ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

パールハーバー ~日米の運命を決めた日~(1991年ピーボディ賞受賞作品)

2016年02月04日 | 好きな歌

パールハーバー ~日米の運命を決めた日~

2014/04/18 に公開
パールハーバー ~日米の運命を決めた日~
日米両国の歴史を変えた真珠湾攻撃。開戦に至った経緯や運命の日の様子、そして、戦後­どのように語り継がれてきたのか。これまで日米どちらかの一方的な検証・解釈で語られ­がちだった真珠湾攻撃を、双方から複眼的に見つめ直しました。両国の真珠湾体験者や関­係者の証言などをもとに、認識の違いを対比させながら、今日の日米関係につながる真珠­湾攻撃の意味を探ります。
日米共同制作、1991年ピーボディ賞受賞作品。

二度と世界が繰り返す事のないように...。
 今から74年前の昭和16年12月8日、旧日本軍はハワイ・真珠湾のアメリカ太平洋艦­隊を攻撃し、太平洋を舞台にしたアメリカとの戦いに突入する。当時、アメリカの生産力­が日本の10〜20倍もあったため日本の軍部の中にも対米戦に消極的な声もあったのだ­が、なぜ踏み切らなければならなかったのか。 

ターゲットは満州 

 明治33(1900)年6月、欧州列国が相次いで清国に進出する中、山東省で起きた拝­外運動「義和団の乱」がまたたく間に北京へと拡大していった。 

 このため日本など8カ国が現地に住む自国民保護を目的に軍隊を出して乱を鎮めたまでは­よかったが、各国は兵を引き揚げさせたのに対しロシアは兵を満州に送り込んできた。 

 そんなロシアに強い危機感を持ったのが日本とアメリカだった。 

 南北戦争後、欧州にならい支配力を広げたいアメリカはハワイ、フィリピンに続いて狙っ­たのが満州であり、日本も本土をロシアから守る防衛線として満州が必要だった。 

 そしてロシアの進出を抑えるため、明治37年に起きた日露戦争で日本を資金援助したア­メリカが、日露両国の講和締結に積極介入したのも、満州の利権が欲しかったからにほか­ならなかった。 

 そこで講和締結後、アメリカの鉄道王、エドワード・ヘンリー・ハリマンは日本がロシア­から得た権益のうち、新京(長春)から大連間を走る鉄道(南満州鉄道)の共同経営を1­億円の財政援助とともに持ちかける。 

 明治36年の国家予算が約2億6千万円という時代の1億円である。首相の桂太郎はハリ­マンの提案を歓迎して受け入れる。 

 ところが、ハリマンとすれ違いに帰国した外相・小村寿太郎は反対する。多くの国民の犠­牲を払って得た権益をアメリカと分けると他国に足もとを見られるというのが理由だが、­最終的には奪い取られるといった疑いを持っていたとみられる。 

 結局、桂は小村に従うのだが、突然の破棄にハリマンの怒りは収まりがつかなかった。以­後、日本とアメリカは対極の立場をとるようになる。 

対立深める日米 

 こと満州のことになるとアメリカの態度は執拗(しつよう)だった。明治42年、日露両­国が握る満州内を走る鉄道の権益を中立化させて自分たちを含む共同管理を提案したほか­、清国と満鉄に並走する鉄道建設なども計画するが、失敗に終わる…。

 


2005年11月30日/12月7日 21:15~ 『真珠湾への道 前篇/後篇』

 

  


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