断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMT⑥’’’’―そろそろ締めくくりたいのだが。。。

2014-05-03 19:03:26 | 欧米の国家貨幣論の潮流
(前回からの続き
と、いっても、この話題もそろそろ締めくくりたいのだが、
思いついたことだけ覚えているうちに書いておかないと
気持ち悪いんで、
我ながら同じことを繰り返ししつこく書き続ける。)

さて、で、サブプライム危機以降の各国・各地域の
経済政策について、MMTが全体的にどう考えているのか、について、
おおざっぱに、耳に入ってきたことだけ。とはいっても、

例えば、
しばしばネットなどで目にするのが
Warren Mosler が、麻生大臣が
「国債なんか、日銀が札を刷って返済すりゃあいい」と述べたことについて
「麻生大臣は、完全に理解している」と、評価した、という話。
どこまでほんとでどこまで嘘か知らないが、
さもありなん、という気はする。
しかしまあ、こういう断片的なことをいくら積み上げても
きちんとした理論にはつながらない。
実際、Mosler が本当にそう語ったとしても、
どの程度日本の状況を把握したうえで
そのようなことをいったのかがわからないのだから。

だから、あまり個別具体的な話ではなく、包括的な
話をしたいのだが、

まず、ユーロ圏について言えば、
Wray は、「完全に予想通りのことが起こった」と、
にべもない。
主権通貨がない中では、いくら国内に遊休資源が存在していても、
政府は自分自身の負債を発行することでその資源を
雇用することはできない。あくまでも、自分は、
余剰資金を保有している他者に対して負債を発行し、
その主体が保有している余剰資金を借り入れることによってしか
国内の遊休資源を雇用できない。
おまけに、マーストリヒト条約によって、国債の発行残高には
かなりきつい制限が課せられているが、
これは、景気変動に対してカウンターサイクリカルに増やすことが
全くできない。それどころか、
危機以前にはマーストリヒト条約にかなり余裕がある財政状態である国も、
危機が発生してしまうと、既発債の発行残高が
マーストリヒト条約に抵触することとなり、
そのため、政府はさらに財政支出を制限し、国債の償還を、
場合によっては前倒ししなければならない、ということすら
発生しうる。そうなれば財政政策は、
カウンターサイクリカルどころか、まさに、サイクルを増幅する働きを
持つことになってしまう。
そして、
民間部門が債務残高を減らさざるを得ない状態に陥っているときに
政府も債務残高を減らそうとすれば、
民間も政府もネットで債務を減らすことができなくなる。
グロスでは政府部門・民間部門の債務が減ることはあるだろうが、
その結果、過剰となった資金が
海外に流出しても、
そうした資金が、為替リスクを嫌い、ユーロ圏にとどまる限り
為替を通じての海外部門赤字(対外経常黒字)を実現することは
不可能になる。そして、
ユーロ圏内で各地域から資金を集められる国の国債価格だけが
急騰し、場合によってはマイナスの金利になることすらありうる。
こうしたことの一切は、主権通貨を放棄した結果、
必然的に発生することであって、当然、予想されていた通りのことが
起きたにすぎない。
これに対して、ヨーロッパ中央銀行が国債の買い入れを
「無制限に」行うことを明言しはしたが、
本質的な解決にはなっていない。
と、いうのは、そもそも、金融政策は、
金利がゼロ近傍に達してしまえば、
もはや、ある種の条件がある場合を除けば、
機能するはずがないからである。

他方で、アメリカのQEはどうか、というと、
これも、本来的には、全く意味がない。
ただし、後に述べるような理由で、おそらく、
ある程度は効果があるだろう。

QEが本来的には何の意味もない、というのは、
何もしていないからである。

国債とは何か。
MMTの考え方からすれば、
単に、民間金融機関が、最低限保たなければならない
金利収入を得られるだけの金融資産が不足しているときに、
それを供給することで金利の下支えをするだけのものである。
政府による新規発行であろうと
中央銀行の売りオペであろうと、
金融機関が十分な運用先がなく、ベースマネーが過剰になってしまったときに
新たな利付きの資産を提供するだけのことである。
そして、金利がゼロ近傍にあるとき
買いオペをしてベースマネーを増やそうとしても、
すでに十分安定的な利付きの金融資産が不足している状況の中で
買いオペに応じる金融機関が存在するはずはない。
だから、買いオペを滞りなく進めるためには
結局、それに代わる利付き金融資産を中央銀行が提供するしかない。
それが、time deposit facility であり、日銀の「超過準備に対する
付利制度」である。もちろんこれらは定義上
準備とはならない。
ところで、この新たな金融資産は
民間金融機関にとっては

・中央銀行がインターバンクレートを維持しようとする限り、
価格がほぼ額面通り(あるいは取得原価通り)に補償される
(必要な時に、常に期待通りの金額で準備に振り替えることができる)
・ただし、そのままでは、どちらも準備になりはしない。
・中央銀行がインターバンクレートを維持しようとする限り、
金利収入は同一。
・デフォルトリスクはない
・time deposit facility には償還期限がなく、
国債には償還期限があるが、償還された時点で
他に運用先がなければ、結局、政府が新たに国債を発行するか
中央銀行が実質的に同条件の売りオペをせざるを得ない、
という意味で、実質的な償還期限がない

と、いうことで、実質的には、全く同じ資産にすぎない。
と、なると、QEで大騒ぎしながら何をやっているのか、
というと、ある資産(国債)を、建前上、発行主体が
異なっていることになってはいるが、全く同一の
他の資産(time deposit facility、超過準備)に
振り替えているに過ぎない。違いがあるとすれば、せいぜい
有利子資産を準備に振り替えるときに必要な時間なり手数料なりに
過ぎない。

