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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・礼拝説教(要約)

2017年09月11日 05時50分55秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】9月3日
・説教者  山田 隆牧師
・引照聖句 ヨハネの福音書15章1~9節
・説教題  ぶどうの木と枝
◎今年は8,9月は雨天や曇りがちで、野菜や果物が不作で不足、高くなっています。ただし梨の幸水は例年と変わらず、美味しいと食べております。ただし、小ぶりのようです。
 本日の主題は葡萄に関わる、キリストの例えです。梨は聖書には無しですが、葡萄と葡萄酒のことは多く出てまいります。ここで、主はキリスト者の、神との生命的な関わりを葡萄の木から語られています。新聖書植物図鑑を見ると、「イスラエルの葡萄栽培は日本のように棚にするものよりも、Y字型の支柱や垣根風の簡単なものが多い。地這えのものさえある。自分の植えた葡萄の木とイチジクの下に住むことはイスラエル人の幸福、平和、豊かさのシンボルであった(ミカ4:4)」
 イエスの時代には薗は大切な宝で、周りに垣根を巡らし、中には見張りのやぐらをつくり、絞り場を作った(マタイ21:33)」とのこと。
◎イエス様の例えは、ヨハネの福音書15:1「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫で」、私たちは何かと思えば、5節「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です」と。キリストに結ばれた「枝」なのです。素晴らしい結ばれ方と、自分のような者がつながれて、良いのでしょうか。ちょっと頼りない感を受けないでしょうか。
4節「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」5節の中「そういう人は多くの実を結びます。」です。
 農夫なる父なる神はキリストの枝を剪定されます。実を結ぶためです。しかし、キリストから離れ、他のものの樹液を飲んだり、まがいものに移行すれば、切り落とされましょう。
◎実を結ぶとは
樹液にあたる、父なる神と御子との霊である聖霊をです。
 その実とは、これ以上のものは無い、十分な実です。ガラテヤ5:22~23「 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、自制です。」
◎これらを消し去らせるものは。5章19、20節「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のもの。・・・こんなことをしている者たちが神の国を相続することはありません。」
◎剪定は実をならせるために、無駄枝を切り落とすのです。葡萄、人と神とに有用な人は、キリストの結びついて、無駄花、無駄実、無駄枝を剪定された結果なのです。教会各自は、キリストにつながれた葡萄の枝です。神と人とに有用であり続けたいと念じます。

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