ある「世捨て人」のたわごと

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創世記の作者は?

2016年10月21日 | 語学
創世記の作者は?
出典→ http://exci.to/2eyyIhb
 
創世記を始めとする幾つもの物語を合わせて、私たちが一般に聖書と呼んでいる書物は成り立っている。更に聖書は旧約と新約に分かれており、その間には時代的に数百年の隔たりがある。新旧ともについている「約」とは、契約あるいは約束という意味である。
それは神との契約であり、古い約束と新しい約束ということであろう。

さて、この聖書は多数の物語の合作であり、時代の隔たりもそんざいするので当然のこと著者は一人ではない。中でもエゼキエル書や創世記は、非常に面白く興味を惹く内容である。では、創世記の作者は誰なのであろうか。
この作者についての議論では、モーゼその人ではないか?という説も存在する。或いはモーゼは編者であって、作者ではないとする説もある。

 モーゼが登場するのは創世記の最期に登場した人物から、数百年も後のことであり古い時代の出来事を目撃できるはずもない。では編者と考えたならば、その資料は何処から引き出されたというのか。しかも、文字という形で記録されていなければ、資料として活用するには少し困難だ。そうであれば、どこかにそれが存在していなければならない。
そして、その資料は地球の成立から始まり、それ以前の主な出来事の全てを網羅されている必要がある。

その資料とは恐らくは、バビロニア石板と呼ばれる粘土板に記された記録であった可能性が高いと思われる。これらの石板の内容と創世記の内容が酷似していることに気がついたのはイギリス空軍のP・J・ワイズマンだった。
バビロニア石板の年代別の記述が、創世記のそれと同じであることに気付いたワイズマンは創世記の記述を丹念に調べていった。
その結果として創世記には全部で十一の時代の記述があることを確認し、バビロニア石板の時代の推移と記述が一致した。
記述の内容はバビロニア地方に限らず、全世界に及んでいることから、この文字が世界の共通語であった可能性を示しているのかも知れない。そうなると、創世記十一の「世界中は同じ言葉を使って、同じ様に話していた」という記述もにわかに真実味を帯びてくる。

 そしてバベルの塔の建設を機に、人々の言葉は神により散らされて、通じなくなってしまった。この伝説もまた、何かの事実に基いているのかも知れないと思えてくる。
しかしバビロニア帝国自体はBC1500年の時代しかなく、恐らくはシュメールやそれ以前の時代から伝えられた物語の模写である可能性も存在するだろう。
そのシュメールの神官に呼び出されたのが千賀一生氏で、神官から聞かされた内容は彼の著書「ガイアの法則」でその内容を明らかにされている。
シュメールの人々もまた先行する文明から受け継がれたこと、そして驚くべきことにシュメールの人々の出発点が日本であったことなど非常に興味深い内容である。
このように人類は超古代から連綿と続く文明文化を継承しているのであり、現代文明とて決して独立して存在しているのではない。

 では、古代の人々に地球の成り立ちなどを教えた存在とは何だったのか。私はそれが神(宇宙法則)では在り得ないと考えている。神(宇宙法則)は間違いなく不変であり普遍であって、不偏であるが、人間に言葉として語り聞かせることなどない。
やはりそこは人類の創造者(知的宇宙生命体)が、これらの情報を超古代の地球人類にもたらしたと考えるのが自然なように感じる。


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