前回龍王神社についての記事を記載したのが2010-04-03で
参拝したのが03-29だからほぼ半年ぶりに参拝してきたことになる。
今回は祈願が成就したので神恩感謝の参拝をしてきた。
前回も今回も同じ月曜日に行ったのだが
前回は八代に行った際に龍神の導きで急遽参拝することにしたので
時間があまり無かったのだが、配慮があり
9時半に番号札を取ってから用事を済ませたりして
刀の守護守りを宮司から戴くことが出来たのは13:15だった。
(こんなに少ないの久しぶりと宮司が言っていた!)
今回は神恩感謝祈願ということで待ち時間を覚悟していたが
9時に番号札を取ってから結局7時間以上待った。
その間に妙見宮や少彦名神社等に参拝して来ることが出来たが。
初めて友人と興味本位で参拝した15年くらい前は、
それほど待つこともなくお札を戴けたが
現在は信仰者が多くて待ち時間も半端ではないとのことだった。
土曜日などは10時間近く待つこともあるらしい。
筆者は行列に並ぶことが嫌いなので実に忍耐が試された。
だいたい一人あたり15分から20分ぐらいの換算になりそうだ。
長い待ち時間の間に隣の人からいろんな情報を仕込むことが出来る。
初めて行くとまず基本は刀のお守りを頒布していただくことになる。
この刀守りの冥加金は弐千円となっている。
何も買わなくてもかまわないのだろうが、そんな人はいない様だ。
前後に坐るおばさん共にお守りの刀がこんなに曲がったと云って見せて頂いた。
それは一つはくの字になっていてもう一つはCの字になっていた。
15年前に形状記憶合金ではないかと思ってお湯につけて見た事を思い出した。
手ぬぐいが効果高いから買った方がいいとそのおばさんからアドバイスを受けた。
せっかくこれだけ待つのだからということで出費が増える人が多い。
宮司はなかなかに気さくでおしゃべり好きである。
しかし手抜きは無いようで一つ一つにきちんと龍神の氣を入れている。
さすがプロだけあって単にお守りに氣を入れるだけでなく
その人の願いが叶ったところをイメージとして刷り込みも行なっているようだ。
そこが祈願において筆者に欠けている能力だと痛感した。
これを続ける宮司のモチベーション維持能力には頭が下がる。
見ていると痛いところに「手当て」をしてもらう人が多い。
驚いたことにこの宮司さんには昼休みが無い。
昼には飲み物と金柑のようなものを奥様が持って来られた。
宮司の話によると宝くじが当たったとかetcで相当にお布施も多い様で
伽藍はどんどんすごいことになって来ている。
現在本殿は修復中で写真は撮らなかったが拝殿の上の龍瓦の写真を添付している。
この龍瓦は熊本城しゃちほこで有名になった製作所と同じように見受けられる。
※ 現在は受付について変更がありますので以下の写真をご確認ください。
『修正 刀のお守りで有名な八代の龍王神社 No348』
※ 場所についての地図を知りたい方は以下の更新されたブログをご確認ください。
『刀のお守りで有名な八代の龍王神社の白龍 No377』
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
参拝したのが03-29だからほぼ半年ぶりに参拝してきたことになる。
今回は祈願が成就したので神恩感謝の参拝をしてきた。
前回も今回も同じ月曜日に行ったのだが
前回は八代に行った際に龍神の導きで急遽参拝することにしたので
時間があまり無かったのだが、配慮があり
9時半に番号札を取ってから用事を済ませたりして
刀の守護守りを宮司から戴くことが出来たのは13:15だった。
(こんなに少ないの久しぶりと宮司が言っていた!)
