ある「世捨て人」のたわごと

「歌声列車IN房総半島横断鉄道」の夢を見続けている男・・・ 私の残された時間の使い方など

自由な日々を過ごしているのはいいが

2013年07月26日 | 好きな歌

 今年の春、「いちうたグループ」関係の全てをスタッフの皆さんにお任せした。

イベントへの参加もやめた。
ブログの投稿も、完全撤退だろう。
まったくの自由時間の毎日である。

いつも念頭から消えなかった秘境冒険小説「洞窟の女王」をもう一度読みたいという願望は達せられた。満足である。 

60年くらい前、テツが小学生から商業学校(旧制)の頃、繰り返し読んだ、推理小説、ヘンリー・ライダー・ハガードの作品ソロモン王の寶窟(1885年作)と洞窟の女王(1886年作)の再読を始めたら、原文も読みたくなった。

 早速、洋書(原書)SHEAyeshaなどを、ネットで検索して購入した。 以下「原書」と表記。 

 

購入した(および購入予定の)書籍:

・大佛次郎 1955年2月25日初版「世界大衆小説全集〈第1期 第5巻〉ソロモン王の宝窟・洞窟の女王 」・小山書店 
・大久保康雄・1956年11月5日初版「世界大ロマン全集 (5)
・大久保康雄・2009年6月19日25版)創元推理文庫
・洞窟の女王 (創元推理文庫 518-2)    対応原書She: A History of Adventure 
・女王の復活 (創元推理文庫 518-4)    対応原書Ayesha, the Return of She
   ・・・・(「
洞窟の女王」の続編)
・ソロモン王の洞窟 (創元推理文庫 518-1)  対応原書King Solomon's Mines
・二人の女王 (創元推理文庫 518-3)  対応原書Allan Quatermain
  
   ・・・・(「ソロモン王の洞窟」の続編)
She: A History of Adventure (Modern Library Classics)

以下は注文済 (未到着)
・Ayesha, the Return of She Haggard; ペーパーバック
・King Solomon's Mines Haggard, H. Rider; ハードカバー
・Allan Quatermain Henry Rider Haggard ペーパーバック

 インターネットで「洞窟の女王」についての資料を探していると、超名作なので、作られた映画も多いことが解った。

それで、YouTubeなど「動画共有サイト」で動画を探すことに挑戦した。

抜粋や予告を含めると、かなりの数になる。リメーク版も多い。

しかし、これもテツの弱さを告白することになるのだが、使われている言語の意味が解らない。いろいろ試してみたが疲れだけが残ってしまう。

そんなことで、映画にも興味があるのだが、深入りは避けて、原書と翻訳本を熟読することにすることにしたい。

それでも、テツの余生を、それに充てるのに不足はないと思う。

 

「洞窟の女王」1886は、これまでに10回ほど脚色・リメイクされている。 

 1899年:Georges Mélièsによる、La Colonne de feu (意味=「火の柱」)(フランス語版)

1911年と1916年:Marguerite Snow主演

1917年:Fox映画 Valeska Suratt (フイルム行方不明)

1925年:ベティブライス主演 無声映画 ハガードの積極的な参加を得て製作。
映画は「洞窟の女王」原作全シリーズから抜粋して作製。Helen Gahagan、Randolph Scott、Nigel Bruceも出演

1935年:場所をアフリカでなく、北極にセット。Max Steinerによる音楽で、アールデコ様式の物語の古代文明を描いた。 

1965年:Hammer Film Productionsの作品。女王役をUrsula Andress に、John Richardson、 Peter Cushing、Bernard Cribbins も出演

1965 「LA DÉESSE DE FEU 火の女神」(フランス語)

The Vengeance of SHE 完全版(1968) ロシアのサイト・・埋め込み不可

 2001年:Leo Vincey役としてIan Duncanが、女王役ではOphélie Winter、その他 Marie Bäumer が起用  ・・・・【DVDを林隆治さんから借用中!】
林さんのボランティア活動・・・「ユーアイ久樂部」・2013年1月29日

2007年:rock-opera/musicalバージョンは、ポーランドKatowiceの Wyspianski TheatreでClive Nolanにより録音DVDとして発売

