某氏に、吉村昭の小説を読んでいると教えた。
歴史の教科書ではたった1、2行で終わっている出来事が、本当はこんなことだったのかとこの年齢になって知ることができた。
とはいえ、私の頭は土方様が亡くなった戊辰戦争で止まっているので、明治時代の話は登場人物の名前にも馴染みがなく、ものすごく難しかった。
西郷とあるので西郷隆盛かと思いきや、西郷従道という人で、それは誰かと思ったら西郷隆盛の弟だったり、もしかしたらすごく常識的なことかもしれない知識すらなかった私には、いちいち驚くばかりだ。
そのようなことを某氏に言ったところ、なんと彼も吉村昭の小説を読み始めたところだという。
「あ~それは北海道に連れて行かれた囚人の話ですね、ずっと前に読んだ」
と言ったら、面白かったかと聞かれた。
う~ん、面白いという言葉で言っていいものか迷うところだが、その本を読む前から、北海道の囚人道路やトンネルに霊が出るという話は知っていたので、その意味ですごく興味深く読んだし、悲惨な歴史に恐怖を感じたと話した。
私に語らせると、どんな話もおばけの話に結びつく。
「あそこに○○山ってありますよね」
前に、山が大嫌いな私が、登山が趣味の某氏にとてもマイナーな山の名前を尋ねたことがある。
某氏はもちろんその山を知っていたわけだが、そこへ私が言う。
「あそこに昔、飛行機が落ちたじゃないですかぁ」
某氏はびっくりしたように私を見て
「いったいいつの話を…それって戦時中でしょう?たしかB29じゃなかった?」
「そ~そ~、あそこにねぇ…出るらしいです…アメリカ兵」
とこのようにどんどん話がそっち系になるのを知っている某氏は、吉村昭の小説の話もそれっきり黙った。
わが町のはずれを某国道が走っている。
国道とは名ばかりで、いまだに未舗装のダートで、1車線しかないので車はすれ違うこともできず、しかもガードレールもないことから、酷道のひとつにもあげられているところだ。
先週そこで、車が崖から落ちて、運転していた人が亡くなるという事故があった。
土曜日のボラの会議でもその話になって、その道を通ったことがあるという人たちは、
「絶対通っちゃだめだって、自殺行為だって」
とその恐ろしさを語っていた。
私はもちろんそこを通ったことがない。
以前、これまたネットで酷道と出ている九十九折りの砂利道の峠に知らずに入りこんでしまい、死ぬ思いをしたことがあるので、そのたぐいの道は絶対に行かないように気をつけている。
それ以外に、実は大昔、知っている建設会社の社長さんから、そこは絶対に通っちゃいけないと注意されていたから。
「見なくてもいいものを見るから」
何が出るのか、その時は聞きそびれてしまったのだが、その後私なりにその道の歴史を調べて、決して教科書には出てこない歴史を知った。
「たぶん、×××が出ると思われる」
とおよ子さんに話したら、
「あ~じゅうぶん考えられる!」
と言った。
私はそのテの話が好きなので、どこに出るとかいう話を結構聞き集めたのだが、聞いた後に
「どうして幽霊が出るんだ?」
と自分なりに調べる。(あ~この探究心が勉学に生かされたら、違った人生を歩んでいたであろうに…)
すると、必ずそこには悲惨な歴史があることがわかった。
聞き集めた話は、絶対に旅のガイドブックには出ない所だし、その歴史も本には書いていないし、なぜかネットにもまだ出ていないものもあったりして、いつか『雪の百物語』でもしようかと思うくらいだ。
春に保育園児のイチ(従妹の息子)に会った時
「ねえねえ、おばけの話してよ~」
と私のところに来た。
なにが、前に小豆とぎの話をしてあげただけで、顔を真っ青にしたくせに…と思ったが、私は早速披露してあげた。
「××にねぇ、幽霊が出るんだって」
「どんなの?」
「戦争中に死んだ、防空頭巾にもんぺのおかあさんと女の子」
するとイチはへらへらと笑って聞いてきた。
「もんぺえとあとは誰?」
「………」
この子はもんぺえという人だと思っている。
考えてみれば、6歳児に防空頭巾ももんぺもわかるはずもない。
わからないということは、恐怖心がないということだ。
面倒なので、
「サダコみたいなの」
と言った途端、目を見開き、顔を強張らせて
「イチくん、サダコ知ってる~テレビからにゅ~って出てくるんだよ」
と言いながら、俯いて力を抜いた両手を前に突き出して、サダコのマネをした。
サダコの何が恐いのか、私にはわからない。
防空頭巾にぼろぼろのもんぺをはいた母娘の方がずっと恐いと思う。
どうも恐怖には、年代差が大きく関係しているらしいことがわかった。
かんがえてみれば、
「あそこの公園に石斧を持った原始人の幽霊が出るんだって」
とか
「あそこで烏帽子をかぶった貴族の幽霊が蹴鞠をしてるんだって」
と言われたら、私も恐いというより
「なんだって!」
とデジカメ片手に家を飛び出して行きそうだ。
恐い話を聞くということは、かつてその場所で何があったのかを知ることだと私は思っている。
それがまた私にとっては魅力でもあるのだけれど。
しかし今時のイチのような子どもたちに、私が知っている話が通じなくなりつつあるのかもしれないなあと思った。
なんか淋しい…というか残念というか…いっきに年老いた感じ。
(先週行った、遺跡公園。ここに土器を作る原始人の幽霊が出ると言われても恐くないかも…)