今回は神恩感謝祈願ということで待ち時間を覚悟していたが
9時に番号札を取ってから結局7時間以上待った。
その間に妙見宮や少彦名神社等に参拝して来ることが出来たが。
初めて友人と興味本位で参拝した15年くらい前は、
それほど待つこともなくお札を戴けたが
現在は信仰者が多くて待ち時間も半端ではないとのことだった。
土曜日などは10時間近く待つこともあるらしい。
筆者は行列に並ぶことが嫌いなので実に忍耐が試された。
だいたい一人あたり15分から20分ぐらいの換算になりそうだ。
長い待ち時間の間に隣の人からいろんな情報を仕込むことが出来る。
初めて行くとまず基本は刀のお守りを頒布していただくことになる。
この刀守りの冥加金は弐千円となっている。
何も買わなくてもかまわないのだろうが、そんな人はいない様だ。
前後に坐るおばさん共にお守りの刀がこんなに曲がったと云って見せて頂いた。
それは一つはくの字になっていてもう一つはCの字になっていた。
15年前に形状記憶合金ではないかと思ってお湯につけて見た事を思い出した。
手ぬぐいが効果高いから買った方がいいとそのおばさんからアドバイスを受けた。
せっかくこれだけ待つのだからということで出費が増える人が多い。
宮司はなかなかに気さくでおしゃべり好きである。
しかし手抜きは無いようで一つ一つにきちんと龍神の氣を入れている。
さすがプロだけあって単にお守りに氣を入れるだけでなく
その人の願いが叶ったところをイメージとして刷り込みも行なっているようだ。
そこが祈願において筆者に欠けている能力だと痛感した。
これを続ける宮司のモチベーション維持能力には頭が下がる。
見ていると痛いところに「手当て」をしてもらう人が多い。
驚いたことにこの宮司さんには昼休みが無い。
昼には飲み物と金柑のようなものを奥様が持って来られた。
宮司の話によると宝くじが当たったとかetcで相当にお布施も多い様で
伽藍はどんどんすごいことになって来ている。
現在本殿は修復中で写真は撮らなかったが拝殿の上の龍瓦の写真を添付している。
この龍瓦は熊本城しゃちほこで有名になった製作所と同じように見受けられる。
※ 現在は受付について変更がありますので以下の写真をご確認ください。
『修正 刀のお守りで有名な八代の龍王神社 No348』
※ 場所についての地図を知りたい方は以下の更新されたブログをご確認ください。
『刀のお守りで有名な八代の龍王神社の白龍 No377』
応援してくださる方はこちらをクリックお願いします。
少彦名命様のことが知りたくて本を探しますがなかなか詳しく書かれた本がなく諦めてネットを検索したところ吉田一氣さんの「少彦名神考察」にいきあたりました。
ものすごい情報量、しかも内容の濃さにどれだけの労力を使われたかと頭が下がる思いが致しました。とても貴重な情報です。大切に読ませていただこうと思いました。
他にも興味深いものがいくつもありこちらもじっくり読ませていただこうと楽しみにしております。
ありがとうございます。
少彦名神を考察すると神霊としての少彦名神と
人物像としての少彦名命と
一族としての少彦名系の話が複雑に絡まっています。
神霊としての少彦名神は道教の神でもありますが
古来より日本でも崇敬されており
それ故にその神霊に導かれた人物としての少彦名命が
少なくとも3名はいるようです。
出雲で大国主と協力して国造りした少彦名命
大彦命と兄弟で国を平定した少名日子建猪心命
笹波神とか酒波神とか小波神とか秀真伝で呼ばれた
近江国の人物で沙沙貴氏の祖 等です。
一族としては小童神として綿津見神を崇敬する海神族を率いています。
私は霊的感応者であって古代史研究者ではないので
その古代の人物が神霊に導かれていたのかが調査の対象です。
従って例えば少彦名神に感応があった事知主命(事代主命)などの
日本の発展に与えた影響が調査対象です。
信仰心が無い人には理解していただけないと思いますが
日本人が潜在的に持つ信仰心を
なんとか日本の発展に寄与させたいという思いがあります。
神霊に導かれた結果がどうなったのかを研究対象にしていて
それを現代の日本人の神道信仰の背景として
役立てていきたいと思っています。
そういう筆者の研究の背景もご理解していただけますと幸いです。
