ゆきのひ 

雪の毎日 ぶつぶつ日記
  こころ新たに…

梅雨明け

2012年07月26日 | 日記

                  

 先日友人に会った時、
「去年の今頃、私は離婚のことで悩んでいたんだよね」
 と言った。
 離婚をするか、しないかではない。
 離婚をどう相手に言いだそうかということである。
「あれから1年か、早いね」
 と友人は言ったが、私にはもうずっとずっと前の事のように思える。
 
 この数カ月、私はある事でまた悩んでいた。
 私ひとりではどうしようもなくて、専門家の方に相談し、実行に移すためにあっちに行ったりこっちに行ったりして書類を集め、それはそれは忙しい思いをした。
 時には
「もうどうでもいい!」
 と放り投げ出したくなることもあった。
 でも周囲の人が、私のことを親身に考えてくれていることを思い出し、なんとか気持ちを立て直して行動してきた。
 それが今日の午前中に、無事に終結した。
 なにかとお世話になった叔母に、すぐメールで知らせたら
「お疲れさまでした。
 大変な思いを長い事抱えて、本当にご苦労様でした。
 偉い! ひとりでよくやり終えました!!」
 と返事をもらった。
 それを読んだとたん、どっと疲れが出て、しばらくぼーっとしてしまった。
「わたしゃ本当に偉いよ…」
 つくづく思う。
「今の私に必要なのは執事じゃない!
 若くて優秀でイケメンの顧問弁護士だよっ!」
 と何度叫んだことか。
(若くてイケメンが必ずしも必要かどうかはわからないが…)
 人生も半分以上過ぎたら、縁側で孫と花札してのんびり過ごすものかと思っていたが、なかなかそうはいかないものだ。
(もとより子どもがいないのだから孫もいないのだが)
 このトシになって、またずいぶんたくさんの勉強をした。
 苦労はしたけれど、その分新たにたくさんの方たちに出会って大きな力と励ましをいただくことができたし、これから困ったことが起きた時にも、必ずや私を助けていただけると思っている。
 頑張った人間は、ちゃんと頑張った分だけ幸せが訪れるんだと信じている。
 この前、
「私はひとりぼっちだ」
 と言った時、そうじゃないと言ってくれた友人の言葉も、大きな支えになってくれた。
 その友人にもメールをして、やっぱりお疲れ様のメールをもらった。

 偶然なのだが、まるで今日の出来事を祝ってくれたかのように、某氏からプレゼントが届いた。
 早速いただき、久々に穏やかな気持ちでティータイムを楽しんだ。
「あ~私はひとりじゃない」
 と実感できた幸せな1日だった。

 午前中、やっと東北地方も梅雨が明けた。
 明日から本当の夏。
 
 

山ドライブ

2012年07月22日 | 日記
 山は 霧雨

 昨日めちゃくちゃ腹立たしいことがあり、ものすごくどんよりしてしまった。
 今日は父の用事で仙台に行った。
 友人が午後からだったら空いているというので、遊んでくれることになった。 

 用事を終えた頃、ちょうど仕事が終わった友人が車で迎えに来てくれた。
「なに食べる?」
「お昼食べてないからなんでもいい!」
 それじゃということで、山の中にあるピザ屋さんに案内してくれた。
 昔分校だったという建物を利用しているお店で、何度かお店の前は通ったことがあったけど、中に入ったことがなかった。
 常日頃から古民家だとか、箱モノを目指してドライブしていることを知っている友人が
「絶対雪は気に入ると思う」
 と言って連れて行ってくれただけあって、入り口を見ただけで嬉しくてスキップしてしまった。
 懐かしい感じの木造校舎の元教室で、おいしいピザを食べた。
 友人も久しぶりの訪問だったようで、実はお店の経営者が今年の春から変わっていたことを知らなかった。
 でも、友人と前オーナーは古くからの知り合いだとわかると、お店の人が隣家に住む前オーナーの女性を呼んできてくれた。
「こちら雪さん」
 と私も紹介してもらい、ご挨拶。
 ちょこっと人間関係が広がって嬉しかった。
 オーナーのお嬢さんがフランス人と結婚したのだが、現在帰国中ということで、廊下ではその子どもたちが遊んでいた。
 お姉ちゃんと弟、もちろんハーフ。
「すっごく可愛いドレス着てるね」
 と話しかけると、お姫様ごっこをしている最中なのだという。
 とても人懐こいふたりで、どんなことをして遊んでいる最中なのか、持っているぬいぐるみがどんな役なのかあれこれ教えてくれた。
 可愛いお友だちと話ができて、これも嬉しかった。