2012年2月:Nolan版がCheltenhamのPlayhouseで初の英国公開

 「ソロモン王の洞窟」1885もリメイクされている。 

 King Solomon's Mines (1937年), 英国映画
King Solomon's Mines (1950年), アメリカ映画
King Solomon's Treasure (1979年), 英国-カナダ合作 制作費入札
King Solomon's Mines (1985年), アメリカ映画,ジンバブエで撮影
King Solomon's Mines (1986年 telemovie), オーストラリア アニメ映画 Burbank studios
King Solomon's Mines (2004年), アメリカテレビ miniseries

 関連映画

・Allan Quatermain (film), 1919
・Watusi,  前編1950年・続編1959年
・Allan Quatermain and the Lost City of Gold, 1987  Richard Chamberlain
・The Search For King Solomon's Mines (2002 documentary), commissioned by National Geographic Television and UK's Channel 4
・The League of Extraordinary Gentlemen (film), 2003 film with Allan Quatermain portrayed by Sean Connery
・The Librarian: Return to King Solomon's Mines, 2006 TNT television film
・Allan Quatermain and the Temple of Skulls, 2008 film

 上記の他に「二人の女王」に関する多くの映画が作製されているが、ブログでは字数の制限上、省略。

 


「いちうたグループ」関係の全てをスタッフの皆さんにお任せした。

その結果として、どのような生活になったのか。
何故「いちうたグループ」のすべてから退いたか。

 参照ください。 テツの自己満足

 某日、Aさんに宛てたメール:

 メール拝見しました。 現在の服薬は、少ないです。 

バッファリン(血栓予防・朝1錠)
ファモチジン(胃の薬・朝1錠)
マグミット(便秘予防剤・毎食時各1錠)です。 
血圧は安定しています。排便もほぼ順調です。 

 ただ脱力感、と夜中に引き込まれそうな、不快感があります。 

 でも、この「脱力感(または無力感)」や不快感は何でしょう。人間はこんな感じで意識が薄れ、そして活動が停止するのでしょうね。

尿器を動かそうとしたら、ふらついたこともある。 

数日前、隣接の医療施設に移動した方が亡くなったらしい、ということを耳にした。でも、真相を教えてくれる職員さんは誰もいない。

「火のないところに煙は立たぬ」 There's no smoke without fire. ・・・・
まったく根拠がなければうわさは立たない。うわさが立つからには、なんらかの根拠があるはずだということ。

そういえば、職員さんが、食堂の彼の席の名札を剥がしていたっけ・・・。あの日、彼は他界したのだろう。

  

「いちうた」に生き甲斐を感じていた頃は、何でもなかったが、最近上記のような症状を感じるようになった。
それにベッドから立ち上がるのに、力が入らない、よだれが出やすい、頻尿・・・など。
日常の動きは改善するどころか、衰退への路に向かっているようだ。
昨日の状態は、今日ではなく、明日でもない。
もしかしたら、今日は普通に歩けても車椅子の生活になってしまうかも・・・・
 
廃用症候群(不活発性症候群)への近道を歩んでいるようだ。
 

 ブログの更新のネタも尽き果てた・・・・。
そして生き甲斐も失われ「脱力感(または無力感)」や不快感の毎日が続いている。 

 「ユーアイ久樂部」の生活は、痒いところに手を差し伸べて掻いてくださる介護なので満足である。食事も美味しい。

 これまで、イベントに参加の日は、介護タクシーを利用し、「ユーアイ久樂部」を11時前後に出発し、途中コンビニで「おにぎり」や菓子パンなどの軽食を買い、現場(公民館・サンプラザ市原・小湊鉄道本社)で食べた。 

「ゆう・あい」の食事と比較すると、軽食は栄養的に良好とは言えないだろう。 
それでも、一時しのぎの昼食だけでも、楽しく参加することが出来た。

 しかし、交通費(介護タクシー料金)のことで、イベントに参加が出来なくなった。
「いちうた」の
仲間との付き合いや、笑顔に接することも無くなった。 

なぜ「いちうたグループ」への参加を止めたかというと、 
ボランティア活動は別として、音楽活動(「いちはら歌声を楽しむ会」「昭和の歌を歌う会」「歌声列車IN小湊鉄道」)を開設したのはよかったが、足りないところがあったことが原因の一つだったような気がする。 
それは会則を作っていなかったからと思う。