吉田さんの研究に対する姿勢は文章を読んでるとこちらに伝わってきます。こちらのHPに強く惹かれましたのもそこが大きな理由の一つでもあります。霊的感応者でいらっしゃるとのことですがそこもとても納得いくのです。読んでいて「やっぱり!やっぱり」と思うことがとても多いのです。読んでいて嬉しくなるほどです。
コメントのお返事で気がついたことがあります。
「一族としては小童神として綿津見神を崇敬する海神族を率いています。」についてです。
少彦名命様は常世神と言われていますが常世神とは「橘やホソキにみられる蚕に似た緑色の親指ほどの毛虫」となっています。私はこの緑色の虫はヤママユガの幼虫だと思ってます。もうすでにそう言われているのかもしれませんが。
このヤママユガの幼虫は「天蚕」と言われていてこの天蚕の人工飼育を歴史的に最初に始めたのは、長野県安曇野市有明地区とのことです。
前に調べた時になんで安曇野なんだろうと思っていました。吉田さんの一文で納得致しました。
そして昨日も吉田さんのHPを拝見した時にエビス様の所で釣り糸のテグスはヤママユガの幼虫から出来ているとあってここでも少彦名命様とエビス様が繋がり嬉しくなりました。
ヤママユガに関しては本で調べたわけでなく少彦名命様のことを考えていた時にヤママユガがやけに目に入ってきてなんなんだろうと調べたところから天蚕→常世神と繋がりました。時々そんなことがあります。特に霊感が強いわけではありませんが意味のわからない夢を見たりして色々とヒントが貰えることあります。なんの根拠もないので常に不確かなのですが吉田さんのブログを読むと「そういうことか!」ということが本当に多いのです。
これからも読ませていただきます。
ありがとうございました。
ヤママユガの日本での人工飼育の話は初聞でした。
ましてや安曇野で飼育されているとは知りませんでした。
貴重な情報です。ありがとうございます。
とにかく絹を紡ぎ出すカイコは
天から降りてきた虫ということで蚕という字の通り
神からの贈り物とされていたのだろうと思います。
弥生時代にすでに日本では絹があったということですが
公式には秦氏が中国からもたらした技術だと言われているようです。
秦氏の棟梁の河勝が富士川の畔で、
常世虫を信奉する大生部多を打ち滅ぼしたのには
やはり新旧のカイコが絡んでいるのかもしれません。
蚕はいずれにせよ神を感じさせるのか
再びオシラサマ信仰も生まれています。
この大生部多は多氏につながると考えられ
私の研究テーマでもあります。
この多氏と安曇氏の接点は九州に痕跡が数多く残ります。
カイコを通じて本当に安曇氏と多氏が結びつくのかも
今後さらに調べていきたいと思います。
安曇氏と多氏・・というところが気になり多氏をネットで検索したところ「関東の大族とされる桓武平氏を称する千葉氏は、多氏の部曲の多部の後裔である」となっておりました。ここで気付きがありました。
私はなかなか説明のしにくい経緯で自分にとって少彦名命様が重要な神様であるという思いに至り色々と調べているわけですがそんな中ある導きがあり千葉神社にお参りに参りました(千葉は元々私が住んでいた場所です)。少彦名命様を追っているのに何故千葉神社・・天之御中主様なのだろうという思いがありました。少彦名命様と天之御中主命様の繋がりを深く感じた神社は他にもありまして東京立川市の「阿豆佐味天神社(二つありますが砂川町の方)」です。ここは主祭神は少彦名命様ですが本殿と並んで「水天宮」として天之御中主命様が大切に祀られております。ここでもこの二柱の神様の強い結びつきを感じました。
もう一つ、これは私の個人的な体験ですので真意のほどはどうなのかわかりかねますが今年の春に何年かぶりで東京の高尾山登山をした際にこの山では有名とされている珍しい花「セッコク」が満開でありました。私はその時には地味な花でしたし写真を撮ることもせずにいましたが皆が眺めていたのでしばらく見ておりました。すると珍しい鳥「三光鳥」がやってきました。「ツキ、ヒ、ホシホイホイホイ」と鳴いています。このたび吉田さんのHPを拝見して「セッコク」という花が少彦名命様と関係の深い花であることを知りどれだけ感動したかしれません。高尾山には「高尾薬王院」がありもともと少彦名命様を感じさせる場所だと思ってましたがこのセッコクのことを知りますますその思いを強く致しました。そして三光鳥。吉田さんのHPの中では三光鳥は「イカル」という鳥のことで紹介されていましたがこの日セッコクの花の前に飛んできたのはもうひとつの種類の方です。月日星と言えば千葉氏の家紋。このセッコクと三光鳥のことも何かのサインに思えて仕方ありません。
