大木昌の雑記帳

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「自然と共に生きる」とは―「ヒグマを叱る男―36年の記録―」

2020-07-16 11:17:19 | 自然・環境
「自然と共に生きる」とは
―『ヒグマを叱る男―36年の記録―』


新型コロナウイルスのパンデミックに直面して、当初は多くの国で、「コロナとの闘い」
「これは戦争だ」といった、戦闘的ムードが各国の指導者が強く叫びました。

しかしコロナの完全な排除は事実上不可能であることが分かり、最近では「コロナと共に
生きる」(with corona) 、あるいは「ニュー・ノーマル」(新しい生活様式)が一種の合言
葉となっています。しかし、これらの言葉はなぜか私には空疎に響きます。

同じような印象を「自然と共に生きる」という言葉にも感じています。

こんな事を考えていた時、ドキュメンタリー『ヒグマを叱る男―36年の記録―』(NH
KBS1 2020年6月7日)を改めて見て、改めて「自然と共に生きる」ことに意味を考
えさせられました。

「ヒグマを叱る男」といういささか不思議なタイトルのドキュメンタリーに登場する男性
は、大瀬初三郎さん(現在83才)で、北海道の自然遺産に指定されている知床半島のル
シャの番屋(漁のための拠点となる家や小屋)で56年間も主にサケ、マス漁を行ってい
る漁師です。

ルシャは、知床半島の中ほど、ウトロの少し先端よりにある、ルシャ川の河口付近にあり
ます。

大瀬さんは青森の漁師の家に生まれたが生活が厳しく、23才の時故郷の青森県を離れて
出稼ぎ漁師として知床にやってきました。

しかし、条件の良い漁場はすでに他の漁師の手にあり、残されていたのがルシャだった。
ここは、吹き出し風と呼ばれる強風が吹くため、船を出せない日が頻繁にあるのです。

しかも、ルシャはヒグマの巣窟だった(この狭い区域だけでも60頭はいると見込まれて
いる)。最初のころ、漁の妨げになるヒグマをハンターに頼んで駆除してもらった。しか
し、他方で命を奪うことに後味の悪さを感じていた。

ルシャに落ち着いて10年ほど経った時、ある出来事が起りました。夢中で漁の準備をし
ている時、背後から音もなくヒグマが忍び寄ってきました。

驚いた大瀬さんは、思わず大声で怒鳴りつけました。するとヒグマは静かにその場を去っ
て行ったという。

それ以後、ヒグマが近づくと、「こらー」と大声で叱ると逃げてゆくようになり、これな
ら殺さなくても大丈夫だと思うようになった。

やがて、大瀬さんは自分なりの考えに行きます。大瀬さんは子連れのヒグマに目をつけま
した。大瀬さんに叱られたら逃げる母グマの姿を見て、子グマに、人間は怖い存在だとい
うことを繰り返し学習させることで、世代を超えてヒグマは人間を恐れ、人間に危害を加
えなくなる。これが、大瀬さんの結論だった。

大瀬さんはヒグマと共存するために3つの原則をもっています。1つは、決して食べ物を
あたえないこと。ヒグマと親しくしてはいけない。一度、食べ物を与えると、ヒグマはい
つでもそこに来れば食べ物を与えられる、と考えてしまうからだという。

2つは、ヒグマと目があったら、決して目をそらしてはいけない。にらめっこに負けたら
ヒグマは自分より人間の方が弱い、と見なして襲ってくるかもしれないから。

3つは、ヒグマと出会って叱る時は腹の底から声を出すこと。そして、勇気をもって一歩
前に足を踏み出すこと。

食べ物がなくて飢えた母グマと2頭の小グマが番屋の近くを歩いていたことがあった。

たまたま大瀬さんは石ごろの浜辺で大きなイルカの死骸を見つけます。すると、イルカが
波に流されないように、ロープでイルカの尻尾と岩とを結びます。

そこへ、飢えたヒグマの家族がやってきて、そのイルカを食べ尽くします。それをじっと
見ていた大瀬さんは、ヒグマたちが腹いっぱい食べた、腹いっぱい食べた、と満足げにつ
ぶやいてその場を立ち去ります。

決してヒグマに食べ物を与えない、という原則をもっている大瀬さんがヒグマにしてあげ
ることができる精一杯のことなのです。

野性の母グマは、餌を獲ってもほとんど子供にあたえないそうです。親についてこれない
子グマは捨てられてしまいます。

このドキュメンタリーの撮影中にも、飢えた親子のヒグマが食べ物を探していた時、母グ
マが魚の死骸を見つけます。しかし、それを子グマに与えませんでした。そのため子グマ
は栄養失調で間もなく死んでしまいます。これも、自然の中で生きてゆく厳しさだと、大
瀬さんは言います。

知床半島は2005年ユネスコの世界遺産委員会によって世界自然遺産として登録が認め
られました。

2015年、世界遺産を審議するユネスコの会議で知床の保全が議論されました。その時
問題となったのは、番屋から1.2キロメートのところにあるルシャ川の河口近くに架け
てある橋と道路、その上流に設置された三つの砂防ダムでした。

