親子の人間関係を学び直す 親業

とても大切な我が子に、貴方を大切に思っているんだよ。という思いをちゃんと伝える方法を学びませんか。

水たまり

2017-01-30 07:11:32 | お知らせ
薄暗い中を、今朝も駅までの道を歩く、今日は少し時間的には余裕を持って出発。
最近は、随分とこの時間でも明るくなったのに今朝は、お天気のせいか薄暗く、薄暗く周りが見づらい。
そんな中、わたしの運動靴の底がなにか?にゅるっとした塊を踏んだ。いつもは、流石に運動靴は通勤では、履かないのだがここのところの保育園実習に備えてだ。
さて、このにゅるっとしたものは、何か?わたしの頭が考える。2ついずれもいや〜なものが、浮かぶ。それを打ち消すように、そう柿の熟して落下したもの。と、
想像しておく。季節的におかしいが。弱虫のわたしは、それでいいと疑いながら、
言い聞かせる。
とにかく、水たまりを捜して、靴裏をゴシゴシしよう。
昨夕から、雨がふった。しかし、アスファルトの道には、中々水たまりがみつからず、やっと見つけた。
何でも、きちんと整備すればいいもんではない。歪みに溜まった、水たまりが、有難い。水たまりさえ、見つけにくいアスファルト道路で、もう何年暮らしてきたのか。雨雨降れ降れの童謡が、懐かしく頭の中で歌詞を奏でる。漂白された、整備された世の中が、いつまで経ってもなじめないわたしがいる。歪みばんざーい。

お帽子

2017-01-18 17:46:32 | お知らせ
何だか、ずーっとどうもお帽子が好きらしい。
自分では、全く意識していなかったけれども、学生時代からお帽子を被っているイメージがあると良く言われた。
多分、麦わら帽子の少しおしゃれな感じの帽子しか、持っていなかった気がするが、夏になると日よけに他の子たちより頻繁に帽子を被っていただけだと思う。
でも、それだけで帽子のイメージが定着したようだ。私の学生時代は、まず、学生が日傘をさしているなどはあり得なかったから。OLすら日傘はさしていなかったと思う。その当時で言えば、かなり年配のおばさま達のアイテムであった。
だから、若者の日よけと言えば麦わら帽子のややおしゃれな物を被るってくらいだった。だけど。それすら被っていない子のほうが多かった。つまり、紫外線予防などと言う概念はなかった。ただ、テニスをするなんて時は、サンバイザーとかスポーツ用のお帽子を皆被っていた。
帽子の人というイメージは、別として。
長じては、何だかお帽子が大好きになった。
もう5年ほど前になっちゃうと思うが、若い職場の友人と手作り市と云うのに3回ほど、参加した。その時、何だかとってもせっせとお帽子を作ってとっても、楽しかった。KOKKOという屋号で、若い友人は、紙粘土のまさに芸術品の指人形とキャンドルを私はお帽子と、髪飾りなどの小物。屋号はフィンランド語で焚き火。私の焚き火好きを受け友人が考えてくれた。
そして、この前の日曜日、本当に久しぶりにお帽子を作った。正確に言うとお帽子のデコレーションをした。
今までは、布から裁断してお帽子を作っていたのだが。今回は、ずーっと前に買ったアブリルのキットです。フェルトのお帽子に、羊毛を専用の針でブスプス張り付け、
ボンボン玉を3つくっつけただけ。マニュアル通りに。でも出来上がったら、楽しかった。ものの1時間の出来事。

雪の日のぼっち詣で

2017-01-17 18:26:37 | お知らせ
今年は、身近な初めてを楽しもうと言うことで。
先週末は、センター試験なのに非情な雪に見舞われた。 そんな中、皆の健闘を心の中で密やかに願った。
そして、雪の中の初めてのぼっち詣でに出掛けることにした。
先ずは、近所の誰よりも早く、雪かきを一人やってみることに。寒いけど、少し体が暖かくなった。きりがないことは、嫌いなので、勝手にきりをつけ。そして、雪掻きをしたと自己認定。
そして、最近トンと書かなくなった、葉書。美味しい葛餅のお礼状を書くことにし、それをポスティングがてら歩いておよそ30分程の神社に雪の中のぼっち詣でに出掛けた。
さすがに雪の神社は、人影まばら。
意を決して帰りも、歩くことに。時おり陽射しも入り、白とのコントラストが、とても爽やかで、輝かしい道行であった。
それこそ、体がホカホカしてきて。
何だか満足なお出掛けであった。神社の門前で求めたみたらしをポケットに入れて。
満足、満足。

