第三部 マリユス
第三編 祖父と孫(岩波文庫第2巻p.418~p.481)
タイトルの「祖父と孫」というのは、もちろんジンノルマン氏とマリユスを指します。老いてなおさかんな好色漢、ジンノルマン氏。鹿島茂氏の『「レ・ミゼラブル」百六景』によれば、それは「最晩年にいたるまで女狂いの止まらなかった」ユゴー自身を連想させるのだとか。ふうん、そうだったのか!
そのジンノルマン氏は、幼い孫のマリユスを連れて、「純粋な王党派」のサロンに出入りするのを習慣としていました。そこは、ナポレオン(ブオナパルト=ボナパルトの皮肉を込めた呼称)派や共和国憲法などに対する「嫌悪の叫び」が上がるような場所でした。サロンに集う人々は、ジンノルマンのかわいらしい孫を「あわれな子」と呼んでいました。なぜなら、彼が「ロアールの無頼漢」と呼ばれる男の息子だったからです。「ロアールの無頼漢」つまりナポレオン軍の軍人としてワーテルローで活躍した、亡くなった長女の婿にあたるこの男を、ジンノルマン氏は「家の恥」と呼んでいました。
しかし、ナポレオン軍がワーテルローで敗れてコルシカ島に流されると、マリユスの父ジョルジュ・ポンメルシーも、王政復古後、大佐の階級も男爵の肩書きも認められず、俸給は半減され、国王監視のもとで花づくりを生きがいとして暮らすようになっていました。愛する息子はジンノルマン氏に強引に引き取られていき、息子の相続権を盾に会うことも禁じられていました。
子供はマリユスという名だったが、自分に父のあることを知っていた。しかしそれ以上は何もわからなかった。だれもそれについては聞かしてくれなかった。けれども、祖父から連れてゆかれる社交場での、人々のささやきや目くばせなどは、長い間に子供の目を開かせ、ついに子供に多少の事情をさとらした。そして、言わば彼の呼吸する雰囲気であるそれらの思想や意見は、自然と彼のうちに徐々に湿潤し侵入してきて、いつのまにか彼は、父のことを思うと一種の屈辱と心痛とを感ずるようになった。
父に対するそんな感情とともに、マリユスの政治的・思想的な考えもまたこのサロンによって形成されていきます。何しろ、祖父とともに週2回訪れるサロンは、彼にとって「世間に対する知識のすべて」だったのです。マリユスが王党派に与するようになることは、ナポレオン派の父を憎むようになるのと同じくらい当然の帰結でした。
サロンに集う、過去の遺物、いわば「幽霊」たちの例を、ユゴーは実名を挙げつつ説明していきます。そこで使われる「肩書き」ももはや時代遅れのものに過ぎない。面白いなと思ったのは、次のようなエピソードです。
チュイルリー宮殿において、王に向かって親しく言葉を向ける時には、いつも国王という三人称を用いて、決して陛下とは言わない巧妙さを作り出したのは、やはりこの上流の小社会であった。なぜなら、陛下という称号は、「簒奪者(訳者注 ナポレオン)によって汚された」からである。
確かに、ナポレオンは皇帝「陛下」でした。ことほどさように、彼らは「肩書き」とか「呼称」にこだわっていたのです。ユゴーはそのことを皮肉を込めて描いています。ただ、ユゴーはそのような「小社会」について、こんなことも言っています。
…その小社会も、偉大さを持っていたことを言っておきたい。人はそれをほほえむことはできよう、しかしそれを軽蔑しまたは憎むことはできない。それは昔のフランスだったのである。
どんな時代でも「母たる祖国」の歴史の一部分であるから、親愛と尊敬の念を持ちたいということでしょう。ただ、ユゴーにとっては、マリユスが少年時代に多大なる影響を受けたサロンは、実は彼自身の経験とも重なるのです。ユゴーの父は、マリユスの父と同じようにナポレオン軍の将校でしたが、母はそれを嫌い、ブルボン朝を賛美する熱烈な王党派となりました。そして、仲間の集うサロンを開き、その影響でユゴー少年もまた王党派の支持者となります。マリユスはユゴー自身の姿とも言えます。そして、マリユスが長ずるにつれ、王党派からしだいに共和派に変節していく姿もまた、ユゴー自身の歩みと重なるのです。
