陝西省・佳県。
山西省との境界線を成す黄河の南北の真ん中辺りにある。支流の佳芦河が
黄河に注ぎ込む角の高台の上に作られた古い要塞の町である。
西から黄河に注ぎ込む佳芦河が上流からじゃんじゃんと黄土を削り取って黄河に注ぎ込むからか、
ここは黄河の中でも川幅が短く、底が浅く、さらに土砂を堆積したために手前でぐいと河が曲がっており、
流れも緩やかになる。このために古来より有名な渡し場・桃花渡口がある。
佳県は北宋時代に建てられた城塞。今でも佳県は陝西と内モンゴル・オルドス地方の境界線のすぐ下にある。
つまり古来から農耕地帯と遊牧地帯の交差する場所、農耕地帯の最北端である。
これ以上北にいくと、農業ができなくなるというぎりぎりの気候環境。
北宋時代も西夏との前線に近く、北方の騎馬民族が黄河を渡って
山西省に侵入する際は、必ず渡り口になっているここから渡河しようとする。
そのため黄河と佳芦河の交差する高台を要塞化することにより、騎馬民族の渡河を阻止しようというのが、佳県の起こりである。
つづら折りの坂道をぐるぐると回りながら、高台にある佳県の中心部に到着する。
まさに天空に浮いたかと錯覚するような「天空の城」。
黄河とその絶壁の上に立つ佳県の地形がよくわかる写真。ネットより。
南側から写した写真をもう一発。ネットより。
街の中心部の広場は、ごく普通の地方都市の雰囲気。特に北方のムードが出ている。
メインストリートから少し中に入ると、黄土高原のレンガ造りの家が並びます。北京ではもう消えてしまった胡同を彷彿とさせる。
春節明けなので、家々には赤ちょうちんを飾り、祝日の華やかさが。。。
北京ではまず見ることのできない手書きの春聯。
人件費が高いのと、なんといっても春聯は四合院の門構えに一番よく似合う。
アパートの味気ないドアに貼ってもあまり見栄えもしないので、都会ではほとんどが印刷物で済ませてしまうが、
田舎ではまだまだ市場などで手書きの春聯を書いてくれる露店があったりする。
やはりこの方が温もりがあり、自分の気分にあった言葉も選ぶことができるので、
1年の始まりとしては贅沢な習慣ですな。
後から聞いて知ったが、この門構えの上にかかっている絞り染めのような文字。
ほかの地方では見たことのないものですが、郊外にある白雲山(後述)の道士さんに
書いてもらうものだそうな。どこの家にもたくさん貼っているのを見かけるので、値段も手ごろ、
魂のよりどころとして機能しているのですな。
「中国農業銀行 佳県支行」。
星マークがついているので、新中国成立以後に今の状態になったのか。
今は使われておらず、廃屋となっていた。
2月の寒い時期だったので、どこに行ってもストーブが活躍する。
自分も一戸建てで暖房に苦労したことがあるので、ついついストーブの構造に目がいく。。
北京では贅沢で見かけることのない石炭の原石をそのまま焼くタイプのストーブ。
北京では石炭原石は値段が高いので、練炭を重ねる式のストーブしか売っていない。
それもオリンピック以後は、郊外のみの話だが。。
結婚式に出くわした。やっぱりめでたい行事に出会うのは、気分も華やぐというもの。
前方を行く車がビデオ撮影用にルーフが開くタイプなのも必須なんですな。
佳県の旧名は「瑕(くさかんむりに変える、以下Jia県と略称)」県、1960年代に改名されたというから、ごく新しい。
音は同じ、漢字だけを変えた。
清代の古い地図によると、Jia県の城は南北に4km、東西にはわずか1kmにも満たない細長い形をしていたという。
平地の城と違い、形はでこぼこ、元の地形をそのまま利用した形。
今は城壁のほとんどの部分が壊され、残るのはわずか3400mだけ。あまりにも険しく、
壊しても意味のないところ、すでに民家が立て込んでいる場所で角に当たり、
壊したところでほかに住宅が建てられるわけではないところのみが残っている。
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