これらのことは私の勘違いである可能性もありますしなんら参考になることではありませんがつい嬉しくてコメントさせていただきました。
これから頭を整理して千葉氏、天之御中主命様(妙見様)を頭に置きつつ再び少彦名命様を追っていきたいと思っております。
歴史上の少彦名神と蘇我氏の関係では神宮皇后が関与してきます。
ここの話は今回は省かせていただきますが
蘇我氏と妙見神は非常に深いつながりがあります。
千葉氏が妙見神を信仰するに至った経緯には蘇我氏が大きく関与しています。
もともと千葉県蘇我町にある蘇賀比神社の由緒によると
この地域は第15代応神天皇より蘇我氏が国造に任命されたそうです。
当然千葉氏以前にも妙見神が祭祀されていたのでしょう。
以下長いのですが千葉を考える上で役立つかもしれない
筆者ブログコピー文です。
「佐倉藩鎮守の麻賀多神社 2009-08-08」
佐倉市鏑木町933に佐倉藩鎮守の麻賀多神社がある。
ここのパンフレットによると
麻賀多神社というのは「麻の國で多氏が賀す神の社」ということで
國造の伊都許利命も多氏一族と記載されている。
確かに神八井耳命の後裔はいくつかの系統に分かれていて
記載しているが筆者は、
神武天皇─神八井耳命─多氏と
神武天皇─神八井耳命─蘇我氏
を別けて系統を調査している。
神八井耳命の八代孫といえば多氏系統とも
蘇我系統とも考えられる訳であるが
佐倉藩鎮守ともなれば由緒上は多氏系統の方が都合がいい。
桓武平氏を称する千葉氏は、多氏の後裔となっている。
結局のところ蘇我の実績はこういう意味でも封印されてしまった訳である。
藤原氏の掛けた蘇我氏封印と蘇我氏に掛けられた汚名は
晴らすべき時が来ている。
「千葉の須賀という地名について 2009-08-08」
今ネットで千葉の須賀という地名を調べてみた。
検索では以下のような地名が見つかった。
千葉県成田市北須賀
千葉県印旛郡 栄町 須賀
千葉県木更津市長須賀
千葉県九十九里浜本須賀
千葉県山武市本須賀
千葉県夷隅郡御宿町須賀
須賀という地名は九州にも存在するが
佐賀県小城市小城町松尾にある
須賀神社は関東から下向した千葉胤貞が
京都の祇園社(現・八坂神社)より分祀して
創建したものだそうだ。
もともと小城祇園社と呼ばれていたものが
明治に須賀神社と改名されたそうである。
千葉の須賀もどのくらい古いものなのか疑問が残るが
少なくとも千葉県成田市北須賀という地名に関しては、
1775年より古いことが分かっており
今後さらに蘇我との関係を調査する必要性も感じている。
「麻賀多神社は六芒星 2009-08-08」
今気づいたことですが、
神霊の不思議演出には慣れっこのはずですが、
下に「青麻神社の三光と六芒星」で記載した
青麻神社の紋は丸に麻の葉の六芒星でしたが
「日月神示の麻賀多神社」で記している
葉県成田市台方字稷山の麻賀多神社の紋も
丸の無い麻の葉紋の六芒星でした。
偶然に今、分かったので驚いているのですが
それで他にも数多いのかと思って検索してみました。
麻の葉でもきちんとした六芒星になっているものは
残念ながら少ないようです。
青麻神社は三光で見つけだした神社ですが、
麻賀多神社は神霊に呼ばれている神社で
その理由を調査している最中でした。
三光と六芒星を結びつける神社といえば
丹後一宮の元伊勢 籠神社ですが
これで私なりに繋がりました。
麻賀多神社祭神の稚産霊神は豊受神の親神となりますが
http://makata.jp/gosaishin.html
籠神社でいう豊受大神は真名井神社に降臨した神で
真名井は真渟名井=真瓊井で
ヌナ=渟名(ぬな)=瓊=ヒスイのことです。
豊受大神は穀物神であると共に羽衣トヨの一族の奉祭する神です。
トヨの一族は神功皇后に始まり蘇我氏と繋がる一族です。
三光の紋については2007年12月に掲示板にて
目黒の案山子さまから城南宮を紹介されてからの縁で
これまで調査してきましたが、非常にいい勉強になりました。
やはり麻賀多神社は勾玉にまつわる神社であることが
分かりましたし、豊受神の親神であることから
トヨの一族 蘇我氏との繋がりのヒントを戴きました。
「麻賀多神社と富と豊 2009-08-08」
確認できている訳ではないが、
ネット検索によると前出の「古語拾遺」には、
富の命が忌部を率いて四国から当地へと
渡ったと記されているそうだ。
でも本当に富という文字なのだろうか?
