ゆきのひ 

雪の毎日 ぶつぶつ日記
  こころ新たに…

100番

2011年03月26日 | 日記
 時々 

 震災以来初めて、車太郎にガソリンを入れて来た。
 こんな時に不謹慎だが、小さくガッツポーズ!
 もちろん容易にガソリンが手に入ったわけではない。

 昨日の夕方、いつものようにテクテク歩いて父の家に行くと、お隣りのおっちゃんに会った。
 ガソリンが無くなったので歩いていると話すと
「××スタンドへ行ってみろ、あそこなら必ず営業する」
 と教えてくれた。
 町中にもそれなりにガソリンスタンドはあるのだが、どこも“しばらく休業します”の札が立っていて、どこのスタンドが営業しているのかわからない。
 皆、どこかで聞きつけては、夜のうちから並んでいる。
「何時に行けばいい?」
 と尋ねると
「4時で十分」
 との返事だ。
「え~っ、4時ぃぃ」
「何言ってる、4時に行って7時には帰れるんだぞ」
 たしかに10時間待つことを思ったら、3時間待つだけですむならいい。
 しかも日中の3時間は無駄に思えるけれど、いつもなら寝ている時間の3時間は魅力的だ。
 とはいえ夏の4時じゃない。
 しかも天気予報で、すでに明け方雪の天気だということはわかっている。
 このままガソリンを節約して、テクテク歩いて、町の外には1歩も出ないで、ガソリンが普及するのを待つべきか…
 しかし、ここでガソリンを入れておくと便利なことは間違いない。
 悩んだ末、起きられたら行くことにして寝た。
 おっちゃんは4時と言ったが、週末ということを考えると、結構人が集まるかもしれないと思い、3時に目覚ましをかけた。
 そして…なんとみごとに3時に起きた。

 顔を洗っている間にお湯を沸かし、ウーロン茶をポットに詰め、本とニンテンドーDSをバッグに入れた。
 毛布と息子を抱えると玄関を出て、真っ暗い雪降る中をスタンド目指して車太郎を走らせた。
 スタンドは歩いても行ける距離なので、すぐ着いた。
 3時半。
 すでに車が並んでおり、ハザードランプが点いた車の後ろに停めた。
 私がハザードランプをつける間もなく、後ろにも続々と車が並ぶ。
「あ~3時半に来て正解だった」
 しばし暗闇でゲームをして、毛布を被って寝てしまった。
 5時半も過ぎると、空が明るくなってきたので、今度は本を読んだ。
 寒いが、どこでも眠れる私は、あまり退屈することもなく過ごせた。
 6時半過ぎ、スタンドの人が整理券を配り始めた。
 ドアを開けて挨拶をすると、膝の上の毛布に包まる息子を見て
「あらら、たいへんだったねぇ」
 と言ってくれた。
 受け取った整理券の番号、私は100番だった。
 暗くてわからなかったが、私の前に99台も並んでいたのかと驚いた。
 結局8時に私はようやくスタンドにたどりつき、ガソリンを入れることができた。
 さすがに以前より高い。
 それでも180円の噂も耳にしていたので、リッター156円はまあまあのような気がした。
 現在の状態では、たとえ200円でも買わないわけにはいかないギリギリのところだ。
 今日は一人3000円までということだったので、もちろん限度まで買った。
 おかげで車太郎は、久々に満タンに近くなったのだった。
(軽自動車なので、普通車より燃料タンクがちっちゃいから)
 
 帰宅して朝食を食べたところで、すでに起きて活動してから5時間半経っていた。
 普通なら昼ごはんだ。
 あ~疲れた。
 しかし窓の外の吹雪や、明日の天気予報を見ていると、やっぱり今日買ってきて良かったと思う。
 車をいつでも動かせるというのは、とても安心できるから。
 でも今日3000円分買えたということは、たぶん来週中には、どこのスタンドでも普通にガソリンを買えるようになるのではないかと思う。
 早くそうなって欲しい。
 まずはやれやれ。
 で、私はガソリンを入れたことで良しとせず、お天気が良い時にはテクテク運動を続けることにしようと決意したのだった。 

※今日のローカルニュース
  県内で一番大きい避難所に、民主党の幹事長がやってきたそうな。
  その数時間後に、自民党の総裁がやってきたそうな。
  さて、避難している方たちはどちらを支持しただろう?
  なぜ今日になって、しかも合わせたように同じ日にやって来たのか。
  
