吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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兵庫県相生市の宇麻志神社と蘇我氏 No132

2010-08-03 00:50:26 | 日記
蘇我氏についてこのブログでいろいろと考察しているが、
ネット検索で兵庫県相生市矢野町小河(おうご)の宇麻志神社の祭神が
蘇我馬子だという情報を得た。
http://www.aioi-city-lib.com/bunkazai/den_min/densetu/15.htm
この宇麻志神社は元は宇麻子神社だったという。
馬子は読みでは宇麻子とも書ける。
また『播州赤穂郡祭礼式大略』によると
宇麻志神社を大避神社と称していたそうである。
この大避神社は兵庫県にいくつもあるとのことだ。
一般に大避神社は秦氏と関係がある。
蘇我氏と渡来系の繋がりは深いが
蘇我氏系聖徳太子と秦河勝の関係は良く知られている。
またこの近くの兵庫県揖保郡太子町鵤には聖徳太子ゆかりの斑鳩寺がある。
もともと斑鳩というのが蘇我氏由来の地名であると、
このブログの「蘇我氏と鳥」で
http://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/4e7657843be39bba94d64646612b6905
述べているが、以下の蘇我氏考察の「蘇我氏と三光の紋」で
http://reyline.web.fc2.com/soga/soga.html
蘇我氏が妙見信仰と日月星の星辰信仰をもたらしたと考察した。
兵庫県赤穂市坂越には大避神社と妙見寺が同じ山に並んである。
これら宇麻志神社や大避神社や妙見寺に熊本八代や千葉に残るような
蘇我氏ゆかりの日月星(北斗七星)に玄武のマークが無いかを調査したいと思っている。

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7 コメント

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すべてお見通し? (はいせ)
2020-08-24 23:44:33
本当に何でもお見通しですね。
さくら様が返信されていたように、実は今週、仕事で名古屋に行くことになっており、その後、四天王寺でお会いする約束をしています。まあ、和邇宮ご参拝が主目的なのですが・・・。
それでその翌日はさくら様は予定があるそうなので、私は一人でどっか行くのかな~と思ってました。暑いのに・・・。そういえば昨年も8月2、3日で広峯神社や六甲姫神社、仁和寺、広隆寺などご参拝しています。宝冠弥勒を拝観し、百合の花が印象的でした。

こちらの記事から名古屋の味鋺神社が気になりました。

ご紹介の宇麻志神社近くで気になったのは、犬塚五輪塔、磐座神社ですが、犬塚五輪塔⇒宇麻志神社⇒若狭野古墳が一直線上に並んでいるように見受けられます。

宇摩志麻遅命といえば物部の祖で、Wikipediaでは『饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。』と記載されています。吉田様が提示された『媛社神社の社稷神祭祀』の悠紀殿、主基殿の出雲の祭祀に繋がるような気がしました。
本記事のリンク先が切れているのも気になるし。
実は馬子の「子」から殷の血統?とも思っていましたが。

実は、今はすっかり復調したらしいのですが、実家の母が油山寺ご参拝以降、歯痛・首痛・肩痛に悩まされていたらしく、私は全く元気なのですが、周りの人に来るのは本当に嫌ですね。でもやらねばならない時もあるのです。十分注意してコトに当たりたいと思ってます。
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復活! (はいせ)
2020-08-25 00:52:36
切れてたリンク先と思われるリンクを見つけたので貼っておきます。いろいろ興味深い伝説ですね。
相生市の伝説(15)蘇我馬子と入鹿淵
http://www2.aioi-city-lib.com/bunkazai/den_min/den_min/densetu/15.htm