豊ではないのかと改めて問いたい。
きっとトヨのキーワードが麻賀多神社のどこかに残っている筈だ。
ちなみにここから程遠くない鹿島神宮の祭神である武甕槌神は、
古事記及び先代旧事本紀では豊布都神(豊布津神)との記載がみえる。
ちなみにフル及びフツは物部系である。
筆者の蘇我氏考察でも記載しているが建速須佐之男命は、
物部氏の系統では血統は石上神宮の祭神より
布留─布都斯─布都─宇摩志麻治命の血統となる。
布都斯は建速須佐之男命と同定されている。
建速須佐之男命は物部系の布都斯という人物であったが、
蘇我氏系トヨに婿入りしたと考えている。
従って布津は物部とトヨの両方の血を引く。
それ故に豊布都神と呼ばれるのだろう。
當麻物部の拠点の二上神社でも豊布都神は祀られている。
武甕槌神がどういう神であるのかについては、
ここでは問わないが、建御雷とも書き、
建は建速須佐之男命の建でもある。
さて香取と鹿島とが原初においては同じ祭神であることは
神霊感応がある者なら気づいてもおかしくはない。
ところがこの両社は中臣氏が引き継いでいる。
中臣は中富でありこの富が曲者であろう。
タケ トヨ トミには繋がりがある。
だからと言って同属ではないし同じ信仰という訳でもない。
「日月神示の岡本天明氏の自動書記開始の麻賀多神社 2009-08-08」
岡本天明氏は麻賀多神社の摂社の天之日津久神社で
啓示をうけたそうだが
この麻賀多神社はもともと麻賀多真大神=マガタマ大神を
祀っているそうだ。
由緒としては応神天皇の御宇に神八井耳命八代孫の
印波国造となった伊都許利命=イツコリミコトが
奉斎したのが始まりらしい。
ところでこの成田市台方と船形は『 和名抄 』でいうところの
印旛郡八代郷に比定されているそうである。
再度の記事となるが
今まで筆者は熊本の八代と繋がる武内宿禰-波多八代宿禰と
武内宿禰-蘇我石川宿禰を追っかけてきたが、
神武天皇─神八井耳命─多氏─健磐龍命⇒阿蘇氏系統と
神武天皇─神八井耳命⇒蘇我氏─建速須佐之男命─八島野命の系統を
筆者ホームページの「蘇我氏考察」で考察している。
さて千葉の蘇我町にある蘇賀比神社の由緒によると
この地域は第15代応神天皇より蘇我氏が国造に任命されたとある。
これらを考慮してこの麻賀多神社の由緒を考察すると
どうもこの神社は蘇我氏系神社だと感じられる。
キーワードは蘇我氏由来の勾玉と地名の八代と
神八井耳命八代孫ということと
第15代応神天皇より国造になっていることである。
このことから考えて伊都許利命も蘇我氏系である可能性がある。
だとすると日月神示は蘇我氏系の神霊の啓示となろう。
読み解くにあたりいくつかの考慮が必要かもしれない。
どういう意味かというと
例えば麻賀多神社に祀られていた勾玉は七個とあるが
実は八個ではないだろうか?