「この先に日帰り温泉あるよね」
 私が言うと、せっかくだから寄って行こうと友人が言い、急遽温泉に入って行くことにした。
 まさかこんな予定になるとは思っていなかったので、今日の私は珍しくスーツ姿だったのだけれど…
 自分の車じゃないので、温泉セットも持っていなかったし…
 でも、そんなことで躊躇する私ではない。
 受付でタオルを買うと、早速浴場に向かった。
 近所に住んでいると思われるおばあさんたちと一緒に、山のぬるめのお湯に浸かっているうちに、前日までのもやもやしていた気持ちもちょっとずつ薄れて行ったような気がする。 
 明日からまた頑張るぞというやる気が溢れてきたのだった。

 久々に友人ともゆっくり話ができて、思いがけずドライブして温泉まで入ることができて、楽しい一日になった。

夏のごあいさつ

2012年07月20日 | 日記


 父から頼まれたお中元を頼みにデパートに出かけた。
 県外の親戚や知人には、さくらんぼをを送ってお中元に代えている。
 なので、お中元として送るのは近くに住んでいる方ばかりなのだが、父も現役を退いたということで、どっと数を減らすことにした。
 これまではファックスで注文していたが、数も減ったので、自らデパートに出向いた。
 お中元コーナーに行き、選んだ商品に付いているカードを持って、カウンターへ行く。
 各テーブルにはパソコンが置いてあり係の人が入力するのだが、その流れはすでに経験済みだ。
 こちらが言う電話番号を入力するだけで、パソコンの画面には依頼主の住所も名前も出てくる。
 そして、送り先の電話番号を入力するだけで、以前のデータがちゃんと出てくる。
 いやはや本当に便利な時代になったものだ。
 いつも父がお世話になっている山田氏(仮名)にも心ばかりの品をお送りする。
 係の人に山田氏の電話番号を告げると、ちょちょいと画面に山田氏の住所と名前が出る。
「おお、前回もこんなだった」
 私は前に山田氏にお歳暮を送った時のことを思い出した。 
 “山田鷹凡”
 名前の上にちゃんとふりがなまで出る。
 “ヤマダ タカボン”
 以前この画面を見た時のことは、大昔のブログにも書いたのが、何度見てもやっぱりおかしい。
 漢字で見ると不思議ではないのだが、カナで見るとやっぱり天才バカボンみたいだ。
 あの時は係の女性とふたりで画面を見つめたまま、固まってしまい
「バカボンさん…ですか?」
「いえ、違うと思います」
 と言ったまま、しばらく沈黙が続いたのだった。
 しかし結局他の読み方がわからないので
「これでいいのだ」
 と私が宣言して、そのまま送ってもらったわけだ。
 したがって、デパートのデータはず~っと“タカボン”のままだったらしい。
 今回の係の女性も画面を見て言った。
「ヤマダ タカボンさんですか?」
 私はもう固まることもなく、即座に言った。
「そんな感じです」
 すると係の人も言った。
「そんな感じですね」
 ふたりで大きく頷きあった。
 ようするに、私にしてもデパートにしても、間違いなくその住所に商品が届けばいいのだ。
 ということで、多少の申し訳ないという気持ちを感じつつも手早く手続きと会計を済ませ、デパートを後にした。
 はあ~やれやれ。
「山田さん、送り主は父ですから。
 入力したのはデパートの人ですから。
 娘の私は関係ないですから。」
 前回と同じ言い訳をしながら帰宅したのだった。

ひとり

2012年07月18日 | 日記


 相変わらず雑用続きの今日この頃。
 働けど働けど楽にならず、この夏はバッグが欲しいなとか、秋にはどこか温泉行きたいなと思ってやっと貯めたお金は簡単に人の手に渡り…
 暑さも加わりうつうつの毎日だ。

 おり子さんのご主人が亡くなって、今日で三七日だなあと思い、午後メールを送ってみた。
 するとすぐに電話。
「たった今、メールしたとこだよ」
 と言うと
「うん、読んだからすぐ電話したんだよ」
 そろそろ疲れが出る頃じゃないかと思っているのだが、ご飯も食べているし、薬を処方してもらったので夜も眠れると言うので、ちょっと安心した。
 実はここからが忙しいんだから…と言うと
「そうなの?」
 そうそう、ここからが諸々の手続きが出てくるのだ。
 凍結した銀行口座のことだとか、保険がどうたらこうたらと、しょっちゅう役所に行ったり、あっちこっちにハンコ押したり署名したり…それこそ雑用が多かったと思う。
 私の話にも、おり子さんは
「ふーん、そうなんだ」
 と言う。
「私目が見えないから、全然わからないの」
 そうなのか…あっちこっちから届いている郵便物も、彼女にはわからなかったのかと納得した。
 何も知らないということは気楽で良さそうに思えるけれど、何もわからないというのは本当は寂しいことだ。
 ぶつぶつ文句を言いながら事後処理に追われているうちに時間が経つのだけれど、おり子さんの場合それができないため、日中椅子に座っていると考えごとばかりしてしまうらしい。