 「いちはら歌声を楽しむ会」は五井公民館の認可団体として承認され、ご指導に基づいて作成した会則はある。

 しかし「昭和の歌を歌う会」と「歌声列車IN小湊鉄道」には、会則がない。

 2006年1月19日に「いちはら歌声を楽しむ会」を立ち上げた頃、姉崎や八幡宿の公民館で活動している音楽サークルに「挨拶」を兼ねてお邪魔したことがある。

 それに先立って、挨拶の手紙は送ってあったので、快くお会いできた。

 その折、ある先生は「会費が安いと、それだけの価値にしか受け取られないですよ。会費は高く設定して、講師の報酬もそれに準ずるべきですよ・・・」とコメントされた。

 当初は会費ゼロで発足した。もちろん経費はテツが全てを負担した。しかし、一人の協力者(伴奏)が、「交通費として若干いただかないと楽しみがない」ということから会費制にして、謝礼を支払うことに決めた。 

それはそれで、正しい考え方だと思う。
 
ところが今回の場合はテツが病気で欠席したので、代わりの方にお願いすることになった。
 
会費の関係で交通費は、代わりの方に差し上げることになった。

 これは当然なことである。そしてテツはいただけなくなった。

講師の参加の有無に拘らず、謝礼を支払っている団体もあるらしい。

 テツが参加しなくなったのは、直接には介護タクシーの料金に見合う交通費がいただけなかったためである。会費の設定が低かったからだ。余剰金を積み立てて、講師の突然の必要に充当するのも必要と思う。

テツの体調からすると、もう復帰は絶対に無理だ。

だが、(今後の)後継者の方に同様な思いをさせたくないと考える。

 


 

 テツが、音楽界で活動していた頃のことを振り返ると・・・。 

タレントの出演料は、音楽プロダクションから支払われていた。

  プロダクションは、イベントを企画し劇場などに売り込みをしていた。

 バンドマンの場合も規模が小さくても、マネージャーが施設と契約をしていた。

 余談になるが、東京駅(北口だったと思う)がバンドマンの交流の場所でもあり、トラだけをやりたくて集まるバンドマンもいた。 

というのは、倍額の出演料を手にすることもあるからである。

 クラブやキャバレーなどで穴を開ける(欠席する)場合は、トラ(エキストラの意味)に倍額の謝礼を、欠席した側が支払った。

 もちろん経営者側(プロダクションや施設のオーナー)からは、欠席した側に支払われたので、金額に変更はなかった。

  トラ・音楽業界用語

とら【to-ra】(名)・・・エキストラの意味。本来コンサート、ライブ等、本番に出演予定だった演奏者が、事故や病気等でこれなくなった場合、変わりに出演すること、あるいは代役の演奏者そのものを指す。基本的には欠席する演奏者が自分で代役を見つけるのが鉄則。                                                                                     例)明日急にトラでのってくれってたのまれちゃってさ~  

 
エキストラ

音楽におけるエキストラ

プロの楽団、とりわけ管弦楽団や吹奏楽団などではエキストラ出演が頻繁に行われている。その理由を大きく分けると、
本来のメンバーが急病等で出演できない場合。
頻繁に使われない楽器で(例:大太鼓、バスクラリネット)、楽団に常任のメンバーが居ない場合。
一管編成の楽団が、二管編成の楽曲を演奏する場合。

ぐらいである。つまり楽団の場合、特定の楽器が欠けると、音楽そのものが成り立たなくなる場合が少なくなく、それゆえ、エキストラも頻繁に起用される。よって、この場合のエキストラは上記の様な意味合いとは異なり、普通に重宝される存在なのだが、本来のきちんとした演奏要員として起用されるため、その分求められる責任も重い。

アマチュアの楽団などでは、人数に余裕が無い場合などに多くのエキストラが起用される。レベルアップを狙うため、音大生やセミプロの演奏者を起用する傾向がある。ギャラもあるが、良くて数千円程度。

