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世界の覚書

道州制、易姓革命、外国人参政権には反対です。伝王仁墓に百済門を作るのは場違いであり、反対です。

革命の犠牲者は戦争より多い

2013年01月23日 | 政変・暴動・騒乱・治安
Wikipedia:カンボジア
100万~200万人以上とも言われる死者が出た。この死者数は、1970年代前半の総人口は700~800万人だったとの推計の13~29%にあたる。
800万人中200万人死亡なら25%である。

新唐人:中共執政60年 非正常死亡者8千万
中国共産党は1949年に国民党から政権を奪い取って以来、今日に至るまで少なくとも8千万人の中国人を死に追いやりました。(中略)アメリカの国家地理雑誌が2006年に発表した独裁国家の虐殺による死亡者の図表によると、毛沢東が実施した大躍進時代の3年間だけでも、中国では3000万人が非正常な死を遂げています。(中略)1981年、中国共産党当局は“計画生育委員会”を設立。これより強制的な人口抑制政策―一人っ子政策が始まります。農村部に掲げられたスローガンは、“血が流れて河になっても、一人も多く生んではならない”、“墓を増やしても、人間は一人でも増やしてはならない”などといった殺気にあふれたものでした。この政策の下、少なくとも4000万人の赤ん坊の命が、母親のおなかの中、または生まれてまもなく共産党によって殺されました。
大躍進は1958年から1960年。当時の人口は6億6千万人(1960年、ソース)だから、3000万人は約5%。

ソ連(国内の革命犠牲者)は最小の推計で約2000万人。6200万人という話もある。仮に母数を2億人とすると、10%~30%。

まあ、「革命」では、国民の10~25%が犠牲者になるのが通例のようである。

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