「雪さんはずっとひとりで生活してるんだもんね、いず子さんもひとりで生活してるんだもんね、偉いなあ」

 私は最初から覚悟の独り暮らしだ。
 いず子さんの場合もご主人は病気だったけれど、でも告知を受けてから、残された時間を夫婦で大切に過ごすことができた。
 だから突然ご主人を亡くしたおり子さんとは、ちょっと違う。
 偉くもなんともないぞと私は言ったのだが、それでもおり子さんは何度も何度も
「雪さんひとりで暮らしてるんだもんすごいよ、いず子さんもひとりで暮らしてすごいよ」
 とずっとずっと繰り返す。
 よほどこれからの生活に不安を抱えているようだった。
「雪さんもいず子さんもひとりで頑張ってるんだもん、私も頑張らなくちゃ」
 と言うので
「頑張る必要はなし!」
 と言った。
「甘えられる人がいるなら甘えるべし!ひとりで頑張る必要はない!」
 おり子さんには娘さんたちもいるし、実のお姉さんたちも近くに住んでいる、してもらえることはしてもらえばいいのだ。
 私の場合は、そういう人がいないから、ひとりでやらざるを得ないだけなのだから。
 もちろんおり子さんが漠然と感じている不安がどんなものか、私にもわかっている。
 ひとり暮らしとは、食事や身の回りのことばかりではない。
 これまで夫の口座から引かれていた税金も保険料も光熱費も、全部自分の通帳から消えていく。
 夫の口座から月々の生活費をおろしていた生活のようなわけにはいかない。
 それに、たとえば昨年のような大地震が起きても、すがる人はいない。
 台風が来て家を揺らしても、大雪で屋根が潰れそうになっても、自分でなんとかしなければならない。
 まして体が不自由なおり子さんには心細いばかりだろう。
 でもそんなことばかり考えていても仕方がない。
 できることはできる範囲でやって、できないところはお願いしますと頭を下げればいいのだ。
「誰もいない時には私にひと声かけなさい」
 そう言ったのだが、おり子さんは
「でも雪さんもいず子さんもひとりでやっているんだもん、私も頑張る」
 と言うのだった。
「わかった、じゃあ皆で頑張ろう!」
「頑張る!」
 そう言って電話を切った。

 先週はいろいろなことがあって、自分の身の上をしみじみと思うことがあった。
 思わず友人にメールした。
「あ~私ってひとりぼっちなんだなあと思い知らされた」
 するとすぐに返事が届いた。
「なんでひとりぼっちなの?
 自分がいるじゃない」
 ああ、そうなんだと思って、思わず泣きそうになった私。
 ひとりじゃないよと言ってもらえるだけで、頑張ろうという勇気が出る。
 だからひとりで頑張ると言う人にも、
「私がいるよ」
 と言ってあげられる。
 助けて助けられて、支えて支えられて、甘えて甘えさせて、そうやってみんなで一緒に生きていくことができたら幸せだなあと思った。

歴史は霊とともに

2012年07月09日 | 日記


 某氏に、吉村昭の小説を読んでいると教えた。
 歴史の教科書ではたった1、2行で終わっている出来事が、本当はこんなことだったのかとこの年齢になって知ることができた。
 とはいえ、私の頭は土方様が亡くなった戊辰戦争で止まっているので、明治時代の話は登場人物の名前にも馴染みがなく、ものすごく難しかった。
 西郷とあるので西郷隆盛かと思いきや、西郷従道という人で、それは誰かと思ったら西郷隆盛の弟だったり、もしかしたらすごく常識的なことかもしれない知識すらなかった私には、いちいち驚くばかりだ。
 そのようなことを某氏に言ったところ、なんと彼も吉村昭の小説を読み始めたところだという。
「あ~それは北海道に連れて行かれた囚人の話ですね、ずっと前に読んだ」
 と言ったら、面白かったかと聞かれた。
 う~ん、面白いという言葉で言っていいものか迷うところだが、その本を読む前から、北海道の囚人道路やトンネルに霊が出るという話は知っていたので、その意味ですごく興味深く読んだし、悲惨な歴史に恐怖を感じたと話した。
 私に語らせると、どんな話もおばけの話に結びつく。

