ゆきのひ 

雪の毎日 ぶつぶつ日記
  こころ新たに…

大晦日

2011年12月31日 | 日記


 昨日は友人と我が家で忘年会。
 午後に到着の予定だったが、事故のため高速道路が閉鎖になったとかで、途中のICでおろされて、来たのは5時だった。
「夕食にはちょっと早い?」
 と尋ねたら、ひっぱりうどんのために、朝は少なめに、昼は抜いたというので、すぐに食事会にした。
 といっても私の手料理。
 煮ていた黒豆、野菜の煮物、キッシュもどき、それに芋煮を作っておいた。
 そしてもちろんひっぱりうどん!
 納豆とサバ缶を用意した。
 友人はまた運転して帰るので、飲み物はノンアルコールのビールと梅酒(ノンアルコールで梅酒というのも変)を開けた。
 メニューは地味だが、量だけは用意した。
 ぺちゃくちゃ話しながら食べ終えたら8時。
「もう温泉してない?」
「いや、9時まで入れるはず」
 というので、凍結したツルツル道路を私の車で温泉まで行った。
 さすが30日の夜は、温泉に来ている人も少なく、露天風呂はふたりだけだった。
 木の枝の雪を見つつ、空にかかる月を見つつ、ゆっくりと温泉に浸かることができた。 
 帰り道、スーパーを見つけた友人が
「なにか果物買って行こう」
 というので、途中下車。
 果物の盛り合わせ…のみならず、お菓子とダイエットコーラまで買って帰宅した。
 で、こたつに入って食べながら、またまた話に花を咲かせた。
「明日朝から行かなくちゃいけないとこあるんだよ~」
 なんて言いながら、ふたりでコタツに足を突っ込んだままごろっと横になったのはもう日付けが変わろうかという頃。
 で、何を話していたのかすら覚えていないまま…寝てしまった。
「今何時っ!?」
 友人が飛び起きたのは3時半(汗)
 ばたばたと友人は帰って行った。
 幸い昨夜は雪が積もらず、友人が帰る頃は道路も凍っていなかったのでよかった。
 というわけで、私はそれから忘年会の後片付けをしたのだった。
 でも、久々にゆっくり1年を振り返ることができて楽しい時間を過ごすことができた。

 午後は八幡様へ行ってきた。
 我が家では昔から、初詣ではなくて大晦日にお参りに出かける。
 前年のお正月に飾ったしめ飾りや破魔矢、熊手や古いお札やお守りなどを持って行くと、元旦からお焚き上げをしてくれるのだ。
 それに年末に八幡さまから人形(ひとがた…人の形に切ってある紙)が届くので、それで体を撫でて息を吹きかけて持って行く。
 いつも夕方に行っていたけれど、結構道が混むので、今日は早めに出かけたのだが、すでに何人かの人が来ていた。
 お参りをすると、正面にお護符の豆が袋に入って置いてあるので、それをひとりひと袋いただいて帰って家で食べる。 
 これが我が家の大晦日の習わし。
 八幡様から帰ると、やっとのんびりできる。
 煩い母がいるわけでもないし、しないからと言って誰に何か言われるわけでもないのだけれど、小さい頃からそう教えられてきたので、大晦日にすることをしないと気持ちが悪いのだ。

 今日は珍しくおみくじをひいてみた。
 結果は“吉”だった。
『これまでの歩調で堅実に努力を積み重ねていけば平安な日々が保てます…多少の不運はあっても、大きく見ると幸福な時だといえましょう』
 なるほど、多少は何かが起こるというわけだ。
『縁談は相性大吉。早めにまとめること』
 おおっ!
 で、早めにまとめた方がいいと言うその縁談はどこにあるのだろうか?
 そこまではおみくじには書いていなかった。