自然遺産審議会の責任者であるアメリカ人の国際自然保護連合のピート・ランド博士(ち
なみに彼はサケ科の魚に関する専門家)は15年に現地調査に来て、自然遺産としては、
自然そのものの姿をそのまま残すべきであり、川に架かる橋と砂防ダムは撤去すべきであ
る、との考えを強く主張しました。

これらの砂防ダムは、以前ルシャ川から流れてきた樹木が、川の沖合に仕掛けてある定置
網を破ってしまったことから、仕方なく設置したものです。

橋の設置に関しては、人工物を設置してはならないという理由の他に、ランド氏によれば、
それによって川の流れが早くなり、産卵のためにサケの遡上が妨げられるから、という点
も指摘しました。

映像でみると、確かに橋げたの部分は川の両岸(見たところ差し渡し6~7メートル)にあ
り、川幅を30センチほどは狭めるかも知れませんが、サケの遡上を妨げるほど流れを急に
しているとは思えません。

ランド博士は2019年9月にも再度、ルシャを訪れ、前回と同じ要請と指摘をしました。

それに対して、番屋の漁師を代表して大瀬氏は、サケが遡上できるのであれば、砂防ダムを
撤去することは考えてもいいが道路は病人が出た時とは、海が荒れて外部に出ることができ
ない時のために、漁のため、つまり生活のために必要だから撤去することは難しい、と譲り
ませんでした。

ユネスコが最終的にどのような判定を下すのか、現段階では連絡は来ていませんが、19年
の現地調査でランド博士の主張は変わりませんでしたが、“自然”にたいする自分の考えと大
瀬さんの考えと根本的な違いがあることに気が付きます。

調査団がルシャ川の付近を歩いていた時、それを取り囲むように3頭のヒグマが出てきて歩
きまわりました。ランド博士は危険を感じて身構えたのですが、大瀬氏は全く動じることな
くヒグマを見つめます。すると、ヒグマはゆっくりと去ってゆきました。

ランド氏が驚いたのは、この番屋の人たちはヒグマが近づいても、平然と網の手入れをした
り漁の準備をしていることでした。

大瀬氏に、今までヒグマに襲われた事故はなかったと、問いかけます。大瀬氏は、ここの漁
師はだれもヒグマを恐れていないし、襲われてもいない、と答えます。

アメリカのカトマイ国立公園では、ヒグマ(グリスリー)を観るための展望台が設けられて
いて、人と自然(グマ)とが距離を保って、決して接触しないようになっています。

しかし、ルシャでは人とヒグマが同じ空間で共存しており、こんなことはアメリカでは考え
られない、とランド博士は驚きます。

つまり、西欧的な世界観では人間と自然とは峻別すべきである、ということになります。

大瀬さんは、ルシャが世界に誇るのは、人とヒグマがこうした共に生きる距離感だという。
つまり大瀬氏は、ルシャが世界に誇れる本当の価値は、人間とヒグマがごく自然に生活の場
を共有している点なんだ、と言っているのです。

大瀬さんは言います。
    アイヌは自然と共に生きてきた。人間もヒグマも雄大な自然の一部。人間がそこにい
    るのも一つの自然の姿だから・・・。山の木や草だけが自然ではない。そこで働いて
    いる人たちも一つの自然の中で働いている。(知床の自然は)生活の場でもあるから、
    それも自然の成り立ち。

大瀬さんがルシャに来て56年、2018年は2番目医にサケの水揚げ量は少なかったし19
年はさらに少なかった。それにたいして大瀬氏は、
    不漁だといっても(自分たちが)生活する分だけは獲れた。安心ということではない
    けれど、クマはクマで生活できているから、俺らは俺らで・・・・

大瀬さんの生き様や言葉をとおして、“自然と共に生きる”、とはこういうことなんだ、と心の
底から納得すると同時に、本物の人間に出合った、本物の言葉を聞いた、という思いに胸が熱
くなりました。日本の政治家も肝に銘じてほしいと思います。

こういう日本人が知床の僻地で生きていることに深く感動しました。

最後に、このドキュメンタリーで、感動した場面を紹介します。ある程度成長した子グマを連
れた母グマが、海のほうで出てきます。子グマは甘えたくて母親の後を追ってゆくのですが、
なぜか、この時母グマは子グマを邪険に追い払います。いよいよ親離れ、乳離れの時が来たの
です。

しばらく子グマを追い払った後、母グマは子グマを呼び寄せて乳を与えます。子グマはたっぷ
りと乳を飲んだ後、悟ったように母グマのところから静かに離れてゆきます。
たのです。

母グマも子グマも、自然の優しさと厳しさと、そしてその中に生きることの覚悟ができている
ことがヒシヒシと伝わってきました。母グマと子グマの気持に思いを馳せて、思わず泣きそう
になってしまいました。
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