ぼっち詣で

2017-01-10 18:15:27 | お知らせ
なかなか、永く生きてきているので。色んなことしてきたけど。
見回せば、初めてのことばかり。初詣には、滅多に行ったこともないのに。今年は、出身市の神社に初詣に行った。しかも、生まれて初めての「クリぼっち」でなく「ぼっち詣」かな?「クリぼっち」は去年のクリスマス近くに、ラジオで言っていた。去年のことだが「今年はクリぼっちが、若者の間で多い模様」とその造語と社会状況を聞き、なんだか愉快な気分になった。一人ぼっちは、私だけじゃないんだ。みんな、孤独に耐えたり、慣れたりしてるんだと。去年のクリスマスは、幸い偶然呑み会が入り、珍しくクリぼっちではなかった。
しかし、早速「ぼっち詣」今まで先ほども書いたけど、めったに行かなかったから「ぼっち詣」にはならなかった。で、初めての「ぼっち詣」さらに、火の輪くぐりというのも初めて体験してみた。何だか両方共楽しい。
初めてが2つ。今年は、身近の初めてを楽しんでみようかと思う。
そして早速、今日初めて、職場の帰りに何時もはJR駅まで、バスのところを、
歩いてみた。35分足らずだけど。バスの車窓から見て居るのとは、全く違って、新鮮で楽しい。何だか、小さな冒険気分。脚にも心地よい。無理のない、身近な初めて集めを楽しんでみよっと。

冬休みの宿題

2017-01-07 07:19:08 | お知らせ
冬休みが明け、昨日始業式に『冬休みの宿題』を集めた。家庭科係の生徒が、朝ビニール袋を取りに来てくれて、⑷時までということで、名簿に欠席者と忘れた人をチェックして届けてくれた。
風邪の流行で欠席者は、多めだが、忘れた人は、とてもすくなかった。
さて、ハードスケジュールで時間に追われる高校生への、家庭科の冬休みの宿題はなにか?
3学期に保育園に行かせて貰える時に付けていく名札、その名札作りである。冬休みの栞の宿題の説明とか、授業中の宿題の説明は次のようにした。
「勉強や部活が忙しいし、個々人で勉強など、どんな状況か違うので、別に名前がわかれば簡単なのでもいいよ。ただ、名前はやっぱり、平仮名だよね。年少さんにも接するので。だけど、お勉強などの息き抜きにしようとか、楽しいからよっしゃあ〜凝ったものにしようというのもwelcomeだよ。安全ピンは、学校で配ったもの。まぁ、みんなの教材費で買ったんだけどね。もしも、無くしてしまったら、同じくらいのグレードのにしてね。子供たちは、びっくりするほど飛びついてくる。もしも、それが開いて、最悪、目にでも刺さったら、えらいことだよ。ボンドは配ってあるけど、全く普通のものなので、無くなったらお家のもので、構わないよ。布はお家のはぎれでも、捨てるお洋服なんかでもいいし、フェルトなんかは、縫わなくてもいいし。縫っても自由、ボンドで貼っても自由。材料は個々人だから、そんな状況では、わたしは、わたしの能力的にまぁ、AとE位は判定できるけどその間はできない。ということで、提出日に出せたか、出せないかだけで、成績はつけるからごめんね。とうことで、全く凝ってつくるも、簡単にするも自由。ただ、誰が評価するかというと、園児達だね。彼らは、なかなか研ぎ澄まされた、正直な感性をストレートにぶつけてくるから。
まぁ、こんな感じかな?ただし、おどろおどろしいのだけは止めてね。」
などと説明をする。
そして、昨日それらが仕上がって来た。
なーんとびっくり、とてもクォリティが高い作品が一杯。
担任の先生方も、冬休みの栞とか、集める際に目をかけて下さっていたらしく。
「うちのクラスなかなか傑作揃い」とか、「さっき集めてたけど全員は持ってこなかった」とか。
わたしが、職員室で、大丈夫な安全ピンがついているかをお店を広げて提出作品のチェックをしていると。「うちのクラスが一番だと思っていたけど、みんなすごいね。」「インスピレーションにすぐているね」「えーっ、あの子上手なんだね」」「かわいぃー」と机に集まりワイワイ。
結論的に、数年前より、とてもクォリティーが高いとうことでした。
確かに、わたしも、毎年可愛いけど、やっぱりもっとクォリティーが高いと思いました。力作、傑作揃いです。
保育園訪問に行かせて貰えることへの、意気込みの表れでもあると感じました。
見ていて楽しく。くすんと笑えて、幸せな気分になりました。