 今年は本当にいろいろな事があった。
 3月11日の大震災。
 正直、今でも私は電車に乗ると胸がドキドキして胃が痛くなる。
 大きな揺れの中で、乗っていた電車が脱線するんじゃないかという恐怖を今も体が覚えているから。
 あの日消えたものがたくさんあった。
 私は4月に見た被災地の夕焼けを忘れない。
 でもあの日私は、たくさんの人たちから優しさもいただいた。
 たくさんの人たちに助けられ、支えられて、今日無事大晦日を迎えることができた。
 全てのことに感謝をして、来年は私がたくさんの人たちを助けることができるような人間になりたいと思う。 

猫の手も借りたい

2011年12月28日 | 日記


 さすが年末。
 私でも慌てる年末である。

 昨日は早朝から隣県まで出かけなければならなかった。
 朝4時半、起きて窓の外を見たらすごい積雪。
 普段なら3時間ぐらいかけてのんびり雪の片づけをするところだが、その半分の時間では自分の車が出るカーポート前しかきれいにできない。
 しかも9時半の電車に乗るために7時に家をでなければならない。
 朝はラッシュでものすごい時間がかかるのだ。
 電車に乗った時には、すでに起きてから5時間。
 目的地到着前にすでにぐったりだ。
 もちろん帰宅しても仕事は待っている。
 朝そのままにしていた雪を片づけなければ。
 計ってみたら、積雪15cm。
 泣きそうだったが、泣いても誰もしてくれないのはわかっている。
「今夜片づければ明日の朝楽になるんだから」
 自分に言い聞かせて、スコップ片手に暗い中10時まで働いた。
 庭の雪を全部片付けて家に入るなり、ばったり倒れた。
 久々に喘息の発作まで起きて、死ぬかと思った。
「あーもう若くないのよ、私」
 “来年は無理しない”という目標が決まったところで、長かった1日を終えた。

 そして今日、起きてみたらまたまた雪が積もっていた。
 しかも前日は来なかったのに、今朝は除雪車がやってきた。
 というわけで6時半前からまたまた1時間半雪かき。
 でも、前日頑張っていたので、かなり楽だった。
 あらためて、偉いぞ私…と自分を褒めたのだった。

 本当なら日中はぼーっとごろ寝をしていたいところだが、そういうわけにはいかない事情ができた。
 急に明後日、友人が遊びに来ることになったのだ。
 秋にわが町の温泉に来て、すごく気に入ったらしい。
「年末もやってるのかなあ」
 と聞かれたので、大晦日も元日もやっていると教えてあげたところ、行きたいと言ってきた。
「それはいい考えだ。
 寒さに強張った体に温泉は最高だよね~」
 とのんびり答えたら、
「温泉に入って、ひっぱりうどん食べたい」
 うがぁ!
 お店にないメニューじゃないか。
 それってやっぱり我が家で食べるということですか(汗)
 というわけで、急遽大掃除を決行することのなったのだ。
「ばっちくても新しい年はやって来るもんね」
 なんてぼけっとしていたら、ここに来て大慌てだ。
 でも、わざわざ隣県から来てくれるのは嬉しい。
 それは自分が大雪の中出かけたことで、その苦労がよ~くわかるから。
 だからせっかく来てくれるのだから、精一杯おもてなしをしてあげようと思った。
 というわけで、今日から黒豆を煮る準備も始めたのだ。
 いくらなんでも、ひっぱりうどんだけじゃねぇ…と思ったもので。
 あとは、今年はこたつは出さないつもりだったが、さすがにお客様に我が家の寒さは厳しかろうと、予定を変更することにした。
 我が家に来たために、風邪で寝正月になっては申し訳ない。
 さーて、明日はフローリングのお掃除をすることにしよう。
 あ、その前に年賀状…(呆)    

サンタさん来てください

2011年12月24日 | 日記


「恋人がサンタクロ~ス♪ 本当はサンタクロ~ス♪」 
 などと鼻歌まじりで夕食の支度をしつつ、
「じゃあ恋人がいない者にはサンタクロースが来ないのかい…」
 ということに気付いた私。
 そんな私の夕食は、焼き魚と芋の煮っころがしという、サンタクロースも通り過ぎてしまうようなクリスマスとは無縁のメニュー。
 ケーキだけは忘れずに用意した。
 
