ゴジュウカラの絵日記

あっという間に50代!?その日々の素直な思いや疑問や感動を綴ってみたい。(著作権は管理者に帰属します)

「コロコロからくり」展

2007-03-29 14:43:51 | 自然・環境
 2,3日前にテレビで垣間見た木を使ったからくり玩具の実物が見たくて、所用の電車を2つほど早めて福島駅前東口から少し歩いたところにある市の児童施設「こむこむ」(NHK福島放送局)4Fに「コロコロからくり」展を観に行った。

 最初にあるのが観覧者が自由に手回し出来る沢山の歯車が組み合わさった作品で、おずおずと回してみるとまるで向日葵畑のようにも、もう少し早く回してみると風車(かざぐるま)が沢山まわっている情景のようにも彼岸花の群れのようにも見える。

 次の十数点の作品には手を触れてはならず、係の人が順次回してくれるようになっている。「アルキメデスの空気」と名付けられたもの、辰年生まれの人が見たら喜びそうなドラゴンの仕掛けが2体、イルカのものも何点かあったけれどまるで大きな波のうねりが感じられるような大作はドキドキの感動ものだ。犬のサッカー、ペガサスの翼の羽ばたき、ニワトリの親子のほのぼのシーン、月光をイメージした抽象的な作品のオルゴール、クリスマスシリーズのオルゴールと、次々と動かしてもらうのが気の毒でもあるけれど、係の人も嫌な顔せずに一緒に楽しんでくれる。

 次の何点かは自由に手に触れて動かせるもので、いくら走っても「ホネ」に追いつけない犬のユーモア溢れるものもあり、子供ならずともいつまでも厭きずに楽しめて、ふとハッと我に返り「私はれっきとした(?!)大人だ!」と気付き、未練をキッパリ断ち切って出口を探すと真ん中に大きな仕掛けがあり係の人が居るけれど動いていない、、。「今日はこれは動かせないのですか?」と訊くと「いいえ、大丈夫ですよ、じゃ、もう少し人を集めてから、、。」と言うことで、手分けして(?)部屋中に声掛けて何人か集まり、いよいよ開始♪~♪ ワクワクドキドキ・・・小さな男の子が数点あるうちの好きなキャラクター(とげある恐竜)を選び出発点に置くと・・・?「オ~~~ッ!♪」次々、次々、思いがけない仕掛けが飛び出し、ゴールに辿り着くまでに息を呑むような感歎の連続で、まるで大スペクトル映画を観たような感動と余韻・・・・良かったァ、、、!!「もう一度と言うのは野暮よ!」と自分に言い聞かせ部屋を出る。

 同じフロアに常設展示場があり面白そう♪チラッとだけ覗いてみようと足を踏み入れ、また、嵌まってしまった、、、^^;)「のぞき箱」・・・昔のカラクリ箱ではなく、現代のハイテクを使ったもので、でも何だか昔々の人の好奇心、感動を追体験できるようなもので面白い!大人も勉強になりそう♪ 「竜巻発生器」「海図を見ながら船を操舵する部屋」「のっぽさんに見える鏡」「おでぶさんに見える鏡」・・・何だか安野光雅さんの絵本の世界に入り込んだようで名残尽きない。もう一度操舵室に戻り「宝島」を目指したかったけれど、伊能忠敬のトランクの中をチェックしたかったけれど、スタッフルームの前を通る時に「私は大人だ!」と気付き,次の予定もあることだからと言い聞かせ、渋々部屋を後にする。

 建物全体が絵本の中のような施設で、賛否色々あるだろうけれど、公共の施設だから伸び伸び遊ばせる事ができることで、これが民間の企業のものだったら、やはり採算を考えて「あっちの遊具も100円」「こっちも100円」と何だかせっかく膨らませていた想像&創造の風船がしぼんでしまうような施設になってしまうのだろう。バブルのしわ寄せか何かと言うと採算重視になって来ている。無駄なく損しないように、、、下手すると人の顔までお札に見えるような世の中だ。

 でも、ハンドルの遊びはどんな時にも必要!! それを失くしたとき、「コロコロからくり」の歯車はあんなにリズミカルには動かず、ギシギシとして、心を楽しませてはくれないのだろう。心の栄養は見逃されやすいけれど、何でもない時間、無駄に思える空間、それらがどれだけ役に立つものなのか、まるで空気のように誰も意識せずに居るけれど、、。

 夕食の時間にコラッセ福島の12F展望スペースに上ってみた。夕日が吾妻連峰の稜線を彩り、十三夜くらいになるのだろうか太めの半月が天高く輝いて12Fのずっと上を動いていた。会合が終わって電車の待ち時間に再度友人達と上ってみたら、ガラス越しの空には何も見えず、地上の街灯りだけがダイアモンドの装飾品のように輝いている・・・天下の資材を使って作り上げたもの、それらを維持する為にまた次々と富が必要になる・・・月はどの辺に沈んでいるのだろうか、月に訊いてみたくなった、、、富とは何だろう?雪だるまのようなもの?転がりだした石のようなもの?