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吉田一氣 (はいせ様への返信)
2020-08-26 12:57:23
まだまだ暑いので体調管理にはお気を付けください。
ところで上記の主目的という和邇宮とはどこの事なのですか?
和邇で私が知っているのは天理の和爾坐赤阪比古神社とかですかね。
熊本では和仁氏 奈良では和珥氏がいます。
でも和邇という文字にはとても引き付けられます。
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和邇? (さくら)
2020-08-27 18:41:44
和邇は宝珠をもたらすので、オニに変化させられているのかもしれないです。
針間の鵲荘斑鳩寺の聖徳太子像と久留米の篠山神社の聖徳太子像と一緒だと以前書いて、、
そこから、色々と丹波篠山と久留米の篠山神社の事を知り得ましたが、、
一度、カササギと鳩の記事で、訂正をかけました。
斑鳩寺の聖徳太子像が見つけられないと。
斑鳩寺の近くに、太子山があります。
祖の太子山に、久留米の篠山神社にある聖徳太子像とほぼ一緒のものがありました。
これを観て、久留米と有馬と赤松の関係が紐解けたのでした。

ところで、記事の文章の最後に書かれている
※兵庫県赤穂市坂越には大避神社と妙見寺が同じ山に並んである。
これら宇麻志神社や大避神社や妙見寺に熊本八代や千葉に残るような
蘇我氏ゆかりの日月星(北斗七星)に玄武のマークが無いかを調査したいと思っている。

そうですか・・・この文章は全く気がつかなかったことでした。
どうも、坂越ということで心情的にややこしいのだろうと想い、気が向いていませんでした。
赤松円心は、小郡に菩提寺だったと思います。
この小郡は、吉備のヒメコソ神が隠れていると予測しています。
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秘中の窗を開ける (さくら)
2020-09-11 15:42:13
最近ですね。私事なのですが、息をするように「嘘」をつく人物と接触する機会があり、辟易していました。
なぜか、日本の将来が真っ暗な気がしました。
自分のミスや貴方の思いやりのない狭小な心であるのに、それを全て他人やモノ・機械の故障のせいにするという・・・それも、さらっと言ってのける。実際、機械は故障していないのに、、、
こんな性格悪い人(おばさん)が社会で働いているのかと思うと、暗い気持になり、関わっている事象と関係あるのかもしれないと・・書き残しておきます。
世の中、勘違いして正義を振りかざす輩が多いのですが、その言動を見て、
私は一切関わらないと線引きできて、好都合です。

とりあえず、秦河勝の墓とか言われている「生島」について書いていきます。

坂越に大避神社があり、そこから、海を渡る神事が行われます。規模の大きな、お金のかかる神事なのですが、くじで「頭人」を決めます。
この「頭人」になったら、、、大変です。
謹んでお受けいたします・・・と言っていますが、私はその重責に涙目ではないのか?と思いました。
そのような感じで「大避大明神」を向かいの生島から運びます。その際に、舟を漕ぐ人を先導するのは、白い顔でお化粧した「私のイメージ河勝もどき」「ジョーカー」のように見えました。それは、祭りを面白くするために、盛り上げるために顔を白く化粧するらしいのです。
芸能の走りということなのでしょう。
しかし、秦河勝が逃げてきて、ここの古墳に眠っているという説は、おかしいと地元の人が言うのです。
看板には、河勝は蘇我入鹿の迫害から逃げるためにこの地に来たと書かれています。
蘇我氏がアクモノ(悪者)「飽波」になっています。
でも、潮の関係で、蘇我氏から逃げたのなら、和歌山の方面に船は流れるので、、、
あの蘇我入鹿から逃げてきた話しは「嘘」だろうと言っていました。
秦河勝=大避大明神とされていますが、、、
多分ちがうのです。
古文書・本朝皇胤紹運禄によると、生島の古墳に祀られているのは、「豊彦王」となっているらしいのです。
どこにも載っていない「豊彦王」になります。
大避神社の上に妙見寺があります。
そこは、地元の人曰く、パワスポだというのです。
行ってみて、わかったのですが、、、、
生島を見る場所なのです。
生島が、ひょうたんで、月の輪田なのです。
月とひょうたん。
生島足島とか言う表現があります。
妙見寺に切竹矢筈十字紋があり、、、かくれキリシタンのいわれもあるのです。
もう一つ、大避神社は、本当は、聖徳太子、竈神、荒神、住吉神、金比良神などをお祀りしていた形跡がありました。
そこ・妙見寺を再興したのは、赤松氏でした。それも流れは備前吉備上道郡と鵤荘斑鳩寺です。
獅子王保持者の赤松氏は関ケ原東軍総大将徳川家康に御家断絶させられます。

