ゆきのひ 

雪の毎日 ぶつぶつ日記
  こころ新たに…

今日は踊りの先生

2014年08月28日 | 日記
 一時 

 この秋、私達にとっては大きなイベントがある。
 他の県の人達にも集まってもらい、1泊2日で開催される。
 1日目の夜は交流会があるが、その席で各県ごとになにか余興を出していただくようにお願いしている。
 もちろん、主催者である私達も披露するわけだが、わが県としてはとてもベタだが、一番最後に出席者全員に参加してもらって民謡を踊ることになった。
 ということで、今日の勉強会は踊りの練習。
 いつもは勉強会にはなんやかやと理由をつけて出席しない私だが、実行委員のひとりとしては、みっともない踊りを披露するわけにはいくまいと出かけた。
 R子さんが、幼稚園から借りてきたというCDを流して、いざ始め!
 ところが皆さん、かなりいいかげん。
 歌と踊りが全然合っていない。
「違いますよ~」
 と言って、私が出ていった。
 踊るのは小学校の運動会以来だけれど、意外と体が覚えているものである。
「いきなり動き出すのではなく、最初は『うん』と一拍置いてからです」
「だらだらと続けて踊るのではなくて、次の動きに行く前にぴっ!と動きと止めるときれいに見えます」
 と指導。
 私を先頭にして、皆で部屋の中で踊った。
 Zさんが言った。
「わからないから、ひとつひとつ教えてよ」
 そう、Zさんは視覚障がい者なのだ。
「みんなは見ながら覚えられるけど、私は見えないんだからねっ」
 ごもっともです。
 まず足の動きだけ教えてくれと言われたが、足だけと言われると難しい。
「えーと…最初は8回その場でかかとだけあげてトントントン…それから、左、右、左、右…左後ろ、右後ろにいった足をそのまま前に…」
 その後手の動きをしたが、微妙な動きをうまく伝えることができない。
「もっと簡単に教えられないのっ!?
 『炭坑節』みたいに、『掘って、掘って、また掘って…』とか言ってくれないと困るわ」
「うー…炭坑節の踊り知らないもんで…(汗)」
 大勢の他県の方たちの前で踊る以上、恥ずかしい踊りは見せられないと完璧を目指して苛立つZさんであった。
 結局、適当でいいのではないかということになった。
 R子さんが、
「よその県の人達なんて当日いきなり踊るんだから、完璧なんて無理なのよ。
 要は楽しく踊るってことじゃない?」
 とZさんを説得してくれた。
「でも、みんなは見えるからいいけど、私なんて見えないから、くるくる回っていると自分がどっちの方を向いてるのかわからなくなるの」
 ごもっともです。
 そこで、踊り少し変えた。
 前を向いたまま後ろに進むというのが障がい者には意外に難しいとのことだったので、その部分はその場に立って手だけ動かす、宴会場でくるくる回るのも障がい者には危険ということで、手に持っているものを頭上で振るに変えた。   
 実際に踊ってみて、我ながらなかなか良い振りつけではないかと満足。
 
 民謡は15番まであって、実際に踊ってみたら10分弱もかかった。
「疲れる~、長すぎ~」
 皆からブーイングが出たが、ただひとりKさんだけが
「そんなでもないと思う」
 と言った。
 では、そこは当日の雰囲気で最後まで踊るか途中で切るかを決めようということになった。
「でも、いきなり曲を流して他県の人に踊れと言っても無理よね」
 Mさんが言った。
 そこでまず最初に、私とR子さんにステージで踊って見本を見せろと言う。
「ゆかた着たら?」
 というMさんに、R子さんは、そんなもんは持ってないと言った。
「いざとなったら、宿の浴衣を着ればいい」
 え~っ、やだよ私は…(汗)
 大勢の前で舞台で踊らされるだけでも恥なのに。

 まだまだ実行委員としては仕事があるのだけれど、まずは余興が確認できてよかった。
 雀百まで踊り忘れず…百まで覚えていられるか自信はないが、少なくとも私はこの年まで小学校で教えられた踊りを完璧に覚えていたことにびっくりした一日であった。
 さあてこれから、いかに美しく踊れるか(←自分だけ…)を秘かに研究し練習するとしよう。

2014夏

2014年08月25日 | 日記
 のち 

                        