とりわけ、演奏会よりも録音などの方がエキストラ起用が多く見られる。

プロの場では報酬(ギャラ)も役者のエキストラとは対照的であり、(エキストラ出演者次第だが)結構な額になることもある。実際にエキストラの収入で十分な生活ができる者も少なからず存在する。

主催者が堂々とした募集を行うことは皆無(但し、アマチュアでは多い)。プロダクションもごく少数である。概ね出演者の決定は、個人間の繋がりや同業の仲間、弟子といった場合が多い。

 

テツが、多分30歳位の頃だったかも知れない。

テツはある日、バンドマンの交流の場所として知られている東京駅北口に向った。

途中、電車の都合で、某駅ビル内の某楽器店に立ち寄り、時間つぶしのため、店頭に陳列してあった電子オルガン(エレクトーン)をいじっていた。

すると、店長さんに声をかけられた。

「突然ですが、エレクトーンの演奏者を求めているところがあるのですが、もしよかったらご紹介しましょうか」

話を聞くと某建設会社が、当時ブームだったボーリング場も経営するので、場内のBGMとして生演奏者を求めているというものだった。

それに応募してもらえれば、楽器も売れるという、面白い話だった。

早速会社を訪れ、社長さんと面会。

社員として入社してくれるか、単に演奏者としてやってくれるか希望を云って欲しいというのだった。

たまたま、あるダンス教師も面会の場所に顔を出していた。彼は社員としてではない方法を選んだ。

社員となれば、会社に束縛されるが、ボーナスや定期昇給、更に有給休暇もあるが、そうでなければ特典は何もない、というものだった。

テツは社員としての方法を選んだ。といっても演奏が仕事で夕方の5時から10時まで、30分間隔で演奏すればよかった。

演奏時間以外は、レコードなどを場内放送で流していた。

好きなことを毎日やれて楽しかった。

しかし、ボーリング業の衰退に伴い、廃業に追い込まれ、施設ごと某スーパーマーケットに、従業員ごと売られてしまった。

テツは菓子担当になり、商品の陳列作業に携わることになった。例のオイルショックの頃である。

でも本来の演奏業の味が忘れられず、音楽界に再び舞い戻った。

  


 以下はテツの思い出の小説「洞窟の女王」についてです。

映画「洞窟の女王」の中の「SHE Hags Out

hag(名詞)醜い老婆・hags(動詞)醜い老婆になる

out露見する

Hags Outの意味(手元の辞書に記載なし)

この動画については、テツの記事と重複します。 映画「洞窟の女王」

 

「洞窟の女王」1965年作映画の一場面・・・最高に感動的なシーン
SHE Hags Out 再生時間:2分20秒

http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=g-K58JHhM1M 
  

上の動画SHE Hags Outは、こちらの映画フランス語版 LA DÉESSE DE FEU 火の女神の一部です。 

フランス語版 LA DÉESSE DE FEU 火の女神 (1965) Version Française - Film Complet 1時間45分51秒
http://www.youtube.com/watch?v=c3KNBD8AC0I&feature=player_detailpage 
 公開日: 2013/06/11  
原作品名:She(1965)
 

抜粋版はいろいろ公開されていますが、SHE Hags Outと同じシーンが含まれているのは、これだけでしょう。音声がフランス語なので、テツには残念だが、理解出来ない。

いや、こちらにもあります。8:46~9:05にかけて、同じようなシーンが見られます。ただしBGMだけなので、意味が分からない。
dubai カラー(着色)  10分30秒
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=BmjtTNFjCIY 

 動画のタイトル《SHE Hags Out》は 「女王は、(一瞬にして)醜い老いぼれ女になって死んでしまう」とでも訳せましょうか。
二千年も生き続けた絶世の美人女王も、若返るはずの地底の炎を再度浴びた結果、一瞬にして、老女と化し死んでゆく・・・・。
 

    この動画のシーンに該当する箇所を、世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』,改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)(インターネットアーカイブ)からご紹介します。