さて、1827年、マリユス17歳のある日、ジンノルマン氏が彼に突然、父に会いに行くよう告げます。娘婿が病気だという手紙をジンノルマン氏は受け取っていたのです。父への反感から躊躇しつつもしぶしぶ出かけたマリユスを待っていたのは、父の遺体でした。父の死に何の感慨も抱けなかったマリユスですが、その時マリユスは、のちに彼の運命を大きく変えることになる父の遺書を手にするのです。遺書には、自分の爵位を息子に譲ること、そして、ワーテルローで自分の命を救ってくれたテナルディエという軍曹に礼を尽くすようしたためられていました。
その後マリユスは、教会で出会った一人の老人から、父がいつもこの教会で、柱の陰に隠れて息子の姿を見ては涙を流していたことを聞かされます。マリユスの父に対する思いは、それをきっかけとして大きく変化します。図書館で革命からナポレオン時代に至る歴史をむさぼり読み、ナポレオン軍の報告書の中に父の名を見いだして興奮します。彼は「父を崇拝し始めていた」。そして、それは同時に、彼の政治的な思想にも変化をもたらすのです。
その時まで彼にとっては、共和、帝国、などという言葉はただ恐ろしいものにすぎなかった。共和とは薄暮のうちの一断頭台であり、帝国とは暗夜のうちの一サーベルであった。しかるに今彼はその中をのぞき込んで、混沌たる暗黒をのみ予期していたところに、恐れと喜びとの交じった一種の異様な驚きをもって、星辰の輝くのを見たのである。ミラボー、ヴェルニオー、サン・ジュスト、ロベスピエール、カミーユ・デムーラン、ダントン、それから、上り行く太陽のナポレオン。
ユゴーは、マリユスの上に起こったこの劇的な変化を、父との関係において説明します。それもまた、ユゴー自身の体験に基づくものでした。ユゴーも、母の死をきっかけに疎遠だった父と通じるようになり、ついには和解し、父の影響で王党派からナポレオン賛美者へと変わっていったのです。そのことは、次の一文によく表れています。
マリユスは、自分の父を了解していなかったと同じく今まで自分の国を了解していなかったことに、その時初めて気づいた。彼は両者いずれをも知らなかったのである。そして好んで自分の眼に一種の闇を着せていたのである。しかるに今や彼は眼を開いてながめた。そして一方では賛嘆し、一方では愛慕した。
「賛嘆」の対象は、父が仕えたナポレオン。彼はその一途な性格もあって、突如、熱烈にナポレオンに「帰依」するようになります。ナポレオンこそが「民衆人」である。そして、「愛慕」の対象たるのは父。しかしその父はもはやこの世にいない。マリユスは今更ながら深い悲しみと後悔の念にさいなまれるのです。その感情は、「自然の結果」として祖父ジンノルマン氏から彼自身を遠ざけるに至ります。
愚かな動機によって彼を無慈悲にも大佐から引き離し、かくて父から子供を奪い子供から父を奪ったのは、実にジンノルマン氏であったことを思うと、マリユスは言うべからざる反撥の情を覚えた。
父に対する愛慕のために、マリユスはほとんど祖父を嫌悪するに至った。
ジンノルマン氏の方は、マリユスのそんな変化など知る由もありません。家をあけることが多くなったことも、「女性」関係だろうと思っています。実は、マリユスが4日間ほど留守にした時、父の遺書にあったテナルディエをたずねていたことなど全く知らない。もっとも、テナルディエは既に宿屋を閉じ、家族共々行方知れずとなっていたのですが。
マリユスの「秘密」が暴かれるのは、ジンノルマン氏の「老嬢」の差し金によるものでした。彼女は甥のテオデュールに命じて、マリユスの行く先をこっそりつけさせます。てっきりマリユスが「女」のところに向かうのだと思っていると、彼は教会の裏手の墓地に入っていきます。そして、テオデュールは、ある墓の前でむせび泣く姿を目撃するのです。その墓に刻まれた名前は「陸軍大佐男爵ポンメルシー」。
