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「心でっかち」の危険

2007-02-05 | ■教育
しばらく前の朝日新聞に「心でっかち」という言葉がありました(2006年10月3日付け)。

北海道大学の山岸俊男教授(社会心理学)がつくった言葉だそうです。教育再生のキャッチフレーズのように使われる「子どものモラルの低下」とか「規範意識の向上」。これらは、「心がすべて」という考え方に基づいているのだという。いじめをなくすためには、いじめる子どもたちの「心を入れ替えさえすればいい」という考え方こそ、「心でっかち」の最たるもの。

日本人は無宗教のわりには「心」が大好きですからね。何でも「心」に置き換えたがる傾向があります。当然、教育の世界でも「心」の教育が重んじられます。特に近代以降、西欧の個人主義思想のおかげで日本人に「思いやりの心」がなくなってきて、いじめとか青少年をめぐる殺伐とした事件が起こるようになってきた、てなことを当たり前のように口にする人々もいます。

山岸教授は、それが「思い込み」にしかすぎないことを、「実験」により明らかにしているのだそうです。たとえば、集団行動の取り方を見るために、米国人と日本人を実験室に入れて行動を観察すると、米国人の方が集団に協力的で、日本人の方が一匹狼的な行動をとる傾向がみられたといいます。これは、「日本人は会社人間が多くて集団主義で、米国人は個人主義である」という私たちの「常識」を覆すものです。つまり日本人が「集団主義」的に見えるのは、実は社会や世間のしがらみによるものであり、実験室という隔絶された場においては集団に従う行動はあまり取らない。日本人一人一人はけっこう「個人主義」的なのではないか…。いじめについても同じで、多くの場合、「みんながいじめるからいじめる」あるいは「いじめに加わらないと自分がいじめられる」という教室の中の「しがらみ」に支配されているに過ぎないという。

山岸教授は言います。「一人一人に『心を入れ替えなさい』と要求する発想には、ひとは完全に独立して自分の行動を決めているという前提がある。それは根本的な間違い」。むむ。たしかにそうですね。私たちの行動を振り返ってみると、「人の顔色」をうかがって取る行動って、けっこう多いですよね。というより、そっちの方がむしろ多いのかも知れません。きっと、そんな集団意識を「良い方向」に向けることが大事なのです。教室では、「いじめは良くないことだ!」という集団意識をつくり出すことの方が、いじめっ子一人一人の「心を入れ替える」なんてたいそうなことを試みるよりずっと効果的なのかもしれません。

「心でっかち」は、現実を正しく見る目を曇らせます。日本には昔からいい言葉があるではないですか。「心・技・体」。もともとは相撲の世界の言葉なのでしょうか? ただ、「技」を「学力」と考えれば、学校でも社会でも通用する言葉です。個人の中で、この3つのバランスがきちんと取られていて、その上で社会との調和が存在するのだと思います。

「頭でっかち」も良くないけど、「心でっかち」はもっとこわいのです。

 

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