フランス人観察記録

日本人から見て解ってきたフランス人の考え方、行動についての覚書

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カテゴリーは居住地によって分けています

今回は、東大寺柱くぐりはImpossible!!

2012年05月17日 | プロヴァンス

アイスランドの噴火により、彼にとっては予定外の奈良滞在となった。とりあえずは奈良公園の方へ向いて出かけることにした。

吉城園は、外国人はパスポートを提示するだけで無料で入れるので、まずはそこへ案内した。紅葉のころは観光客も多く訪れるが、この時期は少なくて穴場と言えば穴場である 

そこでフランス人カップルに出会った。聞けばアルルの近くに住んでいるという。クリスチャンは「何という偶然だ。」と嬉しそうで、アイスランドの噴火でフライトがキャンセルされてこちらにやってきたことなどを話す。

九州から関空に着いた時も、空港はフライトキャンセルで泊るところもない外国人でいっぱいだったという。「僕はほんとにラッキーだった。知り合いがいて」と言う。彼はとてもポジティブだ!! 

まずは彼のお気に入りの東大寺の柱くぐりに三度目の挑戦だった。過去、一勝 一敗だ。修学旅行の中学生の見守る中、今回冬に5kgも太ったということもあり、とても通ることはできなかった。

「Impossible (アンポシブゥーと言うように聞こえる)!!」と彼が言ったら、それを中学生が「半年ぶり?」と聞いて、大笑いした。 

その後は、公会堂、浮御堂を経て、高畑の方へと足を延ばす。

そこでお茶を飲むために入った蕎麦屋さんのご主人が、古い蓄音器マニアで「特別に」とレコード盤でシャンソンを聴かせてくれた。音楽教師のクリスチャンが喜んだのは言うまでもない。 

ご主人はさらに酒屋さんの古い法被まで着せてくれた。

根がポジティブと言っても、やはり予定通りに帰れなくて気がかりなことなどもあるだろう彼にとって、こうした温かい心は何よりも嬉しかったに違いない。

こうして彼の思いがけない奈良の滞在5日間が始まったのだった。

まずは、大阪で念願のふぐを食べる

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君は幸運を連れてきたよ。

2012年05月13日 | パリ郊外

マリー・アントワネットの庭園を散策した時大きな木が生えていた。また、別の所に大きな切り株が倒してあった。

 樹齢200年以上は十分あると言うことは、もしかしてマリー・アンとネットもこの木に触ったのではないかと想像した。そう思うと木の周りに落ちている木肌の片すら貴重に見えてきたから不思議だ。

  カラオケを歌いに行って、シャンソンをかけるとよく画面に出てくるあの「愛に神殿」もあった。ここでマリー・アントワネットは愛人と密会したそうな。 

 プチ・トリアノンから、サンジェルマンアレーに帰り、彼の手料理を御馳走になった。彼は料理が好きだそうで、奥さんは大助かりだろう。そういうこともあるから、奥さんは彼のコレクションが、家の相当の部分を占領していてもまあ我慢もできると言うことだろうか。料理はとても美味しかった。 

 その夕食を早めに切り上げてその夜、再び彼の運転でパリにもどり、パリ祭の夜行われる恒例のエッフェル塔付近の花火を見物に出かけた。

 車を止める場所が見当たらず、あちこち探して運よく1台だけ空いている地下駐車場を見つけた。このとき彼は「マリー・アントワネットの庭にも運良く無料で入れたし、今うまく駐車場も見つかった。君は幸運を連れて来てくれたよ。」と言った。 

 よくない時は「セラビ、セラビ」(運命だ仕方ない)とあっさりあきらめ、良い時はこういうように喜ぶ。しかも幸運を私のせいにして人を楽しくさせる。こういうときはいかにもフランス人らしい洗練された生き方を感じる。 

セーヌ川の見やすい橋の付近は身動きが出来ないほどの人出だった。 花火はビデオ撮りばかりでここに載せられないが、エッフェル塔の電飾もこのように綺麗だった。 

 かくして朝からシャンゼリゼのパレードを見て、午後にはベルサイユのマリー・アントワネットの庭園を見て、夕方にはまたパリにもどり花火を見て、夜またまたサンジェルマンアレーに戻り泊まると言う忙しい一日も終わったのであった。 