  県内某市で避難所になっている体育館のライトが原因でボヤになったそう。
  避難していた福島の消防隊員の方たちが消火作業をしてくれたおかげで、大事にはならずにすんだ。
  ありがたいことだ。

  それにしても避難している方たちも、なかなか落ち着かないことだなあと思った。

2011年03月24日 | 日記


 相変わらずガソリンは手に入らない。
 東北全体としては、徐々に入って来ているようだが、まずは被災地優先ということで、わが町のスタンドが通常営業するまでには、しばらく時間がかかるらしい。
 こうなったら、できるだけ車を使わずに生活するしかない。
 ということで、毎日テクテク歩いている。
 買い物も、銀行も、父の家までも。
 幸い我が家は町外れだけれど、その分大きな店が周囲に何軒かあるので、こういう時は便利だ。
 活字中毒者としては、本屋がないことが不満だが。
 主婦はいいけれど、やはりお仕事をしている男性は通勤が大変。
 同じ方向同士で乗り合わせて通勤したり、自宅に帰らないで会社に泊ったりしているらしい。

 それでも町は少しずつ動き始めている。
 昨日は久しぶりに、タクシーが走っているのを見た。
 今日は荷物が届いた。
 今月初めに通販で頼んでいたもの。
「あ~久しぶりに宅配便の方の顔を見たぁ!!」
 と思わず言ったら、笑われた。
 こんなことになるなら、もっといろんなものを頼んでおけばよかったと思う。
 生鮮食品以外のものを、今度いつ買えるかわからないから。

 仙台の街中では、少しずつ活気が戻ってきているらしい。
 某氏がメールでくれた情報によると、ガソリンを入れるために行列に並んでいたら、お弁当売りが来たそうだ。
 お茶付きで680円、どんなものだろうと試しに買ってみたら、豚のヒレソテーが結構美味しかったらしい。
 ガソリンを買うのに3時間待ちだから、皆もお腹がすくだろう。
 どんな所にもビジネスチャンスはあるものだと感心した。
(ちなみにわが町では、まだガソリンを買うのに10時間待ち)

 テクテク歩いていると、ちょっとしたお店にまで目が行く。
 車なら目的地に一直線だけど。
 チェーンのお菓子屋さんで、食パンが買えた。
 しかも制限なし。
 自分の分と父の分を買った。
 後で近所の人に聞いたら、そこではヨーグルトも売っているらしい。
 やっぱり足で得る情報は大事だ。

 スーパーには、仙台方面からの買い出しの人が来ていた。
 ものすごい量の食材を買っていた。
 ウインナー10袋、牛乳10パック…とか。
 個数制限がどうなっているのか私はわからないけれど、被災地から70km離れているこんな町まで来たのだから、たぶん認められたのだと思う。
 並んでいる人たちも、彼女を見ても、誰も何も言わなかったから。
 私たちはまた明日(と言わず夕方にも?)買いに来れば手に入るからね。

「やっぱりボランティアだよ!」
 日曜日、私はたろみさんに熱く語った。
 それを覚えていた彼女は、昨日、仕事の合間に避難所まで出向いてくれて、私の分もボランティアの登録をしてきたからと電話をくれた。
 ただし、
「市の係の人に聞いたんだけどね、難しいらしいよ」
 わが町の避難所では様々な問題が起きているらしい。
 それは決して報道されていないことだし、さすがの私もここに書くことはできない。
 たろみさんから電話を貰ったあと、およ子さんにも登録のことを電話した。
 そしてたろみさんから聞いた話を教えてあげた。
 ふたりでため息をついた。
 今回の災害が地震と津波だけじゃなくて、同時に原発事故が起きてしまったから大変だ。
 決して報道されることがない隣県も、いろいろなことが起きている。
 私はいったい誰のために、自分が持っている力を貸せばいいのだろう。

2011年03月20日 | 日記


 震災から10日目。
 ずいぶん生活が落ち着いてきた。
 元に戻ったという意味ではなく、皆が不便な生活に慣れてきたという意味で。
 まだまだガソリンが手に入らないため、出歩く人は少ない。
 けれど、スーパーでは数が少ないながら、いろいろな物が手に入るようになってきた。
 今日はトイレットペーパーもボックスティッシュも売っていた。
 一人1個の制限付きだが、必要がない人まで無駄に買うことがないせいか、結構残っていた。
 カップ麺もミネラルウォーターもあった。
 私はお米を買うことができた。
 皆必要な分だけ買えば、東京のようなパニックになることはないものだと思った。