初午を忘れたら、、、?

2007-03-26 18:34:19 | 自然・環境
 家の裏に昔からのお稲荷様の祠がある。ずっと毎年、旧二月の初めての午の日にその年の「初午」の行事をする。何の事無い、青(実際には緑色)黄白赤(実際には朱色に近い)紺(紫に近い)の順番に色紙を張り合わせた旗に「正△位 稲荷大明神 ○△氏  平成○△年旧二月初午」と書いて、お稲荷様の祠の前に立てて( =ずっと昔は赤い布で出来ていた旗もあったけど、今はもう面倒臭がって出さない、、、^^;)皿に生卵2個と油揚げを2枚、それに小豆ご飯を供えるだけ、、!? そして何故だか「午前10時まではお茶を飲んではならず」とかで、砂糖湯に梅干などを入れて飲んでいたようだった。(今でも意味不明、、^^;)

 何故、旧暦の二月かと言うと、何もかも新暦になったご時世にこれも意味不明なのだけれど、昔からの思い出をひも解くとどうしてもこの季節の日差しとか突風とか、何か新暦の二月ではぴんと来ない行事になるようなのだった、、。

 しかし、旧暦の二月初午となると、丁度お彼岸と前後してバタバタと忙しい時期になる。終いにはうっかりその日を忘れてしまったり、、、^^;)それでも、気が咎めて、12日後の二の午の日に「旧初午(二の午)」と書いて間に合わせてもらったりする。

 そもそも「初午とは何ぞや?」と毎年思う。忘れなければ何の事無いのだけれど、忘れてしまったら「二の午」にすれば良いのか?或いは{忘れたことを)思い出した次の日に「ゴメンナサイm(__)m」とするのが良いのか??・・・他人から見ればどうでも良い悩みに思えるだろうけど、、^^;)

ゴジュウカラの気まぐれレシピ(その30)・・・・春彼岸あり合わせメニュー

2007-03-22 15:51:20 | 自然・環境
 欲張って入れた岩手行きやコンサートが響いたか、はたまた日頃なまけていた(=多分にこっちが原因!?)帳簿付けや御片付けが響いたか、彼岸の準備や何やかやが押せ押せになってしまい食材の買出しに出かける暇を取れぬまま御中日になってしまった、、、^^;)

 お彼岸入りのお茶飯メニュー、2日目のお茶飯焼きおにぎりメニュー(=苦肉の策!)、3日目の油揚げご飯メニューに引き続き、肝腎の春分の日のメニューが浮かばぬまま疲れ果てて寝てしまった、、、。ハッと目覚めた当日、お萩の準備は勿論無く、簡単黒豆ご飯の案も間に合わず、買い物も間に合わずで、やけくそであり合わせの散らし寿司を作ることにした。

 規制緩和・大型店進出による地域破壊が叫ばれて久しいが、何のことか良く判らぬままにこう言う切羽詰った時に「なるほど!」と変な合点が行くのだった・・・・・と言うのは、ちょっと2,3歩で足りない食材や日用品を買いに行くことが出来て何でも間に合っていたのに、大なり小なり、皆、大型店の影響を受けて店仕舞いしたり、品数や種類を極力抑えたりで、欲しいものがご近所では簡単に手に入らなくなった。一つ二つのために時間を割いて車をガソリンを使いたくない、増して段々横着の虫がはびこる齢となると尚更だ。結果、「ご先祖様ごめんなさい」と心で詫びつつ、老獪な(?)脳細胞を駆使して(凄いボケ防止だぞ~~!脳トレだぞ~~!!)曲りなりの「あり合わせ散らし寿司メニュー」を作ることにした。
 
①きのう豆乳を作った時に出来たおからがあったので、肉そぼろの要領で、砂糖・みりん・醤油で気長に炒りつける。
②人参を砂糖・みりん・塩(隠し味)で甘煮にする。
③油揚げがあるけれど、これは味噌汁(+ワカメ)と大根炒りに使い、大根炒りも散らし寿司の具にする!?
④大根と大根葉の味噌漬けを細かく刻む。
⑤奈良漬も食べよい大きさに刻む。
⑥冬越しした(?)セロリの葉を細かく刻んで軽く塩でもむ。
⑦伊予柑の皮を剥いて中身をひとくち大にする。
⑧寿司飯(固めのご飯+砂糖・みりん・米酢・塩少々)を広げた上に①~⑦を彩りよく散らし、好みで焼き海苔を千切って散らす。

