Child Is Born / Junko Mine with Thad Jones & Mel Lewis
日々の人との出会いが、その人の人生を作っていく。もしあの時、あの人に会っていなかったら・・・。時に、ある出会いがその人の人生を大きく変えることになる。
自分の今までの人生を振り返ってみても思い当たる出会いはたくさんあるが、ジャズミュージシャンにとっては、ツアー先での出会いというのが、お互い大きな意味を持つことがあるだろう。訪れた側にとっても、迎える側にとっても・・・・。
1975年、サドメルのオーケストラが3度目の来日をした。その時の彼らの置き土産はフランクフォスターのビッグバンドのアルバムだったが、この時の日本ツアーは前年のツアーの成功を踏まえて、日本の津々浦々を約一ヶ月間廻る大ツアーであり、サドメルオーケストラの生の演奏を日本中に広めたのが、最大のお土産であったろう。
この時まだオーケストラに在籍していたペッパーアダムスはツアーが大好きな理由の一つに、旅の行き先での博物館周りがあると語っている。彼は、その国、地方での人々や文化に直接接することも楽しみにしていた。軍隊時代に韓国に駐留していた時も、積極的に韓国の文化に接して、いたく興味を持ったそうだ。ツアーの最中、ホテルに籠もってカードに昂じている仲間達を、「せっかく見知らぬ土地に来ているのになんともったいない時間を過ごしているのか」といつも思っていたそうだ。日本の地方としてアダムスが何の発見をしたか興味がある。
その時、サドメルオーケストラが東京に滞在している間、宿にしていたのが高輪プリンス。そのナイトスポットに出演していたのが峰純子。そこに出演していたのは1961年以来というから、いわゆるハウスバンド&シンガーとして知る人ぞ知る歌手であった。
たまたまサド・メル滞在中のある日、メンバーの一人であるジョージムラツが彼女とそこで一緒に演奏する約束をしたが、生憎当日体調が悪くてプレーできなくなってしまった。それを聞いたサドジョーンズとメルルイスが、同じホテルということもありお詫びを兼ねて彼女のステージを聴きに行った。彼女のボーカルを気に入って、セカンドステージでは2人がステージに上がって一緒にプレーをすることになった。
普通であれば、彼女との出会いもそこまでであったが、何と、彼らはその滞在中に彼女とアルバムを作ることになった。メンバーは、その時は参加できなかったジョージムラツにピアノウォルターノリスが加わり、曲によっては普段彼女のバックを務めていた渡辺保明も加わった。
急な録音ということもあったのであろう、前年のディーディーブリッジウォーターのアルバムとは異なり、無難なスタンダード曲が選ばれた。ピアノとベースだけのバックで始まるマイファニーバレンタイン。低音でストレートに素直な歌いっぷりは彼女の特徴。トリオのバックだけでなく、ピアノだけのバックも彼女の歌にはよく似合う。レコーディングだからといった気負いも無く、彼女が普段ホテルで歌っているのと同じ雰囲気が伝わってくる。サドジョーンのコルネットが加わると、スペシャルセッションの色合いが濃くなる。
スタンダード中心の中に、唯一サドジョーンズのオリジナル「チャイルドイズボーン」が収められている。この曲も今ではスタンダード曲の仲間入りをしているが、その時はまだそれほど知られているわけではなかった。歌詞となると尚更で、急遽アメリカから歌詞を送ってもらったという。
バラードをしっかりと歌う彼女にはお似合いの曲だ、そして、アルバムタイトルにもなった。サドジョーンズとの共演を思い出に残すにはこの一曲はベストだったと思う。
ゴルフには「たられば」は通用しないが、普通の人生は、この「たられば」の連続である。
もし、彼女がジョージムラツと約束をしなかったら、そして体調が悪くならなかったら、サドジョーンとメルルイスが彼女のステージを聴きに行かなかったら、結果的にこのアルバムは生まれなかった。峰純子のファーストアルバムが生まれたのには、災い転じて福となったこの思いがけないサド・メルとの出会いが一役買ったことになる。
1. My Funny Valentine
2. Here’s That Rainey Day
3. I Can’t Give You Anything But Love
4. My One And Only Love
5. That Old Feeling
6. The Nearness Of You
7. A Child Is Born
8. After You’ve Gone
9. The Man I Love
10. On The Sunny Side Of The Street
11. The Good Life
Junko Mine (vol)
Water Noriris (p)
Yasuaki Watanabe (p) (5,10)
Gerge Mraz (b)
Mel Lewis (ds)
Produced by Takao Ishizuka
Engineer : Hiroshi Satoh
Recorded at Mouri Studio, Tokyo on November 25, 1975
