。
 その時の思い出は時が経つほどに輝きを増しているような気がする。
 つまらなかったことや、おもしろくなかったことは全部消去されて、楽しかったことだけが凝縮されていて、実際に過ごした時間よりも、もっともっと楽しいものになっているのではないだろうか。
 思い出すと笑いが止まらなくなる度合いは年々高まり、もしかしたらその笑いも年々大きくなっているのかもしれない。
 友人の話を聞いていて、人生で一番楽しくておもしろかったことというのは、悲しみとか寂しさも伴っていることがわかった。
 でもそんな思い出を持っている友人が羨ましいと思った。
 私はこれからもっともっとたくさん面白くて、楽しくて、おいしい思い出ができると信じている。

 関係ないけど、『きらきら』と『けらけら』はちょっと似ている。

理想の夫婦

2014年02月26日 | 日記


 雪解けとともに、なにやら忙しくなってきた今日この頃である。
 毎日スケジュールを書き込んでいる卓上ダイアリーを見ていないと、今日は何の日なのかがわからなくなってしまう。
 夕方友人から電話があり、打ち合わせをしているうちに、すっかり今夜が点字の日だということを忘れていた。
 電話を切って、慌てて家を飛び出した。
 10分遅刻。
 そして1時間で表紙と奥付の2枚しか完成しなかった。
 タイトルと副題のバランスがちょっと難しくて、何枚も失敗してしまったからだ。
 ええ…2枚しかできなかった理由は、もちろんそれだけではありませんとも。
 皆とへらへら喋っていたからだ。
 前日の夜はある会議があり、私たちの会からは会長と副会長が行くことになっていた。
 ところが、副会長が時間になっても来なかったらしい。
「忘れていたんだって」
 違う会の代表として出席したたろみさんが言った。
 あ~他人のことだけ笑えない、私も危ない。
 食べ物が絡むとしっかり覚えているのだけれど。

 
 病院のティールームに毎日いらっしゃる80代のご夫婦がいる。
 奥様が病気で、ご主人が毎日午後からお見舞いにやって来るのだ。
 入院したばかりの頃から、奥様からご主人の話は聞いていた。
 独身時代、ご主人は3年間、雨の日も風の日も雪の日も毎日毎日、片道10キロの道を自転車で奥様の家に通ってきたらしい。
「でも、私は嫌いだったの」
 けろっと言う。
 でも両親が、それだけ熱心に結婚を申し込んでくれる人ならきっと幸せにしてくれるから…と言うので、仕方なく結婚したのだと。
 それから数日後にお会いしたご主人は、私たちの想像とは全然違うタイプで、私もりろ子さんも唖然としてしまった。
 この前も、私たちとご夫婦とでお喋りに花を咲かせた。
 りろ子さんも私も独身だと言うと、奥様はびっくりした。
 奥さんは、また3年間もご主人が通って求婚した話をした。
「私は嫌いだったんだけど」
 ご主人は言った。
「俺はこの人しかいないと思ったもな」
 ご主人は若い頃は山男で、北アルプスや南アルプスの山も登っていたそうだ。
 ある時は山の頂上からハガキが届いたこともあると奥さんが言った。
「頂上にポストがあるんですか?」
 驚く私に、あるあるとご主人。
「いいですね~それは宝物ですね」
 と言うと、奥さんは言った。
「全然、だって私好きじゃなかったんですもの」
 すると隣りでご主人は笑いながら胸を張って言った。
「そっだなことないべよぉぉぉ~」
 おおっ、この自信はどこから来るんだ…。
「でも優しい旦那様でよかったですね」
 そう言うと、奥様はご主人に手を合わせて
「本当に感謝しています」
 としみじみと言った。