 いつも買い物に行く時は、献立を決めて、それに使う材料しか買わないようにしていた。
 ところが震災以後は、とりあえず売っているものを見て、買える物を買うという生活。
 手に入った物を見ながら料理を作っている。
 豆腐も納豆もヨーグルトも手に入らず、うどんだ、パンだ、じゃが芋だと買っていると、なぜか炭水化物中心の食事になる。
 そのせいだろう、この非常時だというのに私はやけに血色がいい。
 体重も落ちない。
 皆に言ったら、同じだと言っていた。
 被災した仙台の友人も、内容は貧しいながら、むしろ以前より規則正しい食生活をしているとメールをくれた。

 昨日は図書館でいつものボランティア。
「こんな時に子ども来るんだろうか」
 ガソリンもないから車で子どもを連れて来るのも大変だろうし、灯油もないから図書館では暖房も消してあって寒い。
「誰も来なかったら、避難所にでも行った方がいいかもね」
 なんて話していた。
 ところが、20名ほどのお客様が集まった。
 幼稚園にいる時にいっぱい揺れたと話す子どもたちは、地震の恐怖に続く停電や寒さでストレスをいっぱい抱えていたことがわかった。
 お話を聞く時も、ぺったりと膝に乗ってきたりする。
 避難所で生活している人たちの支援も必要だけれど、町の小さな子どもたちの心のケアも大事だなと思った。
  
 寒い場所で避難生活を送っている人、一生懸命行方不明者を探してくれている人、道や町を補修してくれている人、そして命をかけて原発を守ろうとしてくれている人…
 私はテレビを見ながら、ただ頑張ってくださいとしか言えないけれど、まずはいつもしていることを完璧にして、それから自分ができることをできる範囲でしていこうと思う。
 とりあえず、わずかだけれど今日は義援金を送った。
 
(従弟は今、石巻の赤十字病院で医師として働いている。どうぞ従姉の分まで人様のお役にたっておくれ。) 

進む

2011年03月17日 | 日記


 3月だというのに、真冬並みの寒さ。
 大雪で、今朝は雪かきに1時間半もかかってしまった。
 どうせ出かける用もないし、寒いし…ということで久々に体を動かしてしまった。

 午前中、東京の友人から電話。
 地震直後に安否確認メールは頂いて返事はしていたのだが、その後音信不通でなにしてるんだか…と心配してくれた。
 食べ物はあるのかと聞かれたので、そっちほどはパニックになっていないと答えた。
「まったくすごいよ」
 と言いながら、彼女も買占めしたらしい。
 どうしてそういうことをするんだと聞いたら
「だって放射能が恐いもん」
 と言いながらある提案をしてきた。
「うちの息子、明日中学の卒業式で、その後暇なのよね。
 テレビで見たけど、原発の避難所もできたんでしょ?
 ボランティアで使えないかな、息子とそのグループ」
 息子さんがあんまり毎日ぐだぐだしているので、被災地を見ろ!と昨夜一喝したらしい。
 で、彼女のことだ、きっと
「あんた雪ちゃんところに行って働いてきなさい」
 とか言ったのだろう。
 気持ちは大層ありがたい。
 しかしまず東京からこちらに来る術がほとんどないに等しい。
 鉄道はストップしたままだし、長距離バスも動いているのかどうかわからない。
 15歳の少年たちにはかなり難しいだろう。
「町の避難所でどんなボランティアを募集しているかわからないし、もしその要請があった時にはお願いします」
 と言って、その熱いお気持ちだけをいただいた。

