すぐにイザベルが「自分の(食べる料理)を撮っているだけよ。」と反論してくれた。そうするとそのおじさんはもう何も言ってこなかった。
「いいよ。撮っても」とエリックも言うので、私はそのあとも写真を撮り続けたのだった。こういう場合、マダムの発言は大きいものがある。
エリックやイザベルにとって私は彼等の「お客さん」である。その彼等のお客さんが他人からとがめられたのであるから、それはとりもなおさず、彼等がとがめられたことになる。
だからこれにはエリックもイザベルも、ちょっと怒ったのだ。だが相手が沈黙したので、彼等も気分を切り替えもう相手にせず元の状態に戻った。
別にフラッシュを焚いて撮っていたわけでもないし、わいわいがやがや騒いでいたわけでもない。お店の人も私が写真を撮っていることは知っていたが、何も言わなかった。むしろニコニコしてサービスしてくれていた。
それにしてもあのおじさんはどういう考えでああいうことを言ったのだろう、どうして私が私の料理の写真を撮ることが気に障ったのだろうとの疑問は当然残った。
このレストランはそんなに堅苦しいところではない。これまでもっと高級なレストランやカフェにいったことがあるが、写真撮影で注意されたことは無かった。(ちょっとどうかなと思う時は、同行のフランス人に撮っていいかと聞くことにしている。)店の人がシャッターを押してくれることさえある。
そうすると原因は一つしか思い当たらない。コンピエーニュでは日本人は見かけなかった。つまり田舎なのだ。保守的で黄色人種に対する偏見があったのだろう。あのおじさんは、きっと私が東洋人だとは思っただろうが、日本人か中国人かも判らなかったのではないだろうか。要するに黄色人種が嫌いなのだろう。
料理は美味しく、店の人も親切だったし、よい雰囲気の店だった。エリック達と一緒でいたおかげで、それ以上どうと言うことは無かったが、やはり気分が少し壊された。
イザベルは日本に来て川崎市で数年仕事をしたことがある。その時彼女は日本人が礼儀正しく親切な人種であることを身を持って体験したに違いない。
彼等が親日的なのは、日本人がどういう人間かよく知っているからであり、単なる異文化へのあこがれや物珍しさ等からではない。そうして有り難いことに、彼等が持っている日本人のイメージに、私は叶っているのであろう。
それから私達はこのコンピエーニュで、広い敷地の元貴族の家がいくつもある辺りを散歩した。
元貴族のこれらの大邸宅を、フランスでは「マンション」と言うらしい。
日本のマンションとは全然意味が違うようだ。
これは日本料理を標榜した?レストラン 中国人かベトナム人の経営か?
この看板の鳥居の形が変なので怪しいわけ
日本の「本」と言う字も、あまり使わない字だ。
この後私たちは、ピエール・フォン城へと向かった。
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