「あそこに○○山ってありますよね」
 前に、山が大嫌いな私が、登山が趣味の某氏にとてもマイナーな山の名前を尋ねたことがある。
 某氏はもちろんその山を知っていたわけだが、そこへ私が言う。
「あそこに昔、飛行機が落ちたじゃないですかぁ」 
 某氏はびっくりしたように私を見て
「いったいいつの話を…それって戦時中でしょう?たしかB29じゃなかった?」
「そ~そ~、あそこにねぇ…出るらしいです…アメリカ兵」
 とこのようにどんどん話がそっち系になるのを知っている某氏は、吉村昭の小説の話もそれっきり黙った。

 わが町のはずれを某国道が走っている。
 国道とは名ばかりで、いまだに未舗装のダートで、1車線しかないので車はすれ違うこともできず、しかもガードレールもないことから、酷道のひとつにもあげられているところだ。
 先週そこで、車が崖から落ちて、運転していた人が亡くなるという事故があった。
 土曜日のボラの会議でもその話になって、その道を通ったことがあるという人たちは、
「絶対通っちゃだめだって、自殺行為だって」
 とその恐ろしさを語っていた。
 私はもちろんそこを通ったことがない。
 以前、これまたネットで酷道と出ている九十九折りの砂利道の峠に知らずに入りこんでしまい、死ぬ思いをしたことがあるので、そのたぐいの道は絶対に行かないように気をつけている。
 それ以外に、実は大昔、知っている建設会社の社長さんから、そこは絶対に通っちゃいけないと注意されていたから。
「見なくてもいいものを見るから」
 何が出るのか、その時は聞きそびれてしまったのだが、その後私なりにその道の歴史を調べて、決して教科書には出てこない歴史を知った。
「たぶん、×××が出ると思われる」
 とおよ子さんに話したら、
「あ~じゅうぶん考えられる!」
 と言った。 
 私はそのテの話が好きなので、どこに出るとかいう話を結構聞き集めたのだが、聞いた後に
「どうして幽霊が出るんだ?」
 と自分なりに調べる。(あ~この探究心が勉学に生かされたら、違った人生を歩んでいたであろうに…)
 すると、必ずそこには悲惨な歴史があることがわかった。
 聞き集めた話は、絶対に旅のガイドブックには出ない所だし、その歴史も本には書いていないし、なぜかネットにもまだ出ていないものもあったりして、いつか『雪の百物語』でもしようかと思うくらいだ。
 
 春に保育園児のイチ(従妹の息子)に会った時
「ねえねえ、おばけの話してよ~」
 と私のところに来た。
 なにが、前に小豆とぎの話をしてあげただけで、顔を真っ青にしたくせに…と思ったが、私は早速披露してあげた。
「××にねぇ、幽霊が出るんだって」
「どんなの?」
「戦争中に死んだ、防空頭巾にもんぺのおかあさんと女の子」
 するとイチはへらへらと笑って聞いてきた。
「もんぺえとあとは誰?」
「………」
 この子はもんぺえという人だと思っている。
 考えてみれば、6歳児に防空頭巾ももんぺもわかるはずもない。
 わからないということは、恐怖心がないということだ。
 面倒なので、
「サダコみたいなの」
 と言った途端、目を見開き、顔を強張らせて
「イチくん、サダコ知ってる~テレビからにゅ~って出てくるんだよ」
 と言いながら、俯いて力を抜いた両手を前に突き出して、サダコのマネをした。
 サダコの何が恐いのか、私にはわからない。
 防空頭巾にぼろぼろのもんぺをはいた母娘の方がずっと恐いと思う。
 どうも恐怖には、年代差が大きく関係しているらしいことがわかった。
 かんがえてみれば、
「あそこの公園に石斧を持った原始人の幽霊が出るんだって」
 とか
「あそこで烏帽子をかぶった貴族の幽霊が蹴鞠をしてるんだって」
 と言われたら、私も恐いというより
「なんだって!」
 とデジカメ片手に家を飛び出して行きそうだ。

 恐い話を聞くということは、かつてその場所で何があったのかを知ることだと私は思っている。
 それがまた私にとっては魅力でもあるのだけれど。
 しかし今時のイチのような子どもたちに、私が知っている話が通じなくなりつつあるのかもしれないなあと思った。
 なんか淋しい…というか残念というか…いっきに年老いた感じ。

                
     (先週行った、遺跡公園。ここに土器を作る原始人の幽霊が出ると言われても恐くないかも…)