紘一郎雑記帳

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高杉晋作と坂本龍馬 第2部 紘一郎雑記張

2015-08-06 00:41:49 | Weblog

 高杉晋作と坂本龍馬 第2部 
紘一郎雑記張

長州藩の二百石取りの中級武士の高杉晋作と商家出身で下級武士となった
坂本龍馬は太平の世ならばこの二人、生涯会うこともなかったことでしょう

しかし時代の流れは高杉晋作と坂本竜馬を運命的に結びつけ、二人の出会いが
薩長同盟と言う明治維新のエネルギー源になって大きく世の中を変えていきました。

二人を結びつける要因のひとつにピストル事件があります。
高杉晋作は土佐藩浪士坂本竜馬にピストルを贈っている。
時期は慶応元年(1865年)の年末から翌2年の正月ごろで、
場所は長州の赤間(下関)だとされている。

ピストルはスミス&ウッソン社製・第Ⅱ型アーミーの32口径6連式ピストル(全長25㎝)です。
慶応2年1月24日伏見寺田屋で奉行所にに急襲された龍馬はこのピストルを撃ち
数名を死傷させ脱出に成功した。




同年2月6日に龍馬は木戸孝允(桂小五郎)に次の文面の手紙を送っている。

その手紙には
「かの高杉(晋作)より贈られピストールを以て打ち払い」とあり、
慶応元年(1865)の暮れごろ、高杉晋作から自分を大事にせよ、として贈られたものです。

龍馬はこのピストルを肌身離さず持ち歩きましたが、寺田屋事件で
これを使用して難を逃れましたが、逃走中に捨てられ現存していません
(この複製は高知県立坂本龍馬記念館が所蔵しています)

ちなみに龍馬のもう一つのピストル、スミス&ウエッソン社製・
第Ⅰ型1/2ファースト・イッシューの22口径5連式ピストル(全長17㎝)は
薩摩藩、小松帯刀から贈られています。

確かに晋作は上海でピストルを2丁買っているが、この頃より日本国内でも
ピストルが買うことも可能で晋作も、幾つかのピストルを保持していた事実もあり、
又、龍馬も少なくとも2丁以上のピストルを持っており
寺田屋で撃ったピストルが上海で晋作が買った物かは定かではない。

それは晋作が龍馬にピストルを渡すまで上海から帰って2年以上も経過している。
この間晋作が密輸されたピストルを購入した可能性があるからです。
事実、南北戦争の終ったアメリカより余ったピストルが大量に日本に流れていた。

後に発見された”大村益次郎史科”によると、
桂小五郎、伊藤博文、会田春輔、前原一誠、井上聞多、井上勝など
多くの長州人がピストルを持っていたことが判る。

なお、高杉晋作の遺品であるピストルは靖国神社遊就館に寄託され、
終戦で進駐軍が接収され行方不明になっている。

 明日に続く・第3部 


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