チャリテイコンサートin 郡山

2007-03-21 22:02:25 | 自然・環境
 友人がチャリテイコンサートの整理券を送って来てくれた。あれこれと会う機会が持てずにご無沙汰していた別の友人も来るかも知れないとの事。彼岸入り前日と言うことでスケジュール的には少々きつかったけれど、久しぶりに友人達にも会いたくて、音楽にも触れたくて
送ってくれた枚数分の友人に声を掛けて出かける事にした。余裕を持って仕事の計画を入れた筈だったけど,結局,来客やら何やらでいつものギリギリ滑り込みセーフのパターンで仲間とも合流、開演を待つことが出来たし、送ってくれた友人とも無事対面することが出来た♪

 何でも12年前から毎年一回ずつ開催している世界の各地に学校を贈る活動をしているグループのチャリテイコンサートなのだそうで、その経過報告を聴いた後、ソプラノ歌手のソロ・コンサートが始まった。伴奏はキーボード・ピアノ担当のH氏とギター・ボーカルのU氏の二人だけ。プログラムに「その歌声は『聖母マリアのクリスタルヴォイス』と称されるほど美しく澄んだ響きを持ち聴く人の心を瞬時に掴まえ魅了する」とあったが、当にその通りだった。音響に難があったのだろうか、最初の方の数曲は少々聴きづらかったが、その後ずっとシンプルな細身のドレスに身を包んだこの歌姫の歌声に聴き惚れ、酔いしれた。

 「故郷」の曲を会場全員で歌う際にはさりげなくヴォイストレーニングのツボを教えてくれて何だかとっても得した気分♪ 歌声に酔いしれて子守唄になりかけた頃には、あの「歌劇:トゥランドット」の中の「誰も寝てはならぬ」の曲を披露するユーモアも楽しい。
 
 「砂山」も「月の砂漠」も「エターナルメモリー」も「コンドルは飛んでいく」も「群青」も「百万本のバラ」も「アメージング・グレイス」も、どれもこれも良かったけれど、お終いの頃に歌った「ジュピター」の曲にご自分で作詞したと言う歌は流石に思い入れが感じられて引き込まれた。

 別に歌を聴いて感動したからと言って、一銭の儲けにはならない・・・・・けれど、この幸福感は何だろう! 銭金に換えられないものの価値、何かと言うと損得の計算になる世知辛い世の中で目には見えないもの、儚く脆く消えていくように思える音楽の力の素晴らしさを思った。「何も出来ない、何も持っていないと悲観しないで!魂のような目に見えない儚いものが人を救うこともある」と世界中の皆に、そして自分自身にも訴えたくなった。そして、現実に(無論、厳しい修練の結果ではあるけれど)この優しい歌声が人々の心を動かし、恵まれない地域の手助けになれる。我々はたとえ無力であろうと、少なくとも心がある、、、。

青春18切符

2007-03-20 22:33:43 | 自然・環境

 無事(?!)ひな祭りも終わった週末、「春の青春18切符」を使って岩手へ行って来た。宮沢賢治大好きおばさん達の2泊3日の旅だが、1日目は夕方出かけて、素泊まりの宿へ着いたのは24時近い深夜。それでも宿の女将さんが快く迎えてくれ、温泉も24時間いつ入っても構わないと言う事で、旅の疲れを早速癒すことが出来た。

 駅で「青春18切符を下さい♪」と白髪頭のおばさん(=私)が言うものだから、出札係の駅員さんが「青春18切符ね、、。」と半ば苦笑いしながら(・・・とひがみ根性のおばさんには思えた、、、^^;)取り出してくれたので、「気持は私たち18なんです♪」と言ったら「ワッハッハ!」と相好を崩して笑う。

 平均年齢は60歳手前の4人で出かけるのだが、還暦が2回目(いや3回目?)の成人式だとすれば、我々は3度目の18歳に間違いない。実際、まるで修学旅行の女学生気分で数度の乗り換えも何のその楽しんで来たのだった。3人寄れば文殊の知恵、増して4人の知恵を合わせれば結構な戦力、仮令そそっかしい私がプラスマイナスゼロだとしてもだ、、、。
 
 普通は1日分が2300円(=5枚綴りで発売で11500円)で普通列車乗り放題だったが、何と今回は(3月1日~4月10日)20周年記念で1日1600円(=5枚綴りで8000円)と言うから、直ぐ隣の県へ行くくらいの料金で東北半周できるのだ。それを思うとそれぞれ大きい荷物を2つも持って申し訳ないくらい、、^^;)

 各駅で停まる度に開くドアが新鮮な空気を運んでくれるし、乗り換えの度に見聞きするその地域の情報も新鮮だ。待ち時間に味わう地元の味も捨て難い。何だか1日で10日分旅した気分だった。疲れ?いえいえ何てったって私たち3度目の青春18歳だから、乗り換えの階段の乗り降りも山登りの訓練だと思うと反って嬉しいくらいで全然平気!???