 昨日お隣の奥さんに聞いた話。
 生きた帆立をいただいたのだそう。
 食べきれなかったので、発泡スチロールのケースに入れたまま雪の中に埋めて、2日後に出してみたところ、貝が口を開いたまま閉じなくなっていた。
「これは子どもたちには食べさせられないな」
 以前牡蠣に中ったことがある奥さんは、もちろん自分もこれはだめだと思った。
 となれば、食べるのはだんなさんしかいない。
 一応
「貝が口を開けたままなんだけど、死んでるのかなあ」
 と聞いてみたところ、だんなさんは
「貝なんて死んで売ってるんじゃないか」
 と答えた。
「よぉ~し、言ったな!」
 ここで余計なことを言って食べないと言われると困るので、よく火を通せばいいかと、殻ごと火にかけてみたところ、半開きだった貝が、パカッと口を開いた。
「な~んだ、弱ってただけか」
 バター醤油で味をつけた帆立は、その夜のだんなさんのおかずの一品になった。
 もちろん、だんなさんだけである。
「だいじょうぶだった。だんなは翌日も元気元気」
 奥さんは笑顔で言った。
「ところで、死んだ貝を売ってるってどういうことだと思う?」
 と聞かれたので
「殻を外して中身だけ売ってるのは死んでると思うけど」
 私がそう言うと、助手のおねーさんが噴出した。
 よく考えてみれば、死んでると思うどころか間違いなく死んでるだろう。
「ああ、だんなが言うのはそういう意味だったのね」
 だんなさんの勘違いで、帆立がごみにならなくて良かったなと私も思った。
 もちろんだんなさんが救急車で運ばれるようなことにならなくて良かったなとも、隣人として安堵したのだった。

 しかし世の中のだんなさんはたいへんだ。
 ボランティアで一緒のOさん宛てに、郵便物が届いたのだという。
 差出人は女性だが、全く記憶にない名前。
 Oさんは郵便物をだんなさんに渡すと
「これ開けてみて」
 と言ったそう。
 そしてその直後、家族全員…両親、娘夫婦、孫二人に向かって
「爆発するぞ!避難しろ~っ!」
 と叫んで、皆で隣室に逃げたという。
 結果は爆発はしなかった。
 中身は、とある新興宗教の雑誌で、その後の調べで高校の同級生が、名簿を頼りに学年全員に送りつけていたものだということが判明した。
「いや~よかった」
 Oさんは笑いながら言っていたが、もし本当に危険な郵便物だったら、だんなさんはどうなっていたことか。
 本人はそんなつもりはないのかもしれないが、世のだんなさんは実は知らないところで命をかけて家族を守っているものなんだなあと、皆の話でわかった私だった。 

 ところで、昨日の夕方、買ったシラスが消えた。
 今朝の朝食で“しらすおろし”を食べたかったので、買ってきたのだ。
 帰宅して冷蔵庫に入れようと思ったら、なぜかしらすだけがない。
 もしや父の家に忘れてきたのだろうかと、わざわざ戻って台所を見てきたがなかった。
 スーパーのかごの中に残して来たのか?
 いやいや、たしかに車の中でマイバッグに鎮座しているしらすのパックを見た。
 では車の中で転げ落ちたのかと車内も探したが、ない。
 どこへいってしまったのか、しらす…
 仕方がないので、再びスーパーまで買いに行った。
 しらすはいまだに行方不明のままである。
 時が過ぎた頃に戻ってこられても困るのだが。
 もしや明日の朝、枕元にしらすがあったりして…。
 サンタさんには来て欲しいが、しらすはもう食べたのでいらないのだ。

