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福島出張のその後

2011年03月20日 | わーく&らいふ

2011 3.11 14:46 

あれから10日たった。
なかなか気持ちがまとまらなかったけど
個人的な記録として書いてみようと思う。

11日(金) 仕事中に宮城沖で大地震、大津波があったことを知った。
数十分後、休憩から戻ってきた人から東京も震度6だと知らされた。

まさか?!
東京までそんな震度になる?というのが素朴な疑問だった。

15時過ぎに休憩がとれワンセグを見て愕然とした。

宮城沖に続いて福島沖、茨城沖と震源地は南下していたのだ。
関東の震度が6というのも理解できた。

社会人一年目の長男の勤務先は品川。
メールを入れたが即返ない。
男の子だからそんなもの。いつものこと。と思いつつも心配。

そして15:53やっと来た返事には
「今 福島県いわき市の〇〇発電所にいます。
こちらは無事なので安心してください。」

福島は震源地。
地図で確かめると息子のいる発電所は海辺にある。
しかし本人が無事というのだから一旦落ち着き、
夫と次男にも連絡。
二人とも知らなかった。


帰宅してTVで悲惨な映像が繰り返し映し出され、不安は増幅。
福島の原発の心配も重なりメールをするも返信なし。

阪神大震災で折込済みではあったが
やはり夕方からは連絡が途絶えた。
通信状態悪化に更に拍車をかけてはいけないので
こちらからの連絡は我慢することにした。
伝言ダイヤルにも長男はメッセージは残していない。

長男の本社に電話しようかと夫に相談するが
まあ待て・・・と。


そして19時頃 帰宅途中の夫の携帯に着信あったと
連絡が来た。
「発電所の電話を借りてかけている。
今夜はここにに泊まらせて貰うから心配ない」 と。
その電話でこちらからのメールは一切届いていないことが判明。

どなたと出張しているのか、上司はどんな指示を出しているのか、
どんな状況なのか、揺れは?津波は?
休める所はあるのか
一切尋ねていないという夫に私はがっかりした。
が、発電所の人や同行の上司(先輩)方がいる中での
詳細な会話は気を使うだろうから聞かなかった・・・と。

そうか、そうだよね。

学生の頃は金頼むも物送れも近況報告も
みんな私に連絡していた長男もこういう時は父親にするんだ。
と思うと何やら寂しいような・・・でも感慨深かった。

私の携帯にかけでもしたら質問攻めにされ
一言ではすまないし
他の人に迷惑をかけると判断したのだろう。
 

詳細がわからぬまま眠れぬ夜を過ごした。
きっと被災地もそうだろう。
ずっと胸がザワザワしていた。


翌日12日土曜日。
朝から映像は悲惨さを増して報道される。
福島は地震と津波と原発の心配が重なる。

 

そして夜の22時過ぎに夫の携帯にやっと着信あり。
「これから発電所の人の車で取り合えず水戸まで送って貰う」とだけ。

道路事情はどうなのか、水戸からの電車事情も不明。
余震も頻発。
しかし無事を信じるしかない。

 

そして明けて13日夜中の2時にメールが届いた。
「無事に川崎の寮に戻りました」 
心の底からホッとした。

「本当にお疲れ様でした。
寮もいろんな物が散乱しているかもしれないから
気をつけて確認し、ゆっくり休んでください」
返信の時、長男は一斉送信していることに気づいた。
翌朝、夫と次男にもメールが届いたことを知った。

 

川崎の寮でゆっくり眠れただろうか?
13日夕方電話してみた。電話は繋がった。

この時初めて長男が経験した惨状を聞いた。
福島の揺れは立っていられない程の揺れだった。
発電所の建物の1階は津波で浸水し、
最上階(5階)の会議室で夜を明かした。
上司や技術の先輩たち4人で乗ってきた社用車は
津波に流された。

発電所の人に水戸まで送ってもらったあとは
時間的にもタクシーしかなく4時間かけて都内、
そして寮のある川崎まで帰った。

男の子だし元々おしゃべりな方ではない長男は
余分な形容や修飾をせず淡々と話すが
それだけにトラウマになるほどの体験をしたのではないか
と察した。


被災地にお住まいの方以外にも
旅行や出張で被災した人も多いと聞く。
地元の自治体が把握していない住民以外の人は
確認が取りづらいだろう。

 


息子が滞在したいわき市は被曝をさけるために
勧告されたエリアからは随分離れている。
だから良かったとか言えない。

長男は車が好きなこともあって
クリーンな代替エネルギーについて勉強したいと
大学院でバイオエネルギーを研究した。


同じエネルギーの供給に携わる職業、発電所に縁のある仕事。
福島の原子力発電所のことは人ごととは思っていない。

しかしながら、他方では
縁あって(夫の転勤で)広島に住む者にとって
原発の問題はいろいろ思うところもあるが、
最前線の現場で命懸けで働いている方々の安全と健康、、
その方々のご家族のお気持ちをお察しします。

 

10日たった今日、
夫が長男のPTSDを心配して電話してみろというのでしてみた。
してみたら、ここぞとばかりにちゃっかり「金 頼まれた」

水戸からの10万円近いタクシー代を上司先輩が多めに
払ってはくれたけど新入社員の自分にも痛い負担があり、
経費はまだ下りないし、み〇ほ銀行のトラブルでATMも使えないから
25日(給料日)までがピンチなのだと。
わずかながらの義援金を送金した。

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