あさましい

2017-01-06 07:05:47 | お知らせ
今の通勤ルートで、通い始めて2年と7ヶ月。その道の中で毎日繰り返され嫌だなぁと思っていた、事柄。それに対して、年末にこの言葉が急に浮んだ。『あさましい』
そうだ、わたしが嫌だと感じ続けた姿は、それにぴったりと当てはまる。『あさましい』それはなにか?私鉄からJRに乗り換える為に、市街では、2番目に大きな駅を降りる際、ドアが開き1番先頭の人が降りきったかおりきらない、タイミングでホームで待っていた、人々がどーっとなだれ込む。そして肩などをぶつけられることも、珍しくはない。
通勤の背広にきちんと身を固めた、中高年の男性たちが、我が先にと降りる人をおかまいなしに、座席を狙うその姿があさましい。
この言葉が、浮んだとたん。その姿を見かけるたびに、心で呟くようになり、わたしは、少し余裕を取り戻した。
そして、気がついた。帰りの電車の同じシチェーションでは、皆大人しく降り人々がほぼ降り切るのを待っている。
この心理構造の差異は、どの様なものなのだろうか?
災害にあった時の、避難所での素晴らしい日本のマナーが、報じられたりする。
通常は、電車のマナーが圧倒的に悪いのはおかまいなしに喋りまくるおばさんだったり、荷物を一人分の様に座らせておくおばさんだったり、自分たちしかいない様にキャーキャーしゃべる、若いギャルたちであると認識する。
そんななかでの、出来事。
いろいろと、考えさせられる。人間の本質。機があれば、起きてしまう出来事。
人間として、自分を戒める。

至福の年始め

2017-01-05 09:19:06 | お知らせ
カレンダーから行くと、仕事始めの昨日でしたが、私は当初より年休をいただいていました。
これと言って計画があるわけではなく、静かに内省の時を持とうと。
なーんて、格好いいわけですが、少し片付けをしたいと。
今年のお正月は、穏やかな日和の長閑な天候でした。それだけでハッピーな気分でしたね。そして、昨日もそんなお天気、陽気に誘われて、昨日は、まず6時半のラジオ体操をして。
そしてウォーキングに、往復で40分足らず。
見慣れたご近所を歩くだけ、日頃、仕事に追われ最近は、近所をゆっくり散策することもないので、それは、それで中々楽しい。
路傍の草花に目が行き、実のなる木のたわわなみのりに感心し、それよりなにより、住んでいる、人々の息遣いを感じる。日常の上に生活があるなぁと。それぞれの、お宅に個性と、生きている力を感じる。 洗濯物、お庭のアレンジ、お手入れの状況、飾り付けなど、変わりどころで、目を惹かれたのは、畠の中にひと株だけ、ドライになっていた、綿の実の爆ぜたもの、最初は、刈り取られ捨てられてるのかと、立ち止まりみると茎は!しっかり地面から伸びていた。あぁ!これ教材にほしいなぁ。かって教材で栽培していたこともあったが。などなど。
さて、家にたどり着き、お茶を一服頂き。
荒れ果てた、うちの庭はまずいやぁと、
陽気に誘われて、外にでる。
しかも1時間だけにしようと、最初から決めている怠慢さ。
やらんよりまし。さて、さて、あっちチョロチョロ、こっちチョロチョロという脈略のないやりかた。そして、山帰来の自然生えの蔦と実を見つけてと、言うと聞こえはいいが、モサモサに木に絡みつかれている。然し美しい実。その蔦を切りとり、くるりと巻き即席リースにし、玄関のドアノブに飾り、ご機嫌な幸せな気分に、素敵❗️と満足。
そのうちに鳥が現れた、逃げる気配はなく、私は名前は、わかんない、でもなんだかとっても可愛い、少し近づくと少し飛び、少し離れて止まり、を少し繰り返し、そうだ写メろっと。スマホを家の中にとりに行く。いなくなってるかなぁ?とドキドキ、なんと❗️ちゃ〜んと物干し竿で待っていてくれる。
可愛いい。撮影会と、バードウォッチングで10分ほど遊んでもらう。こちらが先に「そうだ、庭掃除」と正気に還る。チョンちゃんは、まだまだわたしが、作業を終えるまでお庭で一人で遊んでくれていた。
なんだか、なんだかとっても幸せな気分にさせてもらえた。良い年の始まりだ。