 昨日は仙台の友人の車でお祭りに出かけた。
 友人は一昨年に引き続き2回目。
 宿泊先も一昨年と同じ旅館に予約しておいた。

 昼過ぎにわが家を出発し、まっすぐ宿へ行った。
 チェックインして荷物を部屋に置き、しばしゆっくりお茶など飲んだところで駅に向かい、ローカル線で町まで行った。
 駅から叔母の家までは、屋台を覗きながらのんびり歩いた。
「アイス!アイス!」
 昔からお祭りの時に出るアイス屋さんを見つけて、乳脂肪分ゼロの4色アイスを舐めながら歩くのも、お祭りならでは。
 叔母の家には、従妹が1歳の長男を、従弟夫婦が11か月の長女を連れて帰省していた。
 わいわいがやがやという中で、早めに夕食会。
 初めて会う従弟妹たちの子どもだったが、泣かれることもなく、私は持参した“ぴょんぴょん蛙”を進呈すると喜ばれた。
 友人が
「今でもそんなの売ってるの?」
 と聞くので、私が作ったんだよと言うと、皆が驚いた。
 2枚のボール紙をセロハンテープで止め、切れ込みに輪ゴムを渡しただけのおもちゃだ、そんなの驚くほどのものではないが。
 1歳児はこの程度のものでごまかせるので助かるが、来年以降はお祭りのお小遣いをあげなければならなくなる。
 結構な出費だ。
 従弟のお嫁さんは岸和田の出身。
 叔母が
「どんじりの時に必ず食べるごちそうってあるの?」
 とすまして言った。
 すかさず従妹が
「それを言うなら『だんじり』でしょ」
「いや、言わんとしていることはわかった」
 と私は言ったが、従弟は
「それにしたって『どんじり』って…」
 友人はフォローすることもできず、もくもくと食べていた。
 短時間でぱぱっと食事を終えると、また歩いて駅まで行き、叔母が買っておいてくれた観覧席で宵祭を見学した。
  
       

 今年はあまり暑くもなく、お祭り見物には最適だった。
 町内ごとの山車にそれぞれのお囃子が付くが、それぞれ微妙に曲調が違う。
 友人は4曲聞きわけることができたと言った。
 今年はなんだかさっぱり系というか、小粒のイメージで、やたら狐の登場が多かった。
 なんだか年々現代的になっていくねと叔母と話したが、友人は
「今年もおもしろかった」
 と喜んでくれた。

             

 叔母や従弟妹たちと駅前で別れ、また電車に乗って私と友人は旅館へ戻った。
 部屋にはもうお蒲団が敷いてあった。
 お腹もいっぱいだったし、疲れていたので、温泉に入ると早々と寝た。

 今朝は早起きして、バイキングの朝食に行った。
「絶対取り過ぎてはならぬ」
 と気をつけたはずなのに、なぜかついつい皿に取ってしまう。
 でも決して私だけではない。
 同じテーブルに初老のご夫婦が座っていたが、ふたりのトレイには私に負けないくらいいろいろな皿が並んでいた。
 しかもテーブルには、ジュースと牛乳とコップもいっぱい並んでいた。
「絶対普段は家であんなに食べないよね」 
 朝からもりもり食べるのも、旅の醍醐味かもしれない。
 食後も温泉に入ったり、敷きっぱなしの布団でゴロゴロして、チェックアウトぎりぎりまでのんびり過ごした。
 帰り道、
「あそこの道の駅のすいかソフトは美味しい」
 と私は呟いた。
「ソフトクリームっていうと飛びつくよね」
 友人は呆れたように言ったが、お店に寄ってくれた。
「こっちこっち…ここで食券を買ってカウンターに券を出す」
 すっかり慣れている私が案内して、すいかソフトを手に入れた。
 最初は胡散臭そうな目で見ていた友人だが、一口食べて
「これ、おいしい!」
 と叫んだ。
「でしょーが…ソフトクリームにはうるさい私が美味しいと言うのだから美味しいに決まってる」 
 農家のおばちゃんが作ったという“とびたけおこわ”を見つけた。
「あ~とびたけだ!知ってる?見つけると嬉しくて飛びあがるというとびたけだぞ」
 友人は知らないというので、二パック求めた。
 わが家に到着すると、早速とびたけおこわを食べた。
 これまた最初は疑いの目で見て
「半分でいいからね」
 と言っていた友人だが、食べ始めると
「やっぱりひとパック、全部食べる」
 ときれいにたいらげたのだった。
「でしょーが、食べることなら私に任せなさいって、美味しいものは知っているんだから」
 と私は胸を張った。
 友人は、叔母が作った芋煮汁がとても美味しかったと何度も言ってくれたので、叔母にあとで伝えておかなくちゃと思う。
 美味しいものをいっぱい食べて、従弟妹たちにも会えたし、子ども達の顔も見られたし、楽しい夏祭だった。
 これで今年の夏も終わり。