日々の人との出会いが、その人の人生を作っていく。もしあの時、あの人に会っていなかったら・・・。時に、ある出会いがその人の人生を大きく変えることになる。
自分の今までの人生を振り返ってみても思い当たる出会いはたくさんあるが、ジャズミュージシャンにとっては、ツアー先での出会いというのが、お互い大きな意味を持つことがあるだろう。訪れた側にとっても、迎える側にとっても・・・・。
1975年、サドメルのオーケストラが3度目の来日をした。その時の彼らの置き土産はフランクフォスターのビッグバンドのアルバムだったが、この時の日本ツアーは前年のツアーの成功を踏まえて、日本の津々浦々を約一ヶ月間廻る大ツアーであり、サドメルオーケストラの生の演奏を日本中に広めたのが、最大のお土産であったろう。
この時まだオーケストラに在籍していたペッパーアダムスはツアーが大好きな理由の一つに、旅の行き先での博物館周りがあると語っている。彼は、その国、地方での人々や文化に直接接することも楽しみにしていた。軍隊時代に韓国に駐留していた時も、積極的に韓国の文化に接して、いたく興味を持ったそうだ。ツアーの最中、ホテルに籠もってカードに昂じている仲間達を、「せっかく見知らぬ土地に来ているのになんともったいない時間を過ごしているのか」といつも思っていたそうだ。日本の地方としてアダムスが何の発見をしたか興味がある。
その時、サドメルオーケストラが東京に滞在している間、宿にしていたのが高輪プリンス。そのナイトスポットに出演していたのが峰純子。そこに出演していたのは1961年以来というから、いわゆるハウスバンド&シンガーとして知る人ぞ知る歌手であった。
たまたまサド・メル滞在中のある日、メンバーの一人であるジョージムラツが彼女とそこで一緒に演奏する約束をしたが、生憎当日体調が悪くてプレーできなくなってしまった。それを聞いたサドジョーンズとメルルイスが、同じホテルということもありお詫びを兼ねて彼女のステージを聴きに行った。彼女のボーカルを気に入って、セカンドステージでは2人がステージに上がって一緒にプレーをすることになった。
普通であれば、彼女との出会いもそこまでであったが、何と、彼らはその滞在中に彼女とアルバムを作ることになった。メンバーは、その時は参加できなかったジョージムラツにピアノウォルターノリスが加わり、曲によっては普段彼女のバックを務めていた渡辺保明も加わった。
急な録音ということもあったのであろう、前年のディーディーブリッジウォーターのアルバムとは異なり、無難なスタンダード曲が選ばれた。ピアノとベースだけのバックで始まるマイファニーバレンタイン。低音でストレートに素直な歌いっぷりは彼女の特徴。トリオのバックだけでなく、ピアノだけのバックも彼女の歌にはよく似合う。レコーディングだからといった気負いも無く、彼女が普段ホテルで歌っているのと同じ雰囲気が伝わってくる。サドジョーンのコルネットが加わると、スペシャルセッションの色合いが濃くなる。
スタンダード中心の中に、唯一サドジョーンズのオリジナル「チャイルドイズボーン」が収められている。この曲も今ではスタンダード曲の仲間入りをしているが、その時はまだそれほど知られているわけではなかった。歌詞となると尚更で、急遽アメリカから歌詞を送ってもらったという。
バラードをしっかりと歌う彼女にはお似合いの曲だ、そして、アルバムタイトルにもなった。サドジョーンズとの共演を思い出に残すにはこの一曲はベストだったと思う。
ゴルフには「たられば」は通用しないが、普通の人生は、この「たられば」の連続である。
もし、彼女がジョージムラツと約束をしなかったら、そして体調が悪くならなかったら、サドジョーンとメルルイスが彼女のステージを聴きに行かなかったら、結果的にこのアルバムは生まれなかった。峰純子のファーストアルバムが生まれたのには、災い転じて福となったこの思いがけないサド・メルとの出会いが一役買ったことになる。
1. My Funny Valentine
2. Here’s That Rainey Day
3. I Can’t Give You Anything But Love
4. My One And Only Love
5. That Old Feeling
6. The Nearness Of You
7. A Child Is Born
8. After You’ve Gone
9. The Man I Love
10. On The Sunny Side Of The Street
11. The Good Life
Junko Mine (vol)
Water Noriris (p)
Yasuaki Watanabe (p) (5,10)
Gerge Mraz (b)
Mel Lewis (ds)
Produced by Takao Ishizuka
Engineer : Hiroshi Satoh
Recorded at Mouri Studio, Tokyo on November 25, 1975
ア・チャイルド・イズ・ボーン | |
峰 純子 | |
アブソードミュージックジャパン |