OL主婦の小さな幸せ。

日々の出来事や小さな幸せ、お出かけ、身近なエコ、環境問題、フェアトレード、鳥のこと、アロマなどを綴っています。

雨の四国旅行その9~別子銅山の遺構(端出場地区)~

2017年11月12日 | 旅行・小旅行

夫が今年の記念日旅行を四国と決めた時、
ビックリもしましたが同時に心の中で歓声もあげました笑
それは、、、

東洋のマチュピチュと言われる
別子銅山の遺構
を見に行けるかもしれない!(≧▽≦)いや行こう!

別子銅山は愛媛県の山岳地帯に広範囲に存在した、かつて栄華を誇った鉱山都市。
1年くらい前に知って以来ずっと気になっていたのです。
でも遠いし、生きているうちには行けないかな(大げさ)と思っていたところ、ふってわいたチャンス。

夫に頼み込んでコースに入れました!

3日目朝食後、
朝の道後温泉を少し散策して10時前に出発。
まずは観光拠点となる道の駅マイントピア別子へ。


マイントピア別子、本館です。

マイントピア別子・端出場(はでば)地区は別子銅山最後の採掘本部があったところ。
明治期~大正期に建てられた施設の遺構を残しつつ、再開発したテーマパークです。
お土産屋さんはもちろん、体験パークや温泉、観光坑道などがあります。

ここで簡単に別子銅山のことを少し。
(出発前と旅行中に仕入れた知識)

愛媛県新居浜市別子山。
広大な山岳地帯に、一万人以上の人々が暮らした鉱山都市がありました。

別子銅山は1690年、坑夫による銅の露頭の発見に始まり、1973年の閉山まで江戸・明治・大正・昭和の4時代にわたり283年もの間70万トンもの銅を産出し、日本の近代化に貢献した銅山です。

坑道は全長700キロメートル、最深部は1,000メートルにも及ぶ。
明治期には日本初の鉱山鉄道が走り
深い山々で坑夫やその家族が生活し、その町が今は森に還り眠っていますが、あちこちにその痕跡を見ることが出来ます。
(場所によって行くのにはある程度の装備が必要です)
現在は石垣や基礎が残るのみですが、
それは社宅跡・共同浴場跡・生協跡・配給所跡・保育園跡・接待館跡であったり、小学校跡・劇場跡・貯鉱庫跡・インクライン跡
登山をすればわずかに鉄道の痕跡も見られるらしい。

先程、端出場(はでば)ゾーンが最後の採掘本部があったところと書きましたが、町や本部は283年の間に2度の移転をしています。
ずっと同じ鉱脈では採れなくなるから。

江戸時代~大正5年までは旧別子地区と呼ばれる南側に採鉱本部や住宅・町の施設などがありましたが、
1916年(大正5年)、東平(とうなる)という地区に移転、そして1930年(昭和5年)~閉山の1973年(昭和48年)までを、端出場が本拠地だったそう。

閉山後には森林を復活させるため、その栄華を誇った建物などはほとんど撤去されました。
それでも基礎や石垣・石段などの遺構は産業遺産としての見応え充分です。

東平(とうなる)ゾーンの、東洋のマチュピチュへ行く前に
私達は観光坑道で別子銅山の予習をするため、鉱山鉄道乗り場へ(切符売り場は1階・乗り場は2階)。


ちょうど発車時間で、かわいいヤツが待っていました。




実際に走っていた機関車の、これは82%に縮小して復元したものだったと思います。
これに乗って、当時のままのトンネルや鉄橋をのんびり走ります。
ちなみに別子銅山の鉱山鉄道は、日本で最初の山岳鉱山鉄道。



駅を降りて少し歩くと、観光坑道の入口が見えてきます。
渓谷の風景もなかなかでした!


旧火薬庫を利用して作られた観光坑道。
江戸から近代までの別子銅山の様子を模型やジオラマで学んだり、体験ゾーンもあったり。



夫がどんどん進んでいきます。


江戸ゾーン。模型がわりとリアルでわかりやすい。

近代になって電気が通るまでは、サザエの貝殻で作った明かり取りを手に(手が熱そう・・)。
そして削岩機を採用するまでは、ノミとカナヅチで岩を砕いて(気が遠くなる・・)。



銅の精錬作業。

このほかにも、たくさんの模型があります。

近代ゾーンのジオラマ。向こう側には階段があり、上からも見られます。

明治時代の鉄道が敷かれた頃。


地味ですが、すごくよく出来ていて見応えあり。



機器類・道具の展示なども。


体験パーク。夫が何個かチャレンジしていました笑。

削岩機。


汲み上げポンプ。
採掘すると湧水が溜まるので、江戸時代は汲みあげていた。
模型がありましたが実際はもっともっと長いです。
これすごい重い!と夫が言っていました。


帰りは鉱山鉄道には乗らず、歩いて遺構を見て戻りました。

上から観光坑道入口を臨む(出口だったかも・・)



鉱山鉄道で渡った橋。塗り替えられていました・・


登録有形文化財です。
「足谷川橋梁」ともいいます。


第四通洞。

大正4年に貫通した延長4,596mの通洞。
その後、最終的には全長約10,000mの大通洞になり、坑夫の入出坑や鉱石輸送の大動脈となった最後の水平坑道。


四通橋。第四通洞に続く橋で、ここを多くの坑夫が通って入出坑したそうです。





通れません。柵の隙間から撮影。
トロリー電車も走っていたそう。


反対側に回って、四通橋から第四通洞へ続く風景を撮りました。


鉱山鉄道に乗った時に通ったトンネル。

端出場隧道(中尾トンネル)※登録有形文化財。
実際に使われていたトンネルです。


ちょうど鉱山鉄道(電車)が^-^

マイントピア本館に戻って来て一息つく暇もなく、次は車で25分ほどの東平(とうなる)地区へ!
標高750mの山中に残る数々の産業遺産を見に行きます。



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