                    
  
    

嵐のあと

2014年08月24日 | 日記


 今日はおでかけなので、朝早くから洗濯して掃除もすませる。
 そして朝のうちに昨日のことも書いておく。
 
 昨日は午前中父の施設に面会に行った。
 帰宅すると、郵便受けに回覧板が入っていたので、早速お向かいの家に届けに行った。
「雪ちゃん、お茶飲んでって」
 とお誘いを受け、素直な(またの言い方は図々しい)私はお茶だけでなく、煮物やら漬けものやらお菓子をごちそうになってしまった。
「昨日の雨はひどかったね」
 前日の嵐の話になった。
 結構大きな雹が降りましたねと言ったら、お向かいの奥さんは雷ばかり気になって、空を見ていたから、雹には気づかなかったと言う。
「パチパチ音がしてるとは思ったんだけど」
 地面を見たら、石が跳ねてるのでなんだろうと思ったの…と私が言うと、自分も空だけじゃなくて地面も見れば良かったと言った。
「絶対停電になると思ったから、懐中電灯とラジオの用意したんです」
 と私が言うと、お向かいの奥さんが
「みんな同じこと考えたんだね」
 やはり広島の大災害の最中だから、皆心配になったようだ。
「でもどこかは停電になったみたいですね」
 私が言うと、奥さんが被害のことを教えてくれた。
 停電になったのはK町を中心にした地区で、S地区の家の屋根が吹き飛んで、そのトタンが電線を直撃したため停電になったらしい。
「2階に避難していたら突風で屋根が吹き飛んで、びしょ濡れになってたいへんだったらしいよ。
 近くに車を停めていた人は、数メートルのところまでトタンが飛んできて、ギリギリのところで車が無事だったって」
 え~っ、知らなかった!
 まさかわが家から1キロのところで、そんなことになっていたとは!
 しかもS地区といったらおよこさんの家のある所だ。
 大雨になったら、まずはおよこさんの家に避難しようとと考えたばかりだったのに…
 ということで遅ればせながら、およこさんにメールしてみた。
 およこさんは仕事から帰ると家が停電になっていて、何でだろうと思ったらしい。
「今朝の新聞で停電の理由がわかってびっくり!どこの屋根が飛んだのかもわからず、のんきなものです」
 さすが肝っ玉が据わっているおよこさんだと感心すると同時に、何事もなく安心した。
 とここまで書いている最中、仙台の友人からメールが届いた。 
「突風被害、今知りました。大丈夫だった?」
 ありゃ、仙台でもニュースになったのか。
 大丈夫だったと送ったら、すぐにほっとしましたのメール。
 心配して、心配されて…皆助け合って生きているなあと実感。

 父もさすがに前日の雨と雷には驚いたらしい。
 私は、こういう時こそ施設に入れてもらえて本当にありがたい、よかったと心から思う。
 でなかったら、私はあの嵐の中、夜も家は大丈夫かと見に行かなければならなかった。
 父は相変わらずであった。
 先日従兄と電話で話をして、父の姉である伯母とも話をしたことを教えた。
 思ったよりもしっかりした口調であったし、村の出来事などもよくわかっていたので驚いたが
「ママはどうしてる?」
 と聞かれて、私は一瞬黙ってしまった。
「パパですか?」
「いんや、ママだ」
「…」
 母は死んだと言うと、伯母はあ…と言って黙ってしまった。
「今年十三回忌です」
 その後しばし沈黙が続いてしまった。
 その話を父にすると
「姉さんもぼけたな」
 と笑った。
 そして、本家の兄貴はどうしてるんだろうと言った。
「…本家の伯父ちゃんは20年も前に死んでるよ」
 高齢者との会話は台本のない漫才だ。

 独り暮らしの実母のところに毎日のように様子を見に行っているというNさんは、しょっちゅう
「ばあさんったら…」
 とぶつぶつ言っている。
「この前なんて、帰る時に『明日は忙しいから来れないかもしれない』と言っておいたのに、夜になって電話をよこして『なんで今日は来なかった』って言うのよ」
 昨日のうちに、来れないかもしれないって言ったじゃないとNさんが言うと、90歳のお母さんは
「『来れないかもしれない』ということは『来るかもしれない』ということだ」
 と返してきたそうだ。
「どうしてこういうところだけ頭がまわるのかしらねえ」
 まあいずれも明日は我が身だ。