 このお二人を見ていると、いいなあと思う。
 奥様が“好きじゃなかった”と言うのは、常に愛情を惜しみなく注いでくれるご主人を心から信頼し、安心して甘えているからだ。 
 何度も“嫌いだった”という言葉に、“そんなことないだろう”と笑って受け止められるのは、奥様への愛情に対する自信からくる余裕だと思う。
 ご主人はひとりでコーヒーを飲みに来る時にはいつも、奥様がこれまで自分のために、家族のためにどれだけ細やかな気配り、気遣いで生活してきたのかということを話して聞かせてくれる。
 そして、何度もありがたいと繰り返す。
 甘えて、甘えさせて、受け止めて、受け止められて、お互い感謝しあって最期の時を迎えようとしている夫婦の姿は、独り身の私とりろ子さんには羨ましい限りだ。
 更衣室に戻ったりろ子さんが言った。
「男は顔じゃないわね、安心してなんでも言えるような心の広い男っていうのが大切だったのねぇ」
 そうだそうだ。
「私とりろ子さんは、それに気づくのが30年遅かったわけよ」
 私が言った後、しばし沈黙の時間ができてしまった(汗)
 いえいえ、りろ子さんはどうか知らないが、私は決して面食いではなかったから、顔でどうこう言ったことは過去にもないのだが。 
 北アルプスのなんとか岳からハガキを送ってくれるような男性はもう現われそうもないが、せめて最期は優しくわがままを受け止めてくれて、私たちも感謝していると手を合わせることができるような人に巡り合いたいものだねと話しながら、独身女ふたりは更衣室を出たのだった。 

会談と怪談

2014年02月25日 | 日記
 時々 というかみぞれ

 昨日のこと。
 病院の更衣室に戻り、ロッカーから携帯を取り出すと、メールが届いていた。
 いず子さんからだった。
「こんばんは」
 見たのが5時だったので、あまり不自然に思わなかったが、よくよく発信時刻を見れば午後1時半過ぎ。
 その時間に“こんばんは”って…(- -;
 内容は、これから私の町へ行くのでどこかで会えないかなあということだった。
 すぐに
「今、病院終わったところ、今どこにいる?」
 いず子さんはまだわが町にいたので、町内のファミレスで待ち合わせをした。
 私が駆け付けると、すでにいず子さんは座っていた。
「今日は病院だっていうこと忘れてた」
 といず子さん。
 いやいや、本当は昨日は3時半で終了予定だったのだが、そろそろ店じまい…というところで話好きの常連さんがやって来て、4時半までいたのだ。
 しかも更衣室に戻ると、来月で定年退職するナースにひと言書いて、ナースに頼んで写真も撮ってもらうようにというメモがあって、病院を出るのが遅くなってしまったのだった。
 ふたりともお昼は食べていないということがわかったので、まずは食べようとかきフライ定食を頼んだ。

 話の内容は、来年度の講座のこと。
 先月ようやくお役所の会計監査が終わったと思ったら、4月には来年度の契約になる。
 まったく休む間もない。
 いつもは秋に開催している講座だが、秋にもうひとつ大きなイベントを抱えているので、来年度は6月から4カ月に渡って講座をすることになったようだ。
 私は久々に食べるかきフライにまんべんなくタルタルソースを塗りつけながら、東京から呼ぶという講師の略歴を
「ふむふむ」
 と聞いていた。
「で、申し訳ないんだけどあなたが受け持ってた講座」
「ああ、いいよいいよ」
 私はかきフライを口に入れ、満足げに頷きながら言った。
「去年は1日で5時間だったけど、2日で7時間担当して」
 げっ…
 私はてっきり私じゃない人を講師にすると思ったから、いいよと言ったのだ。
「5時間ひとりでしゃべるだけでも大変だったのに、7時間も何話すのっ!?」
 慌てる私に、ずずっとみそ汁を吸い込み、旨いと言いながらいず子さんは言った。
「大丈夫だ」
 なにが大丈夫なんだか。