親孝行

2011年12月19日 | 日記


 夜は父の年賀状のあて名書き。
 もちろん自筆ではなく、印刷であるが、それでも結構面倒。
 年々枚数は減っている。
 今年のお正月に届いた年賀状の中から、家族が亡くなったという喪中のハガキが届いた分を探し出す。
 父の年齢なので、友人本人が亡くなったという喪中のハガキも多く、その分は住所録を削除。
 中には
「年老いたので新年のご挨拶は本年限りにさせていただきます」
 の添え書きがある年賀状も多く、その分も住所録から削除。
 考えてみれば、今時の年賀状は宛名も印刷のものばかりだ。
 父の年齢で、パソコンが使える人がいるとも思えない。
 ということは、私が父の年賀状を作るのと同様に、父に届く年賀状も、息子や娘、嫁が作っているに違いないのだ。
 知らぬ者同士で年賀状のやり取りをしているようなものだ。
 父は書かないくせに届くハガキは楽しみにしているし、友人知人には父の生存確認証みたいなものなので、
「もう来年から年賀状は書かないからねっ!」
 とぶつぶつ言いながらも、孝行娘は150枚の年賀状を仕上げたのだった。
 これで明日郵便局に持って行けば、ゆっくり年末を迎えられる。
 自分の分は、今年はぐっと減らした。
 裏面は印刷済みなので、ゆっくりぼちぼち書けばいいだろう。
 このお正月までは連名だったが、今年は私の名前だけ。
 なんだかやけにすっきりというか、妙に潔さを感じる年賀状だ。
 新年早々、
「おめでとうございます。
 昨年離婚してひとりに戻りました」
 という年賀状を手にするのは、どんな気持ちだろうなどと考えてしまう。
 めでたいのか、めでたくないのか…
 ということで、とりあえず離婚を知っている人優先で送ることにしよう。

 数日前、Oさんが
「これから喪中のハガキを出さなくちゃいけない」
 と言っていた。
「これから?
 もう年賀状の受付をしているというのに!?」
 年賀状をもらった人に、寒中お見舞いを出せばいいんじゃないのと教えてあげた。
 それで大丈夫かとOさんが心配そうに聞くので、最近そういうハガキも届くよと言った。
 今年の1月には、友人から
「父が亡くなり年賀のご挨拶を失礼いたしました」
 という寒中お見舞いが届いた。
「あら…お父様亡くなったんだ」
 と思いつつ、よくよく見れば、亡くなったのは5月。
「おいおい…半年以上も前でしょうが。
 喪中のハガキ書けたでしょうが」
 と思ったり。
 類は友を呼ぶというものだ。

 りろ子さんから
「クリスマスの予定は?」
 と聞かれた。
「な~んにもない。
 きっと普通のご飯を食べて、ケーキ食べて終わり」
 私が言うと、りろ子さんも
「ひとりでワイン飲んで寝ちゃう」
 と言った。
 連休だというのに寂しい話だ。
 何も予定がないなら、大掃除するべきじゃないかと思うのだが、そういうことはしたくない。
「だって皆が楽しんでいるんだもん、私だって楽しみたいもん」
 というりろ子さんの意見に、私も1票を投じたのだった。
 今年は大掃除はしないかもしれない。
 りろ子さんは言った。
「大掃除とか言って気がもむのも31日までだよね。
 1月1日になったらいつもの日常じゃない」
 そうだそうだ。
 あ~類は友を呼ぶ。
 こうして、テレビで“金正日死去”の番組など見つつ、クリスマスにはどこのケーキを何個買うかと相談する独身二人の今日の午後だった。

クリスマス会

2011年12月18日 | 日記


 昨日の朝は、この冬初の雪かきをしてしまった。
 たいした量ではなかったし、天気予報が外れて、日中おひさまが出たので溶けてしまったけれど。
「長い冬の始まりです」
 友人に雪かきしたことをメールしたら、返事が届いた。
「冬の中に春があるんだよ」
 ああ、そうなのか…と感心した。
 考え方を変えると、ちょっと気分が明るくなるものだなと思った。