テオデュールは、そのことを伯母には何も伝えないことにするのですが、「事件」は3日後にマリユスが帰ってきた時に起こります。彼が持ち歩いていた黒い小箱を、ジンノルマン氏が開けてみると、そこにはマリユスの父の遺書が丁寧に折り畳まれて入っていました。それから、マリユスが作らせた「男爵マリユス・ポンメルシー」という名刺。それらを見て、ジンノルマン氏はすべてを悟り、マリユスを呼びつけます。
やがてマリユスが現われた。戻ってきたのである。そして室の部屋の閾(しきい)をまたがないうちに、祖父が自分の名刺を一枚手に持ってるのを見た。祖父は彼の姿を見るや、何かしらてきびしい市民的な冷笑的な高圧さで叫んだ。
「これ、これ、これ、これ、お前は今は男爵だな。お祝いを言ってあげよう。いったい何という訳だ?」
マリユスは少し顔を赤らめて答えた。
「私は父の子だという訳です。」
ジンノルマン氏は冷笑をやめて、きびしく言った。
「お前の父というのは、私だ。」
「私の父は、」マリユスは目を伏せ厳格な様子をして言った、「謙遜なそして勇壮な人でした。共和とフランスとにりっぱに仕えました。人間がかつて作った最も偉大な歴史の中の偉人でした。二十五年余りの間露営のうちに暮らしました、昼は砲弾と銃火の下に、夜は雪の中に、泥にまみれ、雨に打たれて暮らしました。軍旗を二つ奪いました。二十余の傷を受けました。そして忘れられ捨てられて死にました。しかもその誤ちと言ってはただ、自分の国と私と、ふたりの忘恩者をあまりにも愛しすぎたということばかりでした。」
マリユスの心情そのものをストレートに表した、いいセリフです。しかし、ジンノルマン氏にとっては耐えられない言葉でした。マリユスの父を口汚く罵倒し、「ブオナパルテ」に仕えた奴らは皆謀反人だと言い放つ。そして、ついにはマリユスに「出て行け」と叫ぶのです。
行き先も告げずに長年住み慣れた家を出て行くマリユス。彼がコゼットやジャン・バルジャンと出会うのは、もう少し先のことです。
第三編 祖父と孫(岩波文庫第2巻p.418~p.481)
タイトルの「祖父と孫」というのは、もちろんジンノルマン氏とマリユスを指します。老いてなおさかんな好色漢、ジンノルマン氏。鹿島茂氏の『「レ・ミゼラブル」百六景』によれば、それは「最晩年にいたるまで女狂いの止まらなかった」ユゴー自身を連想させるのだとか。ふうん、そうだったのか!
そのジンノルマン氏は、幼い孫のマリユスを連れて、「純粋な王党派」のサロンに出入りするのを習慣としていました。そこは、ナポレオン(ブオナパルト=ボナパルトの皮肉を込めた呼称)派や共和国憲法などに対する「嫌悪の叫び」が上がるような場所でした。サロンに集う人々は、ジンノルマンのかわいらしい孫を「あわれな子」と呼んでいました。なぜなら、彼が「ロアールの無頼漢」と呼ばれる男の息子だったからです。「ロアールの無頼漢」つまりナポレオン軍の軍人としてワーテルローで活躍した、亡くなった長女の婿にあたるこの男を、ジンノルマン氏は「家の恥」と呼んでいました。
しかし、ナポレオン軍がワーテルローで敗れてコルシカ島に流されると、マリユスの父ジョルジュ・ポンメルシーも、王政復古後、大佐の階級も男爵の肩書きも認められず、俸給は半減され、国王監視のもとで花づくりを生きがいとして暮らすようになっていました。愛する息子はジンノルマン氏に強引に引き取られていき、息子の相続権を盾に会うことも禁じられていました。
子供はマリユスという名だったが、自分に父のあることを知っていた。しかしそれ以上は何もわからなかった。だれもそれについては聞かしてくれなかった。けれども、祖父から連れてゆかれる社交場での、人々のささやきや目くばせなどは、長い間に子供の目を開かせ、ついに子供に多少の事情をさとらした。そして、言わば彼の呼吸する雰囲気であるそれらの思想や意見は、自然と彼のうちに徐々に湿潤し侵入してきて、いつのまにか彼は、父のことを思うと一種の屈辱と心痛とを感ずるようになった。