 
 私はいず子さんには、昨年のうちに、病気が見つかって現在定期的に検査を受けているということは話していた。
 それは急に入院ということになったら、迷惑をかけるからだ。
 しかし来年度はほぼ1年を通して、ふたつのイベントの大金を管理する係をすることになる。
 そこであらためて、私の疑惑の病気についていず子さんに全部話をした。
 今日現在はこんな風に飛び歩いているけれど、夏前にはまた検査結果が出るということ、結果がクロだった場合には少なくとも2カ月は動き回ることはできなくなること…
 いず子さんは私の話に、ちょっとショックを受けていた様子。
「でも消えることもあるんだよね?」
「消えた可能性もあるし、もともと検査の日だけ病気だった可能性もある、でも見つかっていないだけという可能性もある」
 大丈夫だと自分でも思っているが、万が一の万が一ということを考えて、私が会計係を引き受けるにあたりあらかじめ了承を得ておきたいと言った。
 いず子さんは、わかったと言ってくれた。
 そして再び箸を動かしながら言った。
「ストレスが原因だね」
「うん、友だちにも言われたし自分でもそうだと思ってる」
 まあ、仕方がない。
 何事もないことを祈りつつ、せっかく私の力を認めてくれたいず子さんの期待に応えられるよう頑張りたいと思いつつ、かきフライ定食をきれいにたいらげた。

 目の前のお皿が片付いたからといって、話は終わらない。
 最初はまじめに私たちが所属している会の今後について話し合っていたのだが、そのうちだんだん話がそれて行った。
「亡くなった旦那さん、出てこない?」
 私はいず子さんに聞いた。
 いず子さんは自分にはそういう能力はないので、旦那さんが亡くなってから今日まで見たことはないと言った。
「だけど時々ふと感じることはある」
 いず子さんがテレビを見ている時、ふと旦那さんが横になっている姿が隣りに浮かんだりするのだという。
 実際に見えているわけではないと思う、ただ具合悪い時には横になってテレビを見ていたので、まだそこにいるような錯覚をしてしまうんだと言っていた。
「でもお茶を飲みに来る友だちで、茶の間を出たところの廊下にいるよと言ったり、仏壇の中から見てるとか言う人がいる」
 その人は、精神的にとても不安定な人なので、きっと夫は心配してあなたが来た時だけ出てくるんだからと言ってやったといず子さんは笑った。
 私は何度もいず子さんの家には行っているし、たまに仏間に行ってお線香もあげさせてもらうが、全く恐いと思った事がないので、その話を聞きながら、私はいず子さんのご主人には心配かけていないなと思った。
「でも、おばあちゃんは恐かった」
 なになにっ!?
 私は身を乗り出した。
「夢なんだけどね」
 とそう前置きしながら、いず子さんは言った。
 ご主人が入院してからの話。
 その頃、いず子さんは狭い部屋に布団を敷いて寝ていたそう。
 衣擦れのさっ、さっ…という音がしたので見てみると、足元のたんすと布団の間の狭い空間を、お姑さんが喪服姿でものすごい速さで行ったり来たりしていたという。
 わっ!
「それから違う日、目をあけたら、おばあちゃんが私の顔を覗きこんでいたのは恐かったなあ」
 わわっ!
 それは夢じゃないんじゃないか?
 いず子さん曰く旦那さん、つまりおばあちゃんからみたら息子のことが心配で、出て来たんじゃないかと。
「なるほどねえ」
 今回はドリンクバーは頼まなかったので、何度もコップに入れて来た氷をポリポリかじりながら話を聞いたのだった。

 とかなんとか話をして、さて帰るかと立ち上がったのは10時だった。
 かきフライ定食ひとつで4時間半。
 私は絶対に主婦相手の飲食業はするまいと思った。   

傍若無人

2014年02月23日 | 日記


 今日は町の商工会主催のこどものイベント。
 先日の打ち合わせの時に、お弁当の件で集合時間に迷いが起きたイベントである。
 昨夜のリハーサルで、お弁当は参加者分が用意されることがわかった。
 でも私は家で食べてから来ますと言っておいた。
「なぜなら、徹夜でフィギュアのエキシビジョンを見るからです!」
 夜明けに寝て、ゆっくり起きて、遅めの朝食をとれば、お昼は食べなくてもいいと思ったからだ。
 それを聞いた皆は
「また徹夜するつもりか…」
 と呆れていた。
 

