マハロ日記

ワイキキだけがハワイじゃない。ハワイ・カントリーライフ。

異文化が共存するハワイ♪

2007-02-12 | ハワイの暮らし

近くのラグーンにて撮影。朝焼けがとても綺麗でした。

  


 

ハワイは異文化が共存しているので

1年を通していろんな国のイベントが楽しめます。

 

今月は中国の旧正月です。

 

ハワイの人口の中で、約5%を占めるといわれる中国系ですが

ハワイでチャイニーズ・ニュー・イヤーと呼ばれるこの日(今年は218日)は

爆竹が鳴り響きます。

 

そういえば、大晦日の夜も、12時になると

ロコたちがあちこちで爆竹をならし、町中爆竹の煙で真っ白になって

風向きによっては家の中も火薬のにおいが立ち込めて

大変だったことを思い出しました。

火の不始末で毎年何処かしらで火事が起こるくらい盛大です。

 

旧正月のこの日、たくさんのロコも集まるチャイナタウン

他、各所で伝統のライオン・ダンスが新年の訪れを告げにやってきます。

 

ライオンは、繁栄や幸福などの象徴だそうで

おめでたいことが大好きな中国人のお正月には

なくてはならない存在だそうです。

 

ライオン・ダンスは、日本の獅子舞のようですが

カラフルさやパフォーマンスの派手さは、まったくそれとは別です。

 

先日、一足先に近所のショッピングセンターで

目が覚めるような大きな銅鑼の音が響き渡る中で

ライオン・ダンスが披露されました。

 


 

 

 

まるでアクロバットかサーカスを見ているかのような

見事なパフォーマンスです。

 

 

国によって違う形のお祭り儀式ですが

人々が幸福を願う気持は何処の国も同じのようです。

今年、沢山の幸福が訪れますように。


♪ケアリイ・レイシェル♪

2007-02-02 | ハワイのアーティスト


ハワイの青い海、空、風にそよぐ木々、惜しげもなく咲き乱れる南国の花々にはハワイアン・サウンドが良く似合あいます。

ハワイに来るまでハワイアン・サウンドにはまったく興味がありませんでした。

ところが、あるアーティストに出会ってから、それは一変しました。


日本の”涙そうそう”のカバー曲を歌っているケアリイ・レイシェル(Keali'i Reichel)です。



1800年代、ハワイ人は公共の場で母国語を話すことが禁じられていたそうです。
そのためケアリイ・レイシェルが生まれた頃には
母国語で話せる人は100人足らずにまで減少したとのことです。

高い犯罪率と貧困に悩まされていたハワイ人は
米国から受けた経済的・文化的打撃からの復興で今世紀の大半を過ごしたようです。

”涙そうそう”のカバー曲、”Ka Nohana Pili Kai(カ・ノホナ・ピリ・カイ)”も
そんな立場から、辛い歴史を持つ島である沖縄へのシンパシーがあって実現したもののようです。



こうした背景も反映され、レイシェルは文化のバック・ボーンにある言語に目を向け
ハワイ大学でハワイ語を勉強し、17歳からチャント(詠唱)を独学で学び始め
19才で自身のフラ団体(halau)を結成し
その後、文化、芸術における州基金からの援助を得て正式にチャントを学んだそうです。

そして、英語のポップスと伝統音楽を組み合わせたスタイルを確立し
94年のデビュー・アルバムは、マドンナを抜いてNO.1を獲得し
ハワイの音楽史上過去最高のセールス記録を樹立したそうです。








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写真左がベストアルバムです(3つ折で左がディスク1、右がディスク2。真ん中が歌詞カード)。
ディスク1にはメレ(歌)ディスク2にはオリ(詠唱、チャント)という構成でケアリイのヒストリーが辿れるようになっています。

写真右がケアラオカマイレ。自分にルーツを教えてくれたおばあちゃんの死を契機に作ったアルバムだそうです。


彼の曲はありきたりのハワイアン・サウンドに陥ることなく、
美しいハワイのリズムを刻んでいます。


中でも、ハワイ語で歌う
Ka Nohana Pili Kai(涙そうそう)
は暖かく、優しく語りかけてくれるようなソフトな歌声に
泣きそうになるくらいこみあげてくる感動があります。


いつか彼の生の歌声を聴きたいなぁ・・。