ここから、もう一つ最近勉強しました、加藤清正公作成、鎮宅霊符神鈴を得た朝鮮半島侵攻の文禄の役・・・
総大将は、宇喜多秀家となるのですが、、、
この宇喜多さん生まれが、吉備の上道郡になります。
豊臣秀吉の養子となり、秀の字をもらったりしているのですが、、、
何故、総大将が宇喜多さんなんだと不思議だったのです。
前田利家の娘を嫁にもらい、、、前田利家というと、九州宮崎の穀璧を所持していたのです。
この「穀壁」「玉璧」「宝珠」と関係があるのだと感じます。
「豊彦王」
古文書・本朝皇胤紹運禄には、安閑天皇の子供だと書かれています。
蔵王権現・象王権現と同体であるとされる「安閑天皇」とは?
蘇我系の天皇・・・その隠された子供、御子神。
大避大明神。
豊と、彦王ですので。
想像が色々と羽ばたきます。合体してるんちゃうかなぁ・・・トヨと彦坐王。
葛城王朝、南朝、吉野が気になります。

結論は簡単に出ないでしょう。
上記コメント、小郡が赤松円心の菩提寺とかいていますが、上郡の間違いです。
豊臣秀吉は、何故朝鮮・明侵攻を決めたのか?
狙いは、中国大陸「明」だと感じます。
これがなければ、関ケ原は違う結果になったのではないかと?
未だにJAL123で見るように右回りの朝鮮半島との相克は現在も続いていると感じています。
関白になった、おごりなのだろうか?
早々たる武将が駆り出された文禄の役・慶長の役。
最初は、破竹の勢いであっただろうと思います。
しかし、秀吉の死によってしか終えることが出来なかった戦いは、無駄に疲弊し、
関ケ原の時に、西軍が内輪もめや裏切りなど内側から負けたのだろうと思います。

そして、、、もう一つ。鈴について。
若狭野古墳調査に行く時、玄関にて、鍵を探していると鈴の音がチリチリと鳴りました。
あっ、と鈴の存在に気がつきます。
その鈴は、住吉大社の横、生根神社の鈴でした。
20170211参拝です。その鈴の存在をすっかり忘れていました。
あの時、大海神社において、武内宿禰と神功皇后に国防祈願しました。
一緒に連れていってほしいのかなぁと、生根神社の鈴、金銀二個をポケットにねじ込みます。
この鈴を置いてきたのは、、
若狭野天満神社の鐘の鳴る木、引っ掛かっている鈴は全部鳴らして、その傍に置いてきました。
・生根神社・少彦名神の鈴。
・少彦名神社の宝船土鈴から⇒丹生都姫神社の金のなる木が導かれ、また偶然にも鐘の鳴る木があり、それは、武雄神社の鈴の珠緒を思いだしました。









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順風 (さくら)
2020-09-13 11:50:18
色々と思いつくまま調べていまして、相生か若狭か矢野の二本の門柱に漢字の文字が書かれていたので、
その文字の意味を調べて、九州の神社にも同じようなのがあるという事は記憶に残っているのですが、、、
史料を見つけられないのです。

それで、はいせ様貼り付けの入鹿伝説では、この宇麻志神社=大避神社となっていますね。
大避大明神は馬子の可能性もありですが、、、
蘇我馬子からの逃亡劇は
聖徳太子の従弟、はちこ皇子(蜂子・波知乃子王)は出羽三山。羽黒山、月山、湯殿山、
ここは、国常立尊が祀られていたはずです。

