日常

1マスと100マス

2015-03-09 21:14:27 | 考え
あるものを100倍の倍率にしてみると、部分は精密に鮮明によく見える。
ただ、それは方眼紙で言えば100マスの中の1マスを拡大してみていることになるので、その時、残り99マスを見落としている、ということに自覚的である方がいい。
その1マスで得られたものが、残り99マスにも当てはまるかどうかは、わからない。

物事を部分的に精密に見るということは、全体を見落とすということとトレードオフになっている。

ただ、そういう仕組みを知っていればこそ、その次のステップとして、部分と全体とを重ね合わせてみることができる。
そのためには、1マスで得られた情報だけで満足せず、自分の限界を自覚し、その1マスの情報を互いに共有し、ほかの99マスの人たちと対話をする必要がある。そのことで、100マスの全体像を見ることができる。

そういうことに気づけば、個別性(1マス)と多様性(1マス)も、すべては対立することなく両立し共存することができる。

だからこそ、この世界にはいろいろな人が必要。それが未来の社会の在り方だろう。
今までは、ある特定の1マスだけを精密に見て光を当てすぎていたようだ。だから、少しずつバランスも崩れた。

ひとりひとり(1マス)が尊重されるからこそ、全体性(100マス)が分かる。
これから、そういう時代になると、思う。