雨の四国旅行、3日目は降ったりやんだり。
しかしながら私が最も楽しみにしていた別子銅山観光中は、ほぼやんでいました!
前回の記事、別子銅山東平(とうなる)地区の貯鉱庫跡・策道基地跡の遺構に感銘を受け、
そこからは徒歩でしか行けない第三変電所跡・第三通洞・火薬庫跡などがあるかつての東平の採鉱本部跡エリアへ。
画像多めです
(これでも大量の画像の中から厳選しました笑)
索道基地跡からインクラインを上って、駐車場から案内板に従い車道を進むと、途中から遊歩道に変わります。
登山道までは行きませんが、ハチやマムシに注意です。
雨がまた降ってきそうなので、夫が早く~と進んでいます笑。
突然、右側に遺構のような石垣!!
第三社宅跡のようです。
ここに限らずこのように広大な森の中には、数え切れないほどのまだ見ぬ遺構が眠っているのです。
(帰宅後に知った笑)
左の斜面には謎の遺構。
下の方に小さな扉があります。なんだろ~~
遊歩道を7分ほど歩くと、開けた場所に出ました。
人は誰もいません。出会ったのは、来る時に帰って行ったご夫婦が一組だけ。
マイントピア別子本館からのマイクロバスでの観光コースには入ってないので、東平までマイカーか登山で来た人しか来れない場所です。
この広場が採鉱本部跡のようです。
ちなみに前回の記事の貯鉱庫・索道基地跡の近くにも採鉱本部跡がありましたが、
ここは最初の別子銅山中心地である旧別子山東延(とうえん)から移転直後の採鉱本部だったそう。
その後、東平の貯鉱庫・索道基地近くに移転したそうです。
広場の先に、目的の廃墟建物が見えました!!
いや間違いなく廃墟^^;いい感じにガラス割れてるし・・
しかし煉瓦造りで重厚感あります。
右横に建物へ続く道がありました。
ここが第三変電所跡です!
明治37年の完成で、この近くの第三通洞の坑内電車へ電気を供給するために、電圧調整と直流変換を行ったそう。
自由に入れます。
入口前にも何かの基礎が。
この窓の画像を何枚も撮りました。
屋根裏へ上る木製の階段。
上ってみたかったけど、途中一部抜けていて壊したらやばいし、何より危険なのでやめました。
屋根裏で作業員が寝泊りしていたのかな?
長い年月放置され、ひっそりと佇むさびた一斗缶たち。
ここは隣の部屋。押入れらしきスペースがあったのでここが寝泊り部屋かな?
画像ではわかりにくのですが壁が、くすんではいるもののミントグリーンでした。現役の頃はキレイな色だったのでしょう。
かまどの跡もありました!
別子銅山跡に来て、初めて生活感ある遺構を見ました。
ここにもミントグリーンに塗られた木材が使われています。
何気にオシャレ~
第三変電所から広場を通って登山道の案内が出ている方に行くと、第三通洞という坑口があります。
この画像の左側が銅山峰への登山道。
銅山越えをすると、日浦登山口までの間に数々の遺構を見ることができます。
行ってみたい・・・
第三通洞です。
レールの跡も見受けられます。
明治27年着工、明治35年に完成した第三通洞。
鉱脈に向けて水平に1,800m掘られた運搬坑道で鉱材の運搬や排水・換気、昭和13年からは「かご電車」も運転を開始し、別子山村と東平とを行き来する人々の交通手段としても使われました。
明治44年には日浦通洞という坑口までつながり、合計でその長さは3,838m!
西洋文化を取り入れた美しい装飾。
当時のままだそうですよ~
第三通洞内部。
近くには火薬庫跡も。
火薬庫跡。坑道を再利用したものらしく、
万が一の爆発事故の場合、爆風がこちらに来ないよう入口が横向きになっているのだそうです。
ズームで撮影。手前はぬかるんでいました。
ここのエリアを見終わった後、雨が降り出しました!
まるで見終わるのを待っててくれた感じです。
「んなワケないだろ(笑)戻るよ~」と言う夫にせかされながら、もう一度振り返り、
第三変電所跡に別れを告げました。
閉山後、町を森へ還すため、ほとんどの建物が撤去され植林が行われて自然に戻りつつある別子銅山。
自然の再生力って素晴らしい。
年月をかけて産業遺産の記憶をも神秘的な雰囲気にしていく。
もう来れないかもしれないけど、まだまだ見たい地区があります。
今回の旅でアップした遺構は、まだまだほんの一部です。
別子銅山においての「東洋マチュピチュ」は東平(とうなる)だけではないということを帰宅後に知りました。
次回は「東平歴史資料館」で見た当時の写真や、少し画像をお借りして旧別子の遺構をお伝えできたらと思います。
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