受け入れるということ。自分自身を受け入れるということ、簡単なようでとても難しいことだと思う。
それを見事にやってのけている、我が家の老犬、七福にほれぼれとし思わず尊敬することさえある。何回かブログに書いたが、17歳である。
ご承知の通り、犬などのペットは、子どもの頃からかそのほぼ、全てが飼い主に委ねられていると言っても過言ではないと思う。
何を食べさせてもらうのか?散歩は何回行けるのか?外に居るのか、家の中なのか、閉じ込められるのか、何処のトリマーに何回行けるのか、飼い主が旅行の時ペットホテルに預けられてしまうのか、お家でお留守番なのか、はたまた同行するのかなどなど。
ほぼ、飼い主の好みと都合で勝手に決められる。
勿論、なきごえや行動例えば、床を引っ掻くなどで意志は伝える。コミュ二ケーションも取る。しかし、さて自分の思う方法で飼い主が解決してくれているか?は疑問である。
それでは、彼らは全て受け身なのであろうかそうでは無いとつくづく最近感じる。どんな時にか。
かなりの老犬である、目もかなり見え無い、おやつにぽんとあげた物が本当に見えないんだ、キョロキョロする、前脚の側にあっても見えないここだよ、ここだよと示してやっと、ああここか、ばくりと受け入れる。
前にも書いたが、ゴマ粒から始まった前脚腋下の腫瘍が、ソフトボール大に育ち歩く度に、床に擦れてずっずっと音がし歩くのにも邪魔な筈だ、でもそれすら、当たり前に受け入れている。都度獣医さんに相談した結果腫瘍の成長で飼い主は打つ手がない。オペをしてたら、既にこの世にはいないのかもしれない。
朝、庭に出す外に満足するのも早くなり、ひぇ~ひぇ~と早く入れてと検討違いの場所でなく、抱きかかえてリビングにおろす、ときにそれだけなのにこきっと前脚をくじきそうな感じになる、そして転びそうになったり、転ぶいずれにしても体勢を立て直したあと、可愛くしっぼをふりながら立ち去る。見事な受け入れである。
決められたことを飼い主のいいなりに従っているというのとは、また違う彼の生き方なのである。その見事さに学ばせてもらってますと、感心するのです。
目がみえなくなってくる、どの程度なのか私は捉えられてません、不気味なソフトボール大の腫瘍は歩行を妨げます。
衰えた足腰は転倒を余儀なくされます。
しかし、それらと暮らしながら、彼はいつも明るいのです。笑っているのです。
しっぽで、全身で、表情で。
人間の私は、これらのことがおきつつあり起きています。受け入れようとは努力をしますが、ものごとが起きたときに
はて、さてここまで、明るく、くったつくなく笑っていられるのでしょうか?
勿論人間だから、もっといろんなことも起きながら生きてきました。しかし、何に直面しても、基本がここにある気がしてきました。人間は自分で、開拓していると錯覚している部分がありますが、多くの場合見えない力で動かされ抗えない、とこの頃、とみにに感じます。ならば、彼のように明るく笑って受け入れるを見習うことが大事かもです。
それを見事にやってのけている、我が家の老犬、七福にほれぼれとし思わず尊敬することさえある。何回かブログに書いたが、17歳である。
ご承知の通り、犬などのペットは、子どもの頃からかそのほぼ、全てが飼い主に委ねられていると言っても過言ではないと思う。
何を食べさせてもらうのか?散歩は何回行けるのか?外に居るのか、家の中なのか、閉じ込められるのか、何処のトリマーに何回行けるのか、飼い主が旅行の時ペットホテルに預けられてしまうのか、お家でお留守番なのか、はたまた同行するのかなどなど。
ほぼ、飼い主の好みと都合で勝手に決められる。
勿論、なきごえや行動例えば、床を引っ掻くなどで意志は伝える。コミュ二ケーションも取る。しかし、さて自分の思う方法で飼い主が解決してくれているか?は疑問である。
それでは、彼らは全て受け身なのであろうかそうでは無いとつくづく最近感じる。どんな時にか。
かなりの老犬である、目もかなり見え無い、おやつにぽんとあげた物が本当に見えないんだ、キョロキョロする、前脚の側にあっても見えないここだよ、ここだよと示してやっと、ああここか、ばくりと受け入れる。
前にも書いたが、ゴマ粒から始まった前脚腋下の腫瘍が、ソフトボール大に育ち歩く度に、床に擦れてずっずっと音がし歩くのにも邪魔な筈だ、でもそれすら、当たり前に受け入れている。都度獣医さんに相談した結果腫瘍の成長で飼い主は打つ手がない。オペをしてたら、既にこの世にはいないのかもしれない。
朝、庭に出す外に満足するのも早くなり、ひぇ~ひぇ~と早く入れてと検討違いの場所でなく、抱きかかえてリビングにおろす、ときにそれだけなのにこきっと前脚をくじきそうな感じになる、そして転びそうになったり、転ぶいずれにしても体勢を立て直したあと、可愛くしっぼをふりながら立ち去る。見事な受け入れである。
決められたことを飼い主のいいなりに従っているというのとは、また違う彼の生き方なのである。その見事さに学ばせてもらってますと、感心するのです。
目がみえなくなってくる、どの程度なのか私は捉えられてません、不気味なソフトボール大の腫瘍は歩行を妨げます。
衰えた足腰は転倒を余儀なくされます。
しかし、それらと暮らしながら、彼はいつも明るいのです。笑っているのです。
しっぽで、全身で、表情で。
人間の私は、これらのことがおきつつあり起きています。受け入れようとは努力をしますが、ものごとが起きたときに
はて、さてここまで、明るく、くったつくなく笑っていられるのでしょうか?
勿論人間だから、もっといろんなことも起きながら生きてきました。しかし、何に直面しても、基本がここにある気がしてきました。人間は自分で、開拓していると錯覚している部分がありますが、多くの場合見えない力で動かされ抗えない、とこの頃、とみにに感じます。ならば、彼のように明るく笑って受け入れるを見習うことが大事かもです。