救出した日本人船長に感謝=
ロシア革命期の難民児童800人-孫の女性が来日墓参
紘一郎雑記長
露女性、笠岡の船長の墓参り
ロシア革命(1917年)直後、戦火を避けるために日本の貨物船で出国した子どもたちの孫に当たるロシア人女性が27日、笠岡市を初めて訪れ、当時の船長の墓参をした。墓を管理する船長の遠縁女性とも対面。歴史的な出来事から90年余を経た運命の出会いを子孫たちは喜んだ。
ロシア・サンクトペテルブルク在住で英語教師オルガ・モルキナさん(57)の祖父母が子ども時代の20年、4~20歳の約800人と一緒に、米国赤十字社の呼び掛けに応じた陽明丸に乗船した。船長は笠岡市出身の茅原基治さんで、墓が笠岡市甲弩(こうの)に残ってる。
陽明丸は同7月にウラジオストクを出港。室蘭、ニューヨークなどを経由してフィンランドに到着した。その後、子どもたちは帰国した、
モルキナさんはこの日、墓前で感謝の気持ちを伝えた。「祖父母たちに代わり、お礼を言いたかった。感動的な瞬間。帰国したら、日本の話をほかの子孫に伝えたい」と喜ぶ。
墓を管理する茅原好子さん(78)=同市甲弩=は「基治さんは優しい人だった。船の話は聞いたことがない。墓参を喜んでくれているのでは」と話した。
祖父母から話を聞いていたモルキナさんがロシアで個展を開いていた書家北室南苑さん(64)=金沢市=に船長の情報を依頼。北室さんが船舶会社などを調査して笠岡市の墓や親族を突き止めた。北室さんの活動を知った南山高(名古屋市)の生徒たちがモルキナさんを招待した。
ロシア革命(1917年)後の混乱期、親と離別したロシア人の子どもたちを貨物船で国外に脱出させた日本人船長がいた。当時救出されたロシア人の孫の女性が27日、感謝の気持ちを伝えようと、船長の親族と初めて対面し、岡山県笠岡市にある船長の墓を訪ねた。
船長の名は故茅原基治さん。手記によると、貨物船「陽明丸」は20年7月、ロシア革命で難民となり米国赤十字社に保護された約800人の子どもを乗せ、ウラジオストクを出港した。北海道・室蘭に寄港後、太平洋を横断。パナマ運河を経て大西洋へ抜け、3カ月後にフィンランドへ到着した。
ロシア・サンクトペテルブルクに住む英語教師オルガ・モルキナさん(57)は、祖父母が陽明丸に助けられた。「感謝の気持ちを伝えたい」と思い、金沢市の知人女性に手掛かりを捜すよう依頼。船長の存在を特定し、墓も捜し当てた。
このことを知った南山高校男子部(名古屋市)が、授業の一環としてモルキナさんを招待。船長の遠縁に当たる笠岡市の茅原好子さん(78)らとの対面が実現した。
「とても感動的な瞬間だ」と話すモルキナさんに対し、好子さんは「うれしい。おじさんはとてもいい人だった」と思い出を披露。墓前に供花したモルキナさんは「子どもたちの救出に尽力してくれた全ての人の思い出を、私たち子孫は末永く守っていく」と誓っていた。
嬉しい話しです!!
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