 集合時間よりちょっと早めに会場に到着。
 駐車場で、私たちの後に演じるグループの人と会ったので、一緒に会場に入った。
 中はすでに人がいっぱい。
 階段のところに主催者側の人が“最後尾”の札を持って立っているのを見て
「1時集合って、スタッフだけですよね?」
 思わず確認してしまった。
 家族に連れられて集まったちびっこの間を縫うようにして、控室に到着。
 荷物を置くと、再びちびっこの行列の間をすり抜けるようにして、裏口から舞台に入った。
 スタッフに、すごい人ですねと言うと、午前中は400人だったという。
 当初の予定では午前と午後合わせて500名だった。
 午前の部で入りきれずに泣いて帰る子どももいて、大変な騒ぎになったらしい。
 入れなくて、そのままずっと午後の部を待っている親子もいるらしい。
 午後はさらに無理やり入れて、500名にすると言う。
 どうしてこんなに子どもが集まったのかというと、子どもたちの間で絶大な人気を誇っているテレビで有名なおじさんがゲストだからだ。
 これは町内はもとより、県内あっちこっちから噂を聞きつけてやってきたらしいのだ。
 2歳児から6歳児ぐらいまでが数百人ともなると、勝手気ままである。
 これだけの人数では、数百人の乳幼児全員をこちらに集中させようと思っても無駄なこと。
 私たちが演じていても、同じ幼稚園の子どもを見つけて
「○○ちゃ~ぁぁぁん、こっちこっちぃぃ」
 と大声をあげる子(なぜか、こういうのは小さい時から女児に決まっている)、何があったのかわからないが、母親に抱かれて背を仰け反らせて泣く乳児、始まってからトイレに走って行く子(これは男児に決まっている)と落ち着かないが、そんなことをいちいち気にしても仕方がないので、ただただ自分たちの演目をこなしていくだけである。
 

 おじさんは有名人でプロなので、いっさいの携帯およびカメラでの撮影は禁止だ。
「もしも撮っているのが確認された場合は、その時点でショーは終了させていただきます」
 の司会者の言葉に、さすがの若い親も慌ててスマホやカメラをしまうのだった。
「かわいいお子様たちが最後まで楽しめるように、撮影は絶対におやめ下さい」
 脅迫にも近い注意であったが、やっとおじさんに会えることになったのに、途中で終わったら子どもがどんなに嘆き悲しむか、と思ったのだろう。
 見事に誰ひとり写真は撮っていなかった。
 おまちかねのおじさんが登場すると、子どもたちの興奮も最高レベルに達した。
 出番を終えた私たちも、ホールの後ろに立ったまま見学。
 その間にも、女の子がちょこちょこやってきて
「この前幼稚園で見た~」
 とやって来る。
「××幼稚園?」
 と聞くと
「うん、さくらぐみ~」
 とお喋りをしていく。
 こういうのも男児は決して来ない、ほとんど女児だ。
 小さいときから、女の子は世間話にたけている。
 そしておじさんが、会場にいる子どもの中から何人かを選んで前に呼び出すと、自分じゃなかったといって床に突っ伏して泣くのも女児であった。

 自分の出番よりも、おじさんのショーを見る子どもたちの熱気にどっと疲れてしまった。
 いろいろ勉強にもなった1日であった。
 全てが終わり、子どもたちを見送り、持ち込んだ道具を片づけて帰宅すると、ぱったりと倒れてしまった。
 なにしろエキシビジョンを見て、睡眠時間が3時間だったし(汗)
 幸い、お昼に食べなかった分としてお弁当をいただいてきたので、夕食の支度をしなくてもすんだので良かった。