ハザードマップ

2014年08月22日 | 日記
 のち 

 広島の土砂災害のニュースを見ている。
 雨が山を崩し、家を押し流し、押しつぶし、住んでいた町を泥沼に変えてしまった様子を見て、津波と同じだと思った。
 
 ニュースを見ている間にも亡くなられた人の数は増えていく。
 まだ行方不明のまま安否がわからない人も大勢いる。
 なんとか助かって欲しいと思うものの、天気は一向に回復せず、このままでは二次災害も心配だ。
 自然災害に対して、人間は本当に無力だということは震災で十分わかっていたはずなのだが、また今回あらためて思い知らされた。
 
 今日は午前中はとてもお天気が良くて、朝干した洗濯物もお昼過ぎにはからりと乾いたのだが、夕方から天気が急に変った。
 近所のスーパーに買い物に行き、花屋で花を買っていると、お店の人が
「さっきからゴロゴロいってますね」
 と言った。
 窓の外を見ると、雨。
「いつの間に!」
 帰宅したところで、ものすごい雨が降って来た。
 雨だけではない。
 暴風。
 それに雷。
 ビカビカ光ると同時に、家が揺れるほどの大きな音。
「これは停電になるかもしれない」
 懐中電灯の用意をし、携帯電話も充電しながら、早々と夕食の用意をした。
 と、窓からパチパチ音がするのに気づいた。
「あ~いよいよ家が壊れてきたのか?」
 と思いながら窓の外を見ると、地面の石が跳ねている。
「ん?」
 よく見れば、石ではなくて大きな雹!
 暴風で飛ばされた雹が窓にパッチンパッチンあたる音だった。
 夕立ちは昔から夏の風物詩だが、最近のお天気は私が子どもの頃には体験したことがないようなことばかりだ。
「大雨・洪水警報」
 のメールが届いたので天気予報を見たら、雷警報に合わせて竜巻注意報まで出ているではないか。
 広島での救助活動を見ている最中だ。   
 いったいどの段階で避難すればいいのかと真剣に考えてしまった。
 わが家の辺りは大丈夫だったが、やはり町では落雷のよる停電の地域がでたらしい。
 おそろしや…と呟きつつ、去年町から配られた洪水のハザードマップを、引き出しの奥底から引っ張り出して見てみた。
 ハザードマップによると、わが家はぎりぎりのところで、堤防の決壊による氾濫の予想浸水地域から外れているが、だからといって安心はできない。
 絶対に大丈夫だなどとは言えない。
 危険だ。
 あらためて避難所を確認すると同時に、その時にはまずおよ子さんの家に逃げ、そこも危険になったらたろみさんの家に避難することにしようと決めた。
 遠い町の災害とは思わず、いつ何時我が身にも起こるか分からないと考えて、備えておくことは大切だと思った。
 それにしても、よくぞハザードマップを捨てずに取っておいたと、われながら感心した。

                          

 まだ広島は雨が降るみたいだ。
 一刻も早く、行方不明の方がご家族と会えますように。
 お天気が回復しますように。

高校野球やら怪しい話やら

2014年08月19日 | 日記


 午前中、たろみさんの車でAさんの家に荷物を取りに行った。
 玄関先で荷物を受け取ったら、すぐに辞するつもりだったのに、Aさんが
「あがってお茶飲んで」
 と言うので、お言葉に甘えてお邪魔してしまった。
 通された客間はすでにクーラーで冷えていて、心地い空気で満たされていた。
 そこにAさんは、アイスコーヒーとケーキを持ってきてくれた。
 あーくつろぐ。
 さらに図々しく、
「甲子園…」
 と呟く私とたろみさん。
 優しいAさんはテレビをつけてくれたので、3人で高校野球観戦をしてしまった。
 今日はわが県の高校の試合だったのだ。
 全然期待していなかったので、初戦も9回のところしか見ていなくて、“勝った”ということしかわからないような状態。
 私だけじゃなくて、たろみさんもAさんも似たようなものだった。
「誰出てるんだろね」
「町の子、出てるんだろーか?」
「このピッチャーの子、どこの子?」
 と全く無知。
 帰宅してからネットで調べたら、プロ野球からも注目されているらしい投手だったが、そんなことは観戦時点では知らない。
 コーヒー飲んで(しかもお代りまでして…)ケーキを頬張りながら、
「今のはストライクでしょーがっ!」
「走れ~っ!」
 と叫ぶのであった。
 お隣の部屋で静かにテレビを見ていたご主人は
「また妻のところに変なのがやってきた…」
 と思っていたことだろう。
 テレビの前の私達の声援が功を奏したとはとても思えないが、見事勝ち、しっかり校歌まで聞いたところで、ようやくソファから立ち上がったのだった。
 すぐ帰りますから…とか言っていながら1時間半も長居をしてしまった。