 今回はグッドタイミングで行きたかった講習会とドッキング出来たのもラッキーだった。譲り受けた残りの1日分、日帰りの美術館めぐりに使いたいと思う。今年の春は良い企画が沢山ある(^-^)v
 

友へ・・・あきらめないで

2007-03-19 09:58:18 | 自然・環境
 
人間は株券か?
将来性がなければ価値がない?
貨幣に換算できなければ価値がない??

否! 否だ!!
それを「諾!」と言う輩など、まとめて熨斗をつけて
都合の良いときだけ押し寄せて来て風向きが変わればサーッと引いていく波のような
そんな人間どもの群れに進上すればよい!

奇しくも今朝の新聞のテレビ欄に
「道に迷えば地図が作れる、ピエール・エルメの口癖だ」
と言う台詞が載っていた、、、。

膨大な細胞が奇跡とも言える緻密さで
何年も何十年も動く人間のいのち・・・・・
たとえ百余年の長寿を全うしたとしても
果てしない宇宙の暦からは見たら
ほんの瞬き程度のもの

それでも
その中 ほんの数秒のあなたの笑顔の数々が私には宝物
あなたが黙々と精一杯頑張ってくれくれていた姿勢は私の脳裏から離れない
それらの記憶はいつ日か私が魂だけのものに成り果てても
きっとその中で生きている(私は執念深いからね!?)
有形のものに囚われないで
失くしたものを追いかけないで
それらはすべて過ぎ行くもの・・・・・

いつか失意のどん底に居た時
「失ったものの悲しむな、残されたものを最大限に生かせ」と言う言葉を教えられた

・・・・・人生は短い
精一杯涙を流して 心のレンズを洗い流したら
沢山の輝きをあなたの魂に取り込んで
あなたの悲しみとして、あなたの笑顔として、私にも下さい・・・ねっ!

佐藤静司展(郡山市立美術館)

2007-03-06 20:13:07 | 自然・環境
 「3月25日まで」と暗唱しながら「何とか期日内に観に行けますように!」と願っていたら、思いがけず友人達を案内しながら観に行ける機会が出来た♪ これは天の思し召しに違いないと喜び勇んで車を走らせる。自分が一番舞い上がっている!?
 「今日はお花見ですよ~!」と言われても不思議ないような麗らかな日で、外光を精一杯取り込んでいる市立美術館は中に居ても気持がいい。玄関を入ってチケット売り場に行く前に、先ず「フルートを吹く人」の木彫がある。当たり前だろうけど重心がきっちり決まっていて小気味良いなあ、凄いなあと思わず溜息。
 受付の途中にも作品があり、外光を取り入れた空間の中でひときわ伸びやかに見える。見とれていたら「チケット拝借します、、。」と声をかけられ、改めて「あ、展覧会場だった!」と気付く。それぐらい自然な雰囲気の展示が心地良い。
 何度か色々な展覧会で作品は見聞きし知っていた。だからこそ観たかった作品展だったが、一堂に会する作品群は「素晴らしい」の一言だった! 彫の作品しか観た事がなかったけれど、ブロンズもデッサンも版画もどれもこれも清潔で衒いは皆無だ♪・・・・と若輩の素人の私が批評する立場にはない事は重々承知だけれど、まるでクロッキーが作品に昇華したような潔さで、94歳の今も現役でノミを握っていると言う事も素晴らしい驚きだった。25日までに行けるものならもう一度行きたいけれど、多分無理だと思うから今回の幸運に感謝したい。前から知っていてそれでもなお感動だったのは「合掌」という謂わば代表作だったけれど、どれもこれもが静謐な感動を与えてくれた。清清しく励まされた。

 帰りに石庭のようになっている出入り口前の広場をずっと歩いてみた。一見、でこぼこの敷石をランダムに敷き詰めて危なっかしい遊び場のように見える。が、歩いてみて逆に平坦な通路の敷石よりずっと安全な気がした。そして其処を歩いている自分自身も生き生きと楽しいのだ、一瞬一瞬が♪・・・・・・山道を連想した。整備され過ぎて反って危険極まりなく味もそっけもなくなっている登山道を、、。

