数え切れない多くの尊い命が失われました。
あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、
63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。
原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。
原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。 放射線の影響で突然病に倒れる人。
あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。
でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。
平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。
忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、
年々人々の心から薄れていると思います。
しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、
小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。
失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、
命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。
だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、
ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、
そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。
また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、
深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。
ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。
みなさん、見ていて下さい。
私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。
平成20年(2008年)8月6日
こども代表 広島市立幟町小学校6年 今井(いまい) 穂花(ほのか)
広島市立吉島東小学校6年 本堂(ほんどう) 壮太(そうた)
広島こども宣言に 毎年感動する 前文をコピーした 秋葉忠利市長は
「今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力」と呼びかけた
昨夜プロフェッショナルにでていた 映画監督・宮崎駿さんの基本的な考え方は
「子ども」が最高の存在で 大人になるに従ってつまらない存在になっていくという
私たち いや権力のあるおとなたちは 子どもたちの期待を裏切らぎることはできない
建物疎開とは↓
建物疎開を調べて見た それに寄ると 次のようだ
木造住宅が圧倒的に多い日本の都市は、ちょっと焼夷弾攻撃を
受けただけで丸焼けになり、多くの住民が焼死してしまう
そこで家を間引きして延焼を最小限にとどめ、住民が避難出来るよう、
過密地帯の住居を一部取り壊す必要があった。
京都の御池通りや五条通りが、やたらと道幅広くて古都の
風情を失わせているのは、この時期に行なわれた強制疎開の名残り
子供達を見ていると本当に羨ましい。だって限りない未来があるから。
その未来の芽を摘まないように、大人はもっと子供たちのことを考えてやらなきゃいけないと思う。
上の子は6月に平和公園に行ったばかりなので、今日のことは朝から話題にしていました。語り部の話がとても印象に残ったと言ってましたけど、一人でも多くの人にこのことを伝えていかなきゃいけないと思いました。
お出かけ前のあわただしい中にコメントいただきありがとうござます 明日からはいよいよ島娘(島根の娘ではない)楽しみですね 子どもたちにいい思い出を残してやってください
焼津市も毎年、小学生と中学生が1名ずつ
「平和宣言」を朗読します。
原爆についてほとんど知らない子どもが、この平和宣言文を自分の力で書くため、いろいろな資料を読みあさり、自分の考えを文章に表現するのだと言うことを教えてもらいました。何が善で何が悪か自分の心と問答する小中学生の心の確かさに感動しています。
艦砲射撃の資料館が出来たので近いうちに見に行ってこようと思ってます^^;
焼津もビキニデーですね第5福竜丸久保山さんの映画を昔見ました「西から太陽が昇った」といったセリフ今でも覚えています 秋葉市長や福田さんの言葉より子供の宣言文が胸にしみます 焼津の平和宣も聞いてみたいです その子どもたちの気持ちがいつまでも変わらないことを祈ります
被爆者の写真はむごいですね 真実ではないと思いたいのですがこれが現実悲しいです
資料館など作って後世に伝えることは良いことですね カメラマンにできることは写真で伝えること是非HANAさんの写真で公開してください その雰囲気だけでも十分ですから
その国を友好国(同盟国)といって言われるままになっている日本の姿が情けないです。
せめて日本国憲法の第九条を守ることが私たちに出来ることだと思うのですが…
忘れてはいけない事は後世に残すのも大事ですね!
難しいコメントでしたので今般若湯を入れてきました 核を使ったアメリカの責任は重いので被害にあった日本人はもっと怒ってもいいのでしょうか
すべてに忙しく働く日本人 充実感は得られないまま子育てしてきた親 昔のように貧しくても時間に余裕があった 人を見つめる時間があったその頃の親と今の親 考えの相違は認め 他人の価値観を認め合うような社会理想ですね
負けて繁栄した日本 この繁栄も広島や長崎 知覧から飛び立った突撃隊など多くの犠牲者がいたことを忘れるわけにはいきません大国に従わざるを得ない日本 辛いですが 自立できない小国 仕方ない面もありますがこれからは戦争は絶対に起こしてはいけないです