父に対するそんな感情とともに、マリユスの政治的・思想的な考えもまたこのサロンによって形成されていきます。何しろ、祖父とともに週2回訪れるサロンは、彼にとって「世間に対する知識のすべて」だったのです。マリユスが王党派に与するようになることは、ナポレオン派の父を憎むようになるのと同じくらい当然の帰結でした。
サロンに集う、過去の遺物、いわば「幽霊」たちの例を、ユゴーは実名を挙げつつ説明していきます。そこで使われる「肩書き」ももはや時代遅れのものに過ぎない。面白いなと思ったのは、次のようなエピソードです。
チュイルリー宮殿において、王に向かって親しく言葉を向ける時には、いつも国王という三人称を用いて、決して陛下とは言わない巧妙さを作り出したのは、やはりこの上流の小社会であった。なぜなら、陛下という称号は、「簒奪者(訳者注 ナポレオン)によって汚された」からである。
確かに、ナポレオンは皇帝「陛下」でした。ことほどさように、彼らは「肩書き」とか「呼称」にこだわっていたのです。ユゴーはそのことを皮肉を込めて描いています。ただ、ユゴーはそのような「小社会」について、こんなことも言っています。
…その小社会も、偉大さを持っていたことを言っておきたい。人はそれをほほえむことはできよう、しかしそれを軽蔑しまたは憎むことはできない。それは昔のフランスだったのである。
どんな時代でも「母たる祖国」の歴史の一部分であるから、親愛と尊敬の念を持ちたいということでしょう。ただ、ユゴーにとっては、マリユスが少年時代に多大なる影響を受けたサロンは、実は彼自身の経験とも重なるのです。ユゴーの父は、マリユスの父と同じようにナポレオン軍の将校でしたが、母はそれを嫌い、ブルボン朝を賛美する熱烈な王党派となりました。そして、仲間の集うサロンを開き、その影響でユゴー少年もまた王党派の支持者となります。マリユスはユゴー自身の姿とも言えます。そして、マリユスが長ずるにつれ、王党派からしだいに共和派に変節していく姿もまた、ユゴー自身の歩みと重なるのです。
さて、1827年、マリユス17歳のある日、ジンノルマン氏が彼に突然、父に会いに行くよう告げます。娘婿が病気だという手紙をジンノルマン氏は受け取っていたのです。父への反感から躊躇しつつもしぶしぶ出かけたマリユスを待っていたのは、父の遺体でした。父の死に何の感慨も抱けなかったマリユスですが、その時マリユスは、のちに彼の運命を大きく変えることになる父の遺書を手にするのです。遺書には、自分の爵位を息子に譲ること、そして、ワーテルローで自分の命を救ってくれたテナルディエという軍曹に礼を尽くすようしたためられていました。
その後マリユスは、教会で出会った一人の老人から、父がいつもこの教会で、柱の陰に隠れて息子の姿を見ては涙を流していたことを聞かされます。マリユスの父に対する思いは、それをきっかけとして大きく変化します。図書館で革命からナポレオン時代に至る歴史をむさぼり読み、ナポレオン軍の報告書の中に父の名を見いだして興奮します。彼は「父を崇拝し始めていた」。そして、それは同時に、彼の政治的な思想にも変化をもたらすのです。
その時まで彼にとっては、共和、帝国、などという言葉はただ恐ろしいものにすぎなかった。共和とは薄暮のうちの一断頭台であり、帝国とは暗夜のうちの一サーベルであった。しかるに今彼はその中をのぞき込んで、混沌たる暗黒をのみ予期していたところに、恐れと喜びとの交じった一種の異様な驚きをもって、星辰の輝くのを見たのである。ミラボー、ヴェルニオー、サン・ジュスト、ロベスピエール、カミーユ・デムーラン、ダントン、それから、上り行く太陽のナポレオン。
ユゴーは、マリユスの上に起こったこの劇的な変化を、父との関係において説明します。それもまた、ユゴー自身の体験に基づくものでした。ユゴーも、母の死をきっかけに疎遠だった父と通じるようになり、ついには和解し、父の影響で王党派からナポレオン賛美者へと変わっていったのです。そのことは、次の一文によく表れています。