また七にちなんだ御縁起中の緒地名の
七台、七坂、七井戸、七干場、七兎田、七人百姓などの七は
八を封印しているようにも思える。
強い魔的な封印を感じるので審神しながら啓示を読み解かないと
とんでもない魔道に陥る可能性があるということだ。
蘇我氏に掛けられた封印は読み解くものをも迷わせる。
「麻賀多神社が蘇我系なら継ぐ神霊は八大龍王 2009-08-08」
筆者ホームページの「熊本霊ラインと中央構造線」でも考察したが
蘇我系の妙見神の顕現は八大龍王神として現われることが多いようだ。
当然、麻賀多神社が蘇我系ならば、
岡本天明の天日津久神社での感応にも
八大龍王神が関与しているはずだ。
調べてみると至恩郷の月の宮に岡本天明作の三貴神像があるが、
三貴神は八大龍王に乗って宇宙を駆けているそうである。
※「日月神示はなぜ岡本天明に降りたか」岡本三典 P146
またそのP63には矢野祐太郎氏の配偶者である矢野新女史が
千駄ヶ谷の友人の会合に出席した時に八大龍王神に感応して
「八大竜王、しばしこの場に鎮まりまします」と叫んでしまったそうだ。
それでどうした訳かと近所を散策していたら
そばの「鳩の森八幡」で偶然天明と出会い、
ここで天明からお筆さきを見せられたそうだ。
これが矢野新女史発案の筆先の奉賛会に発展したとの記載がある。
これも麻賀多神社が蘇我氏であるという傍証にはなりそうである。
「封印された縄文神と蘇我氏の信仰 2009-08-08」
蘇我氏の考察中に八代の妙見神信仰と
鎮宅霊符神信仰と八大龍王神信仰に
蘇我氏(具体的には武内宿禰の系統)の関与を感じた。
それでこの調査記を「蘇我氏と三光の紋」という章で考察した。
まだ完全検証には至らないが非常に面白い題材だと思う。
立川阿豆佐味天神社は少彦名神と蚕を結びつけた神社ですので
私にとっても感慨深いです。
蚕影神社も疱瘡社も少彦名神由縁の境内社でしょう。
八王子に「絹の道」があって少彦名神の調査で
かたっぱしから神社を調べたことを思い出しました。
この阿豆佐味天神社はご存知のように
立川の勧請元といわれる東京都西多摩郡瑞穂町殿ヶ谷1008にも
同じ社名の阿豆佐味天神社があります。
この瑞穂町殿ヶ谷の東南と北西200m程度のところに2社須賀神社があって
この須賀神社の由緒が気になっていました。
明治に須賀神社に改名された神社でなければ
蘇我氏由来の可能性も考えられるのですが良く分かりません。
あと高尾山は何かしら国家開運について大切な秘密を感じています。
それはまだ封印されたままのような気がしています。
高尾山はそのうち是非行ってみたいところです。
まず、「千葉氏が妙見神を信仰するに至った経緯には蘇我氏が大きく関与しています」というのは吉田さんのHPを初めにさっと目を通した時に見つけて大変驚きました。そう言えば若い頃なんで千葉に蘇我駅という名前の駅があるんだろうと思ったことを思い出しました。これは今の私にとっては大変興味深いことでしたので後でじっくりと読ませていただこうと思っていたところです。
それと私は子供の頃のある時期佐倉市に住んでおりました。なのでここにきて「麻賀多神社」の名前が出てきたのには本当に驚きました。中学時代学校のそばに麻賀多神社があり毎日この神社の前を通っていました。
繰り返しになりますが私は特に神社や神様に詳しいわけでなくただ去年あたりから何かの導きがありこうして調べているわけですが吉田さんのHPに行きあたりここにきて新しい展開が来たようで驚きとともに大変ありがといことだと感謝しております。ありがとうございます。
今回のお返事もこれから熟読させていただこうと思っております。
昨日、少彦名命様と天之御中主命様について考えていた時にふと思い出したことがありました。少彦名命様のことを調べる中で浅草寺への導きがあり行きましたらそこには淡島堂というものがあり少彦名命様が祀られていました。そこで初めて少彦名命様は淡島明神と言われていることそして虚空蔵菩薩が本地仏であるということを知りました。
http://www.senso-ji.jp/annual_event/harikuyoue.html
