今日地元の三井小学校の5、6年生の子どもたちがきての参禅会であった。子どもは15人、お母さんが6人、先生1人。坐禅はあらかじめおおよその事は知っているのだと思う。つまり我慢大会の雰囲気にて、ともかくじっと耐えている様子である。それから、ストーブのある部屋で住職のお話である。それも宗教の話とかで、自分とは何かみたいな話をするものだから、これもなんだか退屈で、じっと耐えている。
子どもに話をするのにこんなに緊張するとはおもわなかった。それはぼく自身が子どもとの距離が今すごく遠いのだ。何をどう、どこから切り口を見つけていいものかが、さっぱりわからない。わからないのにもかかわらず、喋りだしたら語り続けなくてはならず、もう聞いている人たちの様子も見えなくなって、話は散漫なまま終わったのだと思う。いやぁ、彼らにはなんともすんませんの日でした。
羨ましないと思いました。
でも、彼らたいへんだったとおもうよ。