 午後、仙台のひらめちゃんから電話。
「ちょっと聞きたいんだけど、パニック症候群について教えて」
 前に話を聞いたことがある、彼女のお隣に住んでいる独り暮らしのおばあさんが、地震以来不安定になっているのだという。
 市の福祉課からは誰か来たらしいのだが、
「お隣さんがいるから安心です」
 とだけ言って帰ってしまったらしい。
 水とか津波に対して、反応するらしい。
 パニック症候群と言えるのかどうかわからないが、今回の出来事でかなりの精神的ダメージを受けたのだろう。
 私だって時間と共に恐怖心が出てきているくらいだから。
「こんな時だから、病院へ行ったところで治療はしてもらえないと思う」
 と私は言った。
「本当なら私が行ってあげられるといいんだけどねぇ」
「無理だよ~雪さんの町までバスが開通したじゃない。
 仙台に足止めされていた人たちが、仙台脱出するのでものすごい人だよ~。
 たぶん乗るのに1日待ちみたいだよ」
 そうなのだ、私が行っても帰ってこれない。
 かといって、まだライフラインが復旧していないひらめちゃんの家に泊って迷惑をかけるわけにもいかない。
 専門外だからわからないけど、とりあえず考えられる方法を話した。
 それにしても偉いなあ。
 自分の家の水道もガスもまだ通っていないのに、隣りのおばあさんの心配までしている。
 大学生の息子さんは、ボランティアセンターまででかけたらしい。
 まだバスが走っていないので歩いて行ったらしいが、行くだけでどれくらい時間がかかるだろう。
 
 仙台市内の被害状況はテレビでもしないのでわからないのだけれど、私の知らないところで、確実に、少しずつ少しずつだけど動き出しているみたいだ。
 まずは自分たちで頑張る!という姿を垣間見たようで嬉しかった。
 皆が被災地の人たちのことを祈り、そして自分にできることを考えていることが嬉しかった。

諸々

2011年03月16日 | 日記


 町じゅうから車が消えている。
 いよいよガソリンが無くなったせいだと思う。
 どこの家にも車は停まったまま。
 夕方、いつもならものすごい渋滞の道路も、ほとんど走っていない。
 かといって路線バスなどない町。
 通学電車も運休したまま。
 皆どうして過ごしているのだろうと思うくらい、町中は静まり返っている。
 
 昨日電話があったらん子ちゃんから、夜になってメールが届いた。
 ご主人と無事連絡が取れたとのこと。
 義妹さんと一緒に避難していたそう。
 町の半分が消えてしまった状態の中で助かったことに、私もほっとした。
 膨大な数の行方不明者がいるけれど、まだまだ人知れず避難している人はいるはずだ。
 今家族と安否が取れないと言っている方たちも、あきらめずにいてほしいと思う。
 たくさんの人が、1日も早く家族と連絡が取れますように。

 県内にも避難所が設けられ、続々と県外からの避難者を受け入れ始めているが、もっとも多いのが、原発から避難して来ている人。
 理由として考えられるのは、やはりガソリンだろう。
 少しでも遠くへ逃げたい、それも家族や親せきやペットも連れて…となると自家用車になるが、ガソリンがない。
 こちらには親戚も知人もいないけれど、残っているガソリンを全部使ってたどりついたのがここだったという人がローカルニュースのインタビューに答えていた。
 検査を受けて、避難所になっている寒い体育館に入り、炊き出しの食事をもらった人が、皆ほっとした笑顔で
「おいしいです」
 と言っているのが印象的だった。
 ところが予想外の避難者に、避難所は毛布が不足しているという。
 というのも、地震発生直後に、各市町村で備蓄していた毛布を、地震の被災地に送ってしまった後だから。
 知人は今日、避難所に毛布を届けてきたという。
 私もなにかしてあげたいのはやまやまだが、いかんせんそこまで行くガソリンがない(涙)
 ひとつひとつ、少しずつでも改善していくことを願うばかり。

 ご心配のメールをいただいておりますが、私は食べ物は今のところ大丈夫。
 これを機会に少しダイエットしたらと言われそうだが、かえって充実した食事をしているくらいだ。
 なにしろ暇ですることがないものだから。
 独り暮らしということもあり、大量な食材を必要としていないせいもあるが、ちょこちょこスーパーに行くと、東京のようなパニック状態を見ることもなく、最低限のものがひとつずつ手に入る。
 なにより、現在こちらでは宅配便を送ることはもちろん、届けてもらうこともできなくなっている。
 各社取り扱い中止になっているから。
 お米がないならホットケーキを食べればいいじゃない…という私はどこぞでギロチンにかけられた王妃(汗)
 でも、今日は卵が手に入ったので、たぶん近々ホットケーキを焼くと思う。

 皆さまの暖かいお心づかい、感謝いたします。
 宅配便の取り扱いが始まりましたら、遠慮なくいただきます