「このあと用事ある?」
 とたろみさんが聞くので、何もないと答えた。
 ちょうどお昼時間になったので、ランチを食べて行くことにした。
 中学の同級生のCちゃんの娘さんがしているお店に案内した。
 食べながら、あれこれ話が弾む。
「昨日、あんまり肩こりがひどかったからマッサージに行って来たんだよ」
 と教えた。
 たろみさんの家の近所なのだが、そんな治療院があることは知らなかったと言う。
 たろみさんはずっと前に体が痛かった時、町中の治療院に行ったことがあるそうなのだが、そこは予約制ではないので、行くと老人が列をなしているのだそう。
「新しく誰かが入って来ると、一番最後の人が手をあげるの。
 そしたら、新しく来た人がその人の隣りに座ってって、患者が自主的に順番作るんだ」
 ほほお…、私は感心して聞いていた。
「大通りにあるマッサージ店知ってる?」
 たろみさんが聞いてきたので、私はあそこじゃないかと言った。
 駅前の通りに、いつの頃からかマッサージ“らしき”店ができたのだ。
 肩コリでマッサージ店を探していた時、当然その店も私のチェックには入ったのだが、なんとも入りにくそうな雰囲気だったので、候補から外していた。
「そうそう、なんか入りにくそうな店だよね」
 同意したたろみさんだが、たろみさんの友人がある時、ものすごい腰の痛みで行ってみたのだと言う。
 椅子に座って話をして、ただそれだけだったのに、
「はい、じゃあ立ってみてください」
 と言われたのだそう。
 すると座るのもやっとだったのに、すくっと立ち上がることができて、さらにさっさと歩くこともできるようになっていたそうなのだ。
「うわっ、それ何? もしかして“気”とかいうやつ?」
 私はなんだか行ってみたくなった。
「でもね、それ以来…変なんだ…その友だち」
 たろみさんと話をしていても、急に
「あなたこれこれ、こうでしょ?」
 なんてことを言いだすそうなのだ。
「言われたこと、当たってるの?」
 半信半疑でたろみさんに聞いたら、大きく頷いた。
「あたってるのよぉ」
 それ以外にも、たろみさんの職場に来て
「神棚がヤバイ」
 とか言ったり、上司の顔を見て
「あの人ヤバイ」
 とか囁いて言ったりするので、たろみさんとしては、これまで全くそんな事を言わなかった人だけに、どう対応していいのかわからなくて困っているらしい。
「げっ!そのマッサージに行って、それこそ“ヤバイ”もの貰って来たんじゃないでしょうね」
 私は言った。
「私の知っている人ね、体調が悪いって言ったら、××(町はずれ)の神様って人のところに連れていかれたんだって。
 そうしたら先祖の霊が憑いてるとか言われてお祓いしてもらったらしいんだけど、それからかえって体調が悪くなって、耳鳴りがするだの、体が震えるだとかふらふらするとかで仕事もできなくなって大変だったんだから!
 私が『それは更年期のウツだから病院に行きなさい』って知ってる精神科の先生を紹介して、貰って来た安定剤飲んだらすぐに治ったんだよ」
 私の話に、たろみさんも
「うえぇぇぇっ…」
 と言った。
「ちょっと、雪さん行ってみてきてよ」
「いやだよ、肩コリ治してもらいたいのに、変なモノに憑かれたりしたくない」
 私は言った。
 たろみさんが行って、おもしろそうだったら私も行ってみると言ったら、たろみさんも普通の治療院へ行くからいいと言った。 
 田舎の小さな町でも、私たちが知らないようなことがいろいろあるものだ。
 他にもあれやこれや、いろいろな話をして、ゆっくりしたランチタイムを過ごした。
 先日のイベントのお手伝いの謝礼がわりだと言って、食べたパスタセットのお代は、たろみさんが払ってくれた。
 帰宅したらもう2時だった。
 なんだかわからないけど、今日も満足の一日を過ごすことができた。