 今日は養護施設のクリスマス会に行ってきた。
 2年ぶりかもしれない。
 しかしこの施設にいる子どもは皆、私が授業で出かける小学校に通っているので、名前はわからないけれど見知った顔ばかりだし、子どもたちの方も私が誰なのかわかっているので、あまりよそよそしくない。
 初めて施設に行くというNさんに
「早く行かないと満席になっちゃうから、早めに行きましょう」
 と声をかけ、30分前に到着した。
 結果、一番乗りで、いちばん前の中央の席に陣取ることができた。
 ちょっと遅れて会長もやってきて、並んでへらへらおしゃべり。
 そのうちあっという間に体育館はいっぱいになった。
「ここ、養護施設ですよね?ここにいるのは父兄なんですか?」
 Nさんが不思議そうに尋ねるので、そうだと答えた。
 現在いる子ども50名のうち、いわゆる孤児はひとりもいない。
 ほとんどが家庭内虐待を受けて、福祉事務所が間に入ってやってきた子どもだと聞いている。
 だから、1年で一番大きな催しのクリスマス会となると、父兄は大勢やってくるのだ。
 
 小さい子どもが大好きな私は、いつも幼児のダンスを見ると涙が出る。
 今日も最年少の2歳の女の子が一生懸命踊っているのを見ているうちに、目がうるうる。
 いつも絵本を読んであげている子どもたちと年が変わらないのに、片や母親の膝の上で甘えて、片やどうしてここで生活しなければならないのだろうと思うと胸が痛む。
 傍をちょろちょろ歩いている3、4歳の子どもを指して
「私、ああいう子を見ていると、母親の気分になります」
 会長に言った。
「でもよ~く考えたら、母親じゃなくておばあさんの年齢かもしれない…私(涙)」
 会長は、
「早い人は45ぐらいで孫いる人いるからね」
「人生100年と言われているけれど、考えてみると女は人生の半分をおばあさんと呼ばれて過ごすワケですね」
 私が言うと、会長はため息をついた。
「私も子どもたちから、『先生は昔っからおばあさんだったね』って言われてる」
 複雑な気持ちで幼児を見つめて目を潤ませてしまった。

 会長は職員ではないけれど、ほとんど内部の人間なので、入所している子どもたちの情報は全て把握している。
「あの女の子、IQが×××なんだ」
 近くにいた少女を指差して会長が言った。
「え~っ!すごいじゃないですか!」
「あそこにいる○○も頭がいい子なんだ」
 会長がいう方を見ると、めがねをかけた高校生の男の子が立っていた。
 小学生時代に会っているはずだが、すっかり少年になっているので思い出せない。
「どうしてこんなにいい子たちが親に虐められなくちゃいけないのかねえ」
 会長が呟いた。
 と、私は会長の方を向いて言った。
「私言わなくちゃいけないこと、あったんです。
 私離婚しましたっ!」
 会長は目を丸くしたままのけぞって、危うく椅子から落ちるところだった。
「なんでまた!
 どうしてこんなところでそんな話を…」
 そうそう、そこそこ。
「いやあ、そんな頭がいい少年なら養子に欲しいわ…と思ったら、私独身だったと気づいたわけですよ」
 里親には独身者はなれないという決まりがある。
 それ以前に里親の年齢資格で落ちかけているが…(汗) 
 まさか今日そんな話を聞かされるとは思わなかったと、会長はかなりショックを受けていたので、
「大丈夫ですって」
 と慰めてあげた。

 帰る時、廊下で、久しぶりに大野君に会った。
 彼が小学校生の時から
「かわゆい」
 と気にかけている男の子で、今は中学生になっている。
 本名は忘れた。
 嵐の大野君に似ているので、勝手に“大野君”と名付けていることを本人は知らない。
 中学生になってむさくるしくなっていたら嫌だなあと思っていたのだが、はにかむ笑顔が変わらず可愛らしくてオバサンは安心したのだった。
(いくらなんでも、大野君から見て私はおばあさんじゃないだろう)
 養子にもらうなら、頭がいい子もいいけれど、大野君がいいなあと浮かれつつ、お土産にケーキをいただいて帰ってきたのだった。