 こちらをクリックすると、上記世界大衆文學全集第二十八卷『洞窟の女王 ソロモン王の寶窟』,改造社 (昭和三年七月一日印刷,昭和三年七月三日發行)の実物を撮影したPDFが現れます。

 http://archive.wul.waseda.ac.jp/tomon/tomon_19258/tomon_19258.pdf

現在テツが最近購入し読んでいる本(大久保康雄(訳)・東京創元社刊(1974年5月24日)とは別訳です。インターネットアーカイブでは検索出来ないでしょう。有料では可能かもしれません・・・。

  引用1.・・・The Project Gutenberg EBook of She, by H. Rider Haggard
Release Date: April 4, 2006 [EBook #3155]・・・(抜粋)

Oh, how beautiful she looked there in the flame! No angel out of heaven could have worn a greater loveliness. Even now my heart faints before the recollection of it, as she stood and smiled at our awed faces, and I would give half my remaining time upon this earth to see her once like that again.

But suddenly—more suddenly than I can describe—a kind of change came over her face, a change which I could not define or explain, but none the less a change. The smile vanished, and in its place there came a dry, hard look; the rounded face seemed to grow pinched, as though some great anxiety were leaving its impress upon it. The glorious eyes, too, lost their light, and, as I thought, the form its perfect shape and erectness.

I rubbed my eyes, thinking that I was the victim of some hallucination, or that the refraction from the intense light produced an optical delusion; and, as I did so, the flaming pillar slowly twisted and thundered off whithersoever it passes to in the bowels of the great earth, leaving Ayesha standing where it had been.

As soon as it was gone, she stepped forward to Leo's side—it seemed to me that there was no spring in her step—and stretched out her hand to lay it on his shoulder. I gazed at her arm. Where was its wonderful roundness and beauty? It was getting thin and angular. And her face—by Heaven!—her face was growing old before my eyes! I suppose that Leo saw it also; certainly he recoiled a step or two.

"What is it, my Kallikrates?" she said, and her voice—what was the matter with those deep and thrilling notes? They were quite high and cracked.

 


 引用2.・・・大佛次郎 1955年2月25日初版「世界大衆小説全集〈第1期 第5巻〉ソロモン王の宝窟・洞窟の女王 」・小山書店 

 「26 私たちが見たもの」・・・(抜粋)

ああ、この焔の中に立っているアッシャの美しさよ。大空から舞い下った天女でも、これより美しくはないだろう。今でも、私は、火の中に立って微笑んでいた時のアッシャの裸体姿を思い出すと気が遠くなるくらいだ。もう一度あの姿が現実に見られるなら、残りの半生を無にしてもいいと思う。

しかし、しかし、突然に何とも名状しがたい変化がアッシャの顔を襲ってきたのだ。それがあまりに突然なので、私にはどう言っていいかわからぬし、また、その変化は、何とも説明のしようはないが、何にせよ変化は変化にちがいない。アッシャの顔からは微笑が消えて、あの美しい顔が、干乾びた、硬(こわ)ばったような様子に変わってしまった。悩みきった時のようにやつれてゆき、眼の光も失せ、品(ひん)よくすんなりとしていた身体もだんだんに醜く曲がって来た。

私は眼をこすった。何かの錯覚に襲われたのではないかと思った。それとも、あまり強い光を見たので、幻覚を起こしたのではないかと思った。私が呆気にとられている間に、火の柱は徐々にねじれて、衰えてしまい、あとにはアッシャの姿だけが残った。

焔が消え去ると、すぐにアッシャはレオのそばへ進み寄った。手を伸ばしてレオの肩においた。私はその腕をじっと見つめた。あのふっくらとした丸味のある美しさはどこへ行ってしまったのだろう?痩せて、ごつごつと骨ばっているではいか。またアッシャの顔はどうだろう!私のすぐ眼の前で、見る見る耗(ふ)けていった。レオもそれを見ただろうと思う。レオはたしかに後退(あとずさ)りをした。

「どうなされました、カリクラテス?」とアッシャは言った。その声がまた、どうしたこどであろう?あの澄みきった銀鈴の響きは失せて、嗄(かす)れたきいきい声になってしまっているではないか。

 


 

引用3.・・・(大久保康雄・1956年11月5日初版「世界大ロマン全集 5)

「26 私たちの見たもの」・・・(抜粋)