それを知ってから、色々とシンクロがあり日光に行き児玉堂という所に行きました。そこは弘法大師が行をされた時に大小の玉が現れ小さい方が虚空蔵菩薩、大きい方が妙見様であったとのことで小さい玉の方の虚空蔵菩薩様を祀ったというのが児玉堂です。ここはほとんど人が足を踏み入れないような場所でしたが大変強い霊気を感じました。その時は少彦名命様と天之御中主命様の繋がりを全く意識してませんでしたが昨日ふと頭に浮かんだのでやはりこれも少彦名命様と天之御中主命様を繋げるメッセージなのかなと思いました。
http://www.mct.gr.jp/world_h/rinnoji/kodamado.shtml
立川阿豆佐味天神社を御存知でしたか。本当にすごい情報量ですね。ここの神社は何度も足を運んでおりますが特別なものを感じております。もう一つ印象的な神社が調布市の布多天神社です。ここは吉田さんも何か強いものを感じられた神社のようですね。それを読んだ時大変嬉しかったです。
高尾山は是非行ってみてください。いくつかコースがありますがその中でも「琵琶滝コース」がお勧めです。セッコクがある所でもあります。途中弘法大師様の洞窟がありますがそこは大変強いものを感じます。少彦名命様を調べる中で私にとってはどうしても弘法大師も気にかかってきます。父方の先祖が弘法大師に関係が深いからかもしれませんが。今年2月に東京に越してきましたがその前は三年間信州の上田に住んでおりました。そこには独鈷山という弘法大師に関係の深い山がありましてある思いがありその山に一人で登ってから色々な不思議なことが起こってくるようになったように思えるのです。そこの山には今思えば虚空蔵菩薩も祀られていましたし麓の中禅寺というお寺には薬師如来が祀られています。確か吉田さんのHPのどこかでこの山のことがあって驚き嬉しかった覚えがあります。
私の場合は全く知識のない中、手探りでたどっているわけですがここにきて色々と手ごたえを感じております。まだまだ点が線にはなりませんがこれからも学ばせていただきます。
長々失礼致しました。
少彦名神を調べていくと
なぜか私の場合もよく弘法大師との縁が出てきました。
浅草寺の淡島堂には何回か足を運ばせていただいています。
あそこは少彦名神というより
虚空蔵菩薩が祭祀されているという感じを受けました。
その由緒は分かりませんでしたが、かなり古いように思います。
空海は虚空蔵菩薩を星神の明星天子と捉らえていたようです。
それで空海の虚空蔵菩薩信仰は妙見神信仰と繋がっています。
虚空蔵菩の真言は
オン・バザラ・アラタンノウ・オン・タラク・ソワカ
ですが空海の求聞持法では
ノウボウ・アキャシャ・ギャラバヤ・オン・アリキャ・マリ・ボリ・ソワカ
となっていますがこのアカシャというのは阿頼耶識=アカシックレコードのことです。
ところで浅草寺は龍神の氣がかなり強い寺ですから
信仰すれば現世的な御利益は大きいと思います。
参拝客が多いのもいなずけます。
日光の児玉堂の情報と高尾山の情報ありがとうございました。
是非行ってみたいと思います。
前回のコメントで櫻宮神社をご紹介しましたが、田沼意次由来の品は相良城荒神社の石鳥居で、牛に曳かれてやってきたそうです。田沼意次は彼の父が七面天女に祈願して生まれたとの話から七曜紋を家紋にしてますね・・・。
荒神と言えば熊野。奥宮に祀られている方が気になります。
また櫻宮神社からよく見えるのは高草山です。
高草山は藤枝飽波神社がもともとあった場所とも言われ縄文遺跡もあります。
高草山を神山に見立てている三ツ鳥居の神神社が麓にあります。(弓矢の神事などがあるようです)
それから藤枝飽波神社近くには鬼岩寺という行基開創の古刹があり、ここは空海が雷鳴を伴って顕れた鬼を岩穴に封じた魔魅の岩、玉を研いだ鬼かき岩があります。蛇退治伝説と黒犬神社もあります。
鬼岩寺は楞巌山といい、楞は木で四方を囲う、諏訪の御柱に通じる気がします。
飽波さんの七ツ森神社が袋井市七ツ森神社だとすると祭神は久努国造。狗奴国と関係しますか?犬繋がりで。地元では家康公の遺体は久能山に戻されているという噂があるとのこと。
いくら東海道沿いだからっててんこもり過ぎます。
鬼島という地名もあり、お腹がいっぱいです。
飽波さんは別名川瀬岐大明神。土を戴いていくと洪水を免れるそうです。
あまり参考にはならないですね。長文失礼いたしました。