 翌日彼は午後に仕事があるのだが、午前中サンジエルマンアレーの街の中心を案内してくれた。私が前日降り立った地下鉄の駅のすぐ横に城があったが、此の城はパリの西の守りとして重要だったようだ。 ルイ14世はここで生まれたそうで、そのように表示された門もあった。

 古い教会もあった。 

町には有名な老舗のチーズ屋さんもあり、

広場に面して郵便局があった。ここで葉書を出した。

 その広場を挟んで郵便局の反対側の大きな綺麗な建物があり、

その1階のカフェで休憩してから、地下鉄の駅まで帰り、そこで彼と別れた。 

  このときから1カ月後、彼と奥さんと一人息子が日本にやってきて再会するのだが、それはまた後日に紹介したい。

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アイスランドの噴火、それもセラヴィ

2012年05月06日 | プロヴァンス

彼の三度目の来日は、一人で、それも九州への旅だった。 

「関西空港に着くけど、そのまま福岡に飛ぶので、今回は奈良には行けないし、会えないよ」と言ってきた。

「それは残念だけど、気持ちが変わったらいつでも来てね」と言っておいた。 

九州は私が黒川温泉に行った時の写真を送って以来、「この宿に泊まりたい」と希望していて、今回も予約を代行した。

後はバスの旅で、宿も彼がガイドブックで予約した安宿がほとんどだった。

福岡~別府~黒川~熊本~鹿児島(指宿)~福岡と言う旅程だ。 

すべてバスの旅だったが、黒川から熊本への車窓が特に良かったそうだ。

福岡からも太宰府まで足を延ばしたり、温泉も好きな彼は小さな温泉に日帰りをしたり、黒川では外湯巡りや宿の食事も含めて「また行きたい」というくらいとても気に入ったようだった。 

この黒川の宿は、一人だと言うと、「では予備として一番小さなお部屋がありますが、それを使っていただきます」と言うことでその旨をクリスチャンに言うと、和楽器の名前の付いた部屋を音楽の教師の彼は喜び、楽しみにしていた。

しかし、宿の計らいで「大きなお部屋が空いていましたので、そちらを案内させていただきました」と、同じ料金でアップグレードしてくれたのだった。 

ところが彼は小さくても楽器の名前の部屋に泊ることを楽しみにしていたので、ちょっと残念だったそうだ。このあたり、私たちの感覚とは少し違いがあるように思える。 

毎日メールで、旅の様子を知らせてくれていたが、思いもよらないことが待ち受けていた。アイスランドの火山の噴火で、フライトのキャンセルが相次いだのだ。 

「もしキャンセルになったら、いつでも我が家においで」とメールを入れたら、「ありがとう」と笑っていたが、その後「関西空港で足止めされた。行ってもいいか?」と尋ねてきた。

「もちろん、待っているよ」と返事をした。

ジェラールとエブリンの帰国便も心配したが、一日違いで彼らはキャンセルなく帰国できた。こうして彼の三度目の来日も期せずして、奈良へ来ることになり、五日間滞在することになる。

何と言う、冒険だ!!セラヴィ、セラヴィ(仕方がないさ)」と彼は言った。「言ったでしょ?私に会わない来日はないと神様のお告げよ」と私も嬉しく彼を迎えた。

まずは奈良観光から始めよう。

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マリー・アントワネットの田舎暮らし

2012年05月05日 | パリ郊外

サン・ジェルマン・アン・レイの友人宅に行くため、凱旋門からRERに乗って出かけた。 

途中で気がついたがなんだかおかしい。そこで親切そうなムッシュに聞くと、この列車は同じA線でも違う方のいくとのことで、次の駅で乗り換えたらよいと言うことだ。 

聞いてよかったと思い次の駅で降りた。そしてサン・ジェルマン・アン・レイ行きの列車を待った。

地下駅であるがどうも日本と違ってこういう駅は、気持ちが良くない。駅員は見当たらないし、変な目つきや、変な感じの人もいるから緊張してしまう。暗いホームに人はまばらだった。しかしやがて列車が来て無事サン・ジェルマン・アン・レイ駅に着いた。 