つまり、経済的な内実は、何一つないのである。

この、経済的には内実が何一つない行為によって、
経済的に実質的な効果がありうるなどとは、とても信じられない、
と、いうわけだ。

ただし、可能性が全くない、といってもいない。
唯一、可能性がある、とすれば、
国債、という、「政府が発行した」(実際にその価値を保証しているのは
中央銀行であるにもかかわらず)資産と
「中央銀行の負債」であるtime deposit facility の間に、
発行主体が違う、という名目ゆえに、
何らかの錯覚が生じる場合である。

国債であろうとtime deposit facility であろうと、
経済的な収益性・リスクは違いない。
準備に変換する際の時間や手数料にも実質的な違いはない。
つまり、ここから経済的な効果が出ることはありえないのだが、
しかし、「国債が、なんだかよくわからないけれど準備みたいなもの」に
振り替えられたことによって、
なんだか、準備が増えて、それによって民間金融機関は
もっと収益を上げられるはずだ、というような
幻想があれば、それによって、不合理な行動が発生し
そこから、あり得るべからざる効果が発生する可能性が
ないではない。つまり、クルグマンの言うような「ポートフォーリオ・リバランス効果」
のようなものであるが、
これは、結局のところ、
因習的な考え方(国債と、中央銀行の負債の間には違いがある)が
思い込みにまで発展して、実質的には何も違いがないのに、
何か違いがある、と思い込んだ人たちが
ミンスキー的な「ユーフォ―リア」を再発させることを
期待しているに過ぎないことになる。
要するに、合理的に形成される期待が
全く不合理な思い込みに基づいている、と当局が信じており、
あるいは、ほとんどの経済主体が
このような意味のない経済政策について
こんな政策は全く無意味ということを知っていようといまいと、
すべての経済主体が、
他の経済主体の行動について、
一応クルグマンのような有名な人がそう言って言うのだから、
きっと(本人たちがそれを信じていようといまいと)その通りの行動をするに違いない、
と思うので、自分もそのように行動しよう、
と、考えるなら、効果があることだろう。


しかしながら、結局のところこれは、
そもそもが、「準備のような(よくわからないけれど)資産が
増えた」という、何の根拠もない情報によって
不合理に形成された資産価格の上昇期待が
実際に、資金保有者を資産購入には知らせているだけにすぎない。
この行動の根拠となった不合理な情報が修正されれば、
途端にこの人為的バブルははじけることになる。
例えば、「中央銀行が、金融緩和を縮小し始める」といった情報
(もともと、QE自体に経済的な実質がなかったのだから、
その縮小にも経済的な意味はない)によって、
資産価格が低落し、
市場金利が急騰するなど、
全く不合理な効果が引き起こされることになりかねない。

[※しかし、実際には日本にせよアメリカにせよ
いくつかのケースでは、QEといった言葉(どさくさ)に紛れて、
国債や「優良企業」の手形以外の負債を
買い取るようなことが行われている。
こうしたことによって、一部の経済的不安が
取り除かれたことは、事実ではないだろうか。これは
「経済的に同一の資産の振替え」とは
とても言えない。実際、QEの目的の一つは
こうした不良化しそうな資産の価格下支えであったことは
当初より、はっきり当局によって明言されていた。]




財政政策については
おおむね、拡張を主張している、といっていいだろう。
実際にはPavlina Tcherneva やMarshall Auerback など、
Job guarantee program にこだわりを見せている人も
いるが、
現実問題として、危機に責任のある大企業の経営者を救済することに比べて
その他の多くの国民を救済することのほうが、政治的にははるかに難しいのである。
ほとんどの国民は、大企業、およびその傘下の企業を救済する「ついでに」
企業の利潤を支える形で雇用先を見つけることができるに過ぎない。
(そう意味では、冒頭に挙げたMoslerの発言は
肯首できる)
しかし、これによって、最低賃金に「床」を与えることができるかどうかは
わからない。
たとえその目的が、債務ヒエラルキーの再生産を安定させることにあるのであって、
労務者を救済する点にあるわけではないことを強調しても、
資本制の下では「失業している労務者に政府が職を与えること」という含意を持つ政策は
どうしても受け入れられない。
今のままでは、MMTは債務ヒエラルキーの、(国家を除くと)最上級の
立場の発行者の収益にだけ「床」を保証することで、債務ヒエラルキーの
最上位だけ、負債の流動性を安定させることができても、
最底辺の層には「床」を保証することができず、
その負債の償還可能性に対する見込みはいつまでも安定しない。
相変わらず、「貨幣」は経済的不安定性の根本原因であり続ける。
Job Guarantee Program を欠いてしまったのでは、
MMTは、「貨幣は誰にでも発行できる、ただ、問題は受け取ってもらえるかどうかだ」
というミンスキーの金融不安定性仮説の、根本的な洞察に
こたえるものにはならない。
そういう意味では、ここで
Job Guarantee Program が受け入れられるか否かが、
MMTの成否の分かれ道であって、
そして、決して政策的に成功することはないんだろうなあ、、、
という予感。


と、いうわけで、
なんとかJob guarantee program のほうへ、
話を移したいのだが、、、
(と、いうか、最終的には、貨幣の発生史論の問題へと
早く進みたいのだが)
これが、経済的のみならず、政治的、あるいは
労働問題なんかとの絡みもあって
(たとえば、MMTのJob guarantee program は、
労働と貨幣の結びつきを国家の権力によって
一層強めるものだ、というような批判もあったりして)
いろいろ難しいんだよなあ。。。


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