ああ、火焔のなかの彼女の姿の、なんと美しく見えたであろう!空から舞い降りる天女でさえ、こうも美しくはあるまい。いまでも火焔のなかからにこやかに、私たちに笑顔を送っていた彼女の姿を思い出すと、私は気が遠くなる。もう一度あの姿が見られるなら余生をなげうっても惜しくはないと思っている。

ところが、とつぜんーという言葉ではあらわせないほど突如として、彼女の顔に、ふしぎな変化が起こった。なんとも説明のしようのない変化ではあるが、やはり一つの変化であった。微笑が消え、そのあとに険しい表情がうかんだのである。豊かな顔がゆがみ、大きな悲痛が跡を残したように見えた。目も光をうしない、まっすぐに立っていた姿勢までもが崩れた。

私は、何かの錯覚におそわれたのか、それとも強烈な光のために目がくらんだのかと思って、目をこすってみた。こうして思いまどっているうちに、火柱は、しだいに衰え、余韻を残しながら大地に呑まれて行った。そのあとにアッシャはとり残された。

火柱が消えると、彼女はレオに近づいたーその足どりにも以前の軽さがないように思われたーそして片手をのばして彼の肩にかけた。私はその手に目をとめた。あの肉づきのゆたかな美しい腕はどうしたのであろう?しなびて、まるで骨と皮ばかりではないか。顔までがーああ、なんということだろうーみるみるしなびていった!レオもそれに気がついたらしく、ぎょっとして、あとずさりした。

「どうなされました、カリクラテスさま」と、彼女は言った。しかしその声はーあの銀鈴のような美しい声はどうしたのか、ひびのいった、いやらしいだみ声だった。

 


 引用4.・・・大久保康雄・2009年6月19日25版)創元推理文庫

 「26 私たちが見たもの」・・・(抜粋)

焔に包まれて立つアッシャの姿は、たとえようもなく美しかった。天上から舞いおりた天女だって、これほど美しくはないだろう。一糸も身にまとわず、焔のなかに立ってほほえんでいたアッシャの姿を思い出すと、いまでも私は気が遠くなるようだ。もう一度あの姿が見られるなら、残りの一生を投げ出しても惜しくないと思う。

だが、そのとき突然――まったく突然だった――なんとも形容しがたい変化がアッシャの表情にあらわれた。あまりに突然だったので、どんな変化だったかは説明することができないが、とにかく変化が起こったことは間違いなかった。アッシャの顔からは微笑が消えて、干からびた硬ったような表情に変わってしまった。苦悩にさいなまれたときのようにやつれて、目も光をうしない、美しく、すらりとした体の線がくずれて醜く曲がってきた。

私は思わず目をこすった。幻覚か、それとも強烈な光で目が錯覚を起こしたのではないだろうかと思った。私があっけにとられていると、火柱がゆっくりとねじれ、焔がおとろえて、大地の腹のなかへ消えてしまい、あとにはアッシャの姿だけが残った。

焔が消えると、すぐにアッシャはレオのそばへ歩み寄った。その足どりにも弾みがないように思われた。アッシャは手をのばしてレオの肩においた。私はその腕をじっと見つめた。あのふっくらとした、まろやかな美しさは、どこへ行ってしまったのだろう?やせこけて、ごつごつ骨ばっているのだ。そして、顔は――どうしたことだろう?アッシャの顔は、私の目の前で、見る見る老けて行ったのだ!
レオもそれを見たのだろう。たしかにレオは後退(あとじさ)った。

「どうしたのじゃカリクラテス?」とアッシャは言った。その声は、どうしたことか、あの澄んだ銀鈴のようなひびきがなくなって、かん高い、しわがれ声だった。

 

 

 

1 コメント

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自由な時間? (紫頭巾)
2013-07-26 20:08:14
久しぶりにコメント投稿します。

テツさん、本当に自由時間ありますか・・・・?

テツさんにとって、ユー・アイ久樂部での自由時間は無いのではしょうか?
窮屈でしょう。退屈でしょう。

でも、テツさんの 今の状況では止むを得ない・・・・・。

早く、渓泉荘に 転居許可が出ると良いですね。

私の 本音です。
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