大木昌の雑記帳

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「津久井やまゆり園」大量殺傷事件(1)―経緯―

2016-08-01 06:19:30 | 社会
「津久井やまゆり園」大量殺傷事件(1)―経緯―

2016年未明、午前2時40分ごろ、神奈川県警に、神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」に刃物を持った男が侵入し、
暴れている」との通報がありました。

これが、死者19人、職員2人を含む26人の重軽傷者を出した、凄惨な事件の発端でした。

この通報からしばらくして、植松聖(26才)を名乗る男が出頭し、その場で逮捕されました。植松容疑者は、今年の2月19日に退職した、
元やまりゆり園の職員でした。

死亡した人は全員、入所者で男性が9人、女性が10人でした。

神奈川県によると、やまゆり園に長期入院している人の障害の度合いは、最も重い障害支援区分「6」が116人で、「5」は31人、「4」
は2人、計149人となっています。

これらの数字からも分かるように、この園の入所者の79%、約8割弱が重度の障がい者(知的障害または知的・精神の重複)であるこ
とが分かります。

以前、この施設で働いていた人の話では、自分では何もできない要介護者も少なからずいたようです。

子どもを預けているある父親は、子どもは「痛い」という言葉さえ発することができないけれど、刺されたときには本当に痛かっただろう、
とテレビのインタビューに答えています。

個々の入所者の状況は分かりませんが、亡くなった方、傷害を受けた方の中には抵抗する力は言うまでもなく、逃げることも助けを呼ぶ
こともできない人たちがたくさんいたにちがいありません。

つまり、植松容疑者は、無抵抗の人を殺傷していった、ことになります。

こうした状況を考えると、今回の事件の残忍さが一段と際立ちます。死亡者の人数においても残忍さにおいても、日本の殺人事件として
は、異例の重大事件といえます。

このような事件が起こると、動機や背景がさまざまな角度から分析されコメントされますが、今回は、まずは客観的な経緯を時系列で整理
しておきます。

これまでの経緯についてはさまざまなメディアが発表していますが、それらを総合して、容疑者の言動と施設の対応などを含めて、以下に
その概要を示しておきます。

年代不詳     帝京大学で教員免許を取得をめざすが、大学3年次に刺青を入れたため、教員の道は断念(注1)
2012年ころ    両親が家を出る。 ただし、その理由は不明
12月1日 植松容疑者がやまゆり園の非常勤職員となる
2013年4月1日  仕事ぶりが認められ、常勤職員となる
2015年1月27日 施設は刺青について津久井署に相談
2016年1月頃   地元の先輩に「障害者はいらない。障害者がいなくなれば世界が平和になる。そういうお告げがあった」などと話す 
2月14日 衆議院議長公邸に行き、「殺人予告」の手紙を渡そうとするも断られる
2月15日 再び衆議院議長公邸に行き、座り込みをするなどして無理やり手紙を渡す
2月16日 津久井署が施設に「一人にしないように」と指示
2月18日 職場の人に「障害者を殺す」と話す
2月19日 退職 警察と面談後、うつ病との診断ですぐに措置入院(強制入院)
3月2日 退院 ただし、施設には通知しなかった(本人は医者をだまして出てきたと話している   
3月4日 「110番通報システム」に登録(上松被告対策で)
4月下旬   侵入を警戒して防犯カメラ16台設置
6月ごろ   髪を金髪に染める
7月26日 「やまゆり園」に侵入し19人を殺害し、自ら出頭
      「意思の疎通ができない人たちを刃物で刺したことは間違いありません」また、捜査関係者によりますと、
      「障がい者がいなくなればいいと思った」という趣旨の供述、もしている  

少し補足しておくと、容疑者の父親は教師をしていたので、彼も小学校の教師になろうとして、教員免許の取得を目指しました。

教師実習中の担当した子どもたちからの評価は良かったようです。

また、大学では、明るく、周囲を盛り上げる学生だった、と当時の彼について語っています。

しかし、彼は大学3年生ころには腕に刺青をしてしまい、そのために教師の道をあきらめました。

大学在学中、一緒にドライブをしている時、植松容疑者は体の刺青を見せてきたという。男性が「後悔するぞ」と言うと、「かっこい
いから、いいじゃん」と言われた。男性は「自分を強く見せたかったのだろう」と振り返ります。(注2)

なお、逮捕時には、腕だけでなく方から背中全面に般若の絵を彫っています。

彼は、一時期、刺青の彫り師になろうとして弟子入りまでしましたが、師匠に殺人計画を話して、断られてしまいました(注3)。

植松容疑者は、教師の道をあきらめますが、2013年には「津久井やまゆり園」に就職します。

当初の仕事ぶりは良かったのですが、2015年、施設側は刺青の件を発見して警察に相談します。このころから、彼は次第に追い詰
められていったのかもしれません。

今年、2016年の1月には、障がい者はいらない、障がい者がいなくなれば世界が平和になるとの、“お告げ”があった、と地元の先輩
に話しています。この時には、すでに、かなり異常な精神状態にあったようです。

以上が、問題の手紙を書き、職場を退職するまでの、植松容疑者の言動と、施設の対応です。

措置入院の期間が短すぎたのではないか、あるいは、退院の事実を施設に知らせなかったのは問題だったのではないか、といった
コメントが後に何人かの人から提出されました。

また、それまでの殺人予告や手紙の件を考えると、退院後も保護観察を続けるべきではなかったか、という疑問も提出されています。

確かに、それらは今後十分に検討されるべき問題でしょう。

しかし、逮捕されることを恐れない、むしろ自ら出頭することを前提とした人間が侵す犯罪を防ぐことは、テロと同様、実際には非常に
難しいのが実情です。

私が気になるのは、大学生の最初のころには明るく、社交的でさえあった植松被告が、なにをきっかけに大麻を始め、“かっこいいから”
という理由で刺青をするようになったのか、というその心の変化の背景です。

また、施設に就職してしばらくは、一生懸命介護に励んでいたのに、なぜ、“障がい者はいらない 障がい者がいなくなれば世界は平和
になる”と思うようになったのか、本人の心の軌跡は外部からうかがい知ることはできません。

2012年に両親が、容疑者一人を置いて家を出たことが、彼の心に大きな傷を与えたかも知れません。両親が家を出たのは彼の暴力に
耐えきれなかったからという報道もありますが、確認できません。

恐らく、まだ語られていない彼の心の闇は、これからの警察での聴取などで次第に明らかになってゆくのでしょう。

次回は、その心の闇を解明する一つの手がかりとして、参議院議長に宛てた手紙について考えてみます。

(注1)彼が教職を目指し、教育実習を受けたことまでは確認できますが、最終的に教員免許を取得したかどうかは確認できませんでした。
(注2)『朝日新聞 デジタル』(2016年7月26日)http://www.asahi.com/articles/ASJ7V5QWLJ7VUTIL042.html (7月26日閲覧)
(注3)『BUZZ FEED』(2016年7月27日)https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/sagamihara-irezumi?utm_term=.wsazvm6DW8#.bgQJN3g8lA
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