マリユスは、自分の父を了解していなかったと同じく今まで自分の国を了解していなかったことに、その時初めて気づいた。彼は両者いずれをも知らなかったのである。そして好んで自分の眼に一種の闇を着せていたのである。しかるに今や彼は眼を開いてながめた。そして一方では賛嘆し、一方では愛慕した。
「賛嘆」の対象は、父が仕えたナポレオン。彼はその一途な性格もあって、突如、熱烈にナポレオンに「帰依」するようになります。ナポレオンこそが「民衆人」である。そして、「愛慕」の対象たるのは父。しかしその父はもはやこの世にいない。マリユスは今更ながら深い悲しみと後悔の念にさいなまれるのです。その感情は、「自然の結果」として祖父ジンノルマン氏から彼自身を遠ざけるに至ります。
愚かな動機によって彼を無慈悲にも大佐から引き離し、かくて父から子供を奪い子供から父を奪ったのは、実にジンノルマン氏であったことを思うと、マリユスは言うべからざる反撥の情を覚えた。
父に対する愛慕のために、マリユスはほとんど祖父を嫌悪するに至った。
ジンノルマン氏の方は、マリユスのそんな変化など知る由もありません。家をあけることが多くなったことも、「女性」関係だろうと思っています。実は、マリユスが4日間ほど留守にした時、父の遺書にあったテナルディエをたずねていたことなど全く知らない。もっとも、テナルディエは既に宿屋を閉じ、家族共々行方知れずとなっていたのですが。
マリユスの「秘密」が暴かれるのは、ジンノルマン氏の「老嬢」の差し金によるものでした。彼女は甥のテオデュールに命じて、マリユスの行く先をこっそりつけさせます。てっきりマリユスが「女」のところに向かうのだと思っていると、彼は教会の裏手の墓地に入っていきます。そして、テオデュールは、ある墓の前でむせび泣く姿を目撃するのです。その墓に刻まれた名前は「陸軍大佐男爵ポンメルシー」。
テオデュールは、そのことを伯母には何も伝えないことにするのですが、「事件」は3日後にマリユスが帰ってきた時に起こります。彼が持ち歩いていた黒い小箱を、ジンノルマン氏が開けてみると、そこにはマリユスの父の遺書が丁寧に折り畳まれて入っていました。それから、マリユスが作らせた「男爵マリユス・ポンメルシー」という名刺。それらを見て、ジンノルマン氏はすべてを悟り、マリユスを呼びつけます。
やがてマリユスが現われた。戻ってきたのである。そして室の部屋の閾(しきい)をまたがないうちに、祖父が自分の名刺を一枚手に持ってるのを見た。祖父は彼の姿を見るや、何かしらてきびしい市民的な冷笑的な高圧さで叫んだ。
「これ、これ、これ、これ、お前は今は男爵だな。お祝いを言ってあげよう。いったい何という訳だ?」
マリユスは少し顔を赤らめて答えた。
「私は父の子だという訳です。」
ジンノルマン氏は冷笑をやめて、きびしく言った。
「お前の父というのは、私だ。」
「私の父は、」マリユスは目を伏せ厳格な様子をして言った、「謙遜なそして勇壮な人でした。共和とフランスとにりっぱに仕えました。人間がかつて作った最も偉大な歴史の中の偉人でした。二十五年余りの間露営のうちに暮らしました、昼は砲弾と銃火の下に、夜は雪の中に、泥にまみれ、雨に打たれて暮らしました。軍旗を二つ奪いました。二十余の傷を受けました。そして忘れられ捨てられて死にました。しかもその誤ちと言ってはただ、自分の国と私と、ふたりの忘恩者をあまりにも愛しすぎたということばかりでした。」
マリユスの心情そのものをストレートに表した、いいセリフです。しかし、ジンノルマン氏にとっては耐えられない言葉でした。マリユスの父を口汚く罵倒し、「ブオナパルテ」に仕えた奴らは皆謀反人だと言い放つ。そして、ついにはマリユスに「出て行け」と叫ぶのです。
行き先も告げずに長年住み慣れた家を出て行くマリユス。彼がコゼットやジャン・バルジャンと出会うのは、もう少し先のことです。
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