暘州通信

日本の山車

◆谷口與鹿 白山樂臺

2005年12月23日 | 日本の山車 谷口與鹿
◆谷口與鹿 白山樂臺
弘化四年
惠比壽臺の改修と併行して東山にある白山神社の神樂臺の建造が始まっていた。白山神社では初めての屋臺で、與鹿は彫刻を担当することになっている。惠比壽臺が完成すれば、すぐそちらに合流しなければならない。
そこへ、石橋臺改修の依頼が持ちこまれた。白山の神樂が竣工した後は、八幡の屋臺である下一ノ町上組の金鳳臺の修理にかかる予定である。本町下の應龍臺の受注が決まった後だった。しかも、施主は着工を急いでいた。
とても受注に応じられない。
弘化五年(一八四八)は、二月二十八日に改元され、宋書の「皇享多祐嘉楽永無式」
にあやかり嘉永と名付けられた

惠比壽臺は立派にでき上がった。

曳き綱に曳かれて、屋臺蔵を出る惠比壽臺を、一目見ようと人が群がったが見た人は一様に感嘆の声を放った。
黒塗りの見送り枠に収まった見送りは、左右に並び立つ長臂人、長股人によって一段と引き立った。この彫刻を見た子供が、思わずおおきな声で「てなが、あしなが」といったが、このよびかたが、この屋臺を親しみのあるものにし、すっかり馴染みふかいものになった。




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