遠来の友・・・そして年賀状の事

2007-03-06 17:39:25 | 自然・環境
 珍しく家に居た日曜日(?)のある日、「こんにちわ~♪ あ~~良かった!」と入ってきた客人!? 私の顔を見て「あ~良かった~♪ 元気そうで~~!」と涙ぐまんばかりで「私のこと分かる? 大分変わったんだけど太めに、、。」と矢継ぎ早やに問いかけて来る、、。 「勿論だよっ!何言ってるのよ!!」小学・中学とずっと同じクラスで、文字通り良きにつけ悪しきにつけ喜びも悲しみも分け合ってきた幼馴染だ、忘れる訳無いじゃない!しかも、去年の年賀状が「行先不明」で戻ってきて、心配してたのは私の方だよ!!

 何でも実家の親戚に頼んでいた米を、雪道が解けたのでやっと取りに来たのだとか、、、。あれやこれや話は尽きず、車を運転して来た一回り大きい息子さんが傍らでニコニコ笑って聴いている・・・・。ひとしきりして「今年ね年賀状が来なかったから、もしかして具合でも悪いんじゃないかな?どこか引越したのかな?もしかして死んじゃったらどうしよう?って心配してたのよ~~~!あ、でも、この顔色じゃ死ぬ訳ないよね?」と来た、、、--;)オイオイ、ちょっと待てエ~~!!「何言ってんのよ、去年出した年賀状が戻って来たから、引越したのかなと思って落ち着いたら住所知らせてくるんだろうと思って、今年は様子を見て出さなかったのよ!一昨年も返事が無かったからメチャメチャ忙しいんだろうと思ってたけど、心配してたのはこっちですっ!」「えっ?! 、、、あァ~~!そうか、そう言えば一昨年だったかようやく家を建てて引越したんだけど、そのあとバタバタと忙しくて出してなかったのは私の方だったのか~~!?」
と相変わらず私以上にそそっかしい友人。そんなところも昔とちっとも変わらない。腰を上げて帰る筈が、また、その話でひとしきり盛り上がる、、、。

 年賀状・・・顧客用の年賀状は出さない事にしているのだけれど、先代からの付き合いや友人・知人で結構な枚数になる。格別に数えた事は無いけれど、出す時の厚さと来た年賀状のそれとで微妙に返信の方が少ないのが判り、それが毎年の寂しさでもある。それを意識してから顧客用に儀礼で寄越してくれたであろう数枚の年賀状にも返事を書くことにしている。私自身、お客である反面、彼らのお世話になって初めて仕事が成り立っている事を認識する良い機会でもあると思っている。
 毎年出しても返事が無く、迷惑かも知れないから来年から出すのは止めようと思った途端「毎年有難う、楽しみにしてるの。筆不精で頂くばかりでゴメね、、。」と、思い出したように賀状が届いて、また方向転換せざるを得なくなる。スマートにパソコンで作ろうかなと思うと「あの手作りのが欲しいの!せめて私の分だけでも作って!!」と、いつもの垢抜けしないある意味小汚い賀状を要求されて、また振り出しに戻り十年一日のごときものを送り続けている。
 
 時代はIT時代、段々年賀メールの時代になるのだろうか?この一枚一枚も貴重な森林資源から出来ているのかと思うと、何百枚もの年賀状の重みが、また別の意味を持ってくるけれど、アナログ人間の私は、メールよりも電話よりもやはり一枚一枚送り手の顔を思い浮かべ繰り返し読む年賀状は離し難い。
  
 遅くなっても時季が過ぎても必ず返事を下さった恩師も逝き、元旦真っ先に「今年も山へご一緒しましょう!声かけてください!!」との賀状が届く、会の父親的存在だった仲間も、昨年急逝し、それそれの律儀な筆跡の賀状が届かないことに喪失感を新たにする。そう言えば「毎年お寺さんへ生存証明をする為に御年始に行く事にしてるんだ♪」と、独特の人生観をひょうきんに話していた友人の父上も亡くなって早や久しい、、、。
 今回は笑い話で済んだ年賀状の「生存証明」も、いつか現実問題になる日もそう遠くはないだろう・・・・せめて一枚ずつ心を込めて語りかけ、一枚ずつ心を汲み取らせて貰いたい、、、。

 今日はもう「啓蟄」・・・・・暖冬とはいえ、無事冬を乗り越えて春を迎えられた事をしみじみ有難く思う・・・・これも年の所為??