ムッシュが車で迎えに来ていてくれて、10分ほどで彼の家に着いた。静かな住宅地にあり、3階建になっていて、道路に面した階が2階部分であった。

驚いたことに、家中彼のコレクションだらけであった。小さい頃から飛行機や列車の模型が好きだったようで、そういうものが陳列ケースに沢山入っていた。その陳列ケースがいくつもあった。

よく奥さんが不平を言わないものだと、感心したくらいだ。 

一人息子さんは夏休みでおばあちゃんのところに出かけていて留守であったが、休憩したのち、ヴェルサイユ宮殿の庭園のマリー・アントワネットゆかりの「村里」へ連れて行ってくれることになった。

以前ヴェルサイユに来たけれど、ここまでゆっくり見られなかったので行きたいと言ったからだ。 

日本で言う「パリ祭」は革命記念日であるが、ご存知の通り1789年の革命を指す。この日バスチーユ監獄が革命派により襲撃されたのだ。 

その日から二百数十年たったが、期しくもこの日にマリー・アントワネットゆかりのヴェルサイユの庭園に行くことになったわけだ。 

庭園の入り口で入場料を払うことになっているが、受付係の若い女性二人が何やら慌てている。どうやらパソコンが故障したらしい。そしてもう入場料なしで入っていいと言う。

日本人の感覚からいえば、切符を売ることなどパソコンが壊れても何とかできると思うのだが、相手が折角いいと言ってくれているので、メルシー・ボクーと言うことになった。大らかなものだ。 

友人も「あなたは幸運を連れてきた」と言った。

庭園は、のどかな田園風景であり、ヴェルサイユ宮殿の荘厳・華麗さとは無縁の世界に思えた。

18世紀の貴族にこういう田舎を自領内に所有し、体験してみるのが流行したとかで、マリー・アントワネットもそれを望み、ここで煩わしい宮廷生活から逃れ、非日常を楽しんだのだそうだ。 

この続きは次回にする。

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着物姿のエブリンにうっとり!!

2012年05月04日 | ブルターニュ

この日、東洋陶磁美術館を見た後、中之島公会堂でオムライスを食べ、建物を見学したら、ちょうどホールでダンスをしていて見せてもらった。タンゴだった。二人は日本人が社交ダンスをするのを見て驚いていた。

ジェラールはダンスも大好きでカトリーヌともよく踊ると言っていたが、最近エブリンとタンゴを習い始めたとメールがあって、「中之島公会堂のタンゴを覚えているでしょ?」と書いてあった。この時みたタンゴに触発されたようだ。

さて、二日目の夜は、着物の着付けである。エブリンはおしゃれなので、着物にも大変興味があった。

特別に二枚の着物を着てもらったが、髪もさっとアップにし「この方が着物には合うでしょ?」と言う。そしてシックな色留め袖を着た時「この色は大好きな色なのよ」とにこにこ。

正直に言うと、大きな彼女が色留め袖を着ると、柄が下の方に偏り、上の方に柄がないのでバランスが悪いのだが、そんなことは気にならないようだ。

ジェラールにたくさん写真を撮ってもらい、何回も鏡を見に行き、最後着物を脱ぐ前にも「もう一度見てくるわ」と言った。

これだけ喜んでくれると着てもらう甲斐があり、私も嬉しかった。

 

カトリーヌの明るくたくましい人柄が頭に残っているので、エブリンについて頭を白紙にして会うのは難しいなと思っていた。

けれど、エブリンに接していると自然に彼女は彼女なりのすっきりした性格が感じられ、この人もなかなかいい人だなと感じたのであった。

 

つい数ヶ月前、失意のどん底にいたジェラールは、驚くほど短期間でいい人を見つけたものだ。 

 

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