はちこ・蜂子・八箇皇子を調べますと、京都宮津の由良の事が書かれ、そこから庄内の由良へ行き、
「八乙女」伝説があるようです。
http://yaotome.in.net/legend/
全く知らないことばかりなのですが、、、
藤崎八旗宮で、武内宿禰大臣・九曜紋話から、出羽三山のお話しを聞いたことを思い出し、どこかで繋がってくるかもしれないです。

ここの大避神社の横にある古い形の社殿に祀られているのは、聖徳太子と書きましたが、、、
扁額に「厩戸皇子」と書かれていました。
これは、馬子の事を戸で隠しているという意味かもしれないです。
嫉妬に狂った女のお話しは興味深いのです。
妹背山婦女庭訓
※妹背山は、小河の氏神が『馬子大明神』で、入鹿大臣の滅亡を演ずることをきらわれるから、小河ではできないことになっている。
私の超訳
鹿の霊力(龍宮の力)をもつ、蘇我入鹿を倒すには、嫉妬に狂った女の生き血が必要。芝六=秦河勝が思う。
丁度、三輪女が藤原氏に恋煩い。
藤原氏に橘姫が父(入)鹿の力を授けるという。
嫉妬に狂った三輪女は、橘姫を攻撃でしょう。三輪女は金輪五郎に(藤原手下)にやられ、生き血が手に入り、藤原氏の為に、実行は芝六=秦河勝でしょう。
しかし、不比等の竜の玉を得るお話しと一緒。
蘇我氏の龍珠・宝珠を、不比等(並ぶものがいない優れた人)が奪ったお話し。
因みに、大伴旅人の名前、多比等とは、、たひと、たいらとは、、、大したことのない大勢いる名前と言う意味です。不比等と多比等として表される漢字音素の意味。

秦とは、朝鮮半島出自の秦氏ではなく、きっと武内宿禰末裔の波多八代宿禰が隠されているのよね。
徹底的に末代まで上書きされているのよね。
それは、遣新羅大使の最初の人物、波多八代宿禰末裔の道守麻呂が、この地・鹿の血の話がある佐用に来ているのよね。
船引山の伝説があるのよ。
それで、赤松氏は二引紋を使っているのかもね。
この二引紋は、龍神が二匹、十字を表しているのよね。
船引き神事は、坂越の大避神社。
金輪五郎は、藤原に頭を下げて小石のようだと侮辱的に書かれている上道斐太都のことかと。
※橘奈良麻呂の乱の密告者は、斐太都となっている。
あともう一つ、時代は違うけど、上道郡生まれの宇喜多さんは天下分け目で敗北して、島津氏を頼ったのよね。
島津氏は十字紋だから、同族に近いのではないかと。
私の予測です。

秦河勝は、民を惑わすとして常世神を打ちのめした
常世虫とは、蚕の事だと思っています。
京都太秦の大避神社と坂越の大避神社の祭神は一緒だそうです。
京都の大避神社には、「呉織」「漢織」が祀られています。織物なので、蚕、養蚕と関係あります。
こちら相生市の伝説では、秦河勝が養蚕を広めたという事で、祀られています。
色々と矛盾してない?




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蘇我氏と妙見 (さくら)
2020-09-14 18:22:26
龍野城主の斎村さんを辿っていきますと、本姓宇野氏となります。
それで、その宇野一族の祖が住んでいた城が「光明山城」
相生市竜泉というところですが、、、
丁度、入鹿淵と若狭野天満宮の間に位置します。
この御城
別名, 紫雲城、逆蔵木城、小犬丸城.
宇野氏ではなく、本当は宇禰氏「うね」ですね。
そこから、近くの地名、有年を「うね」と呼ぶのでしょう。
また、宇禰から宇治となったのかと分かりました。
この宇治さんは、妙見寺を再興し、それは大避神社と息島と一直線のライン上になります。
生島ではなく、息島ですね。
大避神社は、12の痕跡だらけなのです。
これが、阿蘇氏の祖神十二権現と被るような気がします。この地区は、鷹の羽阿蘇氏の家紋ばかり見かけました。
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