親子の人間関係を学び直す 親業

とても大切な我が子に、貴方を大切に思っているんだよ。という思いをちゃんと伝える方法を学びませんか。

老犬

2014-10-25 06:27:25 | お知らせ
受け入れるということ。自分自身を受け入れるということ、簡単なようでとても難しいことだと思う。
それを見事にやってのけている、我が家の老犬、七福にほれぼれとし思わず尊敬することさえある。何回かブログに書いたが、17歳である。
ご承知の通り、犬などのペットは、子どもの頃からかそのほぼ、全てが飼い主に委ねられていると言っても過言ではないと思う。
何を食べさせてもらうのか?散歩は何回行けるのか?外に居るのか、家の中なのか、閉じ込められるのか、何処のトリマーに何回行けるのか、飼い主が旅行の時ペットホテルに預けられてしまうのか、お家でお留守番なのか、はたまた同行するのかなどなど。
ほぼ、飼い主の好みと都合で勝手に決められる。
勿論、なきごえや行動例えば、床を引っ掻くなどで意志は伝える。コミュ二ケーションも取る。しかし、さて自分の思う方法で飼い主が解決してくれているか?は疑問である。
それでは、彼らは全て受け身なのであろうかそうでは無いとつくづく最近感じる。どんな時にか。
かなりの老犬である、目もかなり見え無い、おやつにぽんとあげた物が本当に見えないんだ、キョロキョロする、前脚の側にあっても見えないここだよ、ここだよと示してやっと、ああここか、ばくりと受け入れる。
前にも書いたが、ゴマ粒から始まった前脚腋下の腫瘍が、ソフトボール大に育ち歩く度に、床に擦れてずっずっと音がし歩くのにも邪魔な筈だ、でもそれすら、当たり前に受け入れている。都度獣医さんに相談した結果腫瘍の成長で飼い主は打つ手がない。オペをしてたら、既にこの世にはいないのかもしれない。
朝、庭に出す外に満足するのも早くなり、ひぇ~ひぇ~と早く入れてと検討違いの場所でなく、抱きかかえてリビングにおろす、ときにそれだけなのにこきっと前脚をくじきそうな感じになる、そして転びそうになったり、転ぶいずれにしても体勢を立て直したあと、可愛くしっぼをふりながら立ち去る。見事な受け入れである。
決められたことを飼い主のいいなりに従っているというのとは、また違う彼の生き方なのである。その見事さに学ばせてもらってますと、感心するのです。
目がみえなくなってくる、どの程度なのか私は捉えられてません、不気味なソフトボール大の腫瘍は歩行を妨げます。
衰えた足腰は転倒を余儀なくされます。
しかし、それらと暮らしながら、彼はいつも明るいのです。笑っているのです。
しっぽで、全身で、表情で。
人間の私は、これらのことがおきつつあり起きています。受け入れようとは努力をしますが、ものごとが起きたときに
はて、さてここまで、明るく、くったつくなく笑っていられるのでしょうか?
勿論人間だから、もっといろんなことも起きながら生きてきました。しかし、何に直面しても、基本がここにある気がしてきました。人間は自分で、開拓していると錯覚している部分がありますが、多くの場合見えない力で動かされ抗えない、とこの頃、とみにに感じます。ならば、彼のように明るく笑って受け入れるを見習うことが大事かもです。

