坂戸市公益活動団体『北坂戸フォークソング倶楽部』(山木ジョージの桜梅桃李)

 
1960年代~現在の歌を中心に皆さんと一緒に、ギター1本で合唱を楽しむサークルです。

君のひとみは10000ボルト

2021年04月24日 | 音楽

「君のひとみは10000ボルト」(きみのひとみは いちまんボルト)は1978年8月にアリスの堀内孝雄がソロとしてリリースしたシングルである。1978年の年間第4位に輝くなど、90万枚を越す大ヒットとなった。作詞は谷村新司、作曲は堀内孝雄。1978年の「資生堂化粧品」秋のキャンペーンソングとなっていた。リリースされて約1ヶ月でオリコン・シングルチャートの3位に初登場し、翌週には1位を獲得した。同時期には、この曲を収録したアルバム『あいつが死んだ晩』もアルバムチャートで1位を獲得している。「10000ボルト」を誤って「ひゃくまんボルト」と言われることが多い。そのことは堀内本人も認識しており、現在ではさほど気にしていない様子である。2007年11月28日放送の『2時っチャオ!』(TBS)でも久保田智子アナウンサーが間違えて「ひゃくまんボルト」と読んだが、堀内は「よく間違えられるんですよ。“ひゃく”の方が言いやすいんだな。どうせなら“ひゃく”にしておけばよかった」と、大人の対応を見せていた。

 

ただ、この曲は始めから資生堂のCMソング前提として作られた曲であり、タイトルも資生堂が決めたものである。資生堂本社での打ち合わせの席で担当者が「テーマをお伝えします」と切り出し、競合他社があるため他言無用としながら「君のひとみは10000ボルト」とのみ書かれた紙を封筒から出して見せ、堀内が記憶したことを確認するとすぐに封筒に戻してしまったという。資生堂からはそれ以上の説明はなかった。

 

元々この曲はアリスで依頼が来ていたが、谷村がアリスでのコンサートツアー中、膵臓の疾患でのどが腫れ、声も出ない状態で長期入院することになった。「資生堂のキャンペーン・テーマはやれば絶対に売れる」ことから、どうしてもやりたかった中、堀内のソロで打診したところOKが出た、という経緯があった[3]。帰宅した堀内が谷村にタイトルの件を伝えると、谷村は困惑しながらもインパクトのある歌詞を書き上げた。堀内も曲のイメージが膨らみ、曲が完成すると何度も自分で歌い、曲を発表する前に堀内自身の中で大ヒットしていたと語っている。

 

なお、ジャケット写真で着用したTシャツは下北沢で買った私物だったことを『FLASH』(光文社)のインタビューで明かしている。


風の街 山田パンダ

2021年04月18日 | 音楽

風の街 山田パンダ

「風の街」(かぜのまち)は、山田パンダが1975年6月23日に発売したシングル盤レコードである。本曲は、1975年に放送されたTBS系テレビドラマ『あこがれ共同隊』の主題歌として制作された。このテレビドラマの舞台となった表参道の喫茶店『ペニーレイン』のマスター役で出演する山田パンダが主題歌も歌うことになり、山田がそのことを吉田拓郎に話すと、吉田が「パンダが歌うなら、俺が書いてやるよ」と言って曲を書いてくれたという。本曲は1970年代前半の人気アイドルスターだった郷ひろみ、西城秀樹、桜田淳子などが出演したテレビドラマの主題歌だった話題性もあってヒットチャート20位以内にランクされるヒットを飛ばした。また、本曲の作曲者である吉田拓郎は翌年の1976年に制作したオリジナルアルバム『明日に向って走れ』にてセルフカバーしている。コーラスは山下達郎がメンバーとして入っていたシュガー・ベイブ、ドラムは村上 “ポンタ” 秀一。


眠れぬ夜 

2021年04月04日 | 音楽

北坂戸フォークソング倶楽部の発起人 山木ジョージです。

この曲も、北坂戸フォークソング倶楽部のレパートリーですね。

女性Keyで演奏してまから、少し雰囲気違うかな?

 

「眠れぬ夜」(ねむれぬよる)は、小田和正作詞・作曲による、オフコースの曲。1975年12月20日に通算7枚目のシングル、およびアルバム『ワインの匂い』の収録曲として発表された。後に西城秀樹によるカヴァーが1980年12月16日に通算36枚目のシングルとして発売され、27.1万枚を売り上げた。

「眠れぬ夜」は、1975年12月20日に同時発売のアルバム『ワインの匂い』からのシングルカットで、アルバム収録のものと同内容である。

この曲は、小田が最初作った時には実はバラード調の曲だったが、レコーディングの際ミディアム・テンポのロック調にアレンジが変更された。この経緯をプロデューサーの武藤敏史は「それまでのアルバム『僕の贈りもの』と『この道をゆけば』に足りなかったものは何か。それはオフコースの場合、無条件に、理屈ぬきに誰もが楽しめるような曲や、シンプルな曲が少なすぎたのではないだろうか、と僕は判断したわけである。そして『眠れぬ夜』をあのような曲調にしてしまったのだが、作者の小田君にとっては、当時それがかなり不満だったらしい。だからどちらかというと僕が強引に自分の意見を押し通してしまったといえるかもしれないが、もちろん彼らも最終的には納得してくれて、その後、オフコースのステージになくてはならない曲のひとつとして歌い続けられていることは、皆さんご存知の通りである」と振り返っている。結果として、オフコースにとって初のスマッシュ・ヒットを記録した。同曲はベスト・アルバム『SELECTION 1973-78』にも収録され、2016年には小田がオールタイム・ベスト・アルバム『あの日 あの時』でセルフ・カヴァーした。

西城秀樹のカヴァー・シングル発売が決まった直後の1980年11月27日、札幌道新ホールで行われた“オフコースの小さな部屋”で小田が「ついでなんですが、西城秀樹君が『眠れぬ夜』をシングルにすることになって…」と話すと、会場からエェーッという非難ともとれる声が沸き起こったが、続けて「そういう、ファンの声も考慮に入れて僕が決断を下しました。で、出来上がったものを聴いたら、僕に遠慮してか、えらく地味になってました。ま、楽しみにしててください」とコメントしていた。