調理実習

2014-10-16 07:07:14 | お知らせ
今年の調理実習が、始まりました。どこの学校でも何故でしょうか、ほとんどの子供達が調理実習を楽しみにしてくれています。
毎日の生活になると、3食手作りするのは時によっては、苦痛であると多くの女性は経験しているのでは、ないのでしょうか?
よく生徒に話すことは、食べる人が美味しかったと食べてくれることが、作る人の何よりの喜びであると。また、作る人が笑顔で作ったものと、不満顔でいやいや作ったものでは、不思議と味に差が出るんだよと。
夏休みに宿題で、食品群別摂取量のめやすを念頭に夕飯を作りましょうというお題を今年は出しました。すると、一食作るだけでも、その困難さに四苦八苦して、大袈裟でなく素直に、保護者の方への畏敬の念を述べるコメントも随分と出ます。そこで、毎日漠然といただくのでなく、美味しかったと言葉で伝えようね、というようなコメントを返します。
いずれにせよ、多くの生徒にとっては、
調理実習は非日常であるし、みんなでの共同作業でなにかを作り出すということは楽しみであるようです。まして、一緒にワイワイガヤガヤと食せるから楽しいようです。
こちらは、包丁での怪我、火傷、食中毒、時間で神経を使います。
授業のカウントでは、1時間実習になり
ます。一人の教員に対して40人の生徒です。10分の放課と30分の昼放課を50分授業に足しても1時間半です。
その時間内に、惣菜を3品つくります。調理、試食、完璧な片付けまでを済ませないとなりません。
到底当日、師範などする余裕はありません。
事前に1時間使い実習の助走をします。レシピ説明をした後、これらを一人で作る計画を練ります、3品「そうね、今回は20分でできるわ。20分で作ってね。」妙にきっばりと言い切ります。あくまで、バーチャルの世界で一人で作るというおけいこです。
プリントの裏に3本線を引き、それぞれのメニューの同時進行でのタイムスケジュールを書いてもらう。
その後、班長を決め、その子の仕切りで5人でやる時の役割分担をしてもらう。
勉強でもスポーツでも同じでしょうが、シュミレーション、イメージトレーニングで8割決まると思うよ、などと自分の経験からの考えを言う。
合同評価は、調理が終わった時点での順位、片付けが終わった時点での順位と
伝えます。出来上がったら調理台はめちゃくちゃのまま報告でもいいし、ある程度片付けてからでもいいよ、それぞれのグループの攻略法だよと。
個人評価は個人の20分で3品のタイムスケジュールの描き方と実習の感想、と伝える。
助走も当日もゲーム感覚も加わり、中々、白熱していると感じます。
私の願いは、男の子も女の子も料理って楽しいなぁ。食事は大切だなぁ。と感じて一生健康に気を配った食生活をしてくれることです。
当然そうであるべきだけど、毎回怪我無しで終了するとホッとします。

秋桜

2014-10-02 06:28:54 | お知らせ
今年も秋桜の季節になった。知り合ったばかりの職場の同僚達に何処か素敵な秋桜畑はないかと?尋ねた。
なんとかという、県外を教えてくれたので、県内でと問うと、なかなか曖昧である。
わたしは、ずーっと秋桜が好きだ。でも秋桜畑には行ったことがない気がする。
今朝も、家から駅までの農道で、秋桜の小さな群れと、ススキの混雑を眺めながら来た。秋だなぁと。無性に広大な秋桜畑に寝そべりたくなった。
春に、秋になったら行こうねと誘われて、バス旅行で今月末銀色に輝くススキの絨毯をながめに曽爾高原?に行く予定はある。
ススキをわざわざ見に行く?一瞬びっくりしたけれど、すぐに、その寂しい光景は心に沁みるだろうと。「うん、行きたい。」と即答。半年を 経てもう直ぐ実現、楽しみである。「昭和枯れすすき」が唯一デュエット出来る曲だし、あの歌詞が無性に好きなので。アクティブな友人のススキのチョイスには驚いたが、私達そんなお年頃かもしれない(笑)
つぎは秋桜だなぁ。前にも書いたけれど、わたしは太宰にはまり、厭世人生にずっぽりはまった。
母はわたしに対して、もっとプラスのエネルギーで、持っている能力を発揮して人生を拓いてゆくことを望んでいだろうに。それでも不甲斐ない娘をいつも肯定して育ててくれた。秋桜。そこにも母の私に対する肯定の思い出がある。職場で職員の作品を展示しないとならないときがあり、怠け者のわたしは大好きな秋桜を押し花にして額に並べただけの作品を作った。それを母は絶賛してくれた。またわたしに「秋桜を手折りて髪にさす少女」という句も詠んでくれていた。後年、この作品は貴女のことよと教えてくれた。
肯定、されることは幸せである。誰かに肯定されることは